今日はこんな日♪-第4弾!-(7月)

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7月1日
 童謡の日 
 (日本童謡協会制定)  

-1984年-
 今日は、童謡の日。1918(大正7)年7月1日に童話童謡雑誌「赤い鳥」が、児童文学者・鈴木三重吉により創刊されたことにちなんで、日本童謡協会が1984年に制定した記念日です。

7月2日
 ロック・バンド 
 フォリナーが 
 アルバム『4』 
 リリース 

-1981年-
 フォリナーは元スプーキー・トゥースのギタリストだったミック・ジョーンズ、元キング・クリムゾンのキーボーディストだったイアン・マクドナルドという、2人のベテラン・ミュージシャンを中心に結成されました。当時としては珍しい英米混血バンドで、それが“異邦人”というバンド名につながったようです。
 1977年5月に『栄光の旅立ち』でデビューした彼らは、「衝撃のファースト・タイム」「ホット・ブラッデッド」「ダブル・ヴィジョン」などのシングル・ヒットを次々と放ち、アルバムも順調にリリースしていきました。
 ところが、3枚目のアルバムを発表した後、イアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドというキーボーディストが脱退してしまいます。しかしこれがピンチとなるどころか、傑作アルバムが生まれます。その名も『4』。4枚目のアルバムだから、バンドが4人になったから……実にストレートな命名ですが、『4』からは「アージェント」や「ガール・ライク・ユー」といった大ヒット・シングルが生まれ、フォリナー初の全米ナンバーワンに輝いたのでした。

7月3日
 指揮者 
 カルロス・ 
 クライバー 
 誕生 

-1930年-
 絶大な人気があるのに、歌劇場等の音楽監督の地位にもつかず、フリーな立場を固持するカルロス・クライバー。少しでも気が乗らないとすぐに公演をキャンセルすることでも有名で、決してインタビューにも応じない“幻の指揮者”です。曲のクライマックスで棒をぐるぐると回す指揮ぶりも名高く、踊るように優雅にオーケストラを操り、聴衆を夢見心地にしてしまいます。
 クライバーは練習時間を普通の指揮者の3、4倍もとるという完全主義者。そのため特に近年はレパートリーを絞りに絞り、ベートーヴェンやブラームス、モーツァルトなどの限られた曲しか指揮していません。曲のすみずみまで細やかに神経を行き届かせた華麗でドラマティックな名演に、クライバー人気は高まるいっぽうです。

7月4日
 ルイ・  
 アームストロング 
 誕生 

-1900年-
 サッチモと言えば、大きな目玉をクリクリと動かし、汗を拭き拭きステージに立つおどけた姿が印象的なジャズトランペッター。歌手としてもたくさんの録音を残しました。中でもよく知られているのが「この素晴らしき世界」。テレビのCMでも使われたことがあるので、聞いたことあることと思います。この曲が作られた1967年当時は、まさにベトナム戦争の最中。アメリカ本国にも反戦運動の波が大きく広がっていました。戦争のない平和な世界が、一刻も早く訪れるように…そんな思いを込めてサッチモが歌ったこの曲は、発売当初こそあまり注目されませんでしたが、その後ジワジワと人気が出はじめ、1年後にはついにヒット・チャート入り。以来「この素晴らしき世界」はサッチモの代名詞として、世界中の人々から愛されるようになったのです。

7月5日
 諏訪内晶子  
 チャイコフスキー 
 ンクールで 
 優勝 

-1900年-
 1990年、第9回チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で優勝した、諏訪内晶子。この優勝で一躍、諏訪内晶子の名は日本中に知れわたりました。コンサートの予定はひきもきらず、数年先まで決まりかかっていたほど。しかし1991年には演奏活動をいったん打ち切ってニューヨーク留学を決意。
 1995年から演奏活動を再開した彼女はパりに拠点を移し、ヨーロッパを中心に着実な活動をつづけています。

7月6日
 美空ひばり 
 国民栄誉賞 
 授与 

-1989年-
 戦後間もない1949年、12歳の時の「河童ブギウギ」でレコードデビュー。同じ年に発売した2曲目の「悲しき口笛」が大ヒットし、1989年に52歳で亡くなるまで、「歌謡界の女王」の地位を保ち続けました。また没後、女性として初めての国民栄誉賞が追贈されました。ヒット曲は「東京キッド」「リンゴ追分」「港町十三番地」「哀愁波止場」「柔」「悲しい酒」「真赤な太陽」「川の流れのように」等と数知れず。

