平成21年度の総会は7月11日(土)に盛大に開催されました

今年の総会も盛大に開催されました。華やかなビッグバンドの演奏が流れるなか、今年もまた賑やかな懇親会で旧交を温めました。

第1部 総会
 平成20年度の事業報告と平成21年度計画が満場一致で承認されました。今年は特に本会に功績のあった2名の会員に功労賞が贈られました。お一人は中学2回卒で母校校長も務められた埋橋朝賢先生、もうお一人は高校1回卒で長く本会を陰に日なたに支えてくださった宮島まゆみさんです。宮島さんは伊那北の最初の女子学生として後進の女子学生の指導にも尽力されました。代理で出席されたご長男の埋橋英夫氏(高校7回卒)と宮島さんからご挨拶を頂きました。

第2部 講演会
 「ヤグルマギクの青い花−発色の秘密を解明」と題した武田幸作先生(東京学芸大学名誉教授)の講演は 神秘的な青い色を放つヤグルマギクの発色の秘密をめぐる興味深い話。発色機構を解明するためには発色に関与する色素を抽出して結晶化する必要がありますが武田先生の恩師に当たる林孝三先生が初めて成功しました。ヤグルマギクの発色機構には色々な説がありますが日本の「金属錯体説」の詳細を明らかにするためには単結晶を得る必要があります。武田先生はこれに初めて成功し、放射光という現代科学の最先端手法を用いて構造を解明したのです。その結果、中心に鉄とマグネシウムが位置する複雑な金属錯体の立体構造を明確に示しました。日本の学者が金属錯体説を提案してから90年を経てついに色素の構造まで含めて詳細が明らかになったのです。論文上での「日本たたき」のような話も交え、さながら歴史ドラマのような興味深いお話しでした。
 講演が終わった後、飛び入りでシカゴ在住の映画監督梶野純子さんが沖縄とアメリカを舞台とした「レイ、はじめての呼吸」という作品の紹介をされました。梶野さんは高校44回卒で、今回は上記映画の公開準備で来日しました。世界に羽ばたいて欲しいですね。

第3部 懇親会
 会員諸氏が期待を寄せる懇親会。ことしはひときわ華やかにYCBジャズオーケストラによる演奏を聴きながらわいわいがやがや楽しいひとときはあっという間に過ぎてしまいました。今年は第1部から3部まで同じ部屋であったため、はじめから同期の仲間と隣席どうしで好評だったようです。

アルバムページにスナップ写真を掲載しました。ご覧下さい。



平成20年度の総会は7月12日(土)に盛大に開催されました

「お父さんもびっくり」のキャッチコピーで企画された今年の総会も盛大に開催されました。
場所はいつものアルカディア市ヶ谷。

第1部 総会
平成19年度の事業報告と平成20年度計画審議などが満場一致で承認されました。6年間の長きに渡り勤められた有賀祐勝会長(高5回)から東條和彦会長(高9回)へとバトンタッチされました。有賀会長お疲れさまでした。

第2部 講演会
「伊那谷のスズメバチについて」と題した小野正人先生(玉川大学農学部教授)のお話
多数の写真やビデオを駆使して伊那谷のスズメバチが以下に世界的に有名であるか教えていただきました。スガレ追いならぬスズメバチ追いも紹介され、身に覚えのある人は「オーッ」。ミツバチが集団でスズメバチを「熱殺」する習性など、地元にいながら知らなかったことも。

第3部 懇親会
今年は第1,2部の隣が第3部で移動も簡単、スムーズに着席。お父さんもびっくりの慶応大学チアリーダー”ユニコーン”の「初演で千秋楽」となったパラパラ版信濃の国に拍手喝采。

アルバムページにスナップ写真を掲載しました。ご覧下さい。


平成19年度総会は7月14日(土)に盛大に開催されました

例年と同じくアルカディア市ヶ谷で開催された総会は統一テーマを掲げた意欲的な企画となりました。 幹事役の高校24回の皆様ご苦労様でした。

第1部総会
事務局提案の議案が満場一致で承認されました。

第2部 統一テーマ「あなたは大丈夫?」
岡田恒男氏((財)日本建築防災協会理事長、元日本地震工学会会長)
『あなたは大丈夫?』倒れてからでは遅い、あなたの住まい
− 建物の耐震性と補強 −
本郷一博氏(信州大学脳神経外科主任教授、伊那北高校24回生)
『あなたは大丈夫?』倒れてからでは遅い、あなたの身体
− 脳卒中を予防する −

