私は夜行性である。夜活動する。それは高校時代からそうだった。故郷である福井の片田舎は真夜中ともなると真っ暗で灯りがついているのは、墓場のひと玉と私の部屋くらいなものだった。よく孤独感に苛まれた。誰か起きていてくれ。俺を一人にしないでくれ…そんな叫びは誰にも届かない。静寂の暗闇の中で時を過ごしたのだ。 大阪に出てきてもそれは変わらなかった。人は大勢いるが誰も知らない人ばかりだ。独身寮にいても仲間達はみな寝ていた。一人ラジオを聴きながら、孤独感を癒した。独身寮を出て独り住まいを始めてもそれは変わらない。いや、一層ひどくなった。私の夜行性はさらに拍車が掛かった。11階建の建物だったが、窓を開けて外をみると同じような建物があるが、みな真っ暗だ。誰も起きていない。まるで自分独りが異次元に居るかのような錯覚に陥る。俺はここにいる。俺はここにいるぞ〜!ここで生きているんだぞ〜!誰か気がついてくれ〜〜!何度叫んだ事だろうか。屋上に上がってあたりを見渡すと、街の灯りが見える。それは人が生きている証拠だ。人が起きて活動している証拠だ。近くの同じような建物に、同じ会社の同期で入社したハマガミ君が独身寮を出て住んでいた。ふと奴の窓を指で数えて探し当て、窓に灯りがついているのを見つけると、小躍りした。やけに嬉しかった。おお、同志よ!俺も起きてるぞ!と心の中で叫んだものだ。 街の灯り、それは孤独から自分を解き放ってくれる同じ人種の出したSOSだ。似たものはここにもいるぞ!と言っているように思えた。夜活動する人間に灯りは不可欠なのである。深夜ラジオから流れる音もまた、別の意味で街の灯りなのだ。 結婚して子供が出来ても夜起きている事は変わらなかった。仕事柄、いつ寝ているか分からないような生活の連続。夜も昼もなく、いつ寝ているか自分でも分からい。パソコン通信にのめりこんだのは、丁度その頃だった。NIFTYだったが、夜中ネットを徘徊していると、同じ様な人を見つけた。ボードに書いている人を見つけると、それもやっぱりネットの街の灯りだと思えた。 今では夜でも起きている人は多い。テレビもずっと放送している。インターネットでは歴史は夜作られるかのようだ。あの窓も、この窓も、みんな生きている。深夜でも明るい照明があちこちに点在している。私は夜遅くまで仕事をする。土壇場になって暗くなるまで仕事を始めないというのが真実なのだが、とにかく遅い。仕事を終えて帰るのはいつも最終電車だ。体は胃の痛みと肩こりのハーモニーを奏でながら、ハラが減ったと信号を送ってくる。だが、24時間営業の店も増えた。いつコンビニに行っても働いている人がいる。最近は若い女の子でも、平気で深夜働いていたりする。みんな頑張っている。孤独な夜を過ごしていたのは遠い昔の事のようだ。 最終電車に乗るべく駅に向かうと夜の12時を回っても、いつも煌々と灯りがついている建物がある。まだ、働いているのか…。頑張りすぎだ。だがその建物からは全体から激しい熱気というか、人間の体の限界に挑戦するかのような激しいエネルギーを帯びたオーラが吹き出している。それはまるで、本能のおもむくままにありったけの力を放出しているかのようである。いくら何でもやりすぎじゃないだろうか…と思う。ちょっと肌寒くなった夜空を見上げながら私はそっと呟くのだった。 ホテル キャッスル アモール…サービスタイム2時間1980円から…かあ。えらい安いなあ。覚えとこ。 街の灯り、それは人の孤独と欲望の乾きを癒すシルシなのかもしれない。 (ふゆき) |
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