| 世の中、毎日いろいろシンボリックな出来事があります。そんな出来事についての私なりの感想を綴ってみました。 11月25日(水) 漁場は近いにもかかわらず、新潟のブリは富山のブリの6〜7割の値段で売られてきたそうだ。そこで新潟県は、脂肪分を指標としてブリを選別し、脂がのった高級ブリのブランド化に乗り出したとのことだ。 ブランド化は、今日、イメージ戦略だけでは難しくなってきている。次々と新しいイメージが展開・氾濫することによって、一つのイメージがあっという間に陳腐化していくからだ。 ということは、イメージではなく、実態で勝負していかなくては、ブランド化は難しいということになる。 実態とは、ありのままの姿ということだ。それを正確に掴み、分かりやすく伝えることができれば、ほとんどの人はその良さを理解してくれるだろう。新潟県が進めていることは、正解だと思う。 ブランド化は、やっとリアルになってきたということだろうか。 11月19日(木) オバマ大統領のお辞儀がアメリカで物議をかもしている。両陛下と面会した際、握手しながらお辞儀した姿を問題にしているらしい。 「お辞儀」は、屈服とか謝罪とか従属とかといったことを意味しているわけではない。日本の日常生活の中では礼儀、つまり相手に対する敬意の表現と言える。日本人にとってはごく普通のことで、文化なのである。 異文化の人にとっては別の意味を含むこともあるかもしれないが、日本の中でならごく普通の景色である。問題にすること自体、なにやら言いがかりめいた感がある。 海外との交流がどんどん活発になってきているが、案外、文化に対する相互理解はそれほど深まってきてはいないのではないか。 そういうことを気づかされた出来事であったように思う。 11月15日(日) 奈良県桜井市の遺跡で3世紀前半の大型建物跡1棟が見つかった。ここは邪馬台国の有力な候補地とされることから、その中枢施設の可能性があるということで大きなニュースになった。 しかも、以前発掘された小中規模の建物跡3棟と同じ方位を向き、その中軸線も東西の同一直線上に並んでいるということから、高度に計画的に配列された建物群ということになるという。 こういう話を耳にすると、人は想像力を働かせるものだ。やっぱり邪馬台国は奈良にあった、という大胆な結論を導きだす人もいるだろう。 でも、考えてみれば、歴史は、洋の東西を問わず、書き換えられるためにあるようなものだ。 今回の発掘結果も最終的な結論を導きだすということにはならない可能性が大きいと思うし、別の驚くような事実を明るみに出してくれるかもしれない。 一つ一つのニュースに一喜一憂することなく、のんびりと歴史を楽しみたいものだ。歴史的どんでん返しはまだまだたくさんあるような気がする。 11月10日(火) J1ジュビロ磐田が元日本代表のFW中山選手に対し、来季の選手契約を結ばないと通告したそうだ。同時に、チームアドバイザーとしてクラブに残るよう要請したという。 普通なら、功成り名を遂げた人が歩む理想的なキャリアだろう。将来は指導者に、監督にとなる。要請されて気分の悪いはずはない。 しかし、中山選手は断ったそうだ。まだ現役を続行したいという理由から。今季、公式戦の出場は2試合のみだ。それでも、である。 彼にとってサッカーとは、見たり教えたり考えたりするものではなく、楽しんでプレーすることなのだろう。 そこに、スポーツの本質があるように思う。楽しんでいる限り、彼は進歩し続けるのではないか。 11月9日(月) 月曜の夜8時といえば「水戸黄門」。放送開始から40年にもなるという。すっかり国民的なテレビドラマになった感がある。 いろいろな俳優が黄門様を演じた。今の人は5代目だという。人それぞれに好きずきがあるから、誰が一番とはなかなか言えない。 しかし、こうも長く番組が続いたのは、やはり最初に演じた役者さんが良かったからだろう。 黄門様は庶民の味方というイメージがあるが、演じるのはなかなか難しいと思う。俳優以前に、人間として庶民の味方という根があったのではないだろうか。 そう考えると、この番組の人気が高いのは、現実の政治にこのような人がいたらという思いの裏返しのような気がしてならない。 11月8日(日) 国への行政手続きを市民がインターネットで行う電子申請で、総申請数に占める電子申請の割合が1%未満のシステムは2割弱あったそうだ。 