第3部は宮下秀邦氏プロデュースによる女性4人のサックスカルテッドの演奏で幕が開きました。今年も伊那谷の特産品・名産品が沢山用意され、皆さんおみやげをもらってニコニコ。お世話になった恩師の功刀武先生は68才になられた今もお元気で、はるばる伊那からお出で頂きました。ほんとうに有り難うございました。締めは応援団長であった山口正明氏のリードによる校歌・応援歌。今年も楽しいひとときを過ごしました。

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平成18年度総会は7月8日(土)に盛大に開催されました

第一部:関東同窓会定例総会
事務局提案の議案3件が満場一致で承認され滞り無く終了しました。

第二部:講演会
最初の公演は太田睡眠科学センター所長佐々木三男先生による「24時間社会と睡眠」と題したお話し。身近な話題だけに多くの質問も出て楽しい講演でした。
元NHK解説委員で現在学習院女子大学教授の平野次郎先生のお話しは「世界・アジア・そして日本」。最近のテポドンの話や、小泉首相のプレスリー館でのパフォーマンスの解説など、TV画面を通さない素顔の平野先生のお話が聞けて皆さん大感激。

第三部:懇親会
はじめての試みとして卒業回の近い方々が同じテーブルを囲んで着席しました。このやり方は好評だったようです。地酒銘柄当てコンテストでは「一瓢」、「信濃鶴」、「みやさか」の3銘柄を当てるという趣向。全17テーブルから5テーブルが正解の栄誉を。もちろん地元伊那からの来賓テーブルは正解組。校歌の大合唱は止むところを知らずついに四番まで。来年の再会を約しつつ多くの会員が二次会へ。

今年度の幹事年は高23回卒の皆さんでした。ご苦労様でした。






平成17年度総会は6月25日(土)に盛大に開催されました
今年の同窓会総会は6月25日にアルカディア市ヶ谷で開催されました。第二部は例年と違った趣向で芸術演芸会とコンサートを開催し、好評でした。
会場風景のスナップとムービーがアルバムメニューにあります。ご覧下さい!

受付:13時より開始します。
第一部:関東同窓会定例総会(13:30〜)
第二部:演芸講演会とコンサート(14:10〜)
  @三遊亭竜楽師匠 出し物「親子酒」
  A橋爪恵一&いまむら直子 「クラシックからジャズヘ〜」
   ・「3つの農民の歌」バルトーク
   ・「Ave Verum Corpus」モーツァルト
   ・「G線上のアリア」バッハ
   ・「A列車で行こう」ビリー・ストレイホーン
   ・「ダニーボーイ」アイルランド民謡
   ・「メモリーズ・オヴ・ユー」ユービー・ブレイク
   ・「鈴掛の小径」灰田勝彦
   ・「故郷の人々」フォスター etc.
第三部:懇親会(16:00〜18:00)
  カラオケ大会など


三遊亭竜楽 <さんゆうてい りゅうらく>
昭和33年9月12日生まれ。中央大学法学部を卒業後、昭和61に三遊亭円楽門下に入門、二ツ目(平成元年)を経て平成4年10月に真打昇進。 いろいろな職業を経て噺家に。秀逸な企画力と持ち前の稽古熱心さで前座時代から頭角を現す。経歴を生かした‘落語裁判’で一躍脚光を浴びる。江戸っ子気質を基底にした、粋な文化としての古典落語の内容を新しい形で現代へと伝えていきたいと抱負を語る。 にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞(平成3,4年度)、国立演芸場花形演芸会銀賞(平成5年度)などを受賞。 日本放送作家協会会員で日本脚本家連盟に所属し、中央大学・洗足学園魚津短大などの講師も務める。FMラジオ‘暮らしのQ&A’パーソナリティー、月刊誌(さわやか福祉財団)のエッセー執筆など、活動は多彩。 出囃子は「梅は咲いたか」。


