もう一冊の詩集、『オシヴィエンチィム』
を見るにはここをクリック!
おかのおじか 第十一番作品
この作品は1995年1月2日にドイツ・マールブルクにおいて、発行された
序
作者というものは自分の書いた作品をあまり解説するものではない。それは読者のひそかな発見の悦びにまかせるべきであるが、しかしすべての読者に忍耐を要求するわけにはいかないから、最低限、次のことだけは説明しておこう。
この作品は共に住む一人の男と一人の女のつぶやきの声から出来ている。この作品は昼の午後に始まり、夕方、夜、朝を経て終了する時間の詩である。そしてこの作品の主題は人間の「時間」である。この長詩のあちこちにはヘルダーリンの詩の断片の朗読が故意に差し挟まれている。斜体の箇所がヘルダーリンの詩の引用部分である。この声は男女のつぶやきの声とは別の声であり、現代世界には異様に響く声である。この作品の冒頭近くで、「なぜヘルダーリンはディオティーマに死に別れ、狂気のなかで四○年も時間を生きなければならなかったのか」という、生の無意味なる時間についての問が不意になされるが、この問は偶然ではなく、作品の示導動機となる。そして作品の最後にその問がくりかえされる。しかし答を発見するのは読者であるし、その答は閉じられたものではない。問に対する答は読者が人生の中でみつけるべきであり、作品はそれを触発するだけだ。答は作品の向こう側にあり、読者は跳び箱のように自分で飛翔しなくてはならない。この作品の理解に、文学的知識はいらないが、しかし読者は多少、ヘルダーリンの伝記を知っていることが望ましいと思う。伝記については手塚富雄先生のすばらしい著書がある。スカルダネリとは、ヘルダーリンの狂気の中で続けられた詩の上に書かれたペンネームである。ヘルダーリンの詩の翻訳として私は主に手塚富雄・浅井真男訳『ヘルダーリン全集第二巻 詩II 』河出書房、一九六七年を利用した。引用にあたっては若干表現を変えたところがある。
この長詩はわたしの結婚記念として作られた。初めの構想では何かラジオ朗読用に使える一時間程度のもので、詩でも小説でもない作品ということで書きはじめられた。しかし結果としては詩以外の何者でもない作品となった。この作品は一九九五年一月一日に、このあとがきも含めて、ドイツのマールブルクで書き上げられた。
おかの おじか
悲歌 『希望 のために』(前篇)
ガラスコップの震えだけが
真実であるような
この時代・・・
わたしたちのおしゃべりの何が
後にのこるのかしら?
ゆっくりとわたしたちはすべって落ちてゆく。
椅子、扉、卓、窓、壁、
物のかたい、冷たい表面の上を、----
世界という 見知らぬものの表面を
ゆっくりとずり落ちてゆき、
船のように傾いた寝室の 一寝台に 腰かけたまま
ななめに すべって落ちてゆく。
一つ一つの物は、場所をもつ。わたしたちは
場所をもたない。
部屋が不意に だれにも属さず
名を持たない物と物のおびただしい集積となり、所有を
拒絶する 一枚の険しい傾斜となるとき、
わたしたちは そこに腰かけたままで さかさまに
物と物から ずり落ちてゆく。
あたかも、祭の日の朝
野を見んと農夫が歩みゆけば、
・・・
わたしは割れてしまった陶器のかけらを
ポケットのどこにしまったのだろう?
それは空のように青かったはずだ。
この世のいのちには 全く意味がなく、
意味がなくて高さだけがある。
これは不思議なことだ。
それはどこかになくしてしまった小さな
陶器のかけらの青色に似ている。
わたしたちは 午後五時になると
コーヒーを飲みます
ベランダに腰を下ろして、向かいあって
一つのテーブルをはさんで。
あたかも、祭の日の朝
野を見んと農夫が歩みゆけば、
夜もすがら熱気をはらんだ闇を爽涼の電光がおちつづけ、
その雷鳴はいまなお、はるかにひびきながらも、
あふれ出た河水はふたたび岸にかえり、
大地は・・・
それはいつの詩人?
