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| 『文藝春秋』11月臨時増刊号特別版「一冊の本が人生を変える」 (文藝春秋、平成17年9月刊) B5判、216ページ、¥1143+税 |
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| これまで当コーナーでは単行本だけをとりあげ、雑誌をとりあげたことはなかった。それは雑誌が一過性であり、関心のある記事だけを流し読みすれば十分だと思っていたからである。しかし、当雑誌は「本」を特集しており、読んでいて非常に面白く、雑誌としては珍しく隅から隅まで読むことになったので、ここでとりあげることとした。 本書のメインは、大特集「私を変えた一冊、支えた一冊」で、ここには、学者、作家、登山家、医師ら45人が、人生に影響を与えた本について当時の思い出も含めて寄稿している。 小尾信弥(天体物理者)は、子供時代にハッブル『星雲の宇宙』とエディントン『膨張する宇宙』を読んで宇宙への限りない興味を抱き、生涯その研究に取り組んでいる。 椎名誠(作家)は、小学校時代から冒険探検本を読み漁り、とくにヘディン『さまよえる湖』とベルヌ『十五少年漂流記』は愛読し、後年それぞれ本の舞台となった地を訪れている。 吉村作治(エジプト考古学者)は、小学校の担任の先生に勧められ、偉人の伝記を読むうちに、カーター『ツタンカーメン王のひみつ』を読み感動し、エジプトに発掘に行く夢を抱いたという。もっとも、一途に進んだのではなかったようだ。希望する大学が不合格になったため、役者になろうかと考え、母親に相談したところ、母親から「学者は役者になれるが、役者は学者になれないから、もう1年やってみなさい」と諭されたという。 畑村洋太郎(工学院大学教授)は、大学入学後、新たな目標も将来像も描けず迷走状態になっていた時に、『きけわだつみのこえ』を読んで「頭を丸太ん棒でブン殴られたような衝撃」を受け、それ以来、迷いが解け、手当たり次第猛烈に勉強したという。 「闇屋から哲学者になった」木田元は、農林専門学校で進路に迷っていた時、ドフトエフスキー『悪霊』を読み、人間の魂の奥深さに触れ、人間存在の研究を志したという。 田部井淳子(登山家)は、登山隊チームのとるべき行動を示した本として、クラカワー『空へ――エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか――』とブクレーエフ、デウォルト『デス・ゾーン8848M』をあげている。実際の遭難事件を、その隊の生存者が極限から脱出した状況を書いた本と、同じ時に別の隊にいた登山家が書いた本で、同じ惨事にしても捉え方により大きな違いがあることを指摘している。 鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)は、生きるヒントを与えてくれた本としてドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』をあげている。 堀田力(元検事)は、中学生時代失恋し、絶望感と不安にとらわれた時、キルケゴール『死にいたる病』に出会い、それが救いとなったとしている。 池内恵(イスラム文化研究家)は「人生を変えた本」ではないが、「一生付き合わざるをえないであろう本」として『コーラン』をあげている。イスラム教徒にとって『コーラン』は書物ではなく、神の言葉で絶対であるとし、その読み方を教えてくれる。かつて『コーラン』を一冊の本として読んだ私にとって、非常に参考になった。 …………………………………………… …………………………………………… このように、合わせて45人が人生に影響を与えた本について、当時の思い出も含めて寄稿している。彼らがどんな本に影響されて、何に興味をもっていったか、という流れを追うと、いかにもその人にあった本を、しかもいい時期に読んでいることが分かる。本との出合いは偶然という僥倖なのか、それとも人知を超えた力によるものかと考えさせる。 そうした中で、土屋賢二(哲学者)は、読書で人生を三度誤ったので、最後はどんな本でもよいと言っているのが、面白い。第一の失敗は、大学生の頃たまたま読んだミステリーが面白かったため、毎晩二冊のペースで読むほど夢中になり、一番大切な時期を棒に振ったこと。第二の失敗は、30年前偶然に『マイコンピュータ入門』を読んだため、コンビュータにのめり込み、プログラムや周辺機器も自作するようになったが、このために数万時間を費やしてしまったこと。第三の失敗は、大学1年の時、ハイデガーの『存在と時間』を読んだが、まったく分からなかったため、専門的に勉強しようと哲学科に進むことになったことであるとしている。しかし、これは失敗ではなく、読書がその都度人生に影響を与えたということを逆説的に言っているのかも知れない。 その中で、藤原正彦の話が面白い。小学校4年の時、風邪を引いて休んでいたら、父親(新田次郎)が算術の本を買ってきてくれたという。それが面白くて一日で読んだら、父親は驚いてしまった。以来、数学の本を探して読んでいたら、高校2年の時にはどんな大学受験の問題もスラスラ解けるようになった。ある時、大きな書店で数学の専門書を見つけ、これまで自分は天才だと思っていたのにその本から教えられることがあったことにショックを受け、7〜8時間も立ち読みしたという。大学2年から大学院までは「とにかく数学に命を懸けねばと朝から晩まで、寝ても覚めても、阿修羅のごとく数学ばかりやった」という。また、英独仏のほかロシア語、スペイン語、ポルトガル語も手当たり次第、「やりすぎた」と思うほど語学の勉強をしたという。このため、アメリカ留学時には、「オレの知らない単語はない」と絶対的な自信をもち、英語の辞書は持っていかなかったという。現在読書家として知られる彼が、多感な青年期の一時期にこのように本から遠ざかったことを後悔している。しかし、こんな彼の人生もいいなあと感じさせる一文である。 これを読んで驚いたことは、最近新人賞を受賞した若手作家は、文学全集のような古典はほとんど読んでいなく、いわんや哲学や思想や歴史の類はまったく読んでいないという事実である。 私には、彼らの作品が確かに時代に合った感性をもち、上手い文章であるとは思うのだが、何か内容がなく、底が浅いように感じられてならない。いわゆる古典などのしっかりした支えのない彼らの作品は、すぐに忘れ去られ、後の時代に残らないのではないかと杞憂するのは、古典を読まされた時代に育った旧人類だからであろか。 ○ 画面が目から脳に届いて映像となる生理的現象と、文字を読んでそれが脳の中で (05/11/28) |
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