7月7日
 ビートルズ 
 リンゴ・スター 
 誕生 

-1940年-
 ビートルズのドラマーとして知られるリンゴ・スターは、イギリスのリヴァプールに生まれました。ビートルズのオリジナル・ドラマーは、ピート・ベストです。しかしデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥー」のセッションでピートの力不足を感じたプロデューサーは、新しいドラマーを探すように命じます。そこで当時リヴァプールの人気バンド「ロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズ」のメンバーだったリンゴに、4人目のビートルとして白羽の矢が立ったのです。
 さて、他の3人に比べてやや地味な存在だったリンゴですが、そのフレンドリーな性格とあいまって音楽界や映画界に多くの友人を作ることになります。そしてソロになってからは、シンガーとして「思い出のフォトグラフ」「明日への願い」といったヒットを飛ばす一方、俳優や映画の製作にも活動の幅を広げていったのです。こうした交友関係の集大成とも言えるのが、イーグルスのジョー・ウォルシュ、 ザ・バンドのリック・ダンコ、レヴォン・ヘルムといった有名ミュージシャンを集めた「リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド」でした。ただでさえ束ねるのが難しい一癖も二癖もあるアーティスト達を集めてワールド・ツアーまでやってしまうというのは、ある意味でリンゴならではの才能だと言えるのではないでしょうか。

7月8日
 作曲家 
 三枝成彰 
 誕生 

-1942年-
 京芸術大学大学院在学中に安宅賞を受賞。現在、東京音楽大学客員教授を勤めています。代表作品としてオラトリア「ヤマトタケル」オペラ「千の記憶の物語」、ヴァイオリン協奏曲「雪に蔽われた伝説」、「レクイエム〜曾野綾子のリブレットによる」、「太鼓について〜太鼓協奏曲〜」、またカンタータ「天涯」TENGAI(自由人の祈り)、映画音楽では「優駿ORCION」「お引っ越し」「MISTY」、テレビ番組の音楽では、NHK大河ドラマ「太平記」「花の乱」等、多数の作品を手掛けています。

7月9日
 ミュージシャン 
 プロデューサー 
 細野晴臣 
 誕生 

-1947年-
 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のベーシスト、そして実質的リーダーとして知られる細野晴臣。1970年代の日本のロック・ポップス界の中核をなすプロデューサー集団として、後のユーミンや山下達郎らを手がけていきます。
 また細野は、ポップスや、歌謡曲のフィールドに多くの楽曲も提供しており、「天国のキッス」「禁区」等のヒットも作曲しています。

7月10日
 ボストン・ポップス 
 指揮者 
 フィードラー 
 没 

-1979年-
 ボストン・ポップス管弦楽団は、アメリカの名門オーケストラ、ボストン交響楽団のもう一つの顔です。同楽団は、毎年4月に定期演奏会のシーズンを終えると、5月〜7月の間はクラシックの演奏はお休みして、セミ・クラシック曲やシンフォニック・ジャズ、またスター・ウォーズなどの映画音楽を演奏する“ボストン・ポップス”に変身するのです。
 そのボストン・ポップスの指揮者、アーサー・フィードラーは、もともとはバイオリニストとしてボストン交響楽団に所属していました。1924年にフィードラー・シンフォニエッタを友人の団員たちとともに結成して指揮を始め、親しみやすい演奏や企画の手腕がかわれて、1930年にボストン・ポップスの指揮者に就任。1979年に亡くなるまでの約半世紀、ポップスコンサート一筋に活躍しました。

7月11日
 元チェッカーズ 
 藤井フミヤ 
 誕生 

-1962年-
 今では作詞作曲やプロデュースもこなす藤井フミヤ。1980年代に最もヒット・チャートをにぎわせたグループ、「チェッカーズ」の中心メンバーでした。彼等は、バンド・コンテストを勝ち抜いてデビューのきっかけをつかんだ実力派でした。
 しかしデビューにあたってレコード会社は、彼等を歌謡アイドルグループとして売り出そうと考えたのです。1983年に「ギザギザハートの子守歌」でデビューしたチェッカーズは、「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」といったヒットを立て続けに飛ばします。しかしチェッカーズは、デビューから1年後のシングル「ジュリアに傷心」のB面に収められた「チェッカーズのX'mas Song」辺りから徐々に自分たちで作詞作曲もするようになっていきます。そして1986年のヒット「NANA」で、単なるアイドルではなく自分たちで作詞作曲をする本格的なバンドとして認められるようになったのです。
 藤井フミヤは、チェッカーズ解散後もソロ・アーティストとして活動を続けています。

