苦しみの書 第一部

          ヨハンナ

壁に立たされ射殺される銃声はひっきりなしに聞こえてきた。
大きな煙突のある焼き場で骨はバターのように溶けていた。

ヨハンナは、熱にうかされながら、自分にむかって語りかけた。小さく唇をうごかしていた。あるいは同室の女たちに語りかけていたのかもしれない。彼女の目は天井の方をみつめており、まるで目に見えない天使にむかって、語りかけているかのようだった。
ひとりの女が近づいて耳をヨハンナの口におしあて、彼女がつぶやいている言葉を聞きとろうとした。聞きとれなかった。
ヨハンナは誰かに向かって、こときれるまで、長いあいだ語り続けていた。十時二十分に死んだ。遺体は運び出され、火葬場で焼かれ、骨は砕かれ、トロッコにのせられ、地の穴にぶちまけられた。

いなくなったヨハンナは闇の中でつぶやき続けた。
虚空に手をさまよわせて、つぶやき続けた。夜がまだ明けぬ時間に、見えない光を見ながら、つぶやき続けた。死んだはずのヨハンナ、いなくなったヨハンナの声。
誰にも聞かれなかったヨハンナの声。・・ヨハンナの声が、漆黒の闇の中で、している。
聞こえている。
一条の光のように、澄んだ声が。
やさしいヨハンナの声が。

・・・・・・
知るためにわたしはいるのです。
知るにしたがってわたしはわたしの所有であったすべてがわたしのものではないと知り、一つづつ手放してゆきます。
最後にわたしはわたし自身をも、返すのです。わたしを待つ誰かの手に。

知るということは、苦しみを知ることです。

この世界があるのはわたしの所有物を増やしてゆくためなのではないのです。
世界があるのは、わたしのもちもの、わたしの愛する物、そしてわたし自身までがわたしのものではないと気づくためにあるのです。そしてもちものをひとつづつ返していって、やがてある日私自身をも、感謝をこめて返すためにあるのです。

わたしたちがなすべきこと、それは悲しみの石を数えることです。地にちらばっているすべての悲しみの石を数えることです。
わたしたちは数えます。かがみこんでは地上の悲しみの石の数を数えます。ただ石を数えます。
数えることはその石の悲しみを一緒に背負うこと。わたしたちは背負いきれなくなってついに倒れるまで、地上の悲しみの石の数を数えます。
倒れて、泣きながら、大地に接吻をします。跪いて。

泣かずに死んだ人たちの握りしめていた石をひろって、わたしたちは握りしめてやります。
石であることをしりつつ、石をあたためてやります。

わたしはわたしの証人としてここにいるのです。
わたしは生きようとして懸命に生き、愛そうとして懸命に愛し、すべてを見、毎日起こるすべてを感じ、祈りながら生きてきました。そのわたしの証人としてわたしはここにいるのです。
わたしはわたしのたった一人の証人としてここにいるのです。
わたしはわたしを決して裏切りません。わたしがいなくなっても、わたしは永遠にわたしとともに立ち続けます。
だれもわたしを否定できません。

死を待つということだけが裏切らないということ。
裏切らないということ、それが死を待つということです。
このわたしに与えられたゆいいつの場所、この場所をけっして裏切らないということ。そのために死ぬことを待たなくてはなりません。
この場所にわたしに立ちつづけます。

死はしたしいものです。
死はわたしの穢れをぬぐいさります。
死は夜のように、夜のせいりょうな大気のように、夜明け前の静けさのように、大地からすべての穢れをはらうものです。

もし、わたしがわたしの死と一緒に落ちるなら、それは浮かんでいるのです。
もし、わたしがわたしの死と一緒に落ちていないなら、それはまっさかさまに落ちているのです。
わたしがわたしを抱きしめなかったら、だれがその落下から救うでしょう。
わたしたちがわたしたちと一緒に落ちるとき、わたしたちは浮かんでいるのです。わたしたちはどこにも落ちません。