あなたはいつもその
本を読むわ・・・
「そしていつか未来におまえがよき人に会ったら、わたしの挨拶をつたえてくれ、するとその人は思うだろう、わたしたちの時代がどんなに幸福に充ち、そしてどんなに苦悩に充ちたものだったかを」 そうかれはかく
大地はみどりあざやかに、
葡萄の木は天よりの
よろこばしい雨をしたたらせ、森の樹々が
しずかな陽光のうちにかがやき立つように、
一六四七年五月二十五日 スカルダネリ。
一六七四年一月二十四日 スカルダネリ。
なぜこの詩人は生きつづけたのだろう
なぜこの偉人は狂ってから死ぬまでの四十年間ものあいだ、春を賛え、夏を賛え、秋を賛え、冬を賛え、これほど残酷な時間を、賛えて生きつづけたのだろう
一六四七年三月三日 スカルダネリ。
どこまでがわたしで、どこまでがわたしでないのかしら。
わたしはうずまきのようなものだわ。
うずが止まったとき、わたしはいなくなる。
うずが動いているかぎり、わたしはここにいる。
でも、どこまでがわたしで、どこまでがわたしでないの
かしら。
うずの真ん中はからっぽ。わたしの
真ん中をさがしてもわたしはいない。
外をさがしてもわたしはいない。
うずと水の区別はないように、わたしと外の
世界とは同じものだわ。
わたしは生まれ、わたしはいなくなる。
わたしというものなどはない。
あるのは、溶けかかった砂糖のブロックの、
茶色い甘い液体の中に沈んでいる、あいまい
な形をした固まりのようなものだけだ。
わたしに、どこに外部があるか。
この、砂糖水の中の、半ば溶けた砂糖の
固まりにとって、どこに外部があるだろうか。
わたしとは、この世界なのだ。
世界はみどりあざやかに、
葡萄の木は天よりの
よろこばしい雨をしたたらせ、森の樹々が
しずかな陽光のうちにかがやき立つように、
長い
一日が過ぎる。
わたしはくりのべつづけられる
わたしは
始めも終わりもなく、くりのべつづけられ くりのべつづけられ
くりのべつづけられている
何のために?
なんなのかしら、わたしがあなたに伝えなくては
ならないこと。なんなのかしら、わたしのなかできっと昨日
伝えなくてはならなかったこと。
何がわたしたちにないのかしら。
わたしは人の形をした影にすぎない
時計が二つ打つとわたしたちは散歩にゆく
わたしである影は世界をひと回りして
家に帰ってくる すると
わたしの中は世界でいっぱいだ、部屋のまん中で
わたしはそれらをふるいおとす
ふたたびわたしはからっぽになる
カップのなかの冷たい
コーヒーの表面に映じた黒い反世界。
わたしはカップの中に住んでいる。
その中に
毎日一つづつ わたしはカップをならべてゆく。
その反世界の中にも 窓があり、白いテーブルが
あるのが見えます。でもそこにわたしはいない。
そこには誰もいない。
わたしはゆっくりとスプーンをかきまわします。
なんにも持っていないとき、
わたしは何なのかしら。
紅茶がさめてゆく。
持つということは待つことだわ。
わたしは なんにも待っていない。
待つためには 待つための時が必要だわ。
でも それは
一分でも一日でも 一年でもない。
なんなのかしら、わたしがあなたに伝えなくては
ならないこと。なんなのかしら、わたしのなかできっと昨日
伝えなくてはならなかったこと。
何がわたしたちにないのかしら。
きのうの散歩をおぼえているかしら。
すんだ水の中に落ちた、すんだガラス玉のように、
眼はもう
なにひとつ見えなかった。
どこまでも
どこまでも白い日差の道
どこまでも どこまでも どこまでも白い道
そのなかを わたしたち 盲いたまま 帰ってきた。
あたかも、祭の日の朝
野を見んと農夫が歩みゆけば、
・・・・
