今日はこんな日♪-第4弾!-(1月)

他の月のバックナンバーは  コチラ! 






1月1日
 「紅白歌合戦」 
 初のテレビ公開放送 
 開始 

-1953年-
 1945年の大晦日に、NHKラジオで「紅白歌合戦」の前身となるような番組「紅白音楽試合」が放送されました。この番組は非公開で、歌だけでなく、琴や尺八、バイオリンやバンド演奏などもあったそうです
 記念すべき第1回紅白歌合戦は1951年の1月3日にラジオで放送されます(出演者には東海林太郎、渡辺はま子、藤山一郎など)。第3回まではラジオの正月番組でした。そして1953年、テレビの放送開始に伴い、第4回紅白からテレビ放送開始。放送日も正月から大晦日に変わりました。つまり、1953年には正月と大晦日の1年に2回、紅白が開催されたことになります。またこの回から番組名に正式に“第何回”と付くようになりました。

1月2日
 お正月の 
 童謡 
「もういくつねるとお正月〜」と始まる滝廉太郎作曲の『お正月』は、1901(明治34)年、幼稚園唱歌として発表された20曲のうちのひとつです。当時、お正月を前にした年末は、お正月の晴れ着を縫ったり、障子の張り替えや家の内外の大掃除など、1年の締めくくりの時期。子供たちも家事のお手伝いをしながらお正月は何をして遊ぼうか、など話し合っていました。この歌はそんな風景を歌っています。

1月3日
 チャイコフスキー 
 『眠りの森の美女』 
 初演 

-1890年-
 19世紀、ロシアではバレエの黄金時代を迎えます。その黄金時代を支えたのが、振付師マリウス・プティパと、彼の注文に応えて“3大古典バレエ”『白鳥の湖』『眠りの森の美女』『くるみ割り人形』を作曲したチャイコフスキーです。中でも、王女が妖精に魔法をかけられ眠り続けるという内容の『眠りの森の美女』は、興行的にもっとも成功したバレエで、チャイコフスキーは、プティパの書いた詳細な作曲注文書をもとに、約40日間を費やして音楽を完成。出来上がったスコアは、細かく分ければ60曲以上、上演に3時間を費やす膨大なものでした。

1月4日
 ブラームス 
 『大学祝典序曲』 
 初演 

-1881年-
 バッハ、ベートーヴェンと並んで“ドイツ音楽の3大B”と呼ばれる、ブラームス(1833〜1897)。彼がブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際に、その返礼として作曲した『大学祝典序曲』。曲の構成は、ドイツの4つの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」「国の親父」「新入生の歌」「喜びの歌」をモチーフにしており、非常に快活で陽気。ブラームス自身も、友人への手紙の中で“笑う”序曲と書いています。

1月5日
 「パリ・オペラ座」 
 完成 

-1875年-
 現在パリには、オペラ座と呼ばれる建物が2つあります。一つはフランス革命200年を記念して1989年に作られた真新しい「オペラ・バスチーユ」。そしてもう一つが、歴史的な「パリ・オペラ座(=オペラ・ガルニエ)」です。
 1860年に実施されたコンクールで優勝したのは、当時まったく無名だったシャルル・ガルニエという建築家。彼の指揮のもと、翌年から工事はスタートしましたが、途中普仏戦争が勃発したり、また地盤が悪いことが発覚し基礎からやりなおしたこともあって、すべてが完成したのは何と15年後、1875年のことでした。しかしフランス文化の粋を集めて建てられたこの劇場は、皇帝の期待をはるかに超えたものでした。紳士淑女を迎え入れる大階段、美術館や図書館が併設された大ロビー、鏡張りのサロン、すべてが赤いビロードでおおわれた座席…。それはまさしく「かつて建てられたどれよりも立派な劇場」でした。

