同期会のお知らせ&近況
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中1〜10回
中11〜20回
東京一八会(中18)
中21〜24回
高1〜10回
高11〜20回
37会ホームページ開設(高14)
15期会ホームページ開設(高15)
伊那北高校関東39会ビデオを見る会報告記(H17.3.12) (高16)
39年卒業40周年記念同窓会の模様(H16.10.9-10) (高16)
高21〜30回
H17総会でクラリネットを演奏した橋爪恵一さん(高22回)のコンサート
卒業30周年記念同窓会(高25)
高31〜40回
高41〜50回
新作落語で勝負 箭内広光さん(高42、芸名昔昔亭健太郎)
高51回〜
ここからが近況の記事です。
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東京一八会(中18)
中18・西村 久巳
桜の花もちらほら散る4月10日
東京一八会は横浜みなと未来21で開催。桜木町駅前10時半集合。伊那からは小池登君、埋橋正美君の両君を加えて総勢15名、みな元気な姿をみせた。
当日は好天に恵まれ、「みなとみらい21」を散策するには絶好な日和。早速、目の前に聳え立つ東洋一の高層ビル、ランドマークタワー69階の展望台に昇る。横浜市街一円、横浜港、ベーブリッジ、赤レンガ倉庫、大桟橋など眼下に見下ろす。遠くは相模湾、箱根、伊豆の山々、富士山などを眺め、美しさを満喫する。展望を終え、遊歩道を通り、赤レンガ倉庫、大桟橋方面に向かう。停泊中の大小さまざまな船舶、白波をたて入出港する船舶、美しい港の風景である。船舶については、専門家の渋谷君、山川君(いずれも高等商船卒)の説明をうけ、大いに参考になる。赤レンガ倉庫で記念撮影する。更に大桟橋に向かう。豪華客船接岸に相応しい大桟橋に折り良く世界一周の豪華客船「ふじ丸」が接岸していた。目の当たりに美しい巨大な船を見、皆満足の様子。展望台より約2時間半余散歩、やはり足の衰えが目立ち、タクシーで会場のインターコンチネンタルホテルに向かう。午後1時、同ホテル、イタリー料理「ラヴェラ」で開会する。まず市原君の挨拶、階の運営についての提案、小池登君の挨拶とワインでの乾杯、埋橋正美君の母校の近況報告あり。今回は洒落たイタリー料理にイタリーワイン、みな酔いも早いようだ。お互いに元気そう、でも、体を気遣っている様子。本来ならば校歌の大合唱と言うところだが
場所柄、次回に譲ることにした。ワインも尽き、3時も過ぎたので、竹入君の閉会の辞で幕を閉じた。
ホテル前で全員の記念写真を撮る。ホテルバスで横浜駅へ、そごう前で再会を約して参会する。

東京一八会 横浜にて 平成15年4月10日
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37会ホームページ開設(高14)
37会ホームページ管理者: 加山 和秀
伊那北高校・昭和37年(高14回)卒の37会(みなのかい)は
本日、9月10日付けでホームページを正式オーブンいたしました。
大勢の皆様に訪れて頂くのをお待ちしております。
以下は、37会ホームページ冒頭に掲載されている挨拶文からの抜粋です。
37会は長野県立伊那北高等学校を昭和37年度(高14回)に卒業した270余名により結成され、卒業年度に因んで「みなのかい」と称します。
卒業30周年を迎えた平成4年10月には地元諸君の大変なご努力により、薫ケ岡の母校に大結集して卒業30周年記念式典、祝賀パーテイーを催して節目を盛大に祝う事が出来ました。
それ以後、平成9年に35周年記念・石和温泉37会を、平成14年度に40周年記念・大芝高原37会をそれぞれ開催してまいりました。
また、伊那国際GCでの親睦ゴルフ大会開催が毎年10月恒例で、その夜の懇親会を楽しみに東京方面からも多数の参加があります。これ以外に、新年会や懇親会が伊那、関東のそれぞれにて適宜開催され、地域別の交流も永年続けております。