わたしたちの毎日は
とても退屈な とてもゆっくりした死の
うず巻だわ
あまり ゆったりとした ぬるい流れなので
うず巻の中心がどこにも見えない
近づいては 離れ ばらばらに すべてが遊離し
すべてが よそよそしいものとなって
ただ 漂い流されているように感じ そこに
身をまかせたままでいる
どこか この流れの くらさ 不安定さには どこか
おそるべき中心が存在している
きっとどこかに いっさいが無意味さへと 流れこんでいる
見えない穴がある
でも
それを誰も知ろうとはせず 誰もそれを
見ようとはしない
わたしたちの下で口を開けているもの
わたしたちのすべての所有が ひそかに流れこんでいる
おそるべきうず巻の中心を 無を
誰も 知りはしない
時はながれていく・・・
おんみらはかの高みのひかりのなか、
やわらかな地をめぐり歩む
わたしたちは
昨日の鏡のなかに住んでいる。
その鏡のなかで
わたしたちはかつて見たものだけを見る。
かつて聞いたものだけを聞く。
かろやかにおんみらに触れゆく、
楽人のたおやかな指が 聖なる弦に触れるごとく
わたしが住んでいる
この世界とは、
わたしが説明され尽くしてしまった世界なのだ。
紅茶の
カップの軽さ。わたしの奇妙な生の感触。かるさ。
ただ、ここにあるばかりのものである
軽さ。
そしてめくるめくばかりの 日々の青さ。
日々は大理石の円柱のように並んでいる。
日常は
反復しえないものの反復。
しかも残酷なまでの 同一の 美しい
永遠の 反復。
わたしたちはただ それを見つめている。
無意味さ
耐えるのではなく
ただそれを見つめつづけている。
まるで鏡のように相似した今日。
ディオティーマよ!こまやかに永遠に
ひとつに
そうだわ
わたしたちは心をもたないかわりに
この部屋をもっているかのようだわ。
わたしたちは置かれているものがなぜそこに
置かれているかを知っている。
だがなぜ在るのかを知らない。
ガラスコップがふるえつづけている。何もない。
何も起こらない。
世界の
この世界の奇妙なふるえ。
わたしたちに、ガラスコップのように 肉体が
あるのは
それはわたしたちが わたしたちのなかにあるコップの
震えをだきしめるためだ
わたしたちは たがいに なんと冷たい体をしているのだろう
いまこそ汚れのない流れを、
おお 翼を われらにあたえよ、信実のこころをもって
あなたに往き こなたに帰ってくることができるように。
夜になると窓ガラスに部屋の内部
だけが映るわ。
光のともされた部屋だけが映るわ。
でもそこには誰もいない。
それでよいのよ。
なにもかもかつてあったし、これからもある
ことだわ。
われらのいとなみにはかかわりなく この
いちども なにかを固く
にぎりしめたことがない。
また 夢のなかでいがい、泣いたことがない。それは子供のときだ。なにかをうしなうまいとして、子供が眠りながら にぎりしめているこぶしは、蕾のように いとしいものだ。
わたしたちの重ねあったこの手。 わずかに、閉じようとして 力なく開いたまま。この、わたしたちの手のひらの薄さ。 わたしたちは子供を産むことができないのだわ。 わたしたちは子供の外にいるし、子供はわたしたちの外にいる。そしてわたしたちの手はとても冷たいわ。
部屋の中のわたしたち。
いつも 窓ガラスの影をみているわ。
窓の外にあるものは、なにもかも一様に
ならんでいるだけ・・・
そしてそこを降ってエフェーゾスへおもむいた
在るということは薄い影をもつということ。
薄い影とは、影なのではない。
・・・・
それは手のひらに刻まれたしわや、顔のくま、
背中のわずかな陰影のことだ。
薄い影は、わたしに属しているのだろうか。