1月6日
 作曲家 
 アレクサンドル・ 
 スクリャービン 
 誕生 

-1872年-
 19世紀末から20世紀初めに活躍したロシアの作曲家で、神秘主義にのめり込み、思想に基づいて音楽を書き進めた人物です。
 その思想とは“音楽とは単なる娯楽ではなく、世界の背後に存在する神の智恵の表れである。だから、これを使って人々を法悦の境地へ導き、神との合一を経験させ、通常の人間を超越した存在へと解脱させることができる…”
 彼の作品は、神秘的な色彩を帯び、通常の音楽理論から離脱することもいといませんでした。交響曲第4番「法悦の詩」では調性を超越した「神秘和音」を編みだし、交響曲第5番「プロメテウス−−火の詩」では、鍵盤操作に応じて7色の光をスクリーンや合唱団員の白い衣装に映し出す「発光ピアノ」を考案しました。

1月7日
 シンガーソングライター 
 ケニー・ロギンス 
 誕生 

-1948年-
 ワシントン州で生まれ、プレスリ−やビートルズを聴いて育ったケニー・ロギンス。21歳の時にまずソングライターとして週給100ドルで音楽出版社と契約。当時カントリー・ロックで人気のニッティ・グリッティ・ダート・バンドに「ダニーの歌」「プー横丁の家」などのヒット曲を提供します。歌の実力も認められ、ソロ・デビューが決まりますが、ロギンス&メッシーナを結成。「ママはダンスを踊れない」などの大ヒットで“70年代最高のデュオ”といわれました。しかし1976年に解散、ソロ活動をはじめます。  代表曲:「二人の誓い」「ある愚か者の場合」「フットルース」等。

1月8日
 デヴィッド・ボウイ 
 誕生 

-1947年-
 1969年にリリースしたアルバム『スペース・オディティ』の大ヒット後、アーティストとしてのルックスにこだわり続けたビジュアル系の元祖(?)デビッド・ボウイ。1971年発売のアルバム『世界を売った男』では、ロング・ドレスに巻き毛という女装で登場。「僕はつねにゲイだった」と発言し、センセーショナルな話題を提供します。次作『ハンキー・ドリー』の頃には、キューブリックを愛読し、「時計じかけのオレンジ」の主人公になったつもりで、髪を刈り込み、本物の宇宙服を着て歩いたそうです。そういった派手なファッションや演劇性のあるステージから、音楽よりも彼のルックスに注目が集まっていました。
 80年代以降は、映画で活躍。坂本龍一と共演した『戦場のメリークリスマス』や『バスキア』でのアンディ・ウォーホール役など、個性派俳優として成功しています。

1月9日
 ギタリスト 
 ジミー・ペイジ 
 誕生 

-1944年-
 ジェフ・ベック、エリック・クラプトンとともに60年代後半〜70年代にかけて、3大ロック・ギタリストと呼ばれたジミー・ペイジ。実はこの3人、同時に在籍はしていませんが、60年代半ばに活躍したブルース・ロック・バンド、ヤードバーズ出身。ペイジは、ヤードバーズに加入する以前から、腕利きのスタジオ・ミュージシャンとして活躍しており、当時彼が参加したレコードは相当な数で、ザ・フー、キンクスをはじめ、バート・バカラック、クリフ・リチャード、ミッシェル・ポルナレフまで、くる仕事はなんでも拒まずといった感じだったそうです。
 そのペイジが結成した新バンドは、ニュー・ヤードバーズと名乗っていましたが、レッド・ツェッペリンと改名。ブルースをベースにした大音量で叩きつけるパワフルな演奏と、それと互角で渡り合うロバート・プラントのボーカルで人気を集めます。1971年には名曲「天国への階段」を収録した『IV』を発表。その後もレゲエのリズムやオリエンタル・メロディを導入するなど多彩な音楽性を発揮します。1980年にドラムのジョン・ボーナムの急死で解散するまで、ハード・ロックの王者としてシーンに君臨し続けました。

