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森の石松(upload9.1/pm6:00)

私は三兄弟の末っ子だ。長男から遅れる事5年、福井の片田舎で穫れた。アキオ、タツオ、ふゆきの三兄弟である。兄弟だからどこか似ているのだろうが、個々には全く顔形の違う別人であると思っている。でもよく間違われた。問題はその間違われ方である。どうにも気に入らなかった。

私は18才で福井を後にして関西に住み、時折田舎に帰るだけの身となった。大阪駅から福井駅まで当時の国鉄に乗り、最近何かと事故で話題になった京福電鉄に乗りかえて最寄りの駅に着く。さらにそこから京福バスに乗り換える。バス停で降りると閑散とした田舎ではあるが、家にたどり着くまでに近くの村のおばさんや、おばあちゃんと出逢う事になる。

私を見るなり、みな驚いたように一様に必ずこう言うのだ。
アキオちゃんか、アキオちゃんやな。帰ってきたんか!何や、えらい大きくなったなあ。田中んちのアキオちゃんやろ。大阪から帰ってきたんか?あんなにちっこい子やったのに、こんなに大きくなってしもうて…。元気にしてたかいの?

(アキオは既に家を継いでずっと田舎におるやないか、あんたら何見とんねん)おもむろに横に首を振ると必ずと言って良いほど、こういうのだ。
え、タツオちゃんやったんか。な〜〜んや、アキオちゃんかと思ったわ。何や、よお似てるから間違えてしまうわ。そーかあ、タツオちゃんやったんかあ。元気でやっているかいの?

さらに続けて首を横にふらざるを得ない。するとハンコで押したように皆こう言う。
え〜〜!ふゆきちゃんやったんかいな。え〜〜!そうやったんかいな。みんな同じ顔してるんで見分けがつかんわ。み〜〜んな顔が一緒やな。

ここで話が終わるのだ。お、俺には元気やったのかと聞かんのかい!え!これが中学、高校から延々と続いていたのだ。一体何度同じ事を聞いたら気がすむねん、ええ加減覚えろ!おれはふゆきだ。三男だ。ぼけとんのか!…と言いたい所をじっとこらえて、笑顔で答える。そこにはふゆきという私個人ではなく、江戸時代のどっからか知らないが連綿と続く田中家の名誉が掛かっている。そつなく答えるしかなかったのだ。適当にやりすごすと、次ぎに向こうから、また一人歩いてくる。そしてこういうのだ。

アキオちゃんか、帰ってきたんか?元気にしとったか?

うちの兄弟はサルか。そんなに見分けがつかんか?よりにもよって、同じ事ばかり言う。そのくせ、最初に必ずアキオちゃんか…と言うのだ。物覚えが極度に悪い癖にアキオ、タツオ、ふゆきの順番だけは絶対に忘れないらしい。そもそもここが気に入らない。誰一人として、その順番を間違える者はいなかったのだ。こうなるともう儀式みたいなもんだった。こちらもハンコで押した答えしか言わなくなる。

儀式をすませて県道から角を曲がって家路を急ぐ私の視界にさらにもう一人歩いてくる姿を見つけたりすると、私の憂鬱はとどまる事がなかった。それは忘れるのではなく、覚えようとしないからなのだろう。特に年令が離れると興味の対象から外れ、記憶を司る脳が働かないに違いない。アイドルの見分けがつかないおじさん達が良い例である。(お、俺の事や)


それからどれ程の時が経ったろうか…。今では田舎を歩いても当時辺りを徘徊していた人たちの姿を見つける事は難しい。おばあちゃん達、ほんまに呆けてしまったんだろうか。最近では憂鬱な儀式もとんとご無沙汰である。

何故か一抹の寂しさを感じる私だ…。

(ふゆき)