肉体だけがわたしのものであるなら、
それは何に属するのだろう。
かつてはわれらも喜びを受けたことがある。
それは憩いの日の朝で、
・・・・
たとえ、
なにかを待っていたとしても、
わたしは何なのかしら。
紅茶が ゆっくりとさめてゆくわ。
なんにも待ってやしない
わたしは
それが さめてゆくのを見つめているだけ。
かつてはわれらも喜びを受けたことがある。
それは憩いの日の朝で、
仕事場は静まり 園の花も静かに
いつもにまさって美しく咲き匂い、泉は
明るいひびきを立てて溢れ出ていた。
遥かの会堂からは信を共にする人たちの畏敬の歌が
聞こえてきた・・・
わたしは、空いた椅子のように腰掛けている。
わたしはここで待っている。
わたしに向かいあって、あなたはもうひとつの椅子に
腰掛けている。
あなたも、空いた椅子なのだ。
わたしは語りつづける わたしは一人語りつづけて
いる 誰もそのなかに住んでいない言葉を。
言葉だけがあって語り手がいなくなった言葉を。
わたしたちは言葉をもたないのではない、そうではなく
言葉との絆を失ったのだ。
まるでわたしたち自身との絆が失われ、すでにわたした
ち自身を もたないかのように。
だが、
もし
言葉が約束でなければ、もしそうでなければ、
わたしと、わたしたちの希望とは、どのようにして
つながりあえるのだろうか
日が暮れてゆくわ
窓の向こうに ー
そこにあるのは、 未来という、
たった一つの さびしい遠近法だけだ。
そこでは、・・・
建物がならび、
一つ一つの建物が長い長い影を投げている
わたしたちは腰を下ろしている
わたしたちは部屋になかに置かれた 一対の
さかさまの椅子のようなもの。
さかさまになった椅子は おそらく椅子ではない。
その椅子を
元にもどした後でもさかさまのままだわ。
でも さかさまであることに 誰も
気づかない。
日が暮れる。
・・・
わたしたちはきょういちにち、なにをしたのだろうか
あすいちにちなにをするだろうか
あすとはきのうのことのようだ。
わたしたちは先延ばしにされた答えのような
日々をもっている
わたしたちは背後の見えない扉にぐったりと
力なく背中を押しつけることによって
いつのまに その
答えを閉じてしまった
いつのまに。
わたしたちは拒絶も肯定もしなかった
ただ
ここに壁のようにもたれたかっただけだ。
そしてそれ以来 もたれかかったままで
何も言わずに
わたしたちは いつのまにそっと閉じてしまった世界のなかに住み
壁でしかなくなった部屋の内部の壁を ぼんやりと
眺めている
そして 世界は 答のない問ですらなくなった
それは 問ですらなくなった
この時をわれらは信じている。いまだにただひとつ自足して、
ただひとつ高貴で敬虔なものとして、・・・
一日の終わりに
けして意味を見つけたりはするな ー
それは 耐えられないから
一日とは
反復なのだ・・
いちどきりのものの 同一の
反復に わたしたちは生きなければならない
そして その無意味さのまえで
わたしたちは待ちつづけ 立ちつづけねばならない
それは 捨象することも
意味へと止揚することもできない なにものかの前へ
立たされていること
だからわたしたちは
その前に
立ちつづけねばならない・・
あるときわたしはムーサにたずねた・・
ムーサは答えた
日が傾く
わたしは
本を読むのに疲れて ぼんやりと見つめる
わたしの手のひらのかすかなくぼみの影を。
なぜ手のひらの中央はわずかに ひくく
くぼんでいるのか
わたしの手のひらをくぼみには かすかな
影をつくるだけの深さがあって
この世には神学というものがある
どうやって
生きていけば いい?