1月10日
 チェリスト 
 ミッシャ・ 
 マイスキー 
 誕生 

-1948年-
 リサイタルでは必ずイッセイ・ミヤケのドレス・シャツに身を包んでステージに登場するミッシャ・マイスキー。真摯な演奏ぶりと、ギリシャ彫刻を思わせる風貌もあいまって、現在世界で最も人気のあるチェリストの一人です。
 1948年、旧ソ連のラトヴィア共和国に生まれたマイスキーは、音楽的な環境の中で育ちました。8歳でチェロをはじめ、17歳の時には全ソ連音楽コンクールで優勝。しかしユダヤ系ロシア人だったマイスキーは、ささいなことから反体制的人物とみなされ逮捕、投獄。収容所における強制労働で、20代前半の2年あまりを棒に振ってしまったのです。1972年、自由の身となったマイスキーは渡米し、第2の人生を歩みはじめます。カサド国際チェロ・コンクールの優勝、ピアニスト、ルドルフ・ゼルキンとの出会い、指揮者バーンスタインとの共演…。その技巧を過剰には感じさせない精神性に彩られており、とりわけ日本人はそんな彼の音楽に心惹かれるようです。彼もまた、熱烈に歓迎してくれる日本の聴衆を心から愛しているようで、1986年の初来日以来ほぼ毎年のように訪れ、ファンを喜ばせてくれています。

1月11日
 フォーク歌手 
 ジョーン・ 
 バエズ 
 来日 

-1967年-
 1960年代、“フォークの女神”と呼ばれていたのがジョーン・バエズ。41年にニューヨークで生まれた彼女は、ボストン大学在学中からギターを片手に歌い始め、50年代の終わりに当時最大規模のフォーク・フェスティバルだった“ニューポート・フォーク・フェスティバル”に出演します。既にアメリカはベトナム戦争に突入しており、反戦集会の様相も呈していたこのフェスティバルに、彼女はなんと真っ赤な霊柩車で乗り付けて反戦をアピール。繊細かつ艶やかな伸びのある高音ボーカルは聴衆を虜にし、一夜にして彼女はヒロインとなったのでした。
 代表曲「ドンナ・ドンナ」(ドナドナ)「朝日のあたる家」「風に吹かれて」等。

1月12日
 歌手 
 ムッシュ 
 かまやつ 
 誕生 

-1939年-
 “ムッシュかまやつ”ことかまやつひろしは1939年、日本ジャズ界の草分けであるティーブ釜范(かまやつ)の息子として生まれました。学生時代からカントリー&ウエスタンのバンドで鳴らし活躍します。1963年に堺正章や井上順らとザ・スパイダースを結成。1970年の解散後も精力的にソロ活動を続け、1975年には吉田拓郎から“自分よりムッシュが歌う方がふさわしい”と贈られた名曲「我が良き友よ」が90万枚の大ヒットを記録。フォークやニューミュージックの分野でも存在感を示しました。90年代には彼の息子たちとも言える渋谷系のアーティストの間で再評価され、アシッド・ジャズのミュージシャンをバックにアルバムを発表したり、カヒミ・カリィとデュエットして話題になりました。

1月13日
 作曲家 
 フォスター 
 没 

-1864年-
 19世紀のアメリカの日常生活の中で歌われていた民謡の影響のもとに、親しみやすい歌曲を作曲、発表したスティーヴン・コリンズ・フォスター。フォスターは17歳〜20歳の頃、綿花倉庫で検査員をしていたことがあり、そこで黒人労働者たちの歌う音楽に親しみました。彼の書いた「草競馬」「おお、スザンナ」「故郷の人々」などは、黒人音楽の影響を上手に消化した名曲、といわれています。
 フォスターは、24歳の時、ジェーンと結婚します。この美しい妻を思う気持ちを歌にしたのが「金髪のジェニー」です。彼の歌は、当時から人気は高かったのですが、世渡りが下手だったのか、本人は貧困のうちに世を去りました。遺品の中には、おそらく新しい歌の題名にするつもりでメモしていた「親しい友と、やさしい心の人たち」と記された紙が残されていたということです。