7月12日
 作曲家 
 芥川也寸志 
 誕生 

-1925年-
 作曲家の芥川也寸志は、芥川龍之介の三男として生まれました。23歳のとき「交響三章」でテビューを飾り、25歳のときには「交響管弦楽のための音楽」でNHK管弦楽懸賞の特賞に入選。28歳で「弦楽のための三楽章」がアメリカのカーネギー・ホールで初演されるなど、戦後の日本音楽界でいち早く活躍を始めましました。

7月13日
 ジャズ・サックス奏者 
 アルバート・アイラー 
 誕生 

-1936年-
 フリー・ジャズのシーンに彗星のごとくあらわれたのが、アルバート・アイラーです。彼の音楽には、理論を超えた、魂の喜びに満ちた“歌”がありました。メロディ、和声、リズムという音楽の三要素をまったく無視しているようでいる独特なものでしたが、ファンの心を強くとらえました。

7月14日
 「尋常小学読本唱歌」 
 (文部省唱歌) 
 刊行 

-1910年-
 1910(明治43)年、文部省より「尋常小学読本唱歌」が刊行されました。これは、当時の小学校(尋常小学校)の教科書として、文部省が初めて制定した唱歌集です。この本の中では、作曲者名をあげず、ただ「文部省著作」と記されていたので「文部省唱歌」と呼ばれるようになりました。文部省唱歌の中でよく知られている歌としては、「われは海の子」「春が来た」「春の小川」などがあります。

7月15日
 オーストリアの作曲家 
 カール・ツェルニー 
 没 

-1857年-
 勤勉で内向的な性格だったツェルニーは生涯を独身で通し、900曲近い作品を残しました。その約1割を占める(90曲以上)のが、今日ツェルニーの名を世に残す唯一のジャンルとなったピアノ練習曲集です。

7月16日
 指揮者 
 ヘルベルト・ 
 フォン・ 
 カラヤン 
 没 

-1989年-
 20世紀を代表する指揮者のひとりといわれるヘルベルト・フォン・カラヤン。ベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した交響曲や管弦楽曲の録音が、今でも高い評価をうけていますが、彼の指揮者としての活動のスタートは、オペラ劇場でした。
 ウィーンで指揮や音楽学を学んだカラヤンは、20歳の若さでウルム市立歌劇場の指揮者に迎えられまた。ここは管弦楽が約30人、合唱も20人弱という小さな劇場でしたが、そのため舞台装置から衣装、演出まですべてに関わることができ、カラヤンはここでオペラのノウハウを身につけます。27歳でアーヘン歌劇場の音楽監督に抜擢され、以後はベルリン国立歌劇場やウィーン国立歌劇場と、超一流の歌劇場の指揮者に迎えられていきました。59歳のとき、ザルツブルク復活音楽祭を創始して自ら監督を務め、キャストや演出など、カラヤンの思いどおりの上演を行いました。管弦楽には手兵のベルリンフィルを起用し、舞台の制作にも惜しみない費用を投入したため、そのチケットは世界で一番高い音楽祭といわれ、客たちは皆、豪華な衣裳で訪れたそうです。

7月17日
 ジャズ・サックス奏者 
 ジョン・ 
 コルトレーン 
 没 

-1967年-
 崇拝され、神格化されているコルトレーンですが、彼はけっして天才肌のミュージシャンではありませんでした。努力の人だったコルトレーンは、そのマイルスのもとで飛躍的な進歩を遂げました。その成果の一つがモード奏法の導入です。ハーモニーに縛られることなく、より自由な即興演奏が可能になるモード奏法をものにしたことによって、コルトレーンの演奏は次第に激烈かつ精神的なものになっていきます。
またコルトレーンは、演奏表現のために新しいサックス奏法を数多く開発しました。アルバム『ジャイアント・ステップス』のタイトル曲や2曲目の「カズン・メアリー」などに聴かれる、音符を敷き詰めたように鳴らすシーツ・オブ・サウンドや、倍音を使いこなすフラジオレットといった奏法は、現代のサックス奏者たちにも多大な影響を及ぼしています。