・・・
時がわたしたちを滅ぼしてゆくのと
おんなじ速度で
わたしたちは生きてゆけばいい
それよりもはやすぎず
それよりもおそすぎずに。それと
等速度で。
絶望もなく
希望もなく
こうやって 二人で
ここに腰を下ろして。
時は
ゆるやかなゆるやかな落下であればよい。
その時と
等速度でわたしたちは落ちてゆけばよいのだ。
ながい、終わりのない午後としての
わたしたちの生。ながく、おわりのない・・・
ながく、おわりのない午後を・・
きょう うたたねのあいだのゆめで
わたしは
一人の紡ぎ女だったわ・・・
やつれた、疲れた紡ぎ女だった・・・
一日じゅう 紡いでいた。・・・
・・・かつて知りえなかったものは、もはや知られることがない。そして知りうるものはすでに知ってしまったものばかりだわ。そうして、わたしたちは明日も、今日や昨日のようにここに座って、お茶を飲みつづけるのだわ
(ちがう-------そうではない-------生とはそのようなものではない-------
一滴がしたたる時-------朝の紅茶のなかにある日レモンの一滴がしたたるとき、その一滴はまるで時間の外から落下してきたように、まるで不思議なひとつの触媒のように、それが落ちたとたんに一生のなかの その瞬間に前後するあらゆる時間を変えてしまう-------みるみる触媒のようにすべての記憶を変えてしまう-------わたしたちの過去のすべての意味を変え、現在の 未来の意味を変えてしまう-------そんなことが ありえる場所なのだ、この時間をもつ生は-------この生にはそんなことがありえるのだ-------そんな奇蹟がありえるはずなのだ-------そうなのではないか-------そうなのではないか-------)
ディオティーマよ!こまやかに永遠にひとつに
結ばれていたからだ。
散り敷いた
木の葉のつぶやき。
舞い落ちる木の葉。
死とはわたしがわたしでなくなるだけのこと
たったそれだけのこと ー
なにをかなしむことがあろう
くりのべつづけられる毎日。
くりのべつづけられる
毎日
在るということは薄い影をもつということだ。
薄い影とは、影なのではない。
・・・・
それは手のひらに刻まれたしわや、顔のくま、
背中に浮いたわずかな陰影のことだ。
薄い影は、わたしに属しているのだろうか。
肉体だけがわたしのものであるなら、
それは 何に属するのだろう。
それとも、夜半に、
それとも、夜半に、
眼に見えぬいのちが森にざわめき、
わたしの頭上につねに喜びをたたえた
花々、あの 輝く星がきらめくとき、
夜。
あかりをつけていることのかなしさ。
そっと壁に 手をあてていると
壁をとおして
どこからか この海のように深い世界のどこからか
ふるえが伝わってくる・・・
ベッドのあかりの輝き。
わたしたち
欲望とは
閉じた世界。
どこかに中心がありながら しかも
そこが、ふさがれているために
その
まわりをぐるぐる回りつづけねばならない
果てしのない日常の内に隠された
迷路。
わたしたちは疲れた、 欲望であることに。
だがどうやったら そこから出られるのだろう。
欲望は ひとつの孤独な機械だ。
わたしは欲望のなかでわたしの欲望に出会うだけ。
わたしに出会うのはわたしだけ。そして
あなたに出会うのはあなただけだ。
夜になると窓ガラスに部屋の内部
だけが映るわ。
それがこわいわ。
まるで窓に映っている二人は
わたしとあなたではないみたい。
あのまっさおな
窓にうつると何もかもが
内部まで透き徹って見えてしまう
世界は
純粋な偶然だけから出来ている・・・
世界は一まいのお皿。
朝になるたびに
一まいづつ
わたしはそれを ならべてゆく。
わたしは けっして
割りはしなかった。なのに
朝がよるになり、よるが朝になるたびに、
それは
割れていたわ。
わたしたちは すでに割れた皿。
皿のかけら。
血。
痛い? なぜ
すこしも痛まない
これには痛みが欠けている
傷ぐちはあるのに
まるで
わたしたちに なにかが
そこで欠けてしまっているかのように?
わがいのちは
なすすべもないままに、エリニュエスとともに
進んでゆくがよい
あなたが語る、偶然という言葉にわたしは
慣れてしまった。
時計が八時を鳴らす。
不安を打ち消すための言葉は
水の上に浮いている木の葉のようなものだ・・・
それらは見えない渦巻の上を
まわりつづける・・・
それらはいつか呑み込まれてゆく・・・
紅茶の中に沈んだ赤黒い薔薇を。
スプーンでひきあげる。
時計が九時を鳴らす。
夜の窓は重くてあけられない。
朝の窓はすでに
たれかによってあけられている
昼間の窓には
わたしがいない
夕方は?
