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世界のおわり
岡野おじか
1
ガラスコップのかすかな震えだけが真実であるようなこの時代。わたしたちのおしゃべりの何が後にのこるのだろう?
ひらいた手のひらには深さがある。
手のひらの窪みにうっすらと差す影。だからわたしたちはもうひとつの手のひらの上に手のひらをそっとあてがう。男の手のひらの上に重ねられた女の手のひら。
女はいう。「つめたい手だわ」
男は黙っている。
ふたりは海のように広がる都会の黄昏を眺めていた。一人の背の高い男と、やせた女。
女は思う。
(わたしは空いた椅子のうえに腰掛けている。空いた椅子、それがわたしだわ。わたしに向かいあって、あなたはもうひとつの椅子に腰掛けている。
(あなたも、空いた椅子なのだ。・・
家庭を捨てた男と性の悦びが欠けた女。
(わたしたちは心をもたないかわりに、この部屋をもっている、まるでそのようだわ・・
きょう一日何をしたろう。
女はタロット・カードを机の上に広げて、一人占いをしていた。男はきょう一日何をしたろう。女の肩にかかる日差しを眺めていたほか。
女はカードを見る。
女はいう、「きょう、うたたねのあいだの夢でわたしは一人の紡ぎ女だったわ・・・やつれた、疲れた紡ぎ女だった・・・」
男は黙っている。
「なぜかしら。わたしは背がやや傴僂ぎみの女だったわ。一日じゅう紡いでいた。・・・」
女の細い指がカードを動かす。
男はいう。「占っているの、誰を?」
女はしずかに首をふる。運命をもっていない人はいまの時代にはたくさんいる。このひともそうだし、わたしもそうだ。
「わたしが占っているのはあなたでもないし、わたしでもない。時間の流れを感じようとしているの。手の中の一枚一枚のカードは違う時間を意味している。わたしは時間を手で触っていたいのよ」
どんな運命をもっていない人ほど占いにむいているなんて不思議なことだ。
部屋にはつねにかすかな物音がする。
あれは何の音だろうか。どこかで乾いた音がする。小さな物音がする。
男は思う。
(そう、世界を歩いているのは人の形をした影にすぎない。
(時計が二つ打つとわたしたちは散歩にゆく。わたしである影は世界をひと回りして、家に帰ってくる。するとわたしの中は世界でいっぱいだ、部屋のまん中でわたしはそれらをふるいおとす。ふたたびわたしはからっぽになる。
女がいう。「どうやって生きていけばいい?・・・」
男はいう、「時がわたしたちを滅ぼしてゆくのとおんなじ速度でわたしたちは生きてゆけばいい」
女はいう。「あなたはそれでもいいの?・・・」
男はいう、「落ちてゆく速度にあわせて落ちればいい。それよりもはやすぎず、それよりもおそすぎずに。それと等速度で。絶望もなく希望もなくこうやってふたりでここに腰を下ろして。時はゆるやかなゆるやかな落下であればいい。今の時と等速度でわたしたちは落ちてゆけばいい・・」
(ながい、終わりのない午後としてのわたしたちの生。ながく、おわりのない。ながく、おわりのない午後。
男は思う。
(ガラスコップの小さなふるえ。何もない。何も起こらない。何も意味しないかすかなふるえ・・
(この世界の、そしてこのわたしの体の中にある奇妙なふるえ。わたしたちにガラスコップのような肉体があるのは、それはわたしたちがわたしたちの奥にあるコップのふるえと共にふるえるためだ。・・
女は黙っている。
男はいう。「わたしたちはたがいに、なんと冷たい体をしているのだろう」
ガラスコップの置かれた部屋がわたしたちの住む部屋。そこにおかれた透明な、無口な二つの肉体。透明な未使用の性器。ガラスで出来た。
ふたりの部屋に白い日差しがひろがる。
長いながい午後。
わたしたちはくりのべつづけられる。わたしたちは始めも終わりもなく、くりのべつづけられ、くりのべつづけられ、くりのべつづけられている。何のために。
長く雨が続いた後の久しぶりの快晴の日、ふたりはベニスのサン・マルコ広場のカフェにも同じように腰を下ろしていたはずだ。あの時は海の風が吹いていた。日差しが鳩の歩む石畳にふたりの影をなげていた。アテネでも、アレクサンドリアでもそうやってふたりは腰を下ろしていたのだ。ふたりにはどの場所でもよかったのかもしれない。あるいはそうしているしかなかったのかもしれない。
二月ほどの旅行の後、ふたりは帰国し、東京の一つの街に腰を下ろしている。何も思い出を持ちかえらず、ただ地上からいなくなっていたかのように。
ときどき忘れかけた回想のように繰り返される情事。たがいに口を寄せ、冷たい体を寄せ合って。
情事といっても、抱き合うことしかできない。男は不能、女はマネキンのような不感症。まるで死人同士のセックス。
それは情事ではない。ガラスコップのように透明な肉体がベッドに二つ並んで置かれるだけだ。かなしいほどに身を寄せ合って。
肉体をもたないものは心をもたない。ふたりにはだから心がないのかも知れない。ふたりはそう感じている。
女「それはいつの詩人?」
男「ゲーテの時代の詩人さ。十八世紀、ドイツの。ディオティーマとの愛を苦しんだ。発狂した」
女「あなたはいつもその本を読むわ・・・」
男はかつてその詩人を授業で話したことを想い出す。もう十五年も前の話だ。
女「あなたは家に帰らないの」
男は返事しない。
女「わたしと一緒に住んでいるなんて知らないで、あなたを待っているかも知れないわ」
男「もう終わったんだ。もう待っていないさ」
女「そうね。きっとそうでしょうね。でもあなたは自分まで家に置いてきたみたい・・それでもいいの?」
男は妻を想い出す。
男はある日、妻を愛せないことに気づいた、妻の実の妹ほどに。その痩せた妹と、精神的としか表現できないような心の絆が十年以上も続いていたが、その日、ドアの後ろでふたりは震えながら互いにしがみついた。そして職場から逃れ、家庭から逃れて、彼はその義理の妹と出奔し、ミラノ行きの航空券を買った。
妻よりもその妹である女をなぜ愛するようになったのかわからない。だがふたりには共通点があった。女には結婚をとうにあきらめていた生殖器の障害があったし、男もすでに二十代から性的に不能だったからだ。だが男女は生活を捨て、すべてを振り捨てるためかのように、一緒に旅に出た。それはなぜかはわからなかった。たぶん愛としかいいようがないだろう。ふたりは一緒に暮らし始めたが、再婚は考えなかった。もともとこの男女に肉体的な結合は一、二度試みられただけだったし、もちろんそれは失敗した。だがそれでいいのだった。ふたりには官能が欠けていたが、それでいいのだった。
ふたりはまるでどんな肉体をもたないかのように、二つの影であるかのように、寄り添って生きた。その二つの影は、過去も未来も持たなかった。
ふたりはイタリアに着いても外出せず、ホテルのベランダにばかりいた。眺めのいい一部屋があれば十分だった。
ふたりはただ、ふたつの影になりたかったのかもしれない。ヨーロッパのどの都市でもそれはよかったのかもしれない、寄りそうふたつの影を石畳に置くことが出来さえすれば。
男はアテネの青い空の下で不意に思ったりしたものだ、自分が失われた何かをここに探しにきているのだと。それは心の錯覚にすぎなかったが。
(わたしは割れてしまった陶器のかけらをポケットのどこにしまったのだろう?それは空のように青かったはずだ。生には意味がなく、意味がなくて高さだけがある。これは不思議なことだ。それはどこかになくしてしまった小さな陶器のかけらの青色に似ている。・・
男の前にはいつもヘルダーリンの詩集があったが、それは彼の挫折した博士論文の不幸なテーマであった。しかし彼はたえずその悲しい著作の頁をめくりつづけている。
