今日はこんな日♪-第4弾!-(4月)

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4月1日
 「宝塚歌劇団」初公演 
-1914年-
 有名な宝塚歌劇団の初公演が行われた日。演目は歌劇「ドンブラゴッコ」、他。最初は少女に唱歌を歌わせることや、おとぎ話を歌劇にしたものだった。
 横浜アリーナ開業 
-1989年-
 キリンビール株式会社、横浜市、西武鉄道株式会社からの出資の第三セクターとして設立。各種イベントが行われています。


4月2日
 ベートーベン交響曲初演 
-1800年-
 ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベンの交響曲第1番がウィーンにて初演。この演奏会はベートーベン主催で行われ、モーツアルト等の他の作曲家の曲も演奏されました。
 福岡ドーム開業 
-1993年-
 屋根開閉式多目的スタジアム「福岡ドーム」が開業。各種イベントが行われています。

4月3日
 東京フィルハーモニー 
 交響楽団初公演 
-1911年-
 名古屋・いとう呉服店(現・松坂屋)の「音楽隊」として誕生。38年に東京に本拠を移し、「中央交響楽団」と改称する。終戦の45年9月には「東京都フィルハーモニー管弦楽団」(団長:山田耕筰)として復活し、助成金の打ち切りにより「東京フィルハーモニー管弦楽団」となり、48年に現在の「東京フィルハーモニー交響楽団」に改称する。

4月4日
 キャンディーズ 
 解散コンサート 
-1978年-
 後楽園球場で行われたキャンディーズの解散コンサート。実は前年の77年夏のコンサートで「普通の女の子に戻りたい。」という名言とともに、9月に解散することを宣言。関係者達も知らない突然の引退表明。まわりの説得もあり4月まで解散を伸ばしたのです。このコンサートでキャンディーズの活動は最後となりました。
 ビートルズ1〜5位独占 
-1964年-
 全米ヒットチャートの1〜5位を独占しました。これは前人未到の記録で、今後も破られることはかなり難しいと思われます。

4月5日
 ルベルト・フォン・カラヤン 
 誕生 
-1908年-
 クラシックの指揮者。音楽界の帝王。1989年没。ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院、ウィーン国立音大で学ぶ。カラヤンの音楽は一般的にスピーディーといわれていました。
 イムの個人的な意見ですが・・・カラヤンは確かに全体的にテンポよい音楽が多かったと思います。でも、比較的楽譜に忠実で、変にテンポをいじくる指揮者が多い中、意外に古いタイプの指揮者だったと思います。私はとても好きな指揮者です。

4月6日
  ストラヴィンスキー没 
-1971年-
 ロシアの作曲家、イーゴル・ストラヴィンスキー。代表作でもある「火の鳥」「春の祭典」を作った時代は、複合拍子、変拍子、不協和音を多用し革新的なものでした。そのため不評も多かったと言われています。 その後の戦争でスイス&フランスに移住。ピカソや、ジャン・コクトー等と交流し作風が変わり、一転して古典的な手法となります。そして戦争から逃れるため今度はアメリカへ移住。そこでは古典的宗教音楽をたくさん作るようになりました。こうして作風がころころ変わった事から、後に「カメレオン」と呼ばれることもありました。

4月7日
 箏曲家 
 宮城道雄誕生 
-1894年-
 8歳のときに失明し、そのときに箏曲を習いはじめ、13歳のときには箏曲の教授として生計をたてるようになりました。もともと13本の弦だった箏を音域を広げるために17本の弦にしたり、洋楽器を参考に箏の奏法を改良をしたりしました。また変奏曲やソナタ形式など、西洋音楽の形式も取り入れ新しい様式を確立しました。

4月8日
 藤山一郎誕生 
-1911年-
 「青い山脈」「丘を越えて」「長崎の鐘」等、たくさんのヒット曲のある藤山一郎(本名:増永丈夫)。
 東京音楽学校(現、国立東京芸術大学)に在学し、ハイバリトンとよばれる低域から高域まで幅広い音域の声の持ち主として期待されていたものの、震災後、学校では禁止されていた歌謡曲歌手を副業としました。それが大ヒット。停学処分になりながらも学校に在籍し、クラシックの勉強を続けました。クラシックを歌うときは本名を通していたのですが、体格的にオペラ歌手にはむかない、とのことで藤山一郎として活動を続けることにしました。

