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出逢い(upload.3.14/pm5:30)

世の中、右も左もインターネット。出逢いも恋もインターネット。ネットの出逢い系サイトで出逢った人間が結婚するのも珍しくなく、犯罪が起きても驚かない。袖振れあうも多少の縁、等と言う言葉は死語に等しい。しかし、一方で古典的な見合いという手法があるが、それもコンピュータ見合いなんてものに置き換わっている。だが、煩わしい義理や人情を排して合理的に冷徹な判断が出来る…とはいかないのが人間の人間たる所以かもしれない。インターネットでは地方も都会も変わらないのだが、現実には田舎ではまだ義理や人情が少なからず幅を利かせている。

その田舎では長男は絶対的な存在であり、次男、三男は長男に何か会ったときの補充の意味合いが強い。それは長い間培われた日本の血統主義の伝統の名残である。天皇家然り、徳川家然りである。徳川家だって家康直系とはいえない。紀州家から8代目吉宗が迎えられ、14代ではその血統も消えてさらにもう一度紀州家から、そして15代将軍は水戸家の血筋を引く一橋家から来た慶喜である。あくまで補完に過ぎない次兄や三男の私は、男が生まれない女系家族にとっては格好の餌食である。いわゆる婿養子という奴だ。勿論全部断るのだが、世話好きの人にとっては大阪に行っている結婚適齢期の次男三男など、田舎の家系を守る道具に過ぎないのであった。さしずめ世が江戸時代なら部屋住みの身分という奴である。

一方迎え撃つ女系家族は、逆に長女万能主義ではなく、姉妹の仲で一番顔の良い娘をおとりに使うのが決まりである。

話を持ってくる世話好きの人は大体(選挙の票や人脈が欲しい人の意を受けた)おばちゃんである事が多い。仮にも縁結びをしようという者が本音で悪口を言うことなどある筈がない。とにかく誉めるのである。この誉め方で大抵の場合見たこともない相手が想像出来るのだから面白い。絶対的に自信のある場合は、ほんとうに器量が良くてこんな娘はめったにいない超レア物であると力説するのである。誉める表情は自信に満ちあふれている。性格に触れるようなバカな真似は一切しないのだ。だが、顔に自信がない場合は、必ずと言って良いほどこう言う。ほんとうに性格の可愛い娘で良いお嫁さんになる、こんな娘さんはなかなかいない。
だが、人の運命というのは実に残酷なもので、顔が悪く生まれて来た女の人だっている。姉妹であれば、中から選りすぐれば良いのだが、一人娘となるとスペアはない。選択の余地がないのである。一人娘だと我が儘で性格が悪い事もある。こういう時は必ずと言って良いほどこう言う。なかなか良い家で父は云々、母は云々、ほんとうにしっかりとした家庭で育った立派な家のお嬢さんで、こんな良い家はめったにない。どんな場合にも決して床上手とは言わないのが掟である。(当たり前だ)

実に分かりやすかったりするのである。

見合いをすすめる方は年功序列で来る。つまりは次兄をまず片づけようとするのだ。だが、小さい頃から次男三男は、男一匹、独立独歩で生きて行かなければならない運命だ…と両親から洗脳されていたから、どんな話にも乗らない。今さら婿養子などちゃんちゃらおかしい。全てシャットアウトだった。

ある時、帰郷時に見合い話を持ってきたどっかのおばちゃん、次兄を口説こうとするのだが、どうしても会う事すら首をタテに振らない。これ以上言うなら二度と帰省しないぞ…とおふくろを恫喝するに及んで、義理があって断りにくかったおふくろは、今までに全部話を断ってるんで頼むから諦めてくれ…とおばちゃんに泣きついた。しかしおばちゃんも何とか逢うだけでも…と執拗に食い下がる。

笑いながらその光景を見ていた私の方に向かっていきなり、そのおばちゃんが指を向けると母親に尋ねた。これ、誰?三男の弟だとの答えにおばちゃんは顔がほころんで実に失礼な言葉を吐いたのだった。

こ、これでもいいわ!

かくして、後にも先にもたった一度の見合いを身代わりで経験したのは、私が20代も半ばの頃だった。そして、伝統的な家系や血という長い時のスパンの前では、人間のパーソナリティーや情感などは無力に等しい事をあらためて知るに至ったのである。

(ふゆき)