日本に戻ってきてからふたりは郊外のマンションの一つの部屋を借りたが、彼らに誰も気を留める者はいなかった。マンションの住民も、近くの公園を散歩している子供を連れた女たちも、街を歩く男たちも、みな疲れた顔をして自分以外の家庭に無関心だった。誰もがふたりと同じように影のように歩いていた。ふたりは周囲から孤立していたが、何も望んでいなかったから、幸福でも不幸でもなかった。無希望な生活ではあったが、無希望とは決して絶望ではない。無希望とは今の時代に生きる人間すべてにあてはまる性質であり、彼らに何ら特別なことはなかった。誰もが彼ら同様に互いに孤立して生き、未来のない現在を生き、妊娠のない性生活を生き、同様に幸福でも不幸でもない生活を送っている。現代とはそのような世界であり、その中でふたりの生活は他と何の違いもなかった。
ふたりは午後になると一緒に散歩をし、毎日同じようにベランダに坐った。
やや大きめのベランダで、小さなテーブルと白い椅子が置ける。いくつかの空の植木鉢のための棚が隅に置かれている。
大きく傾いた日差しの中で男は本を広げている。
女はいま、自分と向かいあわせにいる者の、その愛する顔を見る。
その顔はどんな顔とも似ていない。ちょうど自分が自身によく似た顔をひとつも想像することができないように、女はその顔と似た顔も思い出すことができない。その顔はいかなる顔とも似ていない。その顔は決して他の顔と混じりあうことがない、そしてその顔は疲れており、うつむいている時もその顔は自分をいつもまっすぐに見つめているような気がする。
(愛するひと、わたしの愛人よ、わたしがあなたに属するように、あなたはわたしに属する。だが、あなたの愛はわたしには属しない。あなたの悲しみはわたしの手がとどかない。あなたの疲れた顔はわたしにとってどうしようもない。わたしたちの性の不能さはわたしたちの中の異質な石だ。・・
(愛するひとよ、わたしはあなたを抱くことができる。だがわたしには、あなたがあなたの体の中に抱いている冷たい石を暖めることはできない。わたしの中にある石をあなたは抱くことができないように。そのお互いの石によって、あなたとわたしは一緒に寝ながら全く見知らぬ者となる。・・
(ベッドの中に横たわったあなたはわたしをやさしく包みこもうとする。でもわたしたちは互いの冷たい石を抱いて眠るだけだ。・・
ふたりはお互いにうつむいて、まるで無言で互いの名を呼び合うかのように一緒に坐っている。
不意の微風がテーブルの上の一輪の花の上を吹き過ぎてゆく。
女はまた思う。
(この人は悲しそうな顔をしている。
(わたしはこの人を悦ばせてあげることができない・・
(わたしにはできない・・悦ばせてあげることが。
(でも、不思議だわ・・わたしたちはなぜ一緒にいるんだろう・・・わたしたちを占ったとき、ある日カードがいつか語ったように、この人はわたしと前世で一緒だったのかも知れない。・・あるいは前世でこの人と一緒に心中をしたのかも知れない。だからなのかも知れない。ふたりが体で愛しあえないのはその罰かも知れない。・・
女はまた思う。
(むかしにも今日一日のような日があったのかしら。今日一日のような日がずっと続いていたのかしら。百年も千年も。
(千年ものあいだ、私は糸を繰りつづけた。そんな気がする・・
(糸繰り車のからからという音が聞こえる。わたしの背が少し傴僂なのは、そのせいかしら・・
(わたしはまるでグリムのおとぎ話のなかの老婆のようだ。たしか子供を食べてしまうのだわ・・
(もう大学図書館は使えない。わたしの博士論文は永遠に終らないだろう。・・
(もうどんな職につくこともないだろう。・・
男は大学を辞めてからわずかな翻訳の仕事があるだけだ。女は占い師として働いている。週に数回、夜中に出かけてゆく。
女はすでに三十五を過ぎ、やつれてみえる。似合う色は黒だけだ。
(わたしたちは午後五時になると一緒にコーヒーを飲みます。ベランダに腰を下ろして、向かいあって一つのテーブルをはさんで。・・
女はミルク・ポットをカップにそそぐ。
ふたりの会話は夕べの微風のようにとぎれがちになり、不意に静止しては続く。
「むかし、ノスタルジアという映画があったね、憶えている?」
「ノスタルジア?わからないわ」
「タルコフスキーのあの映画。好きだったんだ。一緒に見に行ったろう?あの景色を見るためにイタリアに行きたかったんだ」
「憶えてないわ。・・・その景色は見れたの」
「いいや。でも、もうそれはいいんだ」
「教会の景色?」
「いや、ちがう」
男はしばらく黙り込む。
女は思う。
(向かいあって一つのテーブルをはさんで坐っているわたしたちは、まるでむかし死んだ恋人たちの影のようだ。・・
(まるで・・まるで心中した後、死んで肉体を無くしてから、再会を果たした恋人たちのようだ。どういう名前だったのだろうと、ぼんやり前世のことを想いだそうとしている死んだ人たちのようだ・・
「ミラノに着いた途端、トスカーナのどの都市だったか想いだせくなっていたんだ。本当にそれが行く理由だったのか自分でもわからなくなった」
「そう」
「けっきょくベニスに行って、どうでもよくなった」
「そう」
(むかし、本当にこのような一日があったのかも知れない。・・
女はまた思う。
(わたしがあなたと一枚のテーブルをはさんで向かいあうとき、わたしは今でもあなたがどこにもいないような気がする。・・
日が暮れようとしている。
都市の鳶色の夕暮れ。
男は黙っている。女も黙っている。
女はコーヒー・カップを見つめている。カップのなかの黒い流れ。
スプーンをゆっくり回すと、ひとつの中心に向かう渦がカップにできる。ちいさなちいさな無意味さがかるい渦をつくる。だがわたしには、わたしたちには、それしかないのだ。・・スプーンを逆にまわしながら、その渦がゆっくりとほどけてゆくのを見つめている。・・
あまりゆったりとしたぬるい流れなので、うず巻の中心がどこにも見えない。うず巻の中で、近づいては離れ、ばらばらに、すべてが遊離し、すべてがよそよそしいものとなって、何も見えないまま、わずかな流れのままに漂い流されている。流れなどどこにも無いように感じ、うずの中心など無いように感じ、それでも流れに身をまかせたままでいる・・
鳶色の都市。どこか、この流れのくらさ、不安定さにはどこかおそろしい中心が存在している。きっとどこかにいっさいが無意味さへと流れこんでいる見えない穴がある。それは何だろう。でもそれを誰も知ろうとはせず誰もそれを見ようとはしない。うず巻の下で口を開けているもの。すべての不安がひそかに流れだして来る、うず巻の中心を、無を、誰も知りはしない。・・
男と女は黙ってコーヒー・カップを見つめている。
女はカップをかきまぜながら思う。
(不思議だわ、わたしたちがここにいる。・・
(わたしたちはもういちど一緒に生きなおすためにここに生まれたのだろうか。一生このまま何もなく暮らすために、それとも前世と同じように死ぬためにここにいるのだろうか。それともわたしたちは死んでいる人形のようなもだろうか。・・
(まるでわたしたちは生きているふりをしている人形のようだ・・わたしたちはここでコーヒーを飲んで、何かを待っているふりをしている。生きているふりをしている。・・
(わたしたちは、前世では激しく愛し合ったのだろうか。それとも前世でもあの人は不能でわたしは感じない女だったのだろうか。その時もわたしたちは兄妹だったのだろうか。・・
(このような一日がむかしも続いていたのだろうか。・・
女はカップの中のクリームの溶けてゆくさまをみつめている。
(うずが止まったとき、わたしたちの幻も終わる。小さなうずが動いているかぎり、わたしたちはここにいる。うずは動いている。・・
(うずの中では、どこまでがわたしたちで、どこまでがわたしたちでないのかしら。わたしはうずまきの一部なのかしら、それとも全体なのかしら。うずが止まったとき、わたしたちはいなくなる。うずが動いているかぎり、わたしたちはここにいる。でも、どこまでがわたしたちで、どこまでがわたしたちでないのかしら。・・
女は黙っている。
男も黙っている。通りを歩いてゆく人を見ている。まるで、影が人形のようだ。そう思う。
男は見つめている。
人形とは何か。人形とは、その物の構造を、その存在の意味を、その周囲から、前と後ろから、その内と外から、余すところなく説明されつくされてしまった、人間に似た物のことだ。
わたしたち現代人はわたしたちの不毛さをきれいに説明されつくされてしまった。わたしたちはきれいに説明されつくされてしまったのだ。そう男は思う。