これからも37会旗の下に集い、お互いを師と仰ぎつつ更に充実し心豊かな熟年ライフを目指して 【たぐえてゆかん】 というのが概ねの方針です。
関係各方面には今後ともご支援ご協力の程よろしくお願いいたします。
37会ホームページ:http://www.geocities.jp/inak37kai/
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15期会ホームページ開設(高15)
昭和38年卒の関東同窓会15期会のホームページが開設されました。下記の挨拶文は15期会のホームページからの転載です。
15期会会長 中澤 透
ホームページ開設にあたって
今年は高校卒後40年。早いもんだない。伊那谷の町や村から伊那北高校に入学し、そこで出会ったわれわれは文武両道、バンカラな気風が息づいていた校舎で3年間を共にした。時代は高度経済成長に向かう直前。60年安保闘争が吹き荒れていた。諏訪清陵、飯田高校は安保反対の市内デモをやり、伊那北は社研主催の討論会を講堂で開いた。今ではタブーになっているかどうか知らないが、皇太子の結婚式に石を投げた人物が伊那北の先輩であり、野球の応援で相手校を「石を投げるぞ!」と誇らしげに野次る先輩たちになぜか清々しさを感じていた。思えば伊那北高校は実に自由で、知的な空間であった。わが学年は、伊那北高校の自由な気風と伝統をどの学年よりも強く受け継ぎ、発揮した学年であったと自負している。昭和36年夏の甲子園にエース柳沢を擁して見事出場を果たしたことはそのことの何よりの証であった。われわれは幸せな学年であったと思う。
因みにあの頃、八十二銀行のポスター(「他の銀行」との指摘もあり)は若き吉永小百合であった。(考えてみりゃあ小百合ちゃんは同学年だぜ。)恐いもの知らずで過ごしたあの3年間は確かにわれわれの原点である。頭の毛も薄くなり一定の常識も身につけたが、時には世の常識を越えたわれわれだけが共有できる世界に身を置きたい時がある。新たなエネルギーを充電するために。卒後散り散り、ばらばらであったわれわれを「伊那北15期会」として結び付けてくれたのは、野澤をはじめとする友であった。感謝したい。そして今回、ホームページ開設に尽力してくれた名事務局長、柴に感謝したい。「伊那北高校関東15期会ホームページ」を大いに活用し、新しい企画をどんどん提案して
元気な出会いを一杯作るつうもんじゃねえかい。ずく出してまた一頑張りするつうことずら。
15期会事務局長 柴 昌実 (ホームページ管理者)
HP開設にあたり
今年、高校卒業40周年記念事業が行われるにあたり、会員の多くの皆さんが共通の意識を持って集い、人生の節目としてWあの頃を語りWWこれからを談じるWこんなために必要な情報交換の場としてホームページ開設を考えました。きっかけは兎も角、同期生の情報発信の場としてご利用戴ければ幸いです。又、充実したホームページにするために会員各氏の情報提供をお願い致します。尚、当ホームページはオフィシャルサイトではありません。50の手習いならぬ60直前の手習いで始めた「ホームページ開設」。思ったほど簡単には出来ず、皆様のご指導を頂き試行錯誤しながらやっと公開する事が出来ました。有難うございました。今後も改良しながら利用し易いホームページにしたいと思います。
平成15年6月吉日
15期会ホームページ:http://www.inakita-kanto15.com
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伊那北高校関東39会ビデオを見る会(高16)
高16・唐木 敏夫