要は、作ったもののほとんど使われていないということだが、これこそ正真正銘の税金の無駄遣いと言えるのではないだろうか。 こういうことは民間でもあると思う。違うのは、無駄だと分かったらすぐやめるという点だろう。でなければ倒産してしまうからだ。 利用率1%以下ならすぐ廃止ということが、今回の場合に当てはまるのか否かははっきりとは分からない。 しかし、明確な基準を作って、存続か廃止かを判断できるようにしておくことは必要不可欠だと思う。 変化の激しい時代である。廃止することを前提にした制度設計は当たり前にしてもらいたい。 11月6日(金) トヨタがF1から撤退するそうだ。 金融危機以来の販売台数の落ち込みによる赤字決算に加え、ガソリンエンジンの技術力を証明する舞台で踊っていても、ブランドイメージの向上には役立たなくなってきたという判断があるようだ。 東京モーターショーの魅力が激減したことと相通じるものがある。 今、時代は決定的な転換を迎えようとしているかのように思える。 車の存在意義とは何か。いや、あらゆるものの存在意義を問い直さなくてはならないかもしれない。 そういうところにもう一度立ち戻って考え直すと、生活の有り様や豊かさの新しい基準が見えてくるのかもしれない。 11月2日(月) 新型インフルのワクチンのニュースで新聞が賑わっている。 感染した子供が重症化したことで、何やら急に緊迫感が増してきたようだ。 早くワクチンを射たなくてはと思う人が加速度的に増加したら、一体どうなるのだろうと思ったりもしてしまう。 何事でも、新型というのは旧型の短所に改良を加えてより良くなったことをアピールするものだ。 インフレエンザの場合は、旧型に対する薬には負けないということになるだろうか。 薬が新型インフルを生み、新型インフルが新たなワクチンや薬を生む。 これは正真正銘の堂々巡りのような気がするのだが。 10月28日(水) 秋の味覚マツタケの「多国籍化」進んでいるという。 輸入先は、中国はもとより、米国、カナダ、モロッコ、トルコ、そしてフィンランドまで。でも、これで終わりではなく、まだまだ増えそうな雰囲気があるという。 新聞を読んだとき、マツタケはアジアにしかないものとばかり思っていたから、なぜ今まで入ってこなかったのかと少し不思議な気さえしたが、やはり違いがあるらしい。 味である。それぞれに少しずつ特徴があるという。生まれ育った土地が違えば、姿形は似ていても、味は違う。ごく当たり前の話だ。 ということは、姿ばかりに気を取られていると、とんだ味に出くわすかもしれないということか。 10月25日(日) 和歌山県太地町のイルカ漁を告発するドキュメンタリー映画が東京国際映画祭で上映されたことが話題になっている。 イルカは知的な哺乳類で、好感度の高い動物である。そのイルカを残酷な方法で殺して食べているというので、映画製作者はその事実を世界に伝え、漁をやめさせようと考えたのかもしれない。 しかし、イルカ漁には歴史があり、漁師の生活を支えているというのも事実である。 また、映画がイルカ漁を取り巻く全ての状況を公平に扱っているということでもないだろう。であれば、この映画一つで全てを判断できるわけではない。 映画製作者には意図があっただろう。イルカ漁を再考するきっかけを作りたかったというのであれば、それは成功だと思う。でも、イルカ漁をやめさせたいというのであれば、それは判定不能ということではないだろうか。 10月24日(土) 東京モーターショーが集客に必死らしい。 海外有力メーカーがこぞって出展しないこともあり、あの手この手とさまざまなイベントを企画して話題をふりまいているとのことだ。 90年代のショーでの賑わいにはすごいものがあっただけに、この落差は大きい。多くの人は、次世代の車に対してもう何も期待していないのかもしれない。 それを、自動車業界だけが見て見ない振りをしているかのような。 かつてエネルギー革命が起こり、主役は石炭から石油に代わった。同じようなことは自動車には起こらない、とは誰も言えないだろう。 10月23日(金) 奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳で、全面に朱が塗られた竪穴式石室と、木棺が確認されたそうだ。 