日暮れの通りを歩く人の孤独な影。
わたしたち人間は影を見るかぎり、砂漠に立つサボテンのようだ。一人一人がサボテンのように永遠に地上に立っている。だがサボテンたちは砂漠で何を待っているのだろう。何も待っていない。立っているだけだ。一本の影として地上に立っているだけだ。
それはわたしたちだ。男はテーブルに坐った自分自分の影を見る。まるでわたしたちは影が見るかのように世界を見ている。影が坐っているかのように世界に坐っている。
世界はまだ明るい。
地上はまだ明るい。
遠くの白いビル群が輝いている。
女は思う。
(わたしはなぜトランプ占いをしているんだろう。なぜつづけているんだろう。・・当たりやしないのに。占い師としての生活のため。それもあるわ。でもそればかりじゃない。占いに来る人と話してみたい。ただ、そのひとの未来について話してみたい。だからつづけているのかもしれない。じぶんでは未来なんて信じちゃいないのに。占いに来る人はだれもが運命をさがしている。だれもが未来に意味があると信じたいんだわ。でも未来がある人、運命がある人なんてほとんどいない。だれもが運命をさがしているのに、都会の中でだれもが小さな小さな渦巻にすぎない。・・
(この東京という都会の雑踏をデパートのエレベーターの窓から眺めると、まるで幻のように渦巻いてみえる。何も運命をもたない大きなうず・・
女はスプーンの先を逆にまわす。
(わたしたちもそうだわ。・・
(うずの真ん中はからっぽ。わたしたちの真ん中をさがしてもわたしたちはいない。外をさがしてもわたしたちはいない。うずを造る力とうずとの区別はないように、わたしたちと外の世界とは同じものだわ。わたしたちは生まれ、そして生き、わたしたちはいなくなる。・・
(うずがうごいているから、わたしたちはここにいるのだわ。ここで一緒なのだわ。・・
男は思う。
(わたしたちが戻ってきてどのくらい経つだろう。
(わたしたちは新しい生活を求めて、ここにいるのでもない。過去に別れを告げに来たのでもない。では何を待っているのだろうか。いや、何も待っていない。死を待っているわけでもない。生を待っているわけでもない。・・
「リド島でもいつもこうやってお茶ばかり飲んでいたね」
「そうね」
「アテネでもいつもこうやってお茶ばかり飲んでいたね」
「わたしたち、こういう生活を送っていた気がする。・・むかしもこうだったんだわ、って」
「むかしって?」
「きっとわたしたちが生きた前の世に、このような日があったんだわ。毎日、そんな気がするの。死ぬ前に、こんな毎日を送ってた」
「・・・・」
「わたし、わからないわ」
女はうつむいていう。
「そんな気がするだけよ」
男は思う。
(この女にいうべきだろうか、自分もそんな気がするって。でも同時にすべてが偶然だという気がするって。・・
(毎日毎日の、すべてが偶然だという気がするって。・・
(でも、過去の何かが信じられたらどんなにいいだろう。偶然ではない何かがあったと信じられたら・・
「占ったの?」
「わたし、そんな力ないわ」
(わたしたちが義理の兄妹であることは偶然だ。・・
(でも、わたしたちがなぜ一緒になったのか、わたしたちはきれいにわたしたちに起こった偶然だけで説明をつけられるだろうか。・・
「時間ってなんだろう、って思うのよ。何かが起こっても、すでにわかっていたことだ、ってわたし感じるのよ」
「それはきっと、今という時の中にたえず含まれているデジャ・ヴュ(既視感)だよ・・」
「デジャ・ヴュって、どういうこと?」
「記憶の錯覚だよ。はじめて見た光景を、かつて見たもののように思うことさ。たとえば前世でその光景を見たかのような気がすること」
「でもわたしには何の記憶もないのよ。ただ、わかっていた、と思うだけ。・・前世を信じる?」
(前世は古代の神話だ。インド、ギリシャ、そしてローマ、すべての古代の神話は死んだ。本源の生が死ぬとき、神話は死ぬ。
(古代が死んで現代になった。現代という時間の時代は残酷で、すべての時間は一度きりになった。すべての出来事は偶然になった。世界は偶然、純粋に偶然になった。なにもかもが一度きりになった、わたしたちもこの世界も。・・
男は何もいわずにコーヒーをかきまぜている。
(わたしたちが住んでいるこの世界とは、わたしたちが説明され尽くしてしまった世界だ。このカップの軽さ。わたしの奇妙な生の感触。かるさ。ただ、ここにあるばかりのものである軽さ。めくるめくばかりの生の無意味さ。日々の同一の反復。・・
男の話す声はやさしいが、悲しげだ。とぎれとぎれに会話が続き、男が沈黙している時は女も黙っている。
男は思う。
(自分の意識が語る、偶然という言葉にわたしは慣れてしまった・・
(でも、わたしのいう純粋な偶然と、純粋な必然とはどう違うのだろう。それはまったく同じことだ。・・
男は女の顔をしずかに見て、目をとじる。
(生とはこの、東京の家の窓の外にいつも見える純白の団地群のようだ。・・日々は模造大理石の輝く円柱の列となって過去から未来へと並んでいる。日常は反復に値しないものの無限反復。しかも残酷なまでの、同一の、無意味な永遠の反復。・・
(わたしたちはただその反復を見つめている。無意味さ。耐えるのではなく、待つのでもなく、ただそれを見つめつづけている。・・
(まるで鏡のように相似した今日。・・
(まるで鏡のように相似した昨日と、まるで鏡のように相似した明日。その連続・・
(現代のこの世界の、希望のなさ・・
(わたしたちは昨日の鏡のなかに住んでいる。その鏡のなかでわたしたちは既に見たものだけを見る。既に聞いたものだけを聞く。・・
女も遠くを見ながら、切った林檎を口に運んでいる。
男は女につぶやくようにいう。
「前世なんて今の人は誰も信じない。でも、おまえが感じていることはわかる。・・誰もが一日、一年、一生というものが一回きりだと思う反面、それらを永遠の反復として感じている。人間は時の中で倦怠している。むかしの人も同じような生の倦怠感を抱いて、そのためにその感じを前世という言葉で表現しようとしたんじゃないか・・」
女はいう。
「前世という言葉があてはまるのかどうかはわからないわ。でも毎日、こうやって一緒に坐っていると、奇妙な感じがするの。この日がむかしもあった、という感じ。わたしたち、まるで何か失われたものをを取りかえそうとしているような気がするの・・まるでわたしたちが前生に話しておかなければならなかったことがあって、むかし何か伝わらなかったことがあって、そのためにいまここにいる、そんな感じがするの・・」
男はいう。「誰にも前世なんてないよ」
「ええ、わかっているわ」
「それは誰もがきっと感じていることだ。何かすべての人の共通の、錯覚的な時間感覚から来てるんだよ・・」
「わたしたちはなぜ一緒なのかしら、それなら。なぜ、わたしたちは義理の兄妹なのかしら」
「理由なんてないさ」
女は思う。
「わたしたちは一緒に何かを思いだすためにこのからだで生まれて、一緒に暮らしているような気がするの」
(でも、わたしはわたし自身でも何がいいたいのかわからない。
(なんなのかしら、いつかわたしがあなたに伝えなくてはならないこと。・・なんなのかしら、わたしのなかできっと昨日や一昨日やもっと前に、伝えなくてはならなかったこと。
(錯覚だとしても、何かが心の底にあるんだわ。まるで何か本当に大切なことを言い忘れてしまったために、わたしたちはいまここに再び戻ってきた、そんな感覚は嘘じゃないわ。・・
男はいう。
「前世という言葉は古代人が日常の生の感覚の何かをうまく表現しようとして作ったんだよ」
女はいう。
「・・変なことばかりいってごめんなさい。でもそんな気がするの。何かわたしはこの頃、想い出そうとばかりしているんだわ。想い出すことなんてないのに。でも、不思議な感じがするのよ、想い出すことがあって、それがわたしたちをいまここに呼び戻したような気がするの。それがわたしたちを呼んで、この場で一緒にさせている、そんな感じがするの。そんな感じをあなたはもったことがないの」
「・・・」
男は考える。
