あけましておめでとうございます。何だか分からないうちに休みは終わりを迎え、2001年の仕事始めを迎えてしまいました。休みの間にこのコーナーのネタでも考えておくか…という土台無理な願望も無惨にうち砕かれた今、また追われるように絵と文を書かなければならない。一人でも多くの人に見て、読んでもらえればこれほど幸せな事はないと思い込んで、コーナーを再開します。 さて、正月はどのように過ごされたでしょうか。酒浸りという人も多かったかもしれない。正月には酒が実に良く似合う。酒のない人生なんて何ほどのものか…という人だっているに違いない。酒は飲めば飲むほどに、人の心を陽気にさせる。飲むほどに大きくさせる効用がある。そして本心がさらけ出されるのである。それは世間にまだ牧歌的な雰囲気の残る昭和51年頃の話である。私はまだ会社員で会社の社員寮に住んでいた。寮は西宮市と狭山町(今の大阪狭山市)にあり、私は西宮から狭山に転勤になっていた。 ひとつ年上の先輩竹田さんは、自分の事を「わて」と言う兵庫県出身の珍しい人だ。よく酒を飲んでいた。実に楽しい人である。20代も前半だと酒も背伸びをして飲む事が多い。私も酒の味など分からない。ただ酒を飲んで軽く酔った時の雰囲気が好きなのである。特に仲間と飲むと楽しい。ただ誰が勘定を払うかで心配になる事もあった。20代そこそこではそんなにお金が有り余っている訳でもない。そのくせ赤ちょうちんで飲む訳でもない。ちょっぴり華やかで賑やかな場所で洋酒を飲むのである。そんなに安い訳ではない。割り勘だと気が楽なのだが、若さとはたった1才の違いでも大きな違いに感じるものだ。後輩に酒を驕ってもらうなど恥のような気がするものである。 若さとは制御がきかない。分かっていても暴走気味で止まらない。酔っていてもさらに飲む。時間がなくてもギリギリまで飲む。飲んで外に出た頃には最終電車はとうの昔に終わっていて、帰りの交通手段はタクシーしか残っていないこともしばしばだった。寮は都心から遠く離れている。一体、誰がタクシー代を払うねんと心配になる事は一度や二度ではなかった…。先に酔ったもの勝ちというのがこの世界の掟だ。酒が強い訳ではないが前後不覚に酔った事が少ない私は常にタクシー代を持っていないと不安になった。酔っぱらい何人かとタクシーに同乗しながら全員を無事寮に届けるのが後輩としての勤めであるからだ。 その時も酔いつぶれた竹田さんを含む4名でタクシーに乗り、狭山に向かった。途中で止まっては道路に吐き、走っては止まってまた吐いて…という苦渋の道中を経験し、タクシーの運転手には嫌な顔をされ、それでも一人まともな人間が乗っている事が運転手にとっては救いなのだ。かなり酔っていても、酔っぱらいを廻りにすると冷静になる。ごめんなさい、ごめんなさいと必死に謝り、タクシーは狭山の寮へと到着した。タクシー代を払ったその時だった…酔ってぐっすりと寝ていた筈の竹田さんが突然がばっと起きあがって、運転手からお金を取り上げて私に戻して、わてが払う!と言い出した。若さとは時にええかっこしいなのである。ええですよといくら言ってもにこにこしながら、わてに払わせてーなと言う。 竹田さんはその後、舗装されていない駐車場に仰向けになって真新しいスーツを泥だらけにしながら寝転がった。嬉しそうに夜空を見ながら、思い切り笑った。思い切り青春していた。スーツが汚れるで…といくら言っても、わては酔ってない、お前も寝転がってみい、後込みする我々をあざ笑うかのようにスーツの汚れを気にするような、心の狭い人間になるな…と説教をすると夜空に向かって豪快に笑い飛ばした。そんな竹田さんは私にとって憎めない実に優しい先輩だった。酒は飲むほどに、人の心を陽気にさせる。飲むほどに大きくさせる効用がある。そして本心がさらけ出されるのである。それは世間にまだ牧歌的な雰囲気の残る昭和51年頃の話だった。 翌朝、寮の部屋に泊まった竹田さんの悲鳴がこだました。 (ふゆき) |
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