石原慎太郎/瀬戸内寂聴
  『人生への恋文(往復随筆)』
  (文藝春秋、平成20年1月刊)
  文庫本、301ページ、¥714+税

 読書の醍醐味の一つは、自分では選ばないような本を人から薦められ、読んでみたところ、それが予想外に面白く、自分の知らなかった世界が展開したときの喜びである。本書はまさにそのような本で、近所の方から「退屈しのぎに」と贈られ、半ば義務感から読んだところ、予期に反し面白く、ついつい惹き込まれてしまった本である。

 本書は、石原慎太郎氏と瀬戸内寂聴氏の二人が人生への想いを託して交わした往復随筆である。そこでは、涙、運命、転機、老い、時の流れ、不可知なるもの、幽霊、記憶、酒など広い問題について語られている。

 もっぱら、慎太郎氏が「人生の途上で出会ったいろいろのものごとについてどう思ったか、どう向き合ったかということ」をエッセイにまとめ、10歳年上で、出家している寂聴氏に送り、寂聴氏が豊かな許容力をもってそれに答えるという形で進められている。いずれの書簡も人生に対する味わい深いメッセージが綴られており、読ませる内容である。私にとってとくに印象に残ったのは、下記の〔本書の中から〕に掲げた言葉である。

 また、面白かったのは、同じテーマに対してお互いの捉え方に微妙なズレがある点である。例えば、「涙」では、慎太郎氏は、自分が年をとり涙もろくなったのは「いろいろ重ねてきた経験のお陰で高まった人生の共感度のせい」ではないかとするのに対して、寂聴氏は「若さの証し」であり、「精神と感情の瑞々しい証拠」だと返している。

 また、お互いに政治の話や時事問題などは避けているが、慎太郎氏はもっぱら海とヨットの話に、寂聴は源氏物語の話に展開しがちなのが面白い。

 私は、二人を主にマスコミを通してしか知らなかったが、今回この往復随筆を読んでみて、持ち味は異なるが、両者とも人生への深い哲学、高い見識をもった文化人であることをと改めて知った。

 往復随筆は、対談と違い、時間をかけ文章を推敲してまとめてあるので、内容が深く、読みやすく、読者には親切である。

 ただ残念なのは、書簡がいつも慎太郎氏から寂聴氏へ一方的な流れとなり、寂聴氏から慎太郎氏への流れがないことである。もし、寂聴氏から慎太郎氏へクセ玉が投げられたら、慎太郎氏はどう返しただろうか。

 内容ではないが、本書は非常に読みにくい作りとなっているのが残念である。それは、立木義浩氏による二人の写真を入れたためと思われるが、文庫本にもかかわらず、ぶ厚いアート紙でできているため、ページを開いた状態に保ちにくいことと、紙面がスタンドの光を反射し文字が読みにくい点である。出版社も、少し配慮して欲しいと願う次第である。


〔本書の中から〕

 ○ 人生なるものの意味合いとは、何時生まれ何時死ぬかというタイムスパンの問
  題ではありはしないし、当人がその生ある内に何と何をなしとげたかというこ
  とでもありはしないでしょう。彼、あるいは彼女が、人間として生きていく間
  に何に出会い、何を感じ、それにどう向かい合ったかという事実の集積を当人
  自身がどう捉えるかということに違いない。     (石原慎太郎)

 ○ 日本人はよく年をとったら枯れるのが美徳のように言いますが、とんでもない
  まちがいです。特に芸術家は死ぬまで枯れたり出来ません。枯淡の味なんて
  真平御免です。枯れた芸術家なんていうのは、要するに耄碌(もうろく)した
  ということで、ものなどつくるのはやめるべきです。 (瀬戸内寂聴)

 ○ (だいぶ以前、宇宙物理学者ホーキングは東京で講演した時、質問に対して)
  この地球程度にまで文明が発展した惑星はその時点で、自らの文明のもたらす
  悪しき影響のせいで極めて不安定なものになり、宇宙全体の時間との相対で、
  ほとんど瞬間的に滅びてしまうのだと答えました。そういう相手が、自分では
  身動きの出来ぬ業病にとりつかれているホーキングだけに私にとって彼の発
  言は極めて印象的、というよりショッキングなものでした。(石原慎太郎)

 ○ この世に何か目に見えない巨(おお)いなるものの意思によって、人間として
  生み出された以上、わたしたちの命は、この星にとって、何か役たつことをせ
  よということではないでしょうか。………わたしたちは死の瞬間まで、希望を
  失わず、自分のあとに生きる人々のために、ささやかでも智慧の栄養なるもの
  を残していきましょう。わたしは書くことと祈りをこの世の置き土産にし
  ます。                      (瀬戸内寂聴)