塗料は当時貴重だった顔料の「水銀朱」で、200キロ以上使われたとのこと。 サイズは最大級で豪華さも超一級。葬られたのは相当位の高い人だったことは間違いないだろう。 でも、赤い石室に赤い木棺。お墓にしてはお洒落だ。今なら、ちょっと考えられない。何だか、異質な文化の香りがしないでもない。 墓は文化的シンボルの一つだろう。年代を追ってお墓のデザインをたどっていくと、日本の文化的変容の軌跡がたどれるはずだ。 我々はどこからきたのか。我々は何者なのか。そして我々はどこへ向かうのか。 古墳のニュース一つでも、想像力を働かせると違う世界が見えてくることがある。今日は「朱」という言葉に大いに刺激されて、妙に興奮してしまった。 10月21日(水) サントリーが遺伝子操作で開発した「青いバラ」が、11月3日から売り出される。 研究開発投資は20年間で約30億円というから、大変な努力の上に花開いた期待の新商品というところだろうか。 青は知性の色であるから、まさに知の結晶に相応しいと言えなくもないかもしれない。 しかし、自然にない花という意味では不自然な花である。生花と造花の間にある花とも表現できようか。 自然にないから商品価値は大きい、と感じる人もいるだろう。でも、だからといって自然の美しさに勝る美しさはあり得るのだろうか。 なぜこの花は生まれたのだろう。 この問いに正面から応える何かがない限り、誰からもアプローズされるということになならないのではないか。 10月19日(月) 気象庁と気象情報会社「ウェザーニューズ」が論争しているとのことだ。どうも台風18号の上陸地点について、双方の主張に相違があるらしい。 ただ私には、台風の上陸とは一体どういうことなのかがよく分からない。暴風域に入ることなのか、あるいは台風の目が上陸することなのかでは全然意味が違うだろう。 素人目には、台風の影響が出たのなら、それは上陸ということになるんじゃないのか、と思いたくなる。 予報の精度論争もいいけれど、現実の暮らしに有効であればそれで十分、という人が多いように思うのだが。 10月18日(日) インド洋に浮かぶ楽園、モルディブで大統領と閣僚が潜水服を着て深さ6メートルの海中に潜り、閣議を開いた。 ただのパフォーマンスではなく、地球温暖化の危機を訴えるのが目的だという。実際、国際社会に対して二酸化炭素の排出削減を求める決議を承認したということだ。 サンゴ礁の島々からなるこの国は標高が低く、温暖化による海面上昇が進めば国土の大半が水没すると予想されている。 ただ、それだけ海面が上昇すれば、影響は世界中に及ぶ。他人事ではないのである。 海中での閣議は未来の姿ではない、と笑って言い切れる人は誰もいないのではないだろうか。 10月17日(土) 東京都墨田区で建設中の「東京スカイツリー」の高さが、610メートルから634メートルに変更されることになったそうだ。 何でも、中国の広州で建設中のテレビ塔の高さが約610メートルで、完成時に『世界一』を謳うために変更を決断した、ということらしい。 でも、もっと高いタワーが建てられそうだとなったらどうするのだろう。また、高さを変更するのだろうか。 『世界一』なるものは、毎年のように次々と交替している。『世界一』でなくなったからといって、いきなり意味のないものになってしまうわけでもないだろうに。 そういえば『バベルの塔』という伝説があるが、あれは確か最後に崩れてしまったような。 10月14日(水) 「ミシュランガイド京都・大阪版」の内容が発表されたそうだ。 でも、いろいろな店や料理のおいしさを評価して順位付けすることはどうなのだろう、といつも思う。 店の雰囲気やおいしさには、当然個人の好みも入ってくる。また、料理の上手下手と美味しい不味いとは必ずしも相関しないだろう。 厳密さはあるかもしれないが、それは料理を味わって楽しむことと次元の異なる無味乾燥した味気ない数字の世界のように思える。 掲載や写真撮影を拒否した店も多かったという。何やら大事なことが守られたような気分になったのは、私だけではないだろう。 10月12日(月) サッカー天皇杯予選で、J1浦和が北信越リーグ所属の松本山雅(長野)に0-2で敗退した。 浦和よりリーグのレベルとしては三つ下のチームにである。思わず「えっ」として、絶句したファンも多いのではないか。 