わたしたちはかけがえのない傷口です。
そこから滴りおちる血はわたしたちの悲しみです。
わたしたちは傷口以上のなにものでもありません。わたしたちは傷口以下のなにものでもありません。
在るということは痛むことです。
わたしたちが在るということは痛むことです。

わたしはわたしの傷口の証人として苦しむのです。

わたしたちの偉大と惨めさは、痛み以上の何ものたりえず、痛み以下の何ものたりえないことです。
在るということは痛むこと。ただそれだけです。それがわたしたちの偉大さ。それが同時にわたしたちの惨めさ。

あなたはあなたの石を、あなたのまったく知らない人に渡さなければなりません。
あなたの家族や、きょうだいや、しりあいに渡してはなりません。
同じ民族だからとか、同じ国だからという理由で渡してはなりません。
あなたはあなたの石を、あなたのまったく知らない人に渡さなければなりません。
その見知らぬ人は、きっと、あなたのその石を受けとってくれるでしょう。

あなたはおそれなくてもいいのです、あなたがその石をだれにも渡せずに死んだとしても。
あなたはおそれなくてもいいのです、あなたの不毛な石、あなたの無にひとしい石をだれもうけとってくれないことを。
あなたの石を受けとることができるのはあなたのしりあいではありません。
あなたの知っているどんな人でもありません。

あなたがあたためてきた石は、いちど野に捨てられるでしょう。
あなたがあたためてきた石は、野の花々よりも無意味なものとしてそこに横たわります。
ながいながいあいだ、横たわるでしょう。
でも、あなたの知らない人、見知らぬ人がやってきます。大きな目でその人は見るでしょう。その人はすべての石をひろいあげます。

その人の足もとには血が流れています。

見知らぬ人にひろわれた石は、その人の大きなてのひらのなかで、石ではなくなるのです。地に蒔かれる種にかわります。
あなたの石はその人のてのひらのなかで変容し、大地をうるおす種となります。
あなたはおそれなくてもいいのです、あなたがその石をだれにも渡せずに死んだとしても。

わたしの生はちいさな石であるわたしの死です。
何の意味もありません。
石の意味をだれに訊いてもいけません。

わたしは禁じます、わたしがわたしの生を説明しつくしてしまうことを。
わたしは禁じます、また、だれががわたしの生を説明しつくしてしまうことを。
それは石のままでいいのです。
不毛なちいさな石のままでいいのです。
わたしが死んだあとも、そのままでいいのです。
不毛なちいさな石のままでいいのです。
決して割れない石のままでいいのです。

わたしはその石を、石のままで、見知らぬ人にゆだねます。
小さな石のままで、ゆだねます。

わたしはたえず、わたしのなかの意味のなさにむかって、かたりかけます。
わたしのなかの何もなさにむかって、かたりかけます。
わたしは泣きつくさねばなりません。
わたしは何もなさにむかいあって、泣きます。
わたしはわたしの無とむかいあって、泣きます。

わたしの死はわるい死かもしれません。でもそれはわたしのただなかにある死です。わたしはわたしのただなかにいます。わたしの死はわたしのただなかにある死です。

わたしたちの生は襤褸の断片のようです。すべての断片をつなぎあわせてくれる中心はこの世のどこにもありません。
断片は断片のまま、すべてここに置いてゆきましょう。
それはそのままで完結してしているのです。
裸のまま、わたしは歩みます。
生まれたままの姿で、わたしは歩みます。