 ○ ………ビッグバンを起こす要因を与えたものはいったい何なのでしょうか。そこ
  まで考えるともう切りがないから、人はそれを神の意思だといって納得しよう
  とするが、しかし実は神を作ったものは人間の意識、つまり自分たちはどうし
  てこの世に生まれて今こうして在るのだろうかという素朴の疑問の故でしょう。
  そうするとまた切りのない堂々巡りで、宇宙の誕生のはるか後に生命が生ま
  れ、さらにそのはるか後に生まれた人間の意識が「神」を生んだとするなら、
  宇宙の誕生る以前のありさまは何だったのか。     (石原慎太郎)

 ○ あれ(浦島太郎のおとぎ話)は、ある意味で恐ろしくも残酷な物語といえます。
  ………この物語をもって何の教訓とするかは人によっていろいろあろうが、とも
  かくも玉手箱の中身は「時間」だったということでしょう。いろいろ解釈もあり
  ましょうが、どんな素晴らしい出来事もしょせんは思い出にしかならないという
  ことか。時の流れは当然それに相当する変化をもたらし、誰もそれに逆らえる
  者はいないというのがこの世の原理なのですから。  (石原慎太郎)

 ○ 時間ということをよく知る、出来れば覚るということで、実は人間は本当に強く
  なれるのだと思います。それはこの自分が生きて知る人生なるものの総量は、こ
  の宇宙全体の存在、その時間全体に比べれば本当に塵のようにちっぽけで短いも
  のだが、だからこそ貴く素晴らしいのだ。宇宙がどれほど巨大で、時間がどれほ
  ど膨大に長く続くものだろうと、今すべての時間に比べればこの瞬間に近い自分
  の人生はその短さ故に掛け替えなく、価値があるのだ。(石原慎太郎)

 ○ この世ははかない。この世の愛もはかない。そして人の命もなおはかない。はか
  ないという字を儚い、人の夢と考えた人は何という詩人でしょう。儚い人生であ
  るが故に、人の時の永遠性に憧れ、夢をつむぐのだと思います。(瀬戸内寂聴)

 ○ (アンドレ・マルロウは「この世界で日本人だけが、永遠を一瞬の内に定着する
  ことの出来る唯一の民族だ」と言った。これは、また、「ミクロなるものの中に
  マクロなるものを発見する感性」という日本人の特質を言い当てている。)
  ………例えば芭蕉の名句の一つ、「荒海や佐渡に横たふ天の川」。これはまさに
  わずか十七文字の中に荒涼とした日本海の上にかかる、佐渡にもいや宇宙の端に
  まで及ぶ銀河という巨大な風景が歌いつくされている。これは西洋人にはなかな
  か捉えにくい感動です。               (石原慎太郎)

 ○ 小説家は少なくとも、本来の裸の自分の他に、かくありたいという別の自分に切
  なる憧れを抱いていて、その差の谷間で、独り芝居をして、泣いたり、苦しんだ
  り、自嘲したり、時には、誰も自分を理解しないけれど、本当は、自分は天才な
  んだよとか、胸を張ってみたりしているのではないでしょうか。何だかいじらし
  い動物ですね。                   (瀬戸内寂聴)

 ○ ………幽霊というのは人間の一種の願望の表れともいえそうです。つまり誰し
  も自分の死後について考えたり感じていて、その根底には自分が知覚してきた
  「存在」なるものが死の後にも何らか形で持続することへの願いがあり、それが
  幽霊という形になって表出してくるのではないでしょうか。 (石原慎太郎)

 ○ 無限大の宇宙というものも、極微小の素粒子というものも、摩訶不思議な存在
  ですが、それを認識することの出来た人間の頭脳とうものは、更に不思議なもの
  ですね。物理も化学も、そういう存在の不思議を解き明かす手段となりますが、
  それらのすべてをつくり、法則通りに動かしている大いなるものこそ、不思議の
  最たるものではないでしょうか。それを人間は神と呼び、仏と呼ぶのでしょう。
  宇宙の生命を司る大いなるものへの畏敬が、おっしゃるように信仰の素になっ
  ていると思います。                 (瀬戸内寂聴)

 ○ いろいろの厄介な記憶を失ったまま周りから疎んじられながら死ぬか、人生の
  苦しくも甘くも、美しくも醜くも、記憶を記憶として失わずに死んでいくか、ど
  ちらが幸せというべきなのでしょうか。少なくとも私は、絶望してでも満足して
  でも、人生なる川の終局の虚無なる海の広さを自分自身の目で見、確かめて死
  にたいと思っていますが。              (石原慎太郎)

                                (08/2/17)



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