(不思議だ、本当にそんな気がする。すでに死んだ男女としてここに生きているのかも知れない。たしかにわたしたちふたりはすでに死んでしまった男女なのかも知れない。・・
男はまた考える。
(この女も本当に前世ということを信じてるわけではない。ただ、何かを信じたいのだ。何を信じたいのだろう?いつかどこかであったに違いない過去世の自分たちの関係の起源を信じたいのだろうか?・・
男はテーブルの上の影を眺めている。影は薄く長い。
(たしかに、ああ、現在を説明できる前世の影があったらどんなにいいか・・
(現在をありのままに肯定してくれるだけの過去があったらどんなにいいか・・
男はまた外を見る。
(だがそれは幻想だ。・・
(一日の終わりにけっして意味を見つけたりはするな。それは耐えられないから。生とは無意味な反復なのだ・・いちどきりのものの同一の反復にわたしたちは生きている。そしてその無意味さのまえでわたしたちは待ちつづけ、立ちつづけている。・・
女はテーブルでふたたびカードをひろげる。
別の占い師が占ったなら、その占いはわたしたちの関係についてどういうだろう。でも占いとは単純に本人が一枚のカードを信じることだ。もし運命が誰にもない時代なのだったら、占い師はその人を何を運命として信じたいかを読みとればよいのだろう。いままで何もない運命を生きてきた女にとって、占いは希望になるだろうか。希望をもたない人間に占いは何も語りかけないだろう。運命とは希望の力のことだ。だれもが絶望もせず、希望ももたずに生きているのだから、現代にはどんな運命もないのだ。わたしたちの生活にもこれからも何もないだろう。運命を誰ももたず、誰もが舞台の上の人形のように置かれているだけだ。そう、それが正しいのかもしれない。・・
男は煙草をもったままテーブルにあさく腰かけ、彼の専門だった十八世紀のドイツの詩を読んでいる。
男はかつて運命というものがあった時代の詩人の言葉を開いている。
(なぜこの詩人は生きつづけたのだろう。なぜこの詩人は狂ってから死ぬまでの四十年間ものあいだ、春を賛え、夏を賛え、秋を賛え、冬を賛え、これほど残酷な時間を、賛えて生きつづけたのだろう。・・
彼はまもなく詩句を読むのに疲れてぼんやりと見つめる。自分の手のひらのかすかなくぼみの影を見つめる。
そして彼は女のうつむいた顔のかすかな皺を見つめている。
その時、男はこの一瞬だけが世界で現実なのだという奇妙な感覚をもって女の顔を見ている。そこで世界が立ちどまっている・・という感覚。まるで古い絵を見ているような感覚。
(不思議だ、たしかにこの女の顔を生まれる前から知っていたような気がする・・
男はふたたびヘルダーリンを読み始める。
詩人ヘルダーリンは家庭教師として住み込みで働くうち、その子供たちの母親ディオティーマを愛するようになった。それががすべての始まりだった。生涯の悲劇の始まりであり、人間の届かない高みへの飛翔の始まりだった。彼は歌いながらどこまでも高く舞い上がり、そして突然精神の羽が砕け散ったかのように、狂気へと落ちた。
いまこそ汚れのない流れを、
おお 翼を われらにあたえよ、信実のこころをもって
あなたに往き こなたに帰ってくることができるように。
不意に頭をあげて自分の義理の妹の姿を見る。未だにその女が、自分の妻なのか、自分の妹なのか、区別がつかないかのように。
その、永遠の女の顔。
黄昏どきの淡い光線はすべての存在物に薄い影をもたせる。この薄い影はなんという現実感、実在感を生み出すことだろう。夕暮れの一瞬の薄い影はすべての存在物に圧倒的な実在感を与える。世界が黄昏にすべてに薄い影を与える瞬間があり、その一瞬だけは間違いなく世界は存在しているのだ。一切が実在している。在るということは薄い影をもつことなのかもしれない。
夕暮れの一瞬に、すべての存在物が永遠の実在に化したような感覚。そんな不思議な錯覚に驚きながら男は女の顔を眺めている。
黄昏の光線が描き出した実在の絵はやがて大きな影の中にすっぽり包まれてしまう。すべての物が色彩でもなく輪郭でもなくぼんやりした明暗へ移行してゆく。
ふたりのいるテーブルの上の物体も同様だ。
男は手元の本の一頁一頁を眺める必要はない。そこに書いてある詩のほとんどは暗唱してしまった。
かつてはわれらも喜びを受けたことがある。
それは憩いの日の朝で、
仕事場は静まり 園の花も静かに
いつもにまさって美しく咲き匂い、泉は
明るいひびきを立てて溢れ出ていた。
遥かの会堂からは信を共にする人たちの畏敬の歌が
聞こえてきた・・・
読むことをやめた。そう、かつてはわれらも喜びを受けたことがある。・・
男は女のやせた肩に手をおいている。
ふたりは一緒に遠くを見ながら黙っている。
生あたたかな風が女の長いスカートをゆれうごかす。
「もう大学にはもどらないの」
「うん」
女は占うのをやめて、男の顔を見る。
年よりもふけて深い皺があるが、男の表情はとてもやさしい。
女はこれほどやさしい疲れた顔を見たことがない。女はこの男のやさしさを知っている。冷え性で体が冷たくて眠れない彼女のために毎晩寝床で何時間も体をさすってくれる。それは愛人であることを越えたやさしさ。
もう若くない、不能で生に疲れた男だけがこんなにもやさしくなれるのかも知れないと思う。人生に疲れるということは同時にやさしくなれるということなのかも知れない。
男は一日の終わりを見つめている。
地球上の傾いた日差しの上に置かれた人間たちの一日。永遠に繰り返される一日の終わりを見つめている。
ゆっくりとわたしたちはすべって落ちてゆく。椅子、扉、卓、窓、壁。物のかたい、冷たい表面の上を、世界という見知らぬものの、傾いた表面をゆっくりとずり落ちてゆく。船のように傾いた世界の終わりの寝室の一つの寝台にわたしたちは腰かけたまま斜めにすべって落ちてゆく。わたしたちは場所をもたない。部屋がだれにも属さず、名を持たない物と物のおびただしい集積となり、所有を拒絶する、一枚の険しい傾斜となる。いま、わたしたちは寝台に腰かけたままで、物と物からずり落ちてゆく。・・
古代においては夕暮れの時が一日の最後だったのだろう。一日の最後にぼんやりと姿をあらわす不安、誰もがもてあましてしまう不安、誰もが顔をそむける不安。どこかの哲学者がいっていたように存在そのものがもつ不安、生存ののがれようもない不安、自分の生の内部にはじめから在ったような不安がすべての人の腹腔で呼吸される。日暮れにベンチや椅子に腰を下ろしている人は誰もが漠然とその不安を感じはじめる。街路に車や人の動くのを見、室内に壁の染みや家具の影を見ながら、腹腔の内部に満ちるような不安な気分を見つめている。
男女はその気分に抗しようとはしない。その気分をことさらに心から覆い隠そうとしない。都市を生きる者は誰もが旧知のその気分に病人が病気とつきあうようにつきあわなくてはならない。存在の中の不安に忠実につきあい、未来の何ものをも待たず、過去の何ものを顧みずに、ささやかに今の暮らしを続けてゆこうとしている。なぜならそれ以外の選択肢はないからだ。
街で働いていた人たちが街路を帰ってゆく。
男は女がいっていた言葉を想い出す。わたしたち二人はすでに死んだ男女としてここに生きているのかも知れない。そんなことを言っていた。
男は思う。
(わたしたちのこの時代の雰囲気を一言でいえば、希望のなさだ。わたしたちの生の特徴は希望のなさだ・・
(世界の終わりに生きるわたしたち。
(わたしたちは言葉をもたないのではなく、言葉との絆を失ったのだ。まるでわたしたち自身との絆が失われ、すでにわたしたち自身をもたないかのように。だが、もし言葉が約束でなければ、もし文学が約束でなければ、もしそうでなければ、わたしと、わたしたちの希望とは、どのようにしてつながりあえるのだろうか。・・
男は狂った詩人ヘルダーリンのことを想い出す。詩人は書き遺した、『そしていつか未来におまえがよき人に会ったら、わたしの挨拶をつたえてくれ、するとその人は思うだろう、わたしたちの時代がどんなに幸福に充ち、そしてどんなに苦悩に充ちたものだったかを』、そう彼は書いた。そして彼は死んだ。