7月18日
 ドイツの音楽学者 
 フーゴー・ 
 リーマン 
 誕生 

-1849年-
 19世紀における最も優れた音楽学者の一人、フーゴー・リーマンは、ベルリンで法律や哲学を学んだ後、ライプチヒで和声、作曲、ピアノを学びました。24歳のとき「音楽聴取について」という論文によって、哲学博士号をとりました。
 音楽の旋律・和声・リズムという三要素を詳しく分析し、音楽理論を体系的にまとめることを目指しました。たとえば和声では、転調の仕組みや和音の機能を理論的に考察し、リズムの研究では、アクセントを伴うリズムの周期性から音楽の構築性を説きました。これらの成果は、大著「大作曲法(全3巻、1902-13)」にまとめられています。
 また、音楽史の研究にも力を入れ、バロック時代以前の音楽なども研究しました。こうした広範な研究の成果をもとに、1882年に「音楽辞典(Musik-Lexikon)」を出版しました。これはリーマンの最も重要な著作とされ、彼の没後も改版を重ねており、12版(全5巻、1959-75)は現在でも広く利用されています。

7月19日
 ハープ奏者 
 吉野直子 
 第9回 
 イスラエル国際 
 ハープコンクール 
 優勝 

-1985年-
 日本を代表するだけでなく、世界的にも高い評価を受けているハーピスト、吉野直子(1967〜)。母親もハーピストという恵まれた環境で育った彼女は、1985年、イスラエル国際ハープ・コンクールで最年少優勝。以後、20歳のときにはニューヨークとベルリンでリサイタルを開き、国際的な活躍を始めました。
 彼女の柔軟な考え方や感性は、世界の多くのアーティストから愛され、フルートのニコレやバイオリンのクレーメルとの共演が実現したのをはじめ、さまざまな指揮者や楽器のソリスト、オーケストラからも共演の申し出があるそうです。
 また彼女自身、決して多くはないハープという楽器のレパートリー曲を増やすため、ハープのオリジナル曲以外の曲目、たとえばドビュッシーの「月の光」なども積極的に取り上げて、コンサートの充実を図っています。

7月20日
 ロック・ 
 ギタリスト 

 カルロス・ 
 サンタナ 
 誕生 

-1947年-
 複雑に絡み合うラテン・パーカッションのリズムを初めて本格的にロックに取り入れたカルロス・サンタナは、メキシコの小さな町、オートランの生まれ。13歳でサンフランシスコに移住し、1969年には歴史的な「ウッドストック・フェスティバル」に出演するほどの人気を獲得していました。ミリオン・セラーとなったデビュー・アルバム『サンタナ』、セカンド・アルバム『天の守護神』を発表。さらにその後もメンバー・チェンジを繰り返しながら、『キャラバン・サライ』などの名作を次々と発表していきました。1998年のグラミー新人賞を受賞したローリン・ヒルのヒット曲「トゥ・ザイオン」にサンタナがスパニッシュ・ギターで参加したことで、人気が再熱します。7年ぶりの新作『スーパーナチュラル』を発表。そのジャンルを超えた音楽は幅広いリスナーに支持され、全米で800万枚を超えるセールスを達成。シングル「スムーズ」も12週連続ナンバー1となり、第42回グラミー賞では「最優秀アルバム」「最優秀レコード」「最優秀楽曲」など主要賞を含む全9部門を独占。20世紀の最後をサンタナ・イヤーとしたのです。

7月21日
 ジャズ・ピアニスト 
 ソニー・クラーク 
 誕生 

-1931年-
 レコードが高価でなかなか手に入らなかった1950年代、1960年代には一般の人がジャズを聴くには、ジャズ喫茶に行く以外に方法はありませんでした。そのジャズ喫茶全盛時代に我が国でもっとも人気の高かったアルバムが、ピアニスト、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』です。タイトル曲をはじめ「これぞモダン・ジャズ!」と言いたくなるファンキーなサウンド、歌心と哀愁に満ちたピアノのフレーズ…。『クール・ストラッティン』の人気同様、ソニー・クラークの名前も日本のジャズ・ファンにとってはおなじみのものです。しかし、本国アメリカでは全然知られていなくて、日本で有名なピアニストなのです。

