





| 【農村歌舞伎】 設楽町の田峰観音(高勝寺)で伝統の「農村歌舞伎」が奉納される。 寺の境内にある 県有形民俗文化財の舞台前に毎年芝居小屋が建てられる。 350年程前から続く地歌舞伎で 人の座員は全員が地元住民、近くの田峰小学校の全校児童19人も含まれている。 「寿浄瑠璃三番叟」で幕開けし 、子供歌舞伎「義経千本桜」、道行初音旅」、 大人による「傾城阿波の鳴門 どんどろ大師」など計7幕ある。 芝居小屋は幅約10メートル 奥行き約15メートル 高さ約3メートル。 地区で伐採した青竹 百四十本を荒縄で柱に縛りつけ、ドーム型の屋根を作る 昔ながらの技法で仕上げた。 桟敷席も約300人の見物客を収容できる。 観覧無料 お問い合わせは 田峰観音=0536(64)5028へ 今年は17・2・12(土)です。 |
| 田峰城 作手に興った 菅沼氏が 貞吉(定信)の代の1470年に 築城した山城 以降当城は 戦国大名の狭間に揺れ動きながら田峰菅沼の宗家として奥三河に 威を誇ってきた。 しかし 定忠の時 長篠デ大敗したのを境として衰退間もなく廃城となった。 |
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田峰城 内乱の首塚 |
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乳母神様 未だ 3歳だった定忠は 戦火から逃れる為 母に抱かれて城から抜け出し 愛宕山の中腹の竹やぶに身を潜めていた。 恐ろしさの余り 鳴き声を上げてしまい乳母は殺され、 難を逃れて成長した定忠が恩義を感じ建立した墓。 |
| 北設楽郡設楽町【福田寺・・ふくでんじ】 設楽町役場裏の高台にある「福田寺」に信玄塚といわれる高さ50センチほどの小さな五輪塔が苔むしている。信玄の終焉の地としては、駒場説、根羽説、田口説とあり戦国の世で信玄の影響は大きく3年間も死を隠そうとしたことから、野田城で負傷した信玄が甲州への帰途静養のため当地に入って、元亀4年4月12日深夜逝去したと伝えられている。 |
