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負けてたまるか(upload10.10/pm7:00)

不景気になるとギャンブルが流行るというが本当だろうか。ギャンブルと言えば一般的なものはやっぱりパチンコだろうか。

随分以前の頃である。まだMacintoshでDTPなんて考えられない頃、デザイン事務所である私の所は全て手で作業を行っていた。もう今では取引のないある印刷会社からパチンコのチラシを作って欲しいと依頼があった。隣同士でパチンコ店がならんでいるらしく、隣の店には並々ならぬライバル心を持っているのだと言う。隣の店の開店チラシをサンプルに持ってきて、これより良いものを作って欲しいとの依頼だった。サンプルは素人っぽくて、たいした事がなく、ああ、これなら絶対に勝てますよとふたつ返事で引き受けた。

獅子は例えどんな相手でも全力で立ち向かうという。例えどんな素人っぽいレイアウトの相手でも私は全力で立ち向かうか…と言えば、そんな無駄な事はしなかった。100対0でも10対9でも勝ちは勝ちだ。勝てる程度に手を抜いて仕事をした。でも確実に相手より良いものを作ったという自負はあったので、それはそれで気持ちの良いものである。

しばらくすると、これもまた最近は取り引きしていない別のある印刷会社から、またまたパチンコのチラシ作ってくれませんか…と依頼が来た。パチンコのチラシばかり作っていた訳ではないが、重なる時は重なるもんだ。パチンコ店というのは近くの店同士は仲が悪いもんだろうか。いや、パチンコに限らず、同業他社同士はどこも仲が悪いものかもしれない。やっぱり隣の店に負けたくないので、隣より良いものを作って欲しいという依頼だった。切磋琢磨して人は伸びていくものである。ライバルがいるかどうかは人生を大きく左右するものだ。仕事であれ、恋敵であれ、夢であれ、ライバルが居るから負けたくないと人は努力をするのである。

ライバルのいない人生は努力という苦しみから逃れる代わりに、進歩という道も閉ざされる。隣の広告に勝ちたいという、その戦いに私は乗った。これはパチンコ店の戦いではなく、私とライバルとの戦いなのだ。よっしゃー、やってやろうやないか。ライバルがいると私は激しく燃えるタイプである。ライバルの広告を見た。そして私は唸った…。

こ、これって、この間自分がやった奴やんか…。これは実は俺がやった…とは言えない。黙って分かりましたと引き受けた。別に分かっていた訳ではないが、ここでライオンのように全力を尽くさなかった事が生きてくる。ライバルは自分だ。これは自分との戦いなのだ。まるで高橋尚子の如くに私は己と闘う事となったのだ。ちょっとずつ品質を小出しにしていけば、ライバル同士でお金を切磋琢磨してくれて実に美味しい話ではないか。すき焼きより美味しい…というのは昨日の話だ。言葉で言うのは楽だが、自分と闘うほど苦しい事はない。相手の手の内は分かっている。腕は拮抗している。当たり前だ。同じ人間だ。


そして、ほどなく私は自分との闘いに敗れ去った。


ライバルは貴重だ。自分の意志で自らを奮い立たせる事なく、闘争心が沸き上がるからだ。人間の能力にそんな差があるとも思えない。天才とは自らの意志を使って自分にうち勝てる人の事を言うのだと私は思う。凡人は他人からエネルギーを貰わないと燃えないものだ。私なんて典型的な凡人である。いつもどこかにエネルギーはないかと探している。ライバルよいでよ。そして私に向かって闘いを挑んでくれ…といつも思っているのだ。

だけど、仕事で食っていけなくなるようなライバルが出てきても困る。そんな奴は絶対に出てくるなといつも叫んでもいる。(どっちやねん)

(ふゆき)