<クラリネット 橋爪恵一〉
伊那北高校22回卒。束京芸術大学に進み器楽科を卒業。オペラシアターこんにゃく座や黒テント等劇団との共演を含めオーケストラ、録音、室内楽の分野で活躍中。カメレオンオーケストラとしてユニークなコンサート活動を展開。クラシック音楽界の旧い憤習にとらわれず、音楽そのものを深く楽しみ、その在り方を模索。芸大在学中より東京大学吹奏楽部指導。静岡県常葉学園大学及び東京尚美学園講師。カーニバルカンパニー主宰。CDにクラリネット三重奏曲「ポートレート」、世界名曲集「カメレオン」、日本の心「ネオ・ジャポニズム」など。
<ピアノ&ボーカルいまむら直子>
桐朋学園大学演劇専攻科卒業。ジャズピアノ&ボーカリスト。 桐朋学園大学演劇科非常勤講師、劇団民藝研究所、滝沢音楽事務所を経てフリーで活動。西城秀樹バックコーラスダンサーでTV番組出演、地域ミュージカル劇団「青い鳥シアター」主宰。ジュニアミュージカル団体HOT CAT COMPANY主宰。




平成16年度の総会も盛大に開催されました。
切れ味鋭いつかこうへい氏の講演に感嘆!!


平成16年度関東同窓会総会は、7月10日(土)午後1時30分から、
「アルカディア市ヶ谷」で開催されました。

今回の幹事はお揃いの伊那北Tシャツを着込んだ高21回卒のみなさんでした。例年通り、総会・講演会・懇親会の3部構成で開催されました。

午後1時半より5階会場「穂高」にて第一部の総会が開催され、平成15年度報告、平成16年度計画、次期役員の提案が満場一致で承認されました。

第二部は恒例の講演会。今年は「蒲田行進曲」で有名な「つかこうへい」氏を講師に迎えました。氏の歯に衣着せぬ鋭い語り口は圧倒的な迫力で聴衆に迫り、あっという間の1時間でした。

第三部は3階に席を移しての懇親会。往時を偲ぶ映像を背景に、多感な三年間を過ごした薫が丘の話、最近のお互いの健康の話、・・などなど話はつきません。楽しいビンゴゲームではついつい身を乗り出して「私の番号を出してちょうだい!」。