かろやかになって、歩みゆきます。
裸で抱きとられるために。
光へ。
その方のもとへ。

その方は夜の果てにいる者、闇の中にいる者のための光です。
すべてが閉じ込められた時、すべてが閉ざされた時に、盲目となったわたしたちに、その方の光が近づいてきます。それはこの世に属さない光。それは半ば開いた扉から差し込む光です。見知らぬ訪問者の顔の輝きのようです。
それは囚人のベッド、食堂、鉄柵、鉄条網、監視所、監視塔の闇をくぐりぬけて、別の世界の扉の隙間から洩れ来る、光です。輝く微笑みをともなって、光の輝きが近づいてきます。
見えますか、かなたに声と陽光の溢れる扉が開いているのが。
希望。
その方の名は希望です。その方の名は・・・・死です。
それは光です。

その方を客として迎え入れるための扉はひとつしかありえません。なぜならわたしの絶望はひとつしかありえないからです。
そしてわたしが出てゆくための扉はその方が入ってこられた扉でしかありえないのです。なぜならわたしたちのだれもが、みずからの絶望をとおって出てゆかねばならないからです。
わたしはわたしの絶望をとおって出てゆかねばならないからです。
誰の生もいちどきりで、ただひとつきりであるように、通るべき扉もただひとつなのです。

わたしにしか開けない扉があります。それはわたしという苦しみ、わたしという絶望です。しかしその扉はどれほど押しても開かないのです。だから、わたしはその扉の前に立ち、ただ泣きます。
素足のままその扉の前に立ち、泣きます。

わたしたちは存在のたて穴です、ひびわれです、がらんどうです、墓穴です、空井戸です。
わたしたちはわたしたちのなにもなさを泣きつくします。
わたしたちは泣きつくすことで、わたしたちを返します。
その方にわたしたちを返します。

ああ、わたしがわたしにとどく穴ーーーそれがわたしなのだから、わたしはかくも深いのです。わたしの悲しみよ。
ああ、わたしがわたしにめぐりあえる扉ーーーそれがわたしなのだから、わたしはかくも長く待ちつづけるのです。わたしの苦しみよ。

わたしたちは悲しみを讃えます。嘆きを讃えます。苦しみを讃えます。死を讃えます。死を讃えることで存在を讃えます。いっさいを讃えます。・・・

苦しみは、苦悩は、わたしたちのなかの神との接合点、ゆいいつの接合点なのです・・・苦しみは、つねに希望です。死に至る苦しみであっても、希望です。・・苦しみは姿をかえた希望です。苦しみながらわたしたちはそれを讚えます。

わたしたちは神からこれ(ポグロム)がやってきたのではないことを知っています。
神はこの世界において無力です。この世界に奇跡はありません。かなしみながら、神は何一つ人間の悪をとめられません。・・
その方がなしうることは、死んでゆく者のそばにあることだけです。
涙にくれてそばにあることだけです。
そして苦しみを、つらい死をわたしたちが越えるのを見守っています。
だから、ああ、わたしたちのそばにありたまえ。

・・・・・・

ヨハンナの祈りの声は、死にかけている少女の目を開かせた。
ヨハンナの声は、その少女の咽から出てきた。
ヨハンナの声は、待機室のチフス患者すべての咽から出てきた。
死にゆく者たち、囚人たちは祈った。泣きながらその声とともに祈った。死を待ちながら、ヨハンナの声を誰もが自分の死の中で聞いていた。・・

プラハのユダヤ人教会に旅行者が訪れると、沢山の子供の絵が置かれているのを見ることができる。アウシュビッツに送られた小さな子供たちがプラハのゲットーにいるとき、思い思いに描いた絵だ。それを描いた子供たちのほとんどは帰ってこなかった。絵だけが残された。
一人の子は真っ黒な姿のわからないおそろしいものの絵を描いている。
一人の子は、首吊りさせられている人の絵を描いている。
一人の子は鉄条網が幾重にも張られた街角を描いている。
一人の子は黄色い蝋燭の下に家族が皆一緒にいる絵だ。
一人の子は花畑を描き、そこに不思議な黒い蝶を描いた。
それらの絵はみんな現実だった。

やさしいヨハンナ姉さんの絵もその中の一枚にある。