知り合いの得意先の社長は(パチンコ屋を経営している)それなりに財をなし、庶民たる我々からみれば、不満などないような環境である。聞いた話だが、ハガキの印刷を頼まれ、文字を打ち込んだ校正を見せに行った時、社長室に既に先客がいて、おー!そこでちょっと待っててくれ…と言われ待っていると、どうも先客は何かを頼まれたがその通り出来ない事を告げに来ていたという。すると、その社長は無理な事を頼んで申し訳なかった…と机の引き出しを開けて、百万円の札束を取り出し、これは御迷惑代という事で持っていって下さいと、ポンと差し出したという。その人は必死で固持してそれは受け取れないと帰った。 100万の札束を机の上に置いたまま、ハガキの文字校正をしながら、社長はこう言ったそうだ。このハガキ印刷してナンボになるねん。単に文字を打ったものを簡易印刷に掛ける程度のものだったらしく、1万とか2万のレベルの話だったらしい。聞いた社長はこうのたまったとの事だ。 高いなあ、もうちょっとまからんか? 札束を横において言うな〜〜と思ったらしいのだが、先客に札束を渡すのは意味のある事で、ハガキの印刷に余分にお金を掛けるのは例えそれが1000円でも2000円でも無駄だと思ったからなのだろう。見返りを期待する行動である。事は金銭に限らない。例えば人に対する親切でも情でも、恋愛でも見返りを求めれば質が変化する。これだけやっているのに…とか、ここまでしてやっているのに…という感情がそれだ。誰しも持っている。だが、ビジネスの世界だと見返りがないのに投資をする事は悪である。これが会社経営者だと時として特別背任になってしまう事もある。 人が涙を流すとき、それは感動したとき、悲しい時、嬉しい時、辛い時、感情のまま涙腺が緩んだ時だ。そこに見返りや計算は存在しない。男は昔から泣くことが男らしくないとされていたから、泣くに泣けない。その点、女性は有利だ。悲しいと言っては泣いて、辛いといっては泣く事が出来るからだ。汚れを知らない乙女には涙が似合うのである。 しかし、汚れを知ってくると…という言い方は良くないな、大人になるとずるくなる。涙にもどこか見返りを要求する打算の成分が混じってくる。ここは一番泣いて見せよう。ここは涙が有効だ…とばかりに男を苦しめるのである。 世の中は総じてギブアンドテイクで成り立っている。一方的なボランティアのようなものは長続きしない。でも女性の涙が苦しめる男の奉仕はどこかボランティア的な香りがする。打算の涙を流した人も、流された人もそれぞれ言い分もあろうと思うが、反論出来ないのがこの俺明日の良い所だ。一日限りの事と、涙のように流して、明日を待つ。 今日はこれにて、さようなら…。 (ふゆき) |
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