なぜか。 油断した、という言葉一つでは説明しきれない深刻さが感じられる。 個々人のやる気のなさ、チームとしてのまとまりのなさ、根本的な準備不足 等々。いろいろな要因が影響し合って最悪の状態を招いた、ということなのだろうか。 月並みだが、試合はやってみなければ分からない。そこにスポーツの面白さと怖さがある、ということだけは証明されたようだ。 10月11日(日) 「広島・長崎 五輪招致めざす」。 なんともショッキングでインパクトあるニュースだ。 確かに、世界中を見渡しても、この両都市共催の五輪は、いかなる都市の五輪よりも深く重い意味を持つだろう。特に、現在のような時代においては。 実現すれば、多くの人々がこの両都市を訪れることになる。平和の尊さと生命の躍動。今までの五輪とは次元の異なる体験をすることになるのではないか。 実現するためには現実的な問題も多々あるだろう。しかし、検討する価値は十分にある。 10月2日(金) 総務省によると、8月の完全失業率は5.5%で、過去最悪だった前月から0.2ポイント改善したそうだ。しかし、良くなったと実感できる人はいないだろう。 悲観的な人は、もう日本には仕事はない、とまで考えているのかもしれない。確かに、今までの仕事はほとんど海外へ移っていく、と考えた方がより現実に近いだろう。 でも、だからこれで終わり、ということではない。 こういうときこそ、今までにはなかったがこれから必要とされる仕事を試行錯誤すればいいのではないだろうか。 それは、高齢者向けかもしれないし、地方向けかもしれない。また、ほかの誰か向けかもしれない。 現在、何らかの助力を必要としているところはすべて候補になる。 そういう一歩が踏み出せたら、完全失業率の変化に一喜一憂することもなくなるだろう。 9月29日(火) 2016年の夏季五輪の開催地は、10月2日に決まるそうである。立候補しているのは、東京のほか、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードの計4都市。 でも、何か遠いところの話のようで、日本あるいは東京にとって大事なことなんだ、といった雰囲気はほとんど感じられない。少なくとも私の周りではそうである。 そう、多くの人にとって、今、それどころではない。今日の仕事、今日の生活、今日の食事といった問題をどうやって解決していったらいいのか。ほとんどそういうことで頭が占領されてしまっている からだ。 年間自殺者3万人の国に住む人間が、今、切実に求めていることは何か。そういうところから考え始めると、結論は五輪招致ということになるのだろうか。 9月27日(日) 昨年4月に現役に復帰したクルム伊達さんが、女子テニスの韓国オープンで優勝した。 1996年のトーシバ・クラシック以来13年ぶりで、しかも39歳というツアー2番目の年長での優勝だ。 すばらしい、の一言につきる。 現役復帰当時、だれしもが思ったのではないか。大丈夫か、と。何年ものブランクの末に、どうして今更、とも思われたかもしれない。 伊達さんの胸の内は、正確には分からない。しかし、何か秘めているものがあるだろう。信念なのか、夢なのか、あるいは訴えなのか。 いずれにしても、年齢なんか関係ないということが根底にあるはずだ。 その優勝が多くの人に勇気を与えるということは間違いない。 9月26日(土) これまでに人類が見つけたり作り出したりした化学物質が5千万種を超えたことが、米国化学会のデータベース登録件数から分かった、とのことである。 自然にあるものがどれくらいで、人工的に作られたものがどれくらいかは分からない。しかし、率直に言って、異常に多いと思う。 こんなに多いと、それぞれが無害なのか有害なのか、役に立つのか立たないのか、宙に舞うのか舞わないのか、はたまたいつか自然に還るのか還らないのか、完全には掴めていないだろう。 いや、掴むことをとっくにあきらめているのかもしれない。 それではもう、出たとこ勝負しかない、ということなのだろうか。 何でも、多すぎると手に余るものだ。気をつけないと。 9月25日(金) 大鵬こと納谷幸喜さんの話が新聞に連載されていた。 いろいろな思い出話を読んでいくと、ものすごく苦労したんだ、と改めて感心してしまった。 でも、一番感心させられたのは、その努力の積み重ねだ。