1月14日
 バッハ研究者 
 シュヴァイツァー 
 誕生 

-1875年-
 アフリカでの献身的な医療活動により、1952年にノーベル平和賞を受賞したシュヴァイツァー。彼は21歳の時、「30歳までは学問と芸術をしっかりと身に付けよう。それからは、人間に直接奉仕できるような意義のある仕事に自分の一生を捧げよう」と決心したと言われています。そして、それからの彼の行動のすべては、この考えに従っていきました。つまり、神学者、バッハ研究家、オルガン奏者として素晴らしい実績を挙げたのちに、30代になって改めて医学を学び、アフリカの無医地区の医療に向かったのです。

1月15日
 シンガー 
 ソングライター 

 ニルソン 
 没 

-1994年-
 1941年にニューヨークのブルックリンで生まれ、本名はハリー・エドワード・クリストファー・ネルソン三世。1968年にスリー・ドッグ・ナイトが彼の曲である「ワン」をカバーして、全米チャート5位を記録。さらに1969年には、映画『真夜中のカーボーイ』の主題歌となった「うわさの男」(フレッド・ニールのカバー)が大ヒット。作曲家として、また優れたシンガーとしての名声を確立しました。ニルソンの才能に早くから気づいていた一人がジョン・レノンで、67年のニルソンのデビューアルバム『パンディモニアム・シャドウ・ショー』を聴いて大感激したジョンは、このレコードを36時間も聴き続け、国際電話で直々に「You are great!」の言葉を送ったというエピソードが残っています。
 代表曲「ウィザウト・ユー」等。

1月16日
 指揮者 
 トスカニーニ 

 没 

-1957年-
 アルトゥーロ・トスカニーニは、パルマ音楽院でチェロと作曲を学びます。はじめは、チェロ奏者として活躍し、ロッシ歌劇団のブラジル演奏旅行で首席チェロ奏者を務めていましたが、リオ・デ・ジャネイロで、急遽代役として指揮棒を振ることとなり、指揮者デビューを飾ります。「楽譜を忠実に演奏する」をモットーとしていたトスカニーニの指揮は、カラヤンをはじめとする彼以後の指揮者に強い影響を及ぼし、国際的に今世紀の指揮法の主流となりました。

1月17日
 世界を舞台に 
 活躍する 
 坂本龍一 

 誕生 

-1952年-
 幼少より音楽教育を受けた坂本龍一は11才の頃から作曲を本格的に始め、東京芸術大学在学中からスタジオ・ミュージシャンとしての活動を開始。1978年には今でも名盤と評価の高いファースト・アルバム『千のナイフ』を発表。また同時期に活動を始めた「YMO」の音楽は世界的に注目を集め“坂本龍一”の名を世界に知らしめました。

1月18日
 シンガーソングライター 
 小椋佳 

 誕生 

-1944年-
 布施明が歌って大ヒットした「シクラメンのかほり」の作者として知られる、シンガーソングライターの小椋佳。1970年に初アルバム『青春・砂漠の少年』を発表し、自身で歌った「さらば青春」のほか、梅沢富美男の「夢芝居」、美空ひばりの「愛燦燦」、堀内孝雄の「愛しき日々」など、数多くのヒット曲を生み出しています。
 音楽活動をスタートしたときには東大卒4年目のエリート銀行員で、しかも1972年にアルバム『彷徨(さまよい)』がミリオン・ヒットを記録するほど評価されてからも、彼はずっと歌手とサラリーマンの2足のわらじを履いていました。ミュージシャンとしても充分に売れっ子なのに、彼は銀行マンとして働き続けました。それも順調に出世コースを歩み、取締役のポストも充分可能だったそうです。しかし1993年に突然退社。音楽活動に専念する傍ら、母校の東京大学法学部に学士入学、さらに文学部哲学科に社会人試験で入学し直し、大学院にまで進みます。「人生を70数年とすれば、結婚までに25年、銀行は26年努めた。今は人生の第3幕。60歳までに自分の宇宙観を築き、それを歌、舞台、出版などの形にして発表できたら。」と、素晴らしい人生観です。