7月22日
 バレエ音楽 
 「三角帽子」 
 初演 

-1919年-
 スペインの作曲家マニュエル・デ・ファリャ(1876〜1946)の作品の中で、最も名高いバレエ音楽「三角帽子」は、バレエのために書かれた作品です。
 この曲は、彼が40歳のとき、ロシア・バレエ団を率いるディアギレフから依頼されて作曲しました。ストーリーは、スペインの小説家アラルコンが、アンダルシアの民話から取材して書いた小説「三角帽子」をもとにしたもので、魅力的な粉屋の女房、彼女に言い寄る三角帽子をかぶった市長、そして嫉妬深い彼女の亭主が巻き起こす喜劇です。
 曲が完成した1917年は、おりしも第1次世界大戦の最中だったため、マドリードで試演されました。この試演に立ち会ったディアギレフは、ファリャに改訂のアドバイスをし、ファリャも快く書き直したそうです。正式なバレエ上演は、1919年にロンドンのアルハンブラ劇場で、ロシア・バレエ団によるものでした。

7月23日
 日本人歌手による 
 オペラが初めて上演 

-1903年-
 1903(明治35)年、上野の奏楽堂で、日本人歌手によるオペラが初めて上演されました。演目は、グルック作曲の「オルフェオとエウリディーチェ」。ドイツ語の歌詞を和訳した上での上演でした。3幕もののオペラですが、数百名の聴衆は、幕が閉じるたびに割れんばかりの拍手喝采。当時の雑誌による論評では、「絶賛したい気持ちはわかるが、幕間ごとに拍手するのは(伴奏が聞き取りにくく)演奏者に失礼ではないか」と記されています。

7月24日
 作曲家 
 アドルフ・アダン 
 誕生 

-1803年-
 古典バレエの傑作として名高い「ジゼル」の作曲者、アドルフ・アダンはオペラやバレエなどの劇場音楽を得意とし、生涯に39のオペラと、14のバレエ音楽を残しました。中でもバレエ音楽には傑作が多く、「ジゼル」のほか「海賊」も現在でも根強い人気があります。また「ジゼル」は、音楽が単なる伴奏の域を超え、踊りと一体となって舞台を作り上げた最初の作品といわれ、チャイコフスキーらにも大きな影響を与えました。

7月25日
 ピアニスト 
 中村紘子 
 誕生 

-1944年-
 人気ピアニスト、中村紘子。幼い頃から天才少女と呼ばれていた中村は1959年、慶応義塾中等部在学中に第28回日本音楽コンクールで史上最年少で第1位特賞を受賞。それをきっかけに翌年、NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜てきされ、16歳にして華やかにデビューしました。その後18歳でニューヨークのジュリアード音楽院に留学、65年には第7回ショパンコンクールで日本人初の入賞を果たします。以後今日にいたるまで、国内外3,000回以上におよぶ演奏会をつうじて聴衆を魅了しつづけています。

7月26日
 エア・サプライの 
 「シーサイド・ラブ」 
 全米1位 

-1981年-
 ライブハウスで歌い、たいへん評判となり、19977年にオーストラリアでデビューしたエア・サプライ。1980年には念願のアメリカ・デビューを果たすまでになり、デビュー曲「ロスト・イン・ラブ」から3曲連続で全米チャート5位以内に輝いた後、ついに「シーサイド・ラヴ」で全米1位に輝いたのでした。

7月27日
 テノール歌手 
 マリオ・デル・ 
 モナコ誕生 

-1915年-
 マリオ・デル・モナコは、現在の3大テノール(パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス)が活躍する一時代前の1950年代から1960年代にかけて、一世を風靡したテノール歌手です。フィレンツェに生まれ、早くから歌の才能を現し、13歳でオペラに出演。20歳のとき、有名な指揮者、セラフィンの招きでローマ歌劇場の研究所に入りますが、第二次世界大戦のため23歳から軍隊生活を送り、そこでも名歌手のレコードを聴きながら独学で歌の勉強を続けます。兵役は7年間に及びましたが、理解ある上官に恵まれ、25歳のときに軍人の身分のまま「蝶々夫人」のピンカートン役でデビュー。退役後、31歳のときにミラノ・スカラ座の舞台に立ったことをきっかけに、国際的な活動を始めました。