4月9日
 ウィーン・フィルハーモニー 
 管弦楽団、初来日 
-1959年-
 オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が初来日し、東京宝塚ホールで演奏会を行いました。 指揮者はパウル・ヒンデミット。
 ウィーン・フィルハーモニーは最初の頃、固定指揮者制がとられカール・ベームやカラヤンなど錚々たるメンバーが指揮を振っています。1933年以降はゲスト指揮者を招くこともあり小澤征爾も振っています。
 またウィーン・フィルは独特なロータリー楽器を使い、特長ある演奏をすることでも有名です。

4月10日
 ポール・マッカートニー 
 ビートルズを脱退 
-1970年-
 イギリスのタブロイド紙でトップ記事となりました。脱退については色々な噂がありますが、今だに原因は明らかにされてないそうです。このポール・マッカートニーの脱退で、ビートルズは事実上の解散となりました。

4月11日
 作曲家 
 すぎやまこういち 
 誕生 
-1931年-
 大のゲーム好きのすぎやまこういち氏は「ゲーム音楽の作曲は天職だ!」とも言っています。最近ではドラゴンクエストの作曲で有名ですが、他にもたくさんの有名な曲を作曲しています。公式HPもあるので、興味ある人は是非御覧下さい。
<有名な曲> #他にもたくさんあるのですが・・・
○ゲーム音楽
 ドラゴンクエスト、テトリスII、モノポリー、トルネコの大冒険、他
○邦楽系
 恋のフーガ、花の首飾り、学生街の喫茶店、亜麻色の髪の少女、他
○アニメ、TV
 サイボーグ009、帰ってきたウルトラマン、ザ・ヒットパレードのテーマ
○CM
 西条秀樹の「ハウスバーモントカレー」のCMシリーズ、他
○競馬
 京競馬場・中山競馬場の発走ファンファーレ パドック・マーチ、他

4月12日
 レイ・チャールズ 
 グラミー賞4部門獲得  
-1961年-
 レイ・チャールズが1960年度グラミー賞で4部門獲得しました。
 6歳のときに病気で失明した盲目の天才シンガー&ピアニスト。盲学校でピアノとクラリネットを習得しダンス・バンドで演奏するようになります。デビュー曲は、1949年の「コンフェッション・ブルース」。代表曲は「わが心のジョージア」等。

4月13日
 ヘンデル「メサイア」 
 アイルランドで初演 
-1742年-
 1741年1月、英国のジョージ・フレデリック・ヘンデル(1685〜1759)はアイルランドを訪れたおり、チャリティーコンサートの依頼を受けオラトリオ(聖譚曲)「メサイア」の制作を決意します。 歌詞を友人のチャールズ・ジェネンズに依頼、そして作曲し始めてから23日、ものすごい早さで完成させたのでした。3部で構成されています。特に2部後半の主イエス・キリストを讚える”ハレルヤ”コーラスは有名ですね。

4月14日
 今井美樹・誕生 
-1963年-
 歌手はもちろん、女優や声優などで活躍の今井美樹。代表曲「PIECE OF MY WISH」「瞳がほほえむから」等。


4月15日
モータースポーツ 
  最終更新日02.4.1
モータースポーツと言ってもF1がメイン(^-^;)
私の大好きなアイルトン・セナのコーナーもあります。
 レオナルド・ダ・ビンチ 
 誕生 
-1452年-
 画家、建築家として有名なダ・ビンチですが、実は作曲も行っていました。不協和音のメロディ等、当時としては珍しい独創的なものでした。ピタゴラス主義者が信じる天球の音楽が影響を与えて、独特なハーモニーを生んだのかもしれません。
 歌のとても上手だったダ・ビンチは、音楽家として雇われることもありましたが、残念ながら音楽家としては名が残っていませんよね・・・

4月16日
 ヘンリ−・マンシ−ニ 
 誕生 
-1924年-
 ジュリアード音楽院でクラシックの基礎を学び、卒業後はグレン・ミラー楽団に編曲者兼ピアニストとして参加。1953年には『グレン・ミラー物語』の映画音楽の編曲を担当し、以後、多数の映画音楽に関わってきます。また第1回グラミー賞の「最優秀アルバム賞」「編曲賞」を受賞しています。その後も全部で20ものグラミー賞をマンシーニは獲得します。
<代表曲>
・『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リヴァー」
・『酒とバラの日々』
・『ピンク・パンサー』 他