詩人は言葉を信じていたのだ。狂っても自分の頭の中にある言葉を未来のために書き留めつづけたのだ。
狂った後のヘルダーリン。はれやかな微笑で待ち続けた。まるで婚姻の前夜のような、彼の老年。
わからない。きれぎれの理性の中で、ヘルダーリンは何を待っていたのか。
女は思う。
(わたしは何を望んでいるんだろう。
(このままの生活でいい。このままでいい。でも、わたしたちは何を待っているのだろう。何を想いだそうとしているんだろう。わたしたちは何かを想いだしかけて忘れてしまった。
(もし何かを想いだしたなら、それはわたしたちの生活を変えるのだろうか。忘れかけたもの、想いだしかけたものはわたしたちを変えるだろうか。・・
(わたしは、わたしたちが失った運命を想いだそうとしている。わたしは運命をわたしにいってもらおうとしている。それが幸福に結びつくとは限らないのに。わたしは本当は恐くてわたしのことが想いだせないのかもしれない。・・
(誰もが何かを待っているようなふりをして、本当は何も待っていない生活を送っている。誰もがそうだわ。わたしたちもそうだ。だから何も想いだせなくていい。このままでいい。・・
男は女の手にそっと手を重ねる。
疲れた手が疲れた手をつつみこむ。
(いまのまま・・このままでよい。わたしたちはすでに未来を見、過去を見てしまった。わたしたちには、ただ現在のわずかなぬくもりだけがあればいい。・・
女は重ねられた手を見、男の疲れた顔を見る。
女は思う。
(わたしたちの重ねあったこの手。わずかに閉じようとして力なく開いたままのわたしの手。この、わたしたちの手のひらの薄さ。ちいさなぬくもり。・・
(でもこれでいいのだわ。・・
男と女は一緒に並んですわったまま、都市の場景を見る。互いが遠くに見ているものを見る。
ごらん、一日が終わる。どの家の影も同じように傾いている。あゆむ人たちの影もすべて 同じ方向へ傾いている。白色の道路に建築群と影とが遠く地平に向かって整然と並んでいる。黒い窓窓がならんでいる。どの窓にも何も映っていない。四角と十字架形の窓枠ばかりが銀色に輝いている。しずけさが闇とともにひろがって一切をつつんでしまう。
(わたしたちはここにいる・・
街路樹の上方にぽつんと星の輝きが見える。
男は思う。
(きっと愛するということは、こういうことなのではないか。・・あたりまえの、あたりまえの日常のなかで、家の柱時計よりも早くも遅くもなく、ひとつの大きなあきらめのように、ほろんでゆくこと。手を重ねあうだけで、いつのまに二人ともいなくなり、ほろんでゆくこと。それが愛についてわたしたちの知っている唯一のことではないか。こまごました、たくさんのたくさんの小さなものばかりにとりかこまれて。・・
(わたしたちの時代の愛は誰の愛であっても不幸によって結びついた愛なのかも知れない。誰もが愛そうとして愛されなかった記憶に悩み続ける者でありつづけるのかも知れない。でも、それ以外に愛はありえるだろうか・・
柱時計が午後七時を鳴らす。
午後八時・・午後九時・・
男は書斎で仕事を終える。頼まれたドイツの工業製品の使用説明書を日本語に訳し終え、疲れて、原稿を抽斗にしまう。抽斗の中には彼の完成するあてのない博士論文がしまってある。
「十一時半には戻ってきます」そういって七時半にドアを閉めて占いの仕事に出かけて行った女はいましがた帰ってきてシャワーを浴びている。シャワーの音がする。
時計が十二時を鳴らす。
男は寝る前に気晴らしが必要な気がしてテレビをつける。画面に若い女の裸が出てくる。精液の薄まった若者たち、精液をもたない老人たちの慰め。
男はしばらく見てからテレビを消す。
ため息をつきながら思う。
(男女のすべての扉を開け、すべての部屋を残さず見てしまった時から、人間の不能の時代が始まったのかもしれない・・
テレビの音声が欠けてしまっているかのように、わたしたちの性行為はブラウン管の向こうで行われ、それは豊饒を願う宗教儀式のように不思議なものとなる。・・
女がシャワー室から出てくる。ちょっとだけ夜食をつまむ。
男は後頭部に育毛剤を塗り込みながら、すこし賑やかな音楽のスイッチを入れる。マンションの別の住民に迷惑をかけないように、音量を絞り込みながら。
女は寝室でひとりで髪を乾かしている。
寝室の窓ガラスを見ている。窓ガラスに室内の光景が青く映っている。その中に自分も映っている。
(夜の窓の外を見ているとまるで自分が影になってしまった気がするわ。まるで自分がいなくなった後の世界をどこかから見ているような気がする・・
そんなことを想いながら、自分のはだかの体にクリームをつける。
しばらく自分の痩せた体と向かい合ったままでいる。そしてクリームの蓋を閉じる。
時計が一時を告げる。
寝室にだけあかりをつけて、ふたりは寝台に腰を下ろす。
男は思う。
目の前の女の肉体のずしりとした重さとともにあることの奇妙な感覚。・・わたしは目の前の女の肉体を所有しており、しかも永遠に所有できない。その肉体と向かいあっているこの感覚にけっして慣れることができない。なぜわたしたちに肉体があるのだろう。わたしは女にとってどのように見えるのだろう。わたしたちの関係はどこまでわたしたちの肉体の延長なのだろう。
わたしたちという二つの肉体。わたしたちは肉体しか頼るものがない。肉体によって肉体を所有し、肉体によって肉体の所有物たる愛を所有する。それが若者たちのように信じられたらどんなにいいだろう。だがわたしたちはまるで肉体の外にいるかのようだ。たがいの肉体の重さにどうしても慣れることが出来ない。
肉体が目の前に坐っている。
青い夜。
あかりをつけている。あかりをつけていることのかなしさ。
ベッドでそっと壁に手をあてていると壁をとおしてどこからかこの海のように深い世界のどこからかふるえが伝わってくる・・・
ベッドのあかりの輝き。
女は下着を脱いでいる。やせた体。
男も裸になる。陰茎を隠して毛布に入る。男は自分の不能さを思う。
(性の欲望とは閉じた世界。どこかに中心がありながら、しかもそこが、ふさがれているために、そのまわりをぐるぐる回りつづけねばならない果てしのない迷路。・・
(わたしは疲れたのだ、欲望であることに。だから、わたしは不能になったのだろう。だが不能になったからといって欲望がなくなったわけではないようだ。・・どうやったらそこから出られるのだろう。欲望は、ひとつの孤独な機械だ。わたしは欲望のなかでわたしの欲望に出会うだけ。わたしに出会うのはわたしだけ。
わたしはわたしの不能さによって、わたしの女に出会ったのだ、ひとりの女、悲しげな顔をした不感症の女に。欲望の成就によってではなく、欲望の不達成によって、わたしの不能さによって、おまえに会った。・・
(わたしはわたしの不能さによって、わたしの妹に出会った・・
男は女の体を撫でさする。
寝る前にさまざまな儀式がある。
女は思う。
(夜になると窓ガラスに蛍光灯で照らされた部屋の内部だけが映るわ。それがこわいわ。まるで窓に映っている二人はわたしとあなたではないみたい。あのまっさおな窓にうつると何もかもが内部まで透き徹って見えてしまう。・・あなたの性器。わたしの一度も使ったことのない性器。ふたりが夫婦のように横になっている。
(まるでわたしたちはショー・ウインドウに飾られた男女のマネキンのようだ・・
女は男に今日あったことを毛布の中で話す。
「きょう職場にゆくとき、乳母車の中の子供が、見知らぬわたしに、不意に風車をさし出したわ。わたしは、うろたえてしまって、それをつかめなかった・・・」
男は女を愛撫する。
夜のベッド。
わたしたちは白い敷布の上で、いつも曝されていなければならない、ここで。
かなしく照明のてらす、この場所で。
不能の男と不感症の女のための、ベッドという舞台で。
わたしはおまえをただ愛撫することしかできない。それしかできない。それがわたしたちのかなしさだ。
わたしたちはまるで一人の死人をはさんで寝ているかのようだ。
誰のものか知れない濡れた冷たい肉体を真ん中に挟んで、かなしく眠りにつく。
眠れないまま夜が更けてゆく。