1月19日
 アーティスト 
 松任谷(荒井) 
 由実 

 誕生 

-1954年-
 老舗の呉服屋の次女として生まれたユーミンこと荒井由実は、6歳でピアノを習い始め、また、聖歌隊にも所属し、バッハやヘンデルに親しんでいました。中学生になると授業よりも課外活動に熱中。遊び歩くうちに、細野晴臣やかまやつひろしなどと出会い、彼らの影響で自らも曲を作るようになります。そんな彼女が音楽業界に彗星のごとく現れたのは1969年のこと。ユーミンはミュージシャンの間で天才少女作曲家として知られていきます。
 1972年、多摩美大に入学と同時に本格的に音楽活動を開始。デビュー・シングル「返事はいらない」をリリースしますが、当時ヒットせず、今では幻のシングルと言われています。1975年10月にリリースした5枚目のシングル「あの日に帰りたい/少しだけ片思い」は、テレビ・ドラマの主題歌ということもあってか大ヒットを記録します。以後、ユーミンの人気は不動のものとなります。1976年11月に結婚に結婚し、荒井由実は、松任谷由実として活動しています。

1月20日
 鹿鳴館で 
 蓄音機 
 試聴会 

-1879年-
 日本に蓄音機が紹介されたのは、エジソンの発明から2年後の1879年(明治12年)のこと。文明開化のシンボルだった東京の「鹿鳴館」で大規模な試聴会が開かれました。この時の蓄音機は、ロウ管と呼ばれる円筒型レコードに長唄や義太夫が録音され、一般への普及のきっかけとなりました。1887年(明治20年)に円盤レコードが登場すると、浪曲や歌舞伎役者の声が吹き込まれ、大正時代にはレコードが世の中の流行歌を生み出すほどになりました。

1月21日
 ジャック・イベールの 
 「祝典序曲(改訂版)」 
 初演 

-1942年-
 ジャック・イベールはパリに生まれた作曲家です。本格的に作曲を学び始めたのは20歳になってからと、遅いスタートです。1914年に第一次世界大戦が始まり、戦後復員した彼は、音楽院のコンクール「ローマ大賞」に応募して一等を獲得し、大戦後初の留学生としてローマ留学を果たします。そのローマ滞在中に、すでにオスカー・ワイルドの原作による「レディング牢獄のバラード」(1920)や、「寄港地」(1922)などの作品を書き、特に「寄港地」は初演から大好評を博し、彼の名を全ヨーロッパに広めた出世作となりました。
 1940年に紀元2600年(日本書紀の記述をもとに初代天皇を皇紀元年とする暦)を迎える日本のため、フランス政府からイベールの元へ祝典序曲を作曲するよう要請があったのは、彼が49歳のときでした。翌年の4月にかけて完成された『祝典序曲』は、祝典を祝う人々の高らかな喜びを表すような主題で始まる演奏時間約15分の楽曲で、初演は1940年7月に東京で行われました。イベールはその後さらに推敲を重ねた「改訂版」を作り、その初演は1942年1月21日、シャルル・ミュンシュの指揮でパリにて行われました。