4月17日
 ポール・マッカートニー 
 初のソロアルバム発売 
-1970年-
 ポール・マッカートニーの初のソロアルバム「ポール・マッカートニー」が発売されました。このアルバムは、ビートルズとしてメンバー同士が衝突しうまくいかなくなってたころに、練習がてら録音したものでした。
 自宅にあったテープレコーダーとマイク1本で録音をしてみたところ、出来映えに満足しソロアルバムを作る決意を固めました。このアルバムは、ポールがすべてのパートを担当し、いくつかの曲に妻のリンダがバックボーカルとして参加。アルバム用の写真もすべてリンダの撮影によるアットホームなものになりました。ポールも後に「数あるソロアルバムの中でも、このアルバムの録音が一番楽しかったよ。」と言っています。

4月18日
 レスピーギ没 
-1936年-
 オーケストレーション(楽器の特徴を効果的に編曲する)の名人と言われたオットリーノ・レスピーギ。代表作『ローマ三部作』〜「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭」の交響詩3曲〜では、古代イタリアの栄光を聴くことができます。

4月19日
 作曲家 
 大中寅二没 
-1982年-
 1920年に同志社大学を卒業し、山田耕筰氏に師事、その後ベルリンへ留学し、帰国後は東洋英和短期大学で教授となり、そのかたわら霊南坂教会でオルガニストをしていました。代表曲「やしの実」。

4月20日
 ベートーヴェン 
 交響曲第7番と第8番 
 初演 
-1813年-
 ベートーヴェンの9つの交響曲は、奇数番と偶数番が対になり、奇数番「劇的・重厚」、偶数番が「優美・軽快」と考えられることがあります。一番有名なのは第5番「運命」と第6番「田園」ですが、初演され大好評を博した第7番と第8番も、続けて聴くと対比がわかり、とても面白いものとなっています。是非聴き比べてみて下さいね。

4月21日
 X(エックス) 
 メジャーデビュー 
-1989年-
 ビジュアルバンドの先駆者とも言えるX(後のX-JAPAN:海外進出用に改名)のデビューした日です。この年、日本有線大賞最優秀新人賞を獲得しました。代表曲「エンドレス・レイン」他。

4月22日
 作編曲家 
 冨田勲誕生 
-1932年-
 シンセサイザーの先駆者冨田勲。1971年にシンセサイザーを個人輸入しました。しかし、当時はまだ何も解説書や説明書がない時代で(日本ではまだシンセサイザーというものが定着してなかった)試行錯誤の末、曲を完成させました。完成した作品を持って冨田は、国内のレコード会社に売り込みを開始しますが、ことごとく不評で契約には至りませんでした。しかし、あきらめずにアメリカのRCAレコードに直接交渉を行うと、作品は高い評価を得ました。74年に全米でリリースされたこのアルバム『月の光』は、斬新なサウンドもあってクラシックレコードとしては、異例の大ヒット。その年のNARM(全米レコード販売者協会) 1974年最優秀クラシカルレコード賞を受賞しただけでなく、翌75年のグラミー賞に4部門ノミネートされる偉業を成し遂げました。

4月23日
 フィル・コリンズ 
 ソロで初来日 
-1985年-
 81年2月に「夜の囁き」でシンガーとしてソロ・デビューしたフィル・コリンズ。映画『カリブの熱い夜』の主題歌「見つめて欲しい」の全米チャート1位獲得しました。  人気絶頂時の“世界中で最も多忙な男”と呼ばれたフィル・コリンズのソロ初来日だけに、会場となった東京武道館は、70年代からのジェネシス・ファンはもちろん、若い女性まで、幅広い年齢層の観客で満員になりました。

4月24日
 日劇ダンシングチーム 
 最終公演 
-1977年-
 昭和11年、日劇ダンシングチーム(NDT)が「ジャズとダンス」で初公演を飾りました。東京日本劇場専属の舞踊団として発足したダンシングチーム。厳しい訓練を受け、群舞を中心とするスピーディーな華やかなステージ・ショウをつくり上げて好評を博しましたが、昭和52年(1977)の最終公演を最後に活動を停止しました。