夜はまるで水槽のようだ。わたしたちは魚のようだ。
魚は歌わない。水槽の冷たい水のなかに身を浸して、またたきのない目を 大きく、見張ったまま。わたしたちは魚に似ている・・・
女はベッドのなかでしくしく泣き出す。
(きょう一日は一まいのお皿。朝になるたびに一まいづつわたしはそれをならべてゆく。わたしはけっして割りはしなかった。なのに朝が夜になり、夜が朝になるたびに、それは割れていたわ。・・
男は黙っている。
女は思う。
(わたしたちはすでに割れたお皿のかけら。なぜわたしはすこしも痛まないのだろう。痛みが欠けているのだろう。・・
男は黙っている。
女は思う。
(傷ぐちはあるのに、なぜ感じないのだろう?わたしたちになにかがそこで欠けてしまっている・・ 不感症なのだ・・
男はしずかに冷え性の女の肌を愛撫する。女が泣きやむまで愛撫しつづける。
それは毎晩の習慣になってしまった。
愛とはこの深いふかい脱力感のこと、
愛とは、このどうしようもない体の不能さのことではないか
・・・・
沈んでゆきながら、もたれあいながら、わたしたちはいっそう、ささえきれないほどに重たくなってゆく ・・
わたしたちを結びつけているのはきっと肉体のたがいの重さだ。
ぐったりと疲れ、たがいにもたれあいながら沈んでゆく。
だるい・・・
わたしの中では眠れない・・・
あなたの中で眠りたい・・・
とおくで車の音が消えてゆく・・・
世界中の、不眠のままで夜を過ごす不感症の女と不能の男たち。抱き合い、手をたがいの透明な性器の上に置いたまま。かれらは夜を眠らず、ただ薄明の中でのみ眠ることができる、なぜなら薄明ほど死と眠りに似ているものはないから。だから薄明のなかでのみ、かれらは眠りのなかを眠ることができる。死んだ者たちのように目をひらいたまま、裸の体をぴったりと密着させて、短い眠りをねむることができる。薄明はかれらと同じくらい透明だ。
頭の中には半溶解の不透明なゲル状のものが底に固まっている。おそらくそれが眠りと呼ばれるものなのだろう。だがその内部に入ることが出来ずに、その外部を漂いながら不眠の男は考える。
(わたしたちの横たわるベッドとは一つの過去なのかも知れない。過去に背中を向け、その背後の見えない扉にぐったりと力なく自分の背中を押しつけることによって、いつのまにあらゆる答えを扉の向こうに閉じてしまった、いつのまに。・・わたしたちは拒絶も肯定もしなかった。ただ、疲れ果てて、背中を向けて壁のようにもたれたかっただけだ。そしてそれ以来もたれかかったままで、何も言わずにわたしたちはいつのまにそっと閉じてしまった世界のなかに住み、壁でしかなくなった部屋の内部の壁をぼんやりと眺めている。・・
(わたしたちはきょう一日、なにをしたのだろうか。あす一日なにをするだろうか。あすとはきのうのことのようだ。・・
また男は思う。
(わたしたちがその中にあるところの世界そのものをわたしたちは見ることができない。わたしたちはただ感じている。やがてこの世界のこの時代は終わろうとしている。でも新しい時代が来るわけではない。未来の扉が閉じてしまったことをかんじる。過去の扉も閉じてしまった。現在だけだ。不妊の愛のように未来に閉じた現在。一日はたった一つの部屋となって閉じてしまった。世界はたった一つの部屋となって閉じてしまった、もう、その外はない。・・
わたしたちに残されたものは、やさしさ、愛撫、それだけだ。ガラスコップの体のちいさな震え、それだけだ。
(だがわたしたちばかりではない。この世界そのものが不能者の愛なのだ。この世界に残されたものは小さなやさしさ、小さな愛撫、それだけだ。ガラスの小さな震え、それだけだ。それ以外はすべて嘘になってしまった。未来、発展、希望、すべて嘘になってしまった。
世界は不妊に悩んでいる。全世界が不毛な荒れ地になった。いかなる穀物も実らない。誰もが不能に、不毛に、不妊に、不眠に、不感症に悩んでいる。
どうやったら世界にかつての豊饒の実を実らせ、野に花を咲かせることが出来るのか、誰もわからず悩んでいる。
どうやったら世界の砂漠に一輪の花を咲かせることが出来るのか。
どうやったら産声が聞けるのか。
女は思う。
わたしの冷たい体。わたしの冷えきった体。でも、わたしをわたしの中の土が眠らせてくれる。
わたしの中にある冷たい土が眠れないわたしを眠らせてくれる。わたしの性器の奥の乾いた墓土だけがわたしを眠らせるだろう。
わたしは生きててもどこか土のままだ。わたしは生まれる前に土だったし、死んでからも土だろう。
わたしの中で土が眠り続けているからこそ、わたしは眠れなくても眠れる。
眠れ、わたしの中の土は眠れ・・・わたしの土の百万年の眠り・・・わたしの土の二百万年の眠り・・・わたしの土の三百万年の眠り・・・眠る、わたしの中の土は眠る・・
女は眠らなかったが、女の中の土が眠った。
女は眠った。短い眠りを眠った。冷たい土の子宮をもつ女は冷たい地の眠りを眠った。
女の寝息を聞きながら、長い夜の中で男は思う。
(なぜあの狂った詩人は生きつづけたのだろう、ネッカール河畔の小塔に閉じ込められて。なぜ詩人は狂ってから死ぬまでの四十年間ものあいだ、春を賛え、夏を賛え、秋を賛え、冬を賛え、これほど残酷な時間を、賛えて生きつづけたのだろう。・・
(あの詩人はいったい何を待ち続けていたのだろう。・・
(悲劇的な高さを追い求めたヘルダーリン・・めくるめくような高さを翔び、突然堕ちたヘルダーリン・・
(ヘルダーリンはディオティーマが死んだ後も待ち続けた・・
(そうだ。にもかかわらずわたしたちは待っている・・何を?そう。それは今ではないことを知っている。なのにわたしたちは今しかもたない。今がわたしたちのもっている、ゆいいつのもの。・・なのに、それは今でないために、永遠にもつことはない。この貧しさ。それはもはや今ではなく、だからいつかでもないという、わたしたちの時代の貧しさ。・・
(高さというものがない平板な世界。・・
(希望のない、わたしたちの世界の貧しさ。・・
世界の寝室では眠ることしか残されていない。
世界のすべての寝床にいる結婚しない女たち、処女のまま眠る老いた女たち、不妊あるいは不感症の女たち、すべての女たちが寝息を立てている。肋骨の浮き出た痩せた裸の胸を自分の腕で抱いて、寝息を立てている。ガラスの性器を手のひらで覆って、寝息を立てている。
そのかたわらで世界のすべての寝床にいる男たち、疲れた不能の男たち、萎びた陰茎を垂らした若い男たち、老いた男たちが寝息を立てている。胎児のように自分の体をちぢこまらせて、寝息を立てている。小さな陰茎を手のひらで覆い隠して、寝息を立てている。
暗黒の宇宙空間に浮いた世界のがらんとした悲しい寝室の一つ一つにすべての男女がたった独りであるいは互いに抱き合いながら横たわっている。それらの寝室にもう子供は産まれない。世界は石胎の時代に入り、不妊を病んでいる。世界は終わろうとしている。
そのような時代の夜の底で一つの寝台に横たわっている男は、目を閉じているのに闇の中で目を開いているかのようにしか眠ることが出来ない。
(わたしたちは何を祈ればいいのだろう。・・
(宗教は嫌いだった。何も祈らずに生きてきた。・・
(T・S・エリオットはイギリス国教会の神に祈った。だが現代のわたしたちはどのような祈る神ももっていない。・・
(でも、この世界の不毛化の原因は人が母なるもの大地なるもの闇なるもの夜なるものを失ってしまったからではないのか。アスファルトは母なる大地を封じ込め、都会の明るさは闇と夜を追いやってしまった。ガラスの中に住む、昼間だけがあり理性だけがある人間なんて空しく空廻りしつづける狂気にすぎない・・
(もうかつての世界には後戻りできない。祈ることしかできない。・・
(女たちは子供を産む性ではなくなってしまった。・・
(もはや母なるものはどこにもない。・・
(ノスタルジアという映画。・・あの映画の舞台となった土地を見ることが願いだった。なぜあの映画がいまさら想い出されるのだろう・・
(いまさらイタリア観光という歳でもないのに、なぜわたしはこの女と訪ねてみたいと思ったのだろう。・・
