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境界線(upload.4.13/pm5:15)

今日と明日の区切り、季節と季節の区切り、年令の区切り、町の区切り、人の居るところにあらゆる境界線が存在する。本来は連続していて区切りはないのだが、人間の欲とか意識が境目をつけずにはいられないのだろうか…。時としてそれは紛争の種になる。道を1本隔てて地域が変わる。川を1本隔てて国が変わったりする。

随分前に私の故郷の母から聴いた話だが、畑を耕し芋の種を植える為に土を盛り上げて畝を作る。よく写真などで写っている細長い縞があるが、あの盛り上がった土の長い列が畝である。断面図で言うと波形になっている。隣の畑の強欲ババアが(私が表現してるのではない、あくまで聞いた話だ)その最後の畝が終わった後、境界線付近でもう一度盛り上がろうか…という雰囲気を見せた形で終わっていたのだそうである。
ところが次の年には雰囲気だけではなく、もういっぺん盛り上がってやるぞという意欲を見せていた。次の年には少し盛り上がり、さらに次の年には山を形成し、翌年には、あっはっはこの山はこのオババのもんじゃあ…と言わんばかりに畝がいっこ増えていたというのだ。オリンピックではあるまいに4年がかりで新しい畝を作って土地を浸食するのである。始めは我慢していたおふくろも頭に来て、その年に畝を壊して自分の所の土地を守ったと聞く。しかしやっぱり次の年になると捲土重来、畝はもういっぺん盛り上がってやるぞという意欲を見せていたらしい。それがまるで自分の主義だとでも言いたいように…。そして、それはババアが死ぬまで続いたとの事である。

実に気の長い話である。田舎とはそういうものだ。時の流れは先祖から連綿と続いていて、世代から世代への区切りは無いが如しだ。だけど土地の境界線はあるのだ。田舎の狭い土地ですらこうなのだから、国ともなればその争いは言わずもがなである。

境界線は人が作るものである。肌の色、学歴、出身、血統、同じ人間においてすら、やたら区別をつけたがる。それがまるで自分の主義主張の如く。ほどほどに出来ないものだろうかと思う。曖昧だとやはり余計にもめるのだろうか…。

人間とは実に矛盾を抱えた生き物だ。

(ふゆき)