4月25日
 尾崎豊没 
-1992年-
 病死とも事故死ともいわれ突然亡くなった尾崎豊。文京区護国寺での追悼式には約4万人のファンが詰めかけました。
 83年、高校3年生の尾崎豊は、アルバム『17歳の地図』でデビュー。85年にリリースされたセカンドアルバム『回帰線』では、オリコンチャート初登場第1位を記録。
 突然の活動休止宣言や覚醒剤取締法違反での逮捕など、世間を驚かせる出来事を重ねた尾崎ですが、今日の突然の死で伝説の幕は閉じられました。

4月26日
 フランス共和国国歌 
「ラ・マルセイエーズ」
 誕生 
-1792年-
 フランスの国歌を作詞・作曲したのは、クロード・ジョセフ・ルジェ・ド・リールでした。この年フランスはオーストリアへ宣戦布告。ストラスブールでも出兵を間近に控え市長を交えて兵士達の歓送会が催されていました。かねてから覚えやすく士気を高める歌が必要だと感じていた市長は、アマチュア音楽家でもあるクロード隊長に作曲を依頼。彼は一晩で曲を書き上げたのです。翌日、市庁舎で初演。部隊にちなんで「ライン軍のための戦いの歌」と命名されました。その後この歌は、マルセイユの軍隊が、この曲を高らかに歌っていたことから「ラ・マルセイエーズ(マルセイユの人々)」と呼ばれるようになりました。
 1795年に法令によりフランス国歌に指定されたものの、初代ナポレオン、ルイ18世、ナポレオン3世などによりたびたび歌うことを禁止され、「ラ・マルセイエーズ」が国歌としての地位を確かなものにするのは、第三共和制成立後の1879年でした。

4月27日
 ベートーベン 
「エリーゼのために」
 完成 
-1810年-
 このタイトルにもなっているエリーゼ。実際にはベートベンの交友関係にエリーゼという人物はいないため、研究者達を悩ませてきました。実はベートーベンの字の汚さは大変有名なものだったのです。本来「テレーゼ」と書いてあったのですが、それを「エリーゼ」と読み間違えられ、それが定着してしまったのです。この事実は、ハンガリーの伯爵令嬢の手紙箱から「テレーゼ・フォン・ブルンズヴィック」の楽譜がみつかり、筆跡鑑定が行われ「本当はテレーゼだった!!!」と発見されました。ちなみに、この曲。1810年、40歳だったベートーベンが、当時18歳だったテレーゼさんにプロポーズしたときの作品だそうです。残念ながら、ベートーベンはテレーゼさんにフラれてしまいましたが、この曲は名曲として残りました。

4月28日
 新興作曲家連盟 
 (現:日本現代音楽協会) 
 結成 
-1930年-
 1930年「自由で新しい表現を広めよう」と【新興作曲家連盟】が発足してから、既に70年に及ぶ歴史を積 み上げています。その間、ISCM国際現代音楽協会に加盟し、その日本支部として国際的な役割も担うよう になり、名称も現在の【日本現代音楽協会】となりました。

4月29日
 デューク・エリントン 
 誕生 
-1899年-
 半世紀以上に渡ってジャズのビッグ・バンド、デューク・エリントン・オーケストラを率いて活躍したエドワード・デューク・エリントンは、アメリカのワシントンDCに生まれました。デュークは作曲家兼ピアニストとして生涯3000曲以上を作曲しました。数あるバンドのレパートリーの中でも「A列車で行こう」は、デューク・エリントン・オーケストラのテーマ曲として今も広く親しまれています。

4月30日
 軍艦行進曲 
 初演 
-1900年-
 「軍艦行進曲」が初演されたのは、その名の通り軍艦の艦上でした。明治天皇を招き神戸の須万海岸沖でおこなわれた、海軍初の大演習観艦式でのことです。 もともとは3拍子の唱歌だったのですが、1897年に軽快な2拍子へと新しく作曲しました。また、海軍から1900年に行われる観艦式用の楽曲として使いたいとの要請があり勇ましい行進曲として再編曲。さらに間奏部分に、当時唱歌として親しまれていた「海ゆかば」を導入し、軍艦行進曲として完成させたのでした。

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