時が移り、人が変わり、考え方や求めるものが変わっても、薫が丘はなお私たちの心の中に生き続けていることを実感。

校歌、応援歌の斉唱と正統派万歳三唱で会を締めくくり、再会を約して散会となりました。


同窓会総会のスナップ写真はこちらにあります。どうぞご覧下さい






これまでに開催された講演会の要旨を掲載します。

H15年度の総会の講演要旨

伊那路はるか
青野 恭典


初めまして、写真家の青野恭典です。伊那とは何のゆかりも関わりもありませんが、学生の頃から山が好きで、信州の山々に出かけていましたし、伊那谷にもよく行っていました。現在でも、東京にいるより信州にいる方が長いと言われるくらいです。二年前に伊那市にある伊那食品工業の堀越寛社長から文化的施設を作りたいというお話があり、昨年に本社工場にある「かんてんパパホール」に私のフォトギャラリーがオープンしました。それに併せ、写真集「信州 伊那路はるか」(日本写真企画刊)も出版しました。  こんなわけでここ二年ほどは伊那路に通い詰め、入れ込んでいます。伊那を含む南信のあたりは、南アルプスと中央アルプスに挟まれて、谷も狭いですが、田切段丘の広がりのように非常に明るく、素朴な部分が残っているように思われます。  それでは、四季折々、皆様の故郷を撮った写真のスライドをお見せしながらお話をしますので、懐かしく思い出していただければ幸いです。  伊那路は立派な桜が多いところです。「高遠のサクラ」「勝間のシダレザクラ」「光善寺のサクラ」など。今年の春も桜の撮影に出かけましたが、今年は伊那ではほとんど咲いていなくて、松川を過ぎたところでようやく見つけました。仙丈ヶ岳が裏から見た感じでいい写真が撮れました。田切の段丘は、所々に急にパッと開け、どーんと立派な桜が咲いています。これを見つけるのが楽しくて、あちこちを歩き回り、走り回っています。 駒ヶ根・下平で農家の裏山を背景に撮った「裏山のサクラ」は、「おばあちゃんのサクラ」 と呼んでいます。田んぼにいたおばあちゃんに頼んで撮りましたが、縁側で草もちや漬物をいただきながら話込みました。後日、写真を見せに行ったら涙を流して喜んでくれました。地元に人との触れ合いも楽しみです。  伊那路の春は、五月頃まで色々な花が咲いているので、撮影は忙しくなります。「モクレン」「コブシの大樹」「紅白のモモ」「レンゲソウとリンゴ」など。コブシの写真は「ダンプカーのコブシ」と名付けました。隣の家にあるギンギラギンのダンプカーをぎりぎりで避けてシャッターを切っているからです。モモは二股の木が面白いと思い、花が咲く頃に行ったら、分かれて紅白の花をつけていました。  田植えの光景もよく撮ります。富県、美篶、原新田などの田んぼはきれいで、農家の人から「こんなところを写して面白いか」とよく聞かれますが、シャッターを切るたびに興奮しています。  一般の人は普通横一で撮ることが多いですが、縦一で撮ると奥行き高さが出て、風景が違ってきます。また、少し構図とか絵柄などを考えて撮ると、迫力や力強さが出てきます。線やマス、陰影、色合いなどを大事にしてみると、写真の面白さが増します。ズームや望遠レンズを使えば、手前と奥の距離感が縮まり、「残雪 聖岳」のように、迫力ある写真になります。挑戦してみてください。 六月半ばになると、お花畑になっている「天竜川のオオキンケイギク」や北海道とも見間違えるような広々とした麦畑に出会えるのが楽しい。  夏、ロープウェーで行けるようになった中央アルプスで、観光客が来ないうちに、朝日の陰を考えながら撮ったのが「コバイケソウ咲く千畳敷」です。昨年撮りましたが、この花が広がって咲くのは、三〜四年に一度といわれるので、今度咲くのは来年でしょうか。  宝剣千畳敷が朝日で赤く染まるところを撮影した「モルゲンロードに染まる」は、秋口の冷え込みのきつい朝でした。この十年で、なかなか赤く染まらない状況が進んできました。九月はそば畑も満開で、そばの白い花もしみじみ見ると可愛いいものです。「赤そば畑」「赤そばの道」を撮った箕輪の辺りは、赤い花のそばが多く咲いています。赤いそばは、信州大学の先生が改良して作ったと聞いています。「権兵衛峠の秋」で写っている山の中は、伊那から木曽に抜けるトンネル工事の最中で、道路は閉鎖されていましたが、お願いして奥まで入らせてもらいました。  宝剣千畳敷から南アルプスを見ると、富士山の真上から太陽が出てきます。一月二日に撮影に成功した「明けゆく南アルプス」。この光景を地元テレビ局に教えたところ、私も立ち会ってテレビ放映したこともあります。雪の宝剣もよく撮りますが、いつもテントで野宿となります。  以上でスライドは終わりです。今日はサービスで未発表の写真もお見せしました。 (拍手)       