32回も優勝した人だから、誰もが相撲の天才と考えてしまうが、実は人一倍の努力家だったのだ。 「天才」という言葉があまりに似合いすぎて、強さを支えた「努力」を平凡すぎる言葉として不適当としてしまったのだろうか。 だとしたら、相撲界は大変な損失を被っていることになる。 天才ならば目標とするには難しいが、努力家ということであればこれ以上の目標はないと思うからだ。 連載の最後にこうあった。「こつこつ、こつこつ。毎日少しずつ努力して、自分を伸ばしていく」、と。 9月24日(木) 「八ツ場ダム」という名称が新聞にあふれている。 それは無駄遣いの象徴のように扱われているように思うが、本当のところはよく分からない。 話が何かもやもやしているのである。大事な話をすっ飛ばして結論のところだけで角突き合わせている印象、と言えばいいのだろうか。 ダム建設には今までの経緯がある。治水利水の観点もあるだろう。現時点での評価を明らかにしてもらえれば、もう少し冷静な議論ができるように思える。 意地を通せば窮屈だ、とはよく言ったものだ。今、まさにその通りではないだろうか。 ダム問題は政党の意地の問題ではなく、関係する住民・市民の生活と環境の問題であるはずだ。 まずそこに立ち返ることだろう。そこに解決の糸口があるはずだ。 9月23日(水) 鳩山首相が、ニューヨークで日本の温室効果ガスの削減目標を国際的に宣言した。この「25%削減」という目標は、世界各国から高く評価されたとのことだ。 確かに野心的だ。だからこそ評価されたのであるが。 ということは、この数字は、今後、言わばシンボルとして機能する。達成すべき目標として約束したのだから。 現実的ではないとの声もあるが、あまりに現実的であれば目標とはいえないだろう。 現実を超えているからこそ、今までの延長線上にではなく、何か全く新しく画期的な発想が求められるようになる。そこに大きな意味があるのではないだろうか。 今後、日本初のエコ・イノベーションが増えるような予感がする。期待したい。 8月17日(月) 今、世界各国が外来の害動植物に頭を痛めている。 米国テネシー州にある約2100平行キロの広大な公園では、そこのモミ属の木の95%が小さな昆虫のために枯死したというし、欧米では日本から持ち込まれた植物が草原や河川敷を埋め尽くし、英国では年間対策費に2500億かかるという見積りもあるという。 そこで、この問題に対する新対策が近年導入されてきているが、それは害をもたらす動植物に天敵をぶつけてその増殖を困難にしようとするもので、「生物防除」と呼ばれているものだ。 「毒をもって毒を制す」という諺の通りの方法かと思われたが、よく考えるとそれ程単純でもなさそうだ。要は、また新たな外来の動植物を運んできて広めていくということなのだ。 害動植物には効果があるかもしれないが、別の問題を生むという副作用もあるかもしれない。人間は、問題を解決しょうとして新たな問題を作りだしているだけなのか。 8月14日(金) 新聞にはこの頃、戦争関係の記事が多い。毎年のことであるが、悲しい記録・記憶は読む人の心に何かを残していく。そしてそれには、必ず後世に伝えなければならないと思わせるものがある。 私の父も戦争に行った。その頃のことをあまり多く語らなかったが、何かをポツリと話すときの目は遠い異国を見つめているかのようで、しかも物悲しそうであった。 記事を読んでいると、多くの人が何かを思いでの入口にしているようだ。ハーモニカ、千人針、軍服で作ったバッグ…。それぞれに思い出さずにはおれない鮮明な情景が込められており、決して色褪せることはないのであろう。それ程までに人の心に刻み込まれた思い出。 そういった思い出を出来るだけ多く集めて記録に残す。それが、今生きている人の務めであると思う。 8月13日(木) 11日朝、駿河湾を震源とする地震が起こった。午前5時7分ごろだから、いつもはまだぐっすりと寝ている。しかし、ほんの僅かな揺れで地震に気がつき飛び起きた。 私が住んでいるところは震度2だった。ちょっとバタバタしていると気がつきもしなかったかもしれない。それなのに、である。 実は、私は14年前の阪神・淡路大震災を経験している。あの地震を経験した人の中には、午前5時46分前後になると目が覚めるという人もいる。