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今年の言葉2012/04/02更新 | ||
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2011年「今を変える、将来の確かな約束」― 受け取るべき資産 ― 皆さんには、受け取るべき資産が例外なく供えられているとしたらどう思いますか。勤めるべき会社はすでに倒産しました。たよるべき親もすでに死にました。もう、何も私の手元にはありません。とおっしゃるあなたにも、ちゃんとした資産が用意されているのです。信じられないでしょう。そんなうまい話!とおっしゃるのも無理はありません。わたしだって、クリスチャンになる前は知らなかったのですから。 「受け取るべき資産」の歴史的な背景が、旧約聖書に記録されています。BC1500年ごろのことです。「主はモーセに告げて仰せられた。『人を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。』モーセは主の命令によって、パランの荒野から彼らを遣わした。」 民数記13:1〜3 イスラエル人にとって、受け取るべき資産と言えば、このモーセを通して語られた、神からの約束の地カナン(現在のイスラエルとほぼ重複する版図)という具体的なものでした。第二次世界大戦後、シオニズムが具体化してイスラエルという国が、パレスチナに忽然と登場しましたが、その骨格は3500年前にさかのぼるのです。 「受け取るべき資産」を、具体的な土地から精神的なものへと変容した人物が旧約聖書に登場します。ダビデと言います。BC1000年頃のことです。理由があります。ダビデはイスラエル統一国家の父とも称されます。聖書によれば、彼とその息子の時代、イスラエル国家は、歴史上最大版図を占めることになります。北はユーフラテス川、南はエジプトと国境を接する世界の要衝を占める国家が築かれました。求めるべき土地は最大限に達したので、地政学的にそれ以上は望み得なくなりました。すなわち、得る物はみんな手にいれたので、物質的な追及の限界に達してしまったのです。そこで、ダビデは物質的なものにむかっていた心を、精神的なもの(無形のもの)に転じたのです。心の限界の突破口が開かれました。 「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。」 詩篇16:5 「この身とこの心は尽き果てましょう。 しかし、神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。」詩篇73:26 人間の五感ではキャッチできませんが、聖書の語る信仰の目で見ることができ、信仰の手で触れることができる「主」(神)という存在を、ダビデは日々の生活で体験したのです。(主:ヘブル語でヤハウェ、日本語で永遠なる存在) ダビデに起こったブレイクスルー体験でした。今日のクリスチャンたちも、聖書の言葉を通して目に見ることのできない神を体験し、教会生活を通して目に見ることのできない神を体験しています。 モーセの紹介した資産も、ダビデの紹介した資産も、手にできたものであり、手にできているものです。ところが、聖書は、これから手に入れるべき資産についても語っているのです。むしろ、この資産こそが聖書が最も伝えたい、「あなたに受け取ってもらいたい資産」なのです。イエスキリストを救い主として心から信じて迎え入れたクリスチャンであれば、例外なく約束されている資産なのです。いわば、未来に受け取ることのできる資産なのです。 そんな絵に描いた餅の話をされても、とお思いでしょうか。取らぬ狸の皮算用じゃないの、と半信半疑でしょうか。イワシのかしらも信心から、と眉唾物とお思いでしょうか。 昨今の日本において、年金の問題がクローズアップされ、国民を不安に陥れています。なぜでしょうか。一つは、ちゃんと保険料を支払ってきたのに、その記録が消滅したか、正しく記入されなかったために受け取ることのできるはずの年金がもらえなくなるのではないかという不安感のためです。一つは、今支払っても、将来年金を授受できる年齢達した時、年金の基金が枯渇していて受け取れるはずの年金がもらえないのではないかという不信感のためです。将来の保証が100%ないので、保険料を支払わない人が急増しているのです。保険料をまじめに支払っても無駄だと心が折れてしまうのです。未来の確かな保証がないので、無秩序状態が生まれているのです。とりわけ、若い世代に。ですから、聖書なのです。 とりわけ、新約聖書に登場する人物は、共通してこの「未来に受け取りべき資産」について折りあるごとに触れています。 キリスト教の中心人物イエスさまのことばです: 「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」 (マタイの福音書25:34) イエスの筆頭弟子ペテロのことばです: 「朽ちることも汚れることも、消えてゆくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」 (ペテロの手紙第一1:4) イエスの愛された弟子ヨハネにことばです: 「勝利を得る者は、これらのもの(新しい天と地・聖なる都新しいエルサレム・神の幕屋)を相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」 (黙示録21:7) 伝道者パウロのことばです: 「あなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」 (エペソ人への手紙1:13〜14) 「事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」 (ヘブル人への手紙11:16) この五人の人物が言わんとしているのは、この未来の資産は100%受け取りが保証されているということなのです。未来の保証がないので、年金制度に対するモラルが崩壊し未納者が激増しているのです。未来の保証がないと現在を揺るがしてしまうのです。逆に、未来が確実に保証されると、今が変わります。 聖書は、語ります。将来の受け継ぐべき資産が100%保証されているので、クリスチャン生活の今が変えられているのだと。