7月28日
 シンガーソングライター 
 スガ シカオ 
 誕生 

-1966年-
 SMAPの大ヒット曲「夜空ノムコウ」の作者としても有名なスガ シカオ。彼のデビューは1997年2月、30歳のときのことでした。アーティストのデビューがどんどん若年化する傾向にある昨今、ずいぶん遅いデビューという気もしますが、それもそのはず、彼が初めて自分で納得できる曲を作ったのは20代半ばのことだったそう。以来、昼間は会社員として働きながら、4トラックのカセットMTRとシンセサイザー、リバーブといった最小限の機材で曲を書きため、95年の秋、ついにプロを目指して一念発起。会社を辞め、100万円の貯金の半分で録音機材を買い、残ったお金で曲を書きながら生活することにしたのです。
 1999年にはJ-WAVE AWARD 「ベスト男性アーティスト」を邦人アーティストとして初受賞。いまやスガ シカオは、友人でもありライバルでもある山崎まさよしと並んで、音楽シーンでもっとも注目を集めるアーティストの一人、と言うことができるでしょう。

7月29日
 ピーター、ポール&マリー 
 「風に吹かれて」 
 リリース 

-1963年-
 ピーター・ヤーロウ(1938〜)、ポール・ストゥーキー(1937〜)、マリー・トラヴァース(1936〜)の3人によって、1961年にニューヨークで結成されたボーカル・トリオ「ピーター、ポール&マリー(略称:PPM)」がデビューしたのは、その1962年のこと。そのころアメリカでは朝鮮戦争〜ベトナム戦争と海外派兵が続いて若者の間で反戦気分が高まり、“フォーク・ソング・リバイバル”と呼ばれるメッセージ性の強い新しいフォークがブームでした。そのブームを代表する2大アーティストが、ボブ・ディランと、このピーター、ポール&マリーです。両者ともに、社会に対するプロテストの気持ちに変わりはなかったのでしょう。デビュー作で「花はどこへ行った」などの反戦歌を取り上げているピーター・ポール&マリーですから、ディランの反戦歌の名作「風に吹かれて」を歌うことは極めて自然な流れだったと言えます。そして彼らに歌われたことで、「風に吹かれて」はスタンダード・ソングとして世界中の人に愛されるようになったのです。

7月30日
 ポップス歌手 
 ポール・アンカ 
 誕生 

-1941年-
 1950年代からずっとトップクラスの歌手/作曲家であり続けているポール・アンカ。アンカは12歳で音楽コンテストで優勝し、地元のナイトクラブなどで音楽活動をはじめます。しかし「音楽か、進学か」という悩みも抱えていました。そこでアンカは、渋る父親を説得し、イースター休みの10日間という約束でニューヨークに出かけました。そんな短い期間で「何か」が起きるとは、両親はもちろん思っていなかったことでしょう。
 ところが、ニューヨークへ着いてすぐに、知り合いを通じて有名プロデューサーのトム・コスタに会うことができたのです。彼の前で、年上の女性への想いを込めた自作の曲を歌うと、コスタはすぐさまアンカの才能を見抜きました。その曲こそが、あの大ヒット曲「ダイアナ」です。このときアンカは16歳。彼はたった10日間で自らの才能を証明し、スターの座を手にしたのです。その後、数々の名曲を世に送り出したのです。フランク・シナトラに提供した「マイ・ウェイ」はポップス史に残る不朽の名作と言えるでしょう。

7月31日
 ジャズ・ピアニスト 
 バド・パウエル 
 没 

-1966年-
 もしこの人がいなければ、モダン・ジャズ・ピアノの歴史は変わっていたかもしれない…そう言われるほどジャズ史におけるバド・パウエルの存在は大きなものです。1940年代半ばにジャズ・シーンに登場したパウエルは、その超絶的な技巧と天才的なひらめきによって、ジャズ・ピアノの在り方を一変させてしまいました。たとえばピアノ、ベース、ドラムというトリオ編成。現在は当たり前になったこの編成を定着させたのはほかならぬパウエルでした。さらに彼はそのトリオ編成によって、それぞれの楽器の役割を明確にしました。リズムはドラムに、ベース・ラインはベースに振り分けることによって、ピアニストはより自由な即興演奏に専念することができるようになったのです。

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