私が小さい頃、幼なじみ同士で相手を呼ぶ時、ちゃんではなくて省略形のちんと呼んだ。ふみお君だったらフミちん、まなぶ君だったらマーちんと呼ぶのだ。ちなみにぎたー君はぎぶそんと呼んだ(そんな奴おるかい!)私はふゆちんと呼ばれていた。決して冬の寒い時にちんこが凍えてちぢこまったような奴だからふゆちんと呼ばれたのではない。こう見えても勃起すればそれなりに何とか格好がつく程度にはでかいんだぞ〜!…って何の話やねん。 ふるちんという言葉がある。場所によってはふりちんとも言うかもしれない。男が全裸になった状態を言うのだが、何で「ふる」なのか分からない。ともかく状態をよく表していておかしい言葉だ。 暑い日々が続く。昔ならすぐに泳ぎに出かけたものだが、年令と共に泳ぎとはどんどん縁がなくなる。子供の頃には川で少しでも深い場所があると飛び込んで泳いだのだが、良い大人がそんな事が出来る筈もない。いや、大人と言わず高校生でもそれは出来ない。年と共に泳ぐに相応しい場所というものがある。私が高校になった頃には九頭竜川のダムの遊泳禁止の場所で泳いでいた。何故遊泳禁止かというと人がよく死ぬからである。危険な場所で泳ぐ。それがカッコ良いというか似合っていると思っていたに違いない。 プール等という軟弱な場所で泳ぐ等とは考えた事もなかった。飛び込み禁止の場所なんて魅力はなかったのだ。だから高校の体育の授業以外にプールで泳いだ事はなかった。大体自分が小学校の頃にはプールなんて存在してなかった。それが高校の頃になるとど田舎の全校生徒が100人足らずの小学校にも軟弱なプールが出来ていた。 あるむし暑い真夜中、おさな馴染み達と辺りを徘徊していて小学校のそばを通った時、誰かがプールで泳ぎたいと言い出した。プールは高いフェンスで囲まれている。よじ登って中に入った。月の灯りに照らされたプールの水はまるで摩周湖のように(行って見た事はない)波紋ひとつない透き通った青だった。当然海水パンツなんて持ってない。ふるちんでいいやんか…と誰からともなく言いだし、みんなでいそいそとパンツを脱いで裸になると実に心地よかった。制限によって抑えられていたものが解き放たれた自由である。まるで野に放たれたライオンとでも形容したらいいのだろうか。(見栄張ってます) だが、泳いでみると意外に泳ぎにくい。ぶらぶらと邪魔なのだ。女の人だと胸がでかければの話だが揺れて邪魔になるというのと似ているかもしれない。しかし心地良い事には変わりない。最初は静かに泳いだのだが、段々大胆になって25メートル何秒で泳げるか競争だ〜とか、泳ぎが徐々に激しくなっていった。 一度味をしめたら何度も繰り返すのが人間の悲しい性である。小学校のみならず、高校のプールまで忍び込んで泳いだ。もちろんふるちんである。もし見つかったらどーする…という危険と隣あわせの行動は心地よさを倍加させる。それはきっといつ戻ってくるともしれないヤクザの家で情婦と交わっているのに似ているかもしれない(似てへん似てへん) 若さとは常に危険と紙一重の行動を好むものである。もし、懐中電灯に照らし出され、或いはプールの照明が突然ぱっとついて、貴様ら!そこで何をしている〜〜!と言われた日には、どうすれば良いのか。全くの無防備である。いや、まだそれなら良い。もしも、美人宿直教師に、あなた達そこで何してるの!早くそこから出てここにならびなさい!等と言う場面に遭遇したら、一体どうしたらいいものか…。 だが、そんな幸運は決してやってくる事はなかった。 (ふゆき) |
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