1月22日
 トロンボーン奏者 
 J.J.ジョンソン 
 誕生 

-1924年-
 驚異的なテクニックの持ち主として知られるJ.J.ジョンソン。クラシック音楽の素養もあった彼の演奏は、スイング感とクラシックの端正な佇まいをミックスしたもので、たとえ短いソロでも、その印象は鮮明でした。50年代にはマイルス・デイヴィスのセクステットに参加、その後仲間のカイ・ワインディングとツイン・リード・トロンボーンのバンドを組み、一世を風靡。以後現在に至るまで、バンドリーダー、コンポーザー、アレンジャーとしても第一線で活躍しています。

1月23日
 ギタリスト 
 ジャンゴ・ 
 ラインハルト 
 誕生 

-1910年-
 チャーリー・クリスチャンと並んでジャズギターの開祖とされるのが、ジャンゴ・ラインハルトです。1930年代〜40年代はアメリカではスイング・ジャズが全盛の時代で、花形楽器といえばトランペットやクラリネット、サックスといった管楽器。ギターはリズムとコードを担当する伴奏楽器でしかありませんでした。そのギターをソロ楽器として注目させたのがジャンゴだったのです。ジャズとジプシー音階を融合させた哀愁漂うフレーズと、シャープで切れ味鋭いスイング感はジャンゴならではの持ち味で、ジャズファンのみならず、ジャズの本場アメリカのミュージシャンたちにも強い衝撃を与えました。

1月24日
 ピアニスト 
 キース・ 
 ジャレット 
 『ケルンコンサート』 
 録音 

-1975年-
 キース・ジャレットは、ジャズだけでなく、クラシック、フォーク、ゴスペルなどのエッセンスも取り入れた即興演奏の名手として知られています。中でもドイツのケルンでライブ録音された2枚組大作『ケルンコンサート』は、心に浮かぶままをピアノの鍵盤に移し替えたかのように、音の長さや形式を自由自在に変える即興演奏で、妖しいまでに美しく、あまりにも有名です。

1月25日
 作曲家 
 アルフレッド・ 
 リード 
 誕生 

-1921年-
 ニューヨーク生まれのリードは吹奏楽のスタンダードの作曲者で、今なお世界中のバンドと演奏活動を行っている吹奏楽の第一人者です。
 10歳からトランペットを、15歳から作曲を学んだリードは、第二次大戦後の1946年にジュリアード音楽院に入学し、48年まで作曲をジャンニーニに師事しました。53年にベイラー大学シンフォニーオーケストラの指揮者となり、55年から66年までニューヨークのハンセン出版社で編集責任者を勤めた後、マイアミ大学音楽学校の作曲と理論の教授となります。93年6月に退くまで27年間にわたり音楽教育に尽力する傍ら、数々の作品を発表してきました。
 親日家としても知られるリードは、1981年に東京佼成ウィンドオーケストラの招きで初来日して以来、プロや多くの市民バンド、高校・中学のバンドと協演し、また彼らのために多くの作品を書いています。現在は洗足学園大学客員教授として、年間の半分近くを日本で活動。ジャパン・スーパー・バンドの音楽監督でもあり、まさに日本の吹奏楽にとって最大の理解者であり協力者なのです。
 代表曲「アルメニアン・ダンス」「ハムレットへの音楽」「オセロ」「フェスティヴァル・プレリュード(音楽祭のプレリュード)」「インペラトリクス」「春の猟犬」等。

1月26日
 バイオリニスト 
 ステファン・ 
 グラッペリ 
 誕生 

-1908年-
 ジャズ・バイオリニストがほとんどいないアメリカに対し、ヨーロッパでは人気を博しています。ステファン・グラッペリは、そんなジャズ・バイオリンを代表する巨匠として知られています。97年に89歳で亡くなるまで生涯現役を貫きました。古き良き時代のヨーロッパの香りが漂ってくるような、バイオリンの音です。