H14年度の総会の講演要旨

私の取材ノートから
松平 定知


みなさんこんにちは。NHKの松平でございます。後藤さんからお誘いを受けまして伊那北高校関東同窓会の皆さんのお席でお話をさせていただくことになりました。ギャラは安くはないんですが今日は大サービスでまいりました(笑)。さて、今日は私が手がけているいくつかの番組の中から「その時歴史が動いた」を中心に番組制作の基本姿勢やエピソードなどをお話ししてみたいと思います。時間があまりありませんのでできるだけかいつまんでお話ししましょう。私は番組を引き受ける際、3つの掟と1つの約束を決めました。3つの掟とは「徹底した現場主義」と「徹底した専門家主義」それに「徹底した実証主義」です。例えば、常に現場が主でスタジオが従なんですね。ですからスタジオのセットの中ではなく、アッピア街道の石畳に残された轍の上に立って話すことが重要なんです。専門家主義を貫き、無名でも一心にそのことを追求している人に出演してもらう方針も決めました。視聴率アップのために有名人に頼ることはしないんです。仮に、加納姉妹が坂本龍馬の大ファンであったとしてもご遠慮願わねばならない。個人的には残念ですが(笑)、専門家主義を貫くとこういうことになる。3つめの掟である実証主義とは、言葉を変えていえば「話を作らない」ということなんです。あっと驚くような話でもエビデンス(証拠)が無ければ放送しない。実は、エビデンスがないために放送できない惜しい話がいっぱいあるんですよ。一つの約束とは「嘘をつかない」ということです。ここだけの話なんですが、実はTVは案外ウソが多いんですよ(笑)。美しい女優が目薬で作った涙をながすと皆ころっといってしまう。史実では雨天であった桶狭間の戦いがドラマの都合で晴れ上がってしまう。でも、ドラマならまだ許せますね。ところがドキュメンタリーやニュースではこれは絶対許されません。私は、視聴者の1割は見るプロであると思っています。こういう人たちはリハーサルがつきものの録画放送での涙がウソであることを見抜いてしまんですね。人間そう何度も泣けるもんじゃない。「見るプロ」からも評価される番組を作ろうというのが私の番組のモットーでもあるんです。おかげさまで、「その時歴史が動いた」は平均で13%の視聴率を頂いています。先日のフランス革命を取り上げた放送では16.3%の高い視聴率を記録しました。これで私も鈴木健二さんに勝った(笑)。高い視聴率を支える要素は2つあります。一つは、歴史は日々新たであるということですね。新しいエビデンスの出現によりこれまでの通説がひっくり返ることは希ではありません。もう一つは優秀なスタッフです。史実に則った何か新しいものを制作したいというどん欲な彼らの姿勢が番組を支えているんです。 打ち合わせの時刻の5時が刻々と近づいてきてしまいました。最後に、プロ根性でいわせていただきますが「毎週水曜夜9時15分をどうぞご期待下さい」。ご静聴ありがとうございました。(拍手)


チベット・ヒマラヤ探検16年
北村 皆雄


ご紹介ありがとうございました。私は伊那北高校の13回卒、1942年生まれですので、今年60歳の還暦を迎えます。大学を卒業して以来、記録映画やテレビドキュメンタリー作品を演出したり、プロデュースしてきました。その中でも、特に興味を持って、チベット・ヒマラヤを舞台に10数本の作品を作っております。今日は、その中から、聖なる山を捉えた作品の一部をご覧いただき、日頃考えていることを少しばかりお話したいと思います。それは、私たち日本人にとって「山」とは何か?ということです。私たち伊那人は、山に囲まれ、山とともに暮らしてきたといって良いと思います。そうしたことに少し触れながら、私のささやかな体験を通して、<山>というものを考えてみます。私は、45歳の時、テレビの仕事で、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)に3ヶ月間、登山隊に同行取材することになりました。翌年には世界ではじめてチョモランマの頂上からテレビで生中継をやろうという企画でネパール側の取材責任者として参加しました。私の登った6200m地点では酸素が地上の半分以下になります。高山病にかかるとちょうど2日酔いのような症状になり、ひどいときは、呼吸困難になったり、顔がフルムーン、つまり満月のように膨れあがってしまいます。私は、今までそうした高山病には不思議にかかりませんでした。さて、欧米人は、山をどう捉えているのでしょうか? ヒマラヤで出会う欧米人は、「よく山を征服する」といった考えを述べます。それに対して、アジアの人たちは山を信仰の対象として見ています。第2次マナスル登山隊はネパールの村民から「山の神の怒りを招く」、「山を汚す」として反対され中止に追い込まれました。登頂に成功した第3次の槙有恒隊長は「征服ということばはどうも私たちにはなじみません」と言いました。そんなことから、私は常々アジアの人たちの山への信仰といったものがどこからくるのか探って見たいと思っていました。なぜ山を崇めるか? 山を信仰するのには、;次の3つがあるのではないかと、私は考えています。その一つは<薬草のあるところ>、二つは<水の源>であること、そして三つ目は<死後の魂の行く場所>です。ごらん頂いた3つ作品、不思議な植物ダイオウを取材した「時空の花園」、伝統医学を取材した「薬草の花園」、チベットにあるカイラス山を取材した「チベット大河紀行」はこうした考えから制作したものです。時間があまりなくて準備したお話をかなりはしょってしまったのですが、実は、私たち伊那人に馴染みの深い駒ケ岳も、カイラスと同じように伊那の人々にとっての聖なる山、信仰の山なのです。私のチベット・ヒマラヤ探検は、伊那へたどり着くための16年であったということもできます。こうして、伊那の山、駒ヶ岳に到着した所で終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました(拍手)