私にも少しそういう部分があるのかもしれない、と今回思った。 強烈な経験をした時間が体内時計に記憶され、その時間が来るたびにアラームを作動させる。生存本能に含まれる予知能力みたいなものであろうか。 でも、さまざまな時間で強烈な経験をすると、一体どうなってしまうのだろうか。強烈さに慣れて反対に鈍くなってしまうのか。 そう言えば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺もあった。 8月8日(土) 今年5月1日現在の文部科学省の調査によると、4年制大学への進学率がこの春、50.2%と初めて半数を超えた。少子化が進む一方で4年制大学全体の定員が増えたことが背景にあるとはいえ、この20年間で倍になったとのことだ。 だが、この数字を一体どのように評価したらいいのだろう。 日本は超高学歴社会になったということなのか、世界でも有数の知的国家になったということなのか、あるいは大学で学ぶことに大きな魅力のある国になったということなのか。 多分、どれも当てはまらないだろう。大学に入ること自体が有する意味は希薄になり続けているはずだから。それは、社会で成功するカギが学歴からアイデアとか目の付け所とか実力といったものに移行しつつあるという現実がある。 なのに、進学率だけは高くなっていく。何かアンバランスだ。それが日本的ということなのだろうか。 8月7日(金) ETC搭載乗用車の高速道路休日一律1千円が6日、首都圏や関西圏などを除く地方で平日にも拡大されたそうだ。 お盆期間中の交通量を分散させるのが狙いだそうだが、大幅値下げによって渋滞発生回数は前年より2〜3倍増える見込みらしい。 高速料金と渋滞発生は反比例の関係にある、ということは理解できる。自分ならどうかと自問してみても、安いなら遠出してみたいと正直に思うし、そうなると相当混むだろうとも予想できる。 でも、いつも安いのであれば、混雑をできるだけ避けられるように予定を組もうと誰でもが考えるのではないか。 この「高速道路一律1千円」が意味あるものになるか否かは、それを恒常的なものにするか否かにかかっているように思う。 恒常的になれば普通の庶民の心理を汲み取っているように思われ、そうならなければただ庶民を振り回しているようにしか見えないのではないか。 8月6日(木) モノの値段の出発点は原価だろう。魚の場合、漁師の取り分ということになると思うが、それは小売価格の約25%らしい。 これを高いと見るか安いと見るかは、素人には少し難しい。ただ、残りの約75%は流通経路で上乗せされるということだから、もう少し工夫すれば、漁師の取り分を増やし、消費者の買値を下げることができるような気がする。 日本の流通は非常に高コスト構造だ、と言われて久しい。漁師と消費者の間に人が入りすぎているということなのだが、なぜかそれが遅々として改善されない。 完成した流通システムを壊して作り直すということが、恐くてかもったいなくてかできないらしい。それはある部分に犠牲を強いることになるからかもしれないが、それを逡巡している間に何もかも失ってしまうかもしれないところまで来た、というのが現在の状況だと思う。 関係者全てが共倒れにならないと新しいシステムを作れないというのは、何ともやりきれない。 8月5日(水) 何かにつけ変化はつきものである。しかし、自らの意志で変化するのか、外部環境の変化をきっかけに遅れまいと変化するのかでは、その内容や効果において大きな差が生じるように思う。 前回のヨーロッパチャンピオンズリーグを制したバルセロナのエース・ストライカー、サミュエル・エトーがインテルミラノへ移籍する。 そのプロセスには紆余曲折があり、必ずしも本人の意に沿ったものではなかったかのような印象を受けるが、新しいチームに合流した時点でその喜びを語っている。内心は分からないが、プロの態度だと言える。 外部環境の変化を自身の心の中で消化し、自ら変化する意思に昇華できたのであれば、新シーズンに向けて準備すべきこととその先にある目標を明確に見据えているに違いない。 是非イタリアに合わせた新しいスタイルを創造し、得点を積み重ねて成功してもらいたい。 8月4日(火) 按摩とマッサージと指圧。どこがどう違うのか、私にはよく分からなかった。