今日と明日の区切り、季節と季節の区切り、年令の区切り、町の区切り、人の居るところにあらゆる境界線が存在する。本来は連続していて区切りはないのだが、人間の欲とか意識が境目をつけずにはいられないのだろうか…。時としてそれは紛争の種になる。道を1本隔てて地域が変わる。川を1本隔てて国が変わったりする。 随分前に私の故郷の母から聴いた話だが、畑を耕し芋の種を植える為に土を盛り上げて畝を作る。よく写真などで写っている細長い縞があるが、あの盛り上がった土の長い列が畝である。断面図で言うと波形になっている。隣の畑の強欲ババアが(私が表現してるのではない、あくまで聞いた話だ)その最後の畝が終わった後、境界線付近でもう一度盛り上がろうか…という雰囲気を見せた形で終わっていたのだそうである。 実に気の長い話である。田舎とはそういうものだ。時の流れは先祖から連綿と続いていて、世代から世代への区切りは無いが如しだ。だけど土地の境界線はあるのだ。田舎の狭い土地ですらこうなのだから、国ともなればその争いは言わずもがなである。 境界線は人が作るものである。肌の色、学歴、出身、血統、同じ人間においてすら、やたら区別をつけたがる。それがまるで自分の主義主張の如く。ほどほどに出来ないものだろうかと思う。曖昧だとやはり余計にもめるのだろうか…。 人間とは実に矛盾を抱えた生き物だ。 (ふゆき) |
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