(はっきり憶えている。ロシア人ドメニコは現代の世界を救うためには蝋燭の火を点したままイタリアの或る地方都市の温泉の中に入り、そこを渡りきらねばならないと考えた。そのような啓示を受けたのだ。ドメニコは何度か蝋燭の火を点したまま浴場の湯の中を渡ろうとして、狂人としてイタリア人湯治客たちに追い出され、挫折した。ドメニコはローマでカンピドリオ広場の騎馬像にまたがり、世界の終末を告げ、世界の救済をマイクで訴え、自らガソリンをかぶって焼け死んだ。・・ドメニコが死んでから詩人ゴルチャコフが最後にその温泉にも戻ってくると、修理のため温水が抜かれている。床から湯気がたちこめている石造りの池の中を、詩人はドメニコが言った通りに蝋燭の火を点したまま横切ろうと決意する。ゴルチャコフは二度蝋燭の火を消してしまい、やりなおす。三度目に成功した時、彼はその場で倒れて死ぬ。・・
(戦慄的な美しさをもった映画だった。・・
(ああ、わたしも映画監督になりたかった。・・
(わたしも五十だ。先が見えてしまった。・・
(・・またタルコフスキーにはサクリファイスという映画があった。同じようにかなしく美しい謎に満ちた映画だ。核戦争で世界が終わろうとしている時、松の木に水をやっている老人と子供がいる。師のいいつけ通りに三年の間枯れ木に毎日水をやりつづけたら枯れ木が蘇って花を咲かせたという、そんなロシアの奇跡の伝説を子供に話しながら、終末の日々を老人は子供と一緒に毎日水をやりつづける。その行為による世界の救済を祈りながら。・・
(あの映画を撮りおえたタルコフスキーはまもなく癌で死んだ。・・
毛布に顔を埋めたまま男は思う。
(希望とは、それは一切がおわったにもかかわらず、おわりから何かが始まることではないのか。わたしたちが待っているのはなにかしら大きな物語ではない。そのような物語は死んだのだ。・・
(わたしたちにはただ小さな祈りがあるだけだ。祈りにならないような小さな祈りがあるだけだ。
(祈れたらどんなにいいだろう。わたしはあの老人と子供にとっての一本の松の木のような、そんなものを持っているだろうか。・・
(どんな神話にもなりえない小さな行為でもいい。小さな祈りにしかなりえない小さな小さな儀礼であってもいい。わたしも水をやらなければならない。・・
うとうと眠りながら考え続ける。
(もし朝が来たら、わたしも窓辺で枯れた鉢に水をやるだろう。その次の日ももし朝が来たら、また水をやるだろう。・・
(その次の日も次の日も、朝が来たら、わたしたちは水をやるだろう。・・
(その次の日も次の日も・・
あしたの朝、鉢に水をやっている自分を想像しながら、やがて男は眠ってしまう。
男は夢の中でサン・カルガノ聖堂を見る。
また出産の生母の絵を見る。
湯気のたつ干涸らびた温泉の床を見る。一本の蝋燭をもってひび割れた世界の砂漠を歩いている夢を見る。
砂丘の枯れた松の前に立っている女占い師の夢を見る。
2
ディオティーマとヘルダーリンは光の中に立っていた。
ディオティーマは緑色のドレスに純白のエプロンをつけ、ヘルダーリンは青い服を着て、朝のやさしい光を浴びる潅木の間にいた。両者はともに微笑み、輝いてみえた。
ふたりはたがいにいぶかりながら近づき、名前を想い出さなかった。しかし、かれらは生前の契りによって、その場所に立っていた。たがいに見知らぬ、しかし親しい顔をみつめあった。ふたりは三十歳前後の若々しい姿で相まみえた。
その場所でふたりは新しい名前をもって、ふたたび一緒に新しい生活を始めようとしていた。ふたりは再会したのだった、死に別れて三十年後に。
ヘルダーリンはディオティーマの手をそっととり、くぐり戸を抜けて庭に入った。その家はかつてのフランクフルト郊外の別荘のようだった。窓際に並んで腰を下ろして、庭園の風景を眺めていた。
ディオティーマの死後長いながい狂気を経てヘルダーリンも死に、やっと、ふたりは再会した。ヘルダーリンは澄んだ意識と高貴な肉体を取り戻した。
愛のひと年が新たにはじまった。
ふたりはしずかに語り合いながら、腰を下ろしている。
光。
日が差している。
ふたりは話している。
(ひかりのなかにいるとまるでわたしたちは始めからここにいたような気がする。
(そうだわ。わたしたち、始めからここ以外にいなかったのだわ。
花が咲いている。
(ここはどこなのかしら。
(どこでもいいさ。
(なぜなのかしら・・・こんなに美しく。花たち。
(ここは花の咲くところだ。でもごらん、これらはわたしたちのために咲いているのではない。
(ええ。わかっています、それら花が花としてそこにあるのは、だれのためでもないのだと。
(わたしたちがここにいるのも、だれのためでもないように。
(光とは何だろう。やさしくすべてをつつみこむもの。光のなかにいると、まるでわたしたちは何か偉大なもののそばに、たたずんでいるかのようだ。光の中では何もかもがそうなのだ。
(そうね。
(光は存在の高貴な笑いだ。・・ごらん、あの花たち。色彩と輪郭があってしかも世界に溶け込んでいる。くっきりした輪郭に閉じられて、しかもそのまま世界に開かれている。ここに在るいっさいの物が、輪郭をたもちながら、そのままでひかりの中にひたっている。
(わたしたちもきっと光の一部としてあるのね。なんてここはきれいなんでしょう。
(光の中にあると、つねにわたしたちは肯定の笑いのなかにひたされる。何のそばにたたずんでいるというのだろう?この崇高さの感情はいったいなぜだろう。
(それはきっとわたしたちが死ぬまで手放さなかったもの、つまり愛のためだわ。
(人間が生きるためには大きすぎず、小さすぎないガラスの窓の窓が必要だ。それは人が光の過多をおそれながら光なしでは生きられないためだ。だが窓の大きさに悩む必要はない。世界のどこにいようと、光に満たされ、世界のどこにいようと、透明な大きなガラスの窓からただ白い光が入り込んでくる。光をおそれる必要はない。光は人を害さない。
(この家がわたしたちの家。
(光はわたしたちをここに、帰すばかりで、奪いもしないし、与えもしない。わたしたちはそこでただ開かれている。
(窓からの光のもとであろうと、外光にみたされていようと、わたしたちは絶えずここにいる。
(わたしたちはやすらっているわ。
(わたしたちのくるしみはもう無い。わたしたちはわたしたちの誇りであった愛を守り抜いた。
(しずかだわ。わたしたちはここにいる。
(しずけさ。まるでそれは晴れやかな笑いのようだ。その笑いは誰のためにあるのでもない。それ自体のためにある。
(わたしたちは光の中でやすらっていながら、ここにいる。
(死んだわたしたちは笑わない。でも、光のなかでわたしたちは笑っているのと同じだ。わたしたちは光のもとにいる。
(存在の高貴さとしての、光・・
(光。それはわたしたちの知るもっとも澄みきった精神のかたちだ。光、それは見知らぬ笑いだ、わたしたちの知る小さな希望と絶望ではなく、その外から射し入ってくるものとしての。
(光。・・
(ここ。ここにあるもの。
(あるというのは、何て美しいのかしら。
(光が輝いている。・・
(存在の高貴さとしての、光。
(わたしたちが腰を下ろしているのは大きな一枚の広げられた光の前だ。
(だがそれは無限の前に腰を下ろしているような気がする。
(この世界は何て限りないことだろう。
(眼が見つめる世界がこんなに美しかったことはなかった・・・
(なんて美しいのだろう、この世界は。
(これでよいのだわ。
(そう。
(こうしてやがてここでわたしたちはいなくなる。
(そうだ。
(わたしたちはいまきっと無限の柱廊がつづいているなかの、ひとつの部屋に腰掛けているのでしょう。
(まもなくわたしたちはどこにもいなくなる。
(わたしたちがいなくなったあとも、窓はひらかれており、鳥の囀りは響き、こうして日がさし込んで、時は無限の柱廊をかたちづくってゆく。
(もっとも高い音階としての沈黙に満ちみちている世界。
(おそろしいばかりに純白だ。なんて美しいのだろう。
(ここに来る前の苦しみのことを憶えているかい。
(いいえ。
(たぶん、わたしたちふたりとも希望を失っていた。
(憶えているの?