もっと言えば、クリスチャンは未来が確保されているので、地上の今の歩みに秩序をもたらし、心折れることなく、モラルを保てるのです。 最後に、伝道者パウロが、若き働き人テトスにあてた個人的なアドバイスのことばに耳を傾けてみましょう。 「すべての人を救う神の恵みが現れ、私たちに、不敬虔とこの世の欲を捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神である私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが、私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」 (テトスへの手紙2:11〜14) 『祝福された望み』という「受け取るべき資産」が確保されているがゆえに、クリスチャンは、慎み深く、正しく、敬虔な生活を送ることができるのです。未来の確固たる保証が、心折れることなく良いわざに熱心であり続けられる最大の支えとなっているのです。 あなたの今を変えたいですか。ならば、未来に受け取るべき資産を持つことです。 では、その資産をどうしたら受け取れまのですか。 簡単です、イエスさまをあなたの心のど真ん中に受け入れることです。 それだけが、「受け取るべき資産」の授受資格の必須項目なのです。 イエスは答えて言われた。 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ヨハネ3:3 あなたが、この『かけがえのない資産』を受け継がれることをお祈りしています。 2010年「人生の旅路の必携品とは」皆さんは、長期の旅行に出かけるときは、何を準備しますか。そんな質問をされたら、着替え、食糧、お金、常用している薬・・・と答えるのが一般的です。全部、手にすることのできる物です。聖書には、過酷な人生行路に必要なものが提供されています。手でふれることはできないのが特徴のようです。旧約聖書と新約聖書から引用します。 1. 創世記28章10〜22節策略と偽装工作によって兄エサウから家督の権利を掠め取ったヤコブさん。怒り心頭の兄エサウから命を狙われることになります。そこで、ヤコブは故郷を捨てて20年間にも及ぶ逃亡生活に突入することになります。そのヤコブさんに、20年にもわたる逃亡生活に耐え抜くための必携品を神様が与えてくだいます。第一に、神様との交流の窓はいつでも開いていますという約束です。簡単に言えば、「神さま。助けて下さい!」と叫べば、いつでも、間髪を入れずに応答して(援助の手を差し伸べて)くださるということです。 第二は、神様がヤコブのお祖父さんアブラハムと結んだ契約が、そっくりそのまま有効ですという約束です。神様によって与えられた使命を全うするまでは、命が保障されるということです。別の言葉に言いかえれば、使命に生きる存在にされるということです。 最後が、神がともにおられるという約束です。一人っきりになることはないのです。どんなんに孤立無援に見えても、実際は神との二人三脚の旅路なのです。こんな俳句があります。 <聖堂に主と二人きり秋深し>宮脇白夜 周りからはチャペルに一人で祈っている姿に見えるでしょうが、神の目からは、いつもそばにいるわけですから、『主とふたりきり』の姿なのです。 2. ヨハネの福音書20章19〜23節親分と仰いで身代を投げ打って従った弟子たちは、当の親分イエスが十字架の刑に処せられるや、敵前逃亡し、後ろ盾を失った失意から意気消沈し引きこもってしまいました。なんと、そこに復活されたイエスさまが出現するのです。それだけでも十分に驚嘆すべき出来事なのですが、イエスさまの弟子たちへのことばは度肝を抜きます。弟子たちは、これ以降、イエスの復活の証人として世界中に散っていくことになるのです。それは命がけでした。伝承によれば、多くの弟子は殉教したとされています。そのような弟子たちの過酷な再出発の人生を支える必携品をイエスさまが語っているのです。 第一に「平安があるように」:聖書の語る平安とは、まことの神との親密な交流がもたらす安心をさします。簡単にいえば、神のもとでの憩いは、いつでも用意されているということです。 第二に「あなた方を遣わします」:一度は人生の目標を完全に失った弟子たちに、もう一度、神にある使命に生きる存在にされたということです。キリストの証人として生きるという明確な人生目標を掲げることができたのです。 最後に「聖霊をうけなさい」:イエスさまの別名は『インマヌエル』です。ヘブル語で『神われとともにいます』という意味です。イエスさまは一人なのに、どうやって十二人の弟子たちと一緒にいることができたのでしょうか。それが、この聖霊の内住という方法でした。イエスさまは、弟子たちが世界中に散らされていっても、聖霊を通していつでも二人三脚をすることができたのです。 四千年前ヤコブに与えられた必携三つと、二千年前に弟子たち与えられた必携三つは、実は同じであることに気がつきます。特徴は、手にとって実感することはできない無形のものだということです。あなたの全存在(たましい:内なる人)を支えるのは、霊的な(目には見えないが、たましいはビンビン感じることのできる)ものなのです。 過酷な人生行路に必携の三種の神器とは、1) 神との交わり 2) 神からの使命 3) 神の臨在 です。 あなたは、今、厳しい人生の途上にあるかもしれません。大丈夫です。八方ふさがり壁だらけと決め込む前に、あなたの頭上に大きくあいた、神との豊かな交流の存在に気がついてください。助けを求めるのに何の遠慮も必要がありません。 事業に失敗・受験に失敗・家庭生活に失敗、もう生きていく価値もない。生きる目標もないと自暴自棄を決め込む前に、あなたでなければ担えない働きが用意されているのです。人生の落伍者のレッテルをはがして、人生の再出発をうながしてくださる方の存在に気がついてください。人生の大逆転はいつでも起こりうるのです。 突然のがんや事故や災害で最愛の人を失い、孤立無援、天涯孤独と決め込む前に、いつもあなたにピッタリと寄り添って下さる存在に気がついてください。「わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」と語り続けておられる方がいるのです。 あなたに、この旅の必携品を是非手にしていただきたいのです。 伊藤順造
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