夕方は このわたしの内部が
外側になる。
十時。
わたしがあなたと いま
一枚のテーブルをはさんで向かいあうとき
あなたは
どこにもいない。
春は来たのだ。
そしてすべてのものはそれぞれ花咲く。
そして
一瞬も一年も十年もおなじことだ。・・・
告白しよう、わたしたちは何も待ちはしなかった。そしてわたしたちは何にも出会わなかった。
あなたはどこにいるのか。
わたしはわずかのあいだ生きたにすぎぬ。
きのう 乳母車の中の子供が、見知らぬ
わたしに、不意に風車をさし出したわ。わたしは、
うろたえてしまって、それを
つかめなかった・・・
わたしたちがその中にあるところの、
そのものをわたしたちは見ることができない。
わたしたちはただ 感じている
ここが閉ざされていることをかんじる
・・・・・
腰掛けている。
わたしたちの住む部屋には大きな大きな
外側がある、
それが世界だ。
だが世界はたった一つの部屋となって
閉じてしまった、
もう、その外はない。
・・・・
あなたは紅茶の中に沈んだ赤黒い薔薇を
スプーンでひきあげる。
ここでは まるで
わたしは わたしの表情を映すだけの
小さな鏡にすぎないのだわ。
わたしは鏡のなかに一つの顔をもっている
だけなのだわ。
地上の者たちはすべて天空の下を歩みながら、
天空を見る。しかし、人間は
わたしたちは 午後五時になるとここで
お茶を飲みます
ベランダに腰を下ろして、向かいあって
一つのテーブルをはさんで。
スプーンをゆっくり回すと、
ひとつの中心に向かう渦がカップに
できる。
ちいさな無意味さが かるい渦をつくる。
だがわたしには わたしたちには、 それしかないのだ。
スプーンを逆にまわしながら、
その渦がゆっくりとほどけてゆくのを
見つめている。
ごらん、
一日が終わる。
どの家の影も同じように傾いている。
あゆむ人たちの影もすべて 同じ方向へ
傾いている。
白色の道路に建築群と影とが遠く地平に向かって
整然と並んでいる。
輝く黒い窓窓がならんでいる。
どの窓にも何も映っていない。
四角と十字架の窓枠ばかりが
銀色に輝いている。
しずけさが
闇とともにひろがって一切をつつんでしまう。
世界をまちのぞむ
なぜなら世界はここにはないから
世界をまちのぞむ
なぜなら世界は暮れてしまったから
世界をまちのぞむ
なぜならぼくらはここではもう
黄昏の輝きしかもっていないから
きっと
愛するということ それは
そんなものではないのだ
そんなものではなく
まだ知られていないことなのだ
ともにほろんでゆくこと
それが わたしたちの 愛だったのだろうか
この
あたりまえの日常のなかで。
家の
柱時計よりも はやくも
おそくもなく
ひとつの大きなあきらめのように
手をかさねあうだけで いつのまに いなくなり
ほろんでゆくこと
それが 愛についてわたしたちの知っている
唯一のこと
こまごました たくさんの
たくさんの小さなものばかりにとりかこまれて。
わたしたちは けっきょくは だれもと同じように
そうであるしかなかった
燭台を置き
テーブルにひろげた
トランプのカードを 一枚づつめくってゆく。
裏側の絵をめくろうと 同じように
意味は無意味だ。
何も語らないカードばかりが
わたしの前にある
だから わたしはトランプ占をつづける。
優美の白鳥よ、おまえたちは
口づけに酔い痴れて こうべを潜らす、
きよらに醒めた水のなかに
濡れた落葉の上に、雨が降りつづいている。
ベンチに置かれた新聞の上にも、雨が降りつづいている。
白い燈をつける。
あなたはトランプをきり、ひとり
トランプをならべる。
占うあなたがだれでもないことを
それでたしかめるかのように。
あなたは一枚づつ
裏返されたトランプの絵と数字をみる。
窓の外に
雨が降りつづいている。
それらの 絵と数字が意味をたとえ示そうとも、
あなたはすでに何ひとつ読むことができない。
あなたは毎日を
ならべられたトランプのように裏返しているだけだ。
ちがう。そこにあるのは
連続だけなのだ。毎日の連続。
そこにあるのは 純粋な反復だ。そして偶然だ。
雨が降りつづいている。
にもかかわらず
わたしたちは待っている----何を?