しかし、微妙には違うのだろうと思っていたら、戦後「あん摩マッサージ指圧師」という統合された名称になったということを知った。要は、内容は同じで名称だけ異なっていたということなのか。 それはさておき、マッサージの歴史は意外なほど古い。古代エジプトの壁画に描かれていたとか、ギリシャの医師ヒポクラテスがその効用を唱えてギリシャ医学はエジプトやペルシャに伝わったとか。さらに、インドでは約五千年前からアーユルヴェーダ医学体系の一つとして始まったとも言われている。 専門家の調査によると、このマッサージ的なものは世界中にある。人類共通の効果があるということなのだろうか。 もっと調査・研究を重ねれば、どんなに高価な薬でも及ばない何かが発見されるかもしれない。そうなると、誰もがぬれ手に粟か。 8月2日(日) 137日の宇宙長期滞在を務めた若田さんが、スペースシャトル・エンデバーで地球に帰ってきた。 この間、日本の有人宇宙施設「きぼう」を完成させ、その中でさまざまな科学実験を行ったりもしたそうだ。いよいよ宇宙ステーションで生活しながら仕事をする時代が、現実のものとなってきたと言えそうだ。 ただ、長期の宇宙滞在で衰えた筋肉の回復や地上環境に慣れるため、一カ月半程度のリハビリが必要とのこと。まだまだ、地上と同じようにはいかないということだろう。 でも、進歩とは、大抵行きつ戻りつしながら、想定外の事態等も克服しながらだんだんと進んでいくものだと思う。焦らずゆっくり確実に歩んでほしい。 宇宙という未開空間は、決して消えたり逃げたりするものではないでしょうから。 7月30日(木) 大阪府門真市の団地でカタツムリ「ヒメリンゴマイマイ」が大量に見つかり、騒動になっているらしい。 これは欧州原産の外来種で農産物を食い荒らすなどするためか、生きたままの輸入は禁止されている。 フランス料理の食材となるエスカルゴだと聞けばそんなに恐いイメージはないが、この団地では雨が降ると大量に出現し、これまで2千匹以上駆除したと伝えられるから笑い事ではない。 さらに、日本の在来種に比べ繁殖力や生命力が強く、米国では数年おきに農作物の被害が報告されているとのことだ。 趣味の国際化なのかいろんな生き物がペットとして飼われる一方、外来種による生態系への影響が懸念されるようになってきている。 このカタツムリ、被害者のようで加害者として扱われるのだろうか。そうなると、在来種まで一緒に駆除されてしまうのでは。これも笑い事ではない。 7月26日(日) 文化庁が「文化力」プロジェクトなるものを実施していることを、昨日初めて知った。その主旨は『文化の持つ力で、地域や社会を元気にしよう』というものらしい。 そのプロジェクトに、今回「発掘現場から文化力」というものが加わり、ご丁寧にもシンボルマークを作っている。 文化庁記念物課によると、マークは「主に文化庁が補助する発掘調査の現場やその成果の公開事業などで活用していただければ」とのことだ。 何か違う。 まず、文化とは何だろう、と思わずにはおれない。文化庁が認定するものなのだろうか。また、文化の力で地域や社会を元気にするとはどういうことだろう。人気や注目度の高いものだけが文化ではないだろう。さらに、マークを発掘現場や公開事業で活用するとはどういうことだろう。印籠のような力があるようには思えないのだが。 何か場違い的だ。ただのポーズか? 7月25日(土) 「ジャンボ」と言えば「ボーイング747」。その中でも機長、副操縦士、そして航空機関士の3人で乗務する初期モデルが「クラシック」。 その「クラシック」が、この夏で日本の空から引退する。デビューから40年程が過ぎたハイテク化前の旧型機で、性能もさることながらエンジンが4つもあって燃費が悪いからだ。 でも、引退のニュースを聞くと、一つの時代が終わったなという感を強くする。それ程時代を象徴していた飛行機もないだろう。 それは、大量消費とか総中流、あるいは公平とか平等といった価値観と一体化していたように思う。今と比較すると正反対の時代だ。だから尚更感慨深いということもあるだろう。 航空機の主力は燃費の良い中・小型機に移行しているらしい。 しかしそれは、社会が一体感や共有感を必要としない少数分断の時代の到来を意味するように思えてならない。 |
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