1月27日
 作曲家 
 ヴォルフガング・ 
 アマデウス・ 
 モーツァルト 
 誕生 

-1756年-
 ザルツブルグ生まれのモーツァルトは、大変な神童ぶりを発揮しました。3歳にして絶対音感のあることを示し、5歳でメヌエットを作曲。8歳の時には交響曲まで書いています。もちろん演奏の方でも早くから人前に立ち、ウィーンのシェーンブルン宮殿で皇帝フランツ1世と女帝マリア・テレジアを前にクラヴィーアを演奏したのは、まだ6歳の時でした。
 彼は35歳という短い生涯に書き残した作品が700曲以上。このことから、かなりの速筆家としても有名です。名曲として知られる最後の3曲の交響曲(第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番ハ長調『ジュピター』)は、1788年の6月からわずか42日間ですべて書き上げたとされていますし、死の年に書かれたオペラ『皇帝ティトゥスの慈悲』もたったの18日間。その4年前の『ドン・ジョヴァンニ』の序曲は、初演の前夜に作曲したと伝えられています。

1月28日
 チャリティ作品 
「ウィ・アー・ザ・ワールド」
 レコーディング 

-1985年-
 エチオピア難民救済のために、スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーなどアメリカの新旧トップ・スターが多数参加した“USAフォー・アフリカ”。そのテーマ曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、クインシー・ジョーンズのプロデュースで、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作という豪華版。各アーティストが1フレーズずつ、それぞれのスタイルで歌い、レコードの売上は、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚に達しました。

1月29日
 シンガーソングライター 
 岡村孝子 
 誕生 

-1962年-
 若い女性の日常や気持ちを繊細につづった歌詞、聴く人の心を癒すやさしいメロディが、その人気の岡村孝子。彼女が歌作りを始めたのは高校時代。名古屋の女子大時代に同級生の加藤晴子さんと女性デュオ「あみん」を結成し、82年に「待つわ」で、第23回ポピュラーソング・コンテストのグランプリを受賞。その年唯一のミリオンセラーとなりました。その後、いったん学生生活に戻りますが、85年にソロで再デビュー。87年には「夢をあきらめないで」がヒット。結婚し、母親となった90年代は、岡村孝子にとって女性としての節目の時期でした。そして2000年7月。ファンが待ち望んでいた、4年振りのアルバムがリリースされました。記念すべきミレニアムの年に新たな活動を始めた岡村孝子。きっと新しい世紀もマイペースで素晴らしい歌を届けてくれることでしょう。

1月30日
 歌手 
 石川さゆり 
 誕生 

-1958年-
 デビューは1973年で、同期には山口百恵、桜田淳子、アグネス・チャンらがおり、彼女も当初は演歌歌手ではなかったのですが、78年に巡り会った「津軽海峡・冬景色」で、人生の転機が訪れます。女性の強さと哀しさを歌い上げ、一躍演歌界のニュー・ヒロインに踊り出たのです。そして86年の「天城越え」。そんな異様にテンションの高い詞と激しいメロディに、彼女も途方にくれたそうですが、ドロドロとした情念が迫ってくるような熱唱で見事に応えます。発売当初は売れなかったそうですが、カラオケなどで演歌ファン以外にも熱い支持を集め、その年の紅白で彼女は、歌手にとって最高の栄誉とも言えるトリを務めることになります。

1月31日
 歌曲王 
 シューベルト 
 誕生 

-1797年-
 シューベルトは、わずか31歳の生涯で、『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』『白鳥の歌』といった“3大歌曲集”をはじめとして、600曲以上もの歌曲を作曲し、“歌曲王”として名を刻んでいます。  また、ピアノ曲も100曲以上作曲していますが、モーツァルトやベートーヴェンとは違いピアノの名手ではありませんでした。しかしシューマンは、彼のピアノ曲を、歌曲に劣らず優れたものと評価しました。シューベルトのピアノ曲は、歌詞を付ければそのまま歌曲になってしまうような、親しみやすいメロディが特徴で、“歌曲王”らしさが表れています。

[ 今日はこんな日♪ 他の月へいく ]

[ HPトップに戻る ]