平成17年3月12日 東天紅新宿店にわずか18名だが40年ぶりに再会する者含めて元気な伊那高健児が集まった。昨年10月9日10日に開催された卒業40周年同窓会に残念ながら参加出来なかった者、出席したが余韻を再び味わいたい者が30周年と40周年の完全収録ビデオを見ながら更なる親交を深めた。特に30周年の10年前の恩師、同窓生の容姿をみて‘若い!’と歓声があがることとなりました。飲む程に、酔う程にボルテイジが上がり仲間の馴染みの店で飲み放題、エンドレスとはいえ迷惑を考えてお開きとし、酔いと興奮を覚ます為、初台のオペラシィティまで歩いた。そこの最上階は仲間の関係するレストランがあり、ほぼ全都心の素晴らしい夜景が眺められ、さらに都心では最西、最高のビル。遠く長野、伊那の方向を望めて故郷にも思いを寄せることが出来る所です。そこで現実の東京と懐かしの故郷を見ながら、約6時間に及ぶ親交飲み会は来年の還暦同窓会を盛り上げる事を誓い解散しました。
伊那からの参加者を含めた一部は更に朝4時まで飲みながら今と昔を語りあったとも聞いています。元気がなによりです。
還暦を迎える関東39会 唐木敏夫 記

伊那北高校関東39会ビデオを見る会
(H17.3.12)
S39年卒業40周年記念同窓会開催記
平成16年10月9,10日
於:伊那北市横山・山荘 ミルク
台風で大荒れの初日はJR あずさ 運休、中央道高速バスは一時運行見合わせで関東方面から不本意ながら何人か欠席という状態で午後3時から開催されました。開会が待ちきれない各々は早々と懐かしい友との再会とウェルカムドリンクでいいきげんである。恩師はコンチャンこと近藤、柴カン、竹内オヤジ、狐島に住んでるタヌキこと太田、竹入モーサ、同窓会舘館長の竹松先生の出席を戴きました。近藤先生には゛青春とはなんであったか?゛という演題で サガン 三木卓 らを引き合いに教訓的講演をしていただきました。不幸にも山の事故のあと教員をやめられてもカリスマ進学塾教師として活躍されました話術は衰えてはいませんでした。95歳のシバカンも元気一杯、酔う程にシバカン体操を披露することとなりました。 懇親会は酒の進み具合いとともにヒートアップ・・記念写真を懇親会の前に撮っておいてよかったと胸を撫で下ろす幹事団。各地元小学校校長、中学校校長、我伊那北教頭、信州大学農学部長と同期が揃って、小、中、高、大、一貫教育だと意気まく教師団。やおらドカン ドカン と打ち上げ花火・・何時しか雨も上がり同期生社長のアルプス煙火工業による打ち上げ花火は40発〔40周年〕。下界の伊那市街では ゛今日はどこのお祭ズラ?゛と・・ そこへペカペカ と消防車が3台、それは伊那市消防団長の同期生がお役目として率いて来たものでした。 59歳ともなれば皆様立派! 社会的立場も立派! 40年前ゲタはいてバンカラやってた連中が・・゛だって今偉くならなきゃ来年定年だよ゛と蔭の声・・ 一通りのセレモニーは終え母校から借りてきた校旗、応援団旗、大太鼓のもと学生服を着るものありの校歌、応援歌のダミ声合唱は終る事を知りません。 役目がら幹事が閉会の辞を述べるが乗っている一団はちっとも閉会しません。最後は午前
2時ごろでした。それはそこが貸し切りの宿泊山荘だからです。帰る者、実家に泊まる者もありましたが約半数30余名が宿泊しにぎやかな楽しい一日が終わりました。 この一部始終は伊那ケーブルテレビのカメラマンが撮影され中島みゆきの゛卒業゛をバックグランドミュージックに素晴らしいビデオとなりました。〔希望者は3千円でお分け致します〕 2日目はゴルフ組と温泉三昧組に別れてこれ又楽しい一時を過ごしました。更に夕方は同期生経営の伊那北駅前の焼鳥やに集合し反省会で盛り上がることとなりました。 80周年の幹事に立候補する者もいましたがとりあえず50周年の幹事を決めて再会を誓い散会致しました。 高校16回卒業 〔昭和39年3月卒業〕 唐木敏夫
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高21〜30回
H17総会でクラリネットを演奏した橋爪恵一さん(高22回)がコンサートを開きます
今年の総会で軽快な音色を奏でてくれた橋爪恵一さんがクラリネットを担当する木管五重奏とピアノによるコンサートが10月7日に開催されます。総会で聞き逃してしまった方、もう一度聞いてみたい方はどうぞ。場所は新宿角筈区民ホールです。

クラリネット奏者橋爪恵一さん(高22回卒)が今年の関東同窓会総会に出演!