(ううん。でも、花にかこまれて立ち、花とならんでいるとき、わたしはそれをぼんやりと感じる。
(そうね。
(だが、わたしたちは光のなかにあって、何も失っていなかったことに気づく。
(わたしたちはかつて、小さいものの中で生きた。
(小さな子供たちのたてる小さな物音、小さな囀りの声、小さな一日の小さな時間。
(かつてはそれらだけでわたしたちの存在は満たされていた。
(小ささとは喜びだった。ところが愛が大きなものとしてやってきた。大きなものである愛は同じくらい大きな苦しみを伴ってやってきた。
(次第に鳥の囀りの声が聞こえなくなり、咲いた花が見えなくなった。
(わたしたちにとって、死ぬことと狂うことしか残されていなかった。
(あるということが苦しみだった。
(ないということが絶望なのではなくて、あるということがわたしたちの絶望だった。
(まさにわたしたちがあるということが、それを強いた愛が、そのまま高貴な怒りでなくてはならなかったのだ。わたしたちはその高貴な怒りを貫いたため、自分を傷つけ、周囲を傷つけた。
(ええ。
(一つを肯定するためにそれ以外のすべてを否定しなければならなかった。それが怒りだ。その怒りは自分じしんをも焼き尽くした。
(わたしたちはその怒りに焼かれることで、浄められたわ。
(だが愛とは別の愛に包まれていなければならない。別の愛はまた別の愛に包まれていなければならない。愛とは互いに包みあうものであり、剥がしあうものではない。どこまで剥がしても、どこにも芯がない。なぜなら愛の本質は包むものだからだ。たとえば窓から差し込む何もない白色の光が、室内のすべての物を包みこむように。
愛とは希望の別名でなくてはならない。希望は包みこむ光そのものだ。希望はいかなる色ももたず、光のように浸透し、どこにもある。
(愛は待つことができる。希望は待つことができる。待つことができるということは、開かれているということだ。
(わたしたちが待つものは、時間なのかしら。
(わからない。だがわたしたちは開かれている。窓のように開かれている。きっとわたしたちはここにいるだけでいいのだ。
(そうね。
(肯定するものは自由になる。わたしたちはいま肯定できるだろうか、そのままで、わたしたちの死を。
(わたしたちはいま肯定できるわ。
(わたしたちを引き裂いたかつての生を、そのまま肯定することができるだろうか、わたしたちに。
(わたしたちはできるわ。いえ、もう肯定してるわ。
(そう・・わたしたちはすでに肯定している。過去において、生が何万回繰り返され、未来において同じ生が何万回繰り返されようと、そのままでわたしたちはその生を肯定している。
(ここーーーーこの場所。光に照らされたこの場所。
(わたしたちは未来にあるもののために、この場に立っているのではなく、過去にあるもののために、この場に立っているのではなく、そうではなくて、わたしたちは始めから永遠にここにあるもののために、この場に立っているのではないだろうか。
(ここはきっと、待つための世界だわ。
(そう。ここにいる。わたしたちはここにいる。
(待つということが未来にはありえないからこそ、待つということが過去にもありえないからこそ、この世界、ここに、この場に腰を下ろしたままでいるのだ。・・・
(ここは、花たちが花ひらき、光の中で花咲くというかたちで何かを待っている場所だわ。
(わたしたちはわたしたちのものではない光の、誰でもないものへの広がりの中にある。
(花咲いている。花咲いている。開いている。
(わたしたちはいる。わたしたちはここにいる。
(それは誰でもないものへの、何もないものへの、待つことの広がりの中にある。
(私たちは開かれている。存在の開かれたかたち、それが待つということだ。
(やがていつかわたしたちが忘れてしまった過去の部屋にも時が帰ってくる。
そのときすべての部屋の窓に光はあふれる。未来の部屋にも、過去の部屋にも、すべての部屋に光はあふれる。
(そのときわたしたちの過去は光に溶け込む、黄金色の正午の文字盤の上で。
そしてわたしたちはただ現在だけを生きるだろう。
(時がいつか帰ってくる。
(そのときわたしたちの未来と過去は光の中に溶け込む。いっさいが現在となる。
(光。
(わたしたちはここに坐っているだけでいいのだ。
(中世の聖書の中に挟まれた版画のようにわたしたちはここに坐っている。
はじめからここにあったかのように。
(やがて閉じ込められた過去の記憶にも、閉じ込められた未来の忘却にも、存在の窓から静かに光が射してくるだろう。
(ええ。それはわたしたちのものとなるわ。
(そのときそこがここになる。それまでこうして腰を下ろしていよう。・・
たがいにいぶかりながら、たがいに見知らぬ、しかし親しい姿で相まみえたふたりの恋人たちは微笑んでいる。ふたたび愛のひと年が新しくはじまったかのように。
3
女は紙ふうせんをついている。
引き出しの奥から偶然みつけた、子供の時の紙ふうせん。それを、ぽん、ぽん、とつきながら、昨日と同じようにベランダに腰を下ろしている。
男も女の横に坐って薄日が差す外の景色を眺めている。
「きのうわたしふしぎな夢を見たわ」
「うん?」
「あなたとわたしが死んだ恋人どうしなの。ふたりともおたがいの名前が思い出せないみたいなの」
「夢でふたりは何かをしていたの?」
「ううん。ほとんど話すことがなくてずっと一緒に坐っていたわ」
「何にもしない夢?」
「そうなの。差す日の光の方を見て静かに一緒に坐っているのよ」
少し風があり、白い紙ふうせんはすこし流されながら落ちてくる。
「でも、なにかを待ってるみたいで、すこしかなしそうで、すこし幸せそうだった」
「そう」
「どうしてあんな夢みたのかしら」
きのうの夕方、すこし別の生のことを考えたからかもしれない。そうかもしれない。でもわたしたちとはすこし違うふたりだった。
「ふしぎな夢だね」
女は思う。
こんなことをいうと笑われるかもしれない。あのふたりはわたしたちの影なのかもしれないけど、本当は現在のわたしたちが過去のあのふたりの影のような気がする。・・
でも、ふしぎな錯覚だわ。日が差すとき、わたしたちが影をもつのではなくて、影がわたしたちをもつような気がするのと同じ錯覚・・。わたしたちにはあのような別の生があったような気がするわ。いまの生とはちょうど裏返しのような関係の、別の生が。
風が吹いているらしく、遠くの屋上の白い旗がはためいている。
「ねえ」
「ん?」
「わたしたちは幸福なのかしら」
「すくなくとも不幸じゃないさ・・」
男は思う。
この太陽のある世界はすくなくとも不幸じゃない。そしてわたしたち誰もが、世界よりも幸福でなく、世界より不幸であってもならない。世界と同じ速度で落ちつづけること。世界とともに落ちつづければ、いかなる落下感覚もない。それが最後の時代を生きるということだ・・
「そうね・・」
「ここに置いてあった枯れた鉢植え、どうしたかな」
「捨てたわ。もう捨てて随分たつわ。捨てたの、あなたじゃなかった?」
「そうだね」
「鉢にもういちど何か植えるつもりだったの?」
「ううん、べつに」
男はすこし俯いたまま、首を横に振る。
紙ふうせんが空から落ちてくる。
紙ふうせんが落ちてくるのを待ちながらわたしたちは待っている。
だが何を?
紙ふうせんはたちまち空へ帰される。
わたしたちは待っている。
紙ふうせんは空から降りてくる。
それが何であるかはわたしたちにはわからない。
わたしたちが何を待っているのかわからない。
それが落ちてくるときなぜすべてがこのように待たれていたのかがわかるだろう。
紙ふうせんは空から落ちてくる。
ふたりは待っている。
落ちてくる紙ふうせんをはね上げながら、今という時をふたりは待っている。
それはもういちど帰されなくてはならない。
ふたりはその紙の軽さの中で待ち続ける。そしてそれは未だ受けとめてはならない。
なぜふたりがここにあるのかをたずねながら、それはいくどでも帰されなくてはならない。
ほんとうにその落ちてくるものを受けとめるために。
ふたりの希望であるものを受けとめるために。
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