立花隆・利根川進著
 
『精神と物質
  分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか―』
  (文藝春秋、平成5年11月刊)
  文庫判、333ページ、¥ 514+税
 本書は、立花隆氏がノーベル生理学医学賞を受賞した利根川進氏への20時間にも及ぶインタビューをまとめたものである。

 利根川氏は、1987年、「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」によりノーベル賞を受賞した。受賞後、日本のジャーナリストが大挙してアメリカの利根川氏のもとに押しかけたが、いずれも初歩的な質問に終始したため、業を煮やした利根川氏は一度だけ本格的なインタビューに応じることにした。その相手として選ばれたのが、立花氏であった。立花氏は、このために数十冊の専門書を読み、インタビューに臨んだという。

 内容は、 利根川氏の研究歴にそって、分子生物学の誕生、発展の過程を辿り、受賞となった抗体の研究を紹介する構成となっている。さまざまな実験方法や遺伝子組み換え技術などが説明され、仮説と検証を積み重ねて一歩一歩真理に近づいてゆく過程が語られているが、利根川氏が定説を覆す仮説を立て、文字通り世紀の大発見に至るくだりは、読んでいて利根川氏のその時の興奮が伝わってくるようであった。

 私は、最近注目を浴びている分子生物学の概要――DNAの二重螺旋構造の発見に始まり、分子レベルで生命のメカニズムを解明しようとする研究で、特定遺伝子の抽出、増殖、他の遺伝子との組み合わせ技術が使われている――を知りたいと思い読み始めた。

 しかし、読んでいくうちに、利根川氏がスイスの研究所に移り、分子生物学の手法を用いて抗体の生成の過程を解明したことに、とくに関心をもった。無限の種類の抗原に対応して、体内には無限の種類の抗体が産生されなければならないが、利根川氏がそのメカニズムを解明したという点である。これは、自己免疫疾患であるギラン・バレー症候群にも深い関係があるからである。

 ところで、本書のタイトルである「精神と物質」であるが、利根川氏はインタビューの最後に、生命の神秘とか謎と言われるものは、科学的にまだ解明されていないだけで、いずれ生命現象は、人間の精神現象も思考も含めて、すべて物質レベルで説明がつくようになると予測している。しかし、私にはこれには異論がある。たとえ、脳の仕組みがすべて物質レベルで解明されたとしても、心のような精神の面が、物質とは別に存在すると考えるからである。

 私は、分子生物学の発展は素晴らしいものだと思ったが、同時にその技術の飛躍的な発展に対して怖さも感じた。利根川氏は、この時のインタビューでは、ヒトゲノムの解明はとんでもない時間(8千年も)がかかると語っているが、実際には現在すべて解明されおり、クローン羊が現実に現われている。1975年に組み換え遺伝子の安全指針が打ち出されたが、これで果たしてバイオハザート(生物学的災害)から人間が守られるのか、将来、遺伝子による社会的差別が生じるようなことはないのか、遺伝子組み換えが今後の人類誕生に悪用される時代が来ないのか、など危惧を抱いた。技術の発展が飛躍的に速いだけに。

 蛇足ながら、欧米の大学、研究所、科学者などについて語られているが、それに比べると、旧態然とした日本の体質を痛感させられた。


 〔本書の中から〕

○ 生命は合目的な存在じゃない。つまり、生命の発生と進化は、物質的
 偶然の積み重ねが生んだという考え方は、分子生物学をやっている人
 の間では普遍的な見解になっている。

                      (05/1/19)



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