H17年度同窓会総会は今年の6月25日午後、定例会場であるアルカディア市ヶ谷にて開催される予定で準備が進められています。今回の主幹事は高22回で、立川市在住の高22回卒で吹奏楽部OBのクラリネット奏者橋爪恵一さんが出演します。詳しくは、総会のお知らせをご覧下さい。橋爪恵一さんのホームページはここです。訪問してみてください。
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高25回生卒業30周年記念同窓会
日時:11月15日(土)15:00〜
記念式典が同窓会館で行われます。
伊那北高校校長先生、同窓会会長、当時の担任の先生方を
お招きします。みなさん奮ってご参加下さい。
17:30からは祝賀会が開催されます。
場所はJA伊那のフラワーパレスです。
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高31〜40回
高41〜50回
新作落語で勝負 昔昔亭健太郎さん(高42回卒)
高42回卒の箭内広光さん(芸名昔昔亭健太郎)の記事が12月13日のasahi.comに掲載されました。以下はその内容です。
駒ケ根市出身で落語芸術協会所属の二つ目、昔昔亭(せき・せき・てい)健太郎さん(33)は「落語はみんなの考えをくみ取って代弁するもの」と考えている。「健ちゃん、うまくなったねえ」がうれしくて、東京と駒ケ根を行き来し、お客の反応に耳を傾ける。 (渡辺圭司) JR駒ケ根駅前のすし屋「浜鮨」が健太郎さんの定席となっている。20人でいっぱいという座敷に高座を設け、木戸銭は千円。今月も18日午後7時から開かれる。 6月には市内の硬式野球クラブのコーチたちが詰めかけた。小学生時代、少年野球をしていたときの恩師だ。 「私も南北に名が知られるようになりました。南割から北割まで」と地元の地名を使い、ご当地ならではの笑いで枕をふる。客はすしをつまみながら、目の前の熱演に笑い転げた。 本名は箭内広光。伊那北高校から福井県立大学に進んだ。開学したばかりで1期生だった。クラブ活動を始めるにも全部自分たちで用意しなければならない。「手っ取り早くできる活動は一人でできる落語だ」。落語研究会をつくり、部長に収まった。高校時代の自分は、落語に登場するような「失笑を買う間の悪い男」だったから、落語の世界には親近感があった。 東京の紙を扱う商社に就職したが、「自分を表現したい」「創作したい」との気持ちは募るばかりで、放送作家の講座にも通った。「一人でどこでも表現できる場所」として落語の道に進むことを決意、26歳の時、春風亭柳昇さんに入門した。 春風亭柳二郎の名前でスタートを切った。二つ目に上がるまでの前座の時代は、貧乏のネタに事欠かなかった。 「地下鉄に乗るお金がありませんから、都内どこへでも自転車で行きます。カップラーメンの湯気にしみじみ幸せを感じた。涙が落ちていい塩味となった」−−。 自転車に乗っていて車にはねられ、腰の骨を折って入院した。「いい骨休みになった。骨折り損とはこのこと」と、しばらくはギャグに使った。「貧乏は今も続く大事なネタ」という。 駒ケ根市の落語ファンは毎年1、2回、真打ちの柳家喬太郎さんを招く。03年6月の例会には健太郎さんも呼ばれた。二つ目に昇進したばかりで、喬太郎さんが前座を務めるという「お祝い」を受けた。 この時、喬太郎さんは「子褒め」を演じた。庶民の江戸言葉を使うと、場面が生き生きと浮かび上がった。健太郎さんは驚き、けいこをつけてくれるよう頼み込んだ。同門ではないが、喬太郎さんから「話のやま場で気持ちをためる表現」を学ぶことができた。 柳昇師匠が亡くなり、師匠は昔昔亭桃太郎さんに変わり、今の名前となった。 暇があれば、あちこちの居酒屋に出かける。酒や料理だけでなく、会話で心の満腹感を提供している主人の技を勉強したいからだ。「一生懸命働く人の悲しみ、ささやかな楽しみを表現する。それが落語です」。酔客と話してライブ感覚を磨き、新作落語で身を立てるのが夢だ。
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高51回〜
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