そう
それは今ではない
なのにわたしたちは今しかもたない
今がわたしたちのもっている
ゆいいつのもの
----なのに、それは今でない
この貧しさ。 それはもはや
今ではない。
わたしたちの時代の 貧しさ。
もし今でないのなら、永遠を待たなければならない
花咲く灌木は高みから晴れやかな谷までつづき、
わたしたちは何ももたない。
そしてわたしたちにとって、偶然と必然とは同じものにすぎない。
わたしは知っている。
そして
わたしは
たった一度きり いつか
そこで
そのような石を拾うだろう。
そうしてわたしは一生のあいだ
そのまわりをまわりつづける。
一度きり起こった その偶然のまわりを、
その
石のまわりを
まわりつづける。
偶然。
偶然という無意味の石。
ここは偶然という 石の場所なのだ。
輝く盾
そして薔薇のように、
春は来たのだ、そしてすべてのものはそれぞれに花咲く。
偶然とは、見知らぬ顔に似ている。・・
偶然のなかの生とは
他人の顔に囲まれて死ぬことだ。
あおむけに横たわり、靴の間で、不意に現われた
他人の顔を凝視しながら息絶えることだ。
偶然。
偶然。
その無意味さ。恐ろしい他人の顔をした生。恐ろしい他人の顔をした運命。
だがこの世界には偶然しかない。それは仮面ではない。
それは他人の顔なのだ。それはみつめている。
偶然でないものは何もない。
偶然という吐気。
生きながら この吐気だけは、のがれられない。
一七四三年一月二十四日 スカルダネリ。
一七七八年五月二十四日 スカルダネリ。
一八四一年十二月二十五日 スカルダネリ。
一九四○年三月九日 スカルダネリ。
わたしをとりまいているのは、なにかしら
巨大なもの、
膨大で
不安な何か、莫大なもの、
そして不随意なもの、
自分のものでありながら、ひきつった足のように不随意で、
漠然とした何か重たいもの、
途方もなく重たく鉛のようにつめたく、そして周辺であればあるほど
不透明な固まりに似てくる 何か。
それは未消化の胃の残存物のもたらす 嘔吐の感覚のようだ、
わたしが
ここにあるということ。
憂いと迷いのさなかにも
霊を悲しみに沈ませることはないのだ。
わたしが窓の外に見るのは、
中空のコンクリートの箱が無限に積み重ねられて出来ている
ビルの情景だ。
そしてわたしは部屋のなかに腰を下ろす。この わたしという存在の箱。
わたしの存在の箱。なにもなさ。
わたしの硬質さと、わたしの中空さとは
釣り合っている。
わたしのもろさとわたしの軽さとはよく
釣り合っている。
わたしという一個の箱。
それをとりまく世界という外のない箱。
そして積み重ねられた人間の箱の、おびただしさ。
どの箱にも窓がなく、閉じている。
わたしが窓の向こうに見るのは、
おびただしく重なったもの、おびただしく重ねられたもの、
おびただしく白く積み重ねられたものの、
巨大な幻影だ。
その 巨大な灰色の幻影の中を、
黒い雨が降りつづいている。
エウフラテスの諸都市よ
パルミュラの街路よ
砂漠の平原のなかの円柱の林よ
わたしたちが待っているのは なにかしら大きな物語
ではない。
そのような物語は死んだのだ。・・
わたしたちはただ、雨の降る音を聞いている
だけだ
されど しろがねの嶺々はやすらかに高みに輝き
雪はいまあまねく薔薇色に燃ゆ。
そして
遠く 車の音が消えてゆく・・・
風が木の葉を覆えす。
風の歩きまわった足跡が散り敷いた木の葉の間に残っている。
夜のかたちのとりとめのなさ。
だが 底にはうつくしく
たえず 光がきらめいている。
わたしたちというものはない。
あるのは、闇に青くひたされた 透明な流ればかりだ。
個々に分かたれた 夜の底のかぼそい
ながればかりだ。
夜になると その流れる音がどこからか
きこえるような気がする。
わたしたちは消えてゆく。・・・
こうしてクリームをかきまぜながら
黙っていると、 夜の
時間という、きれいな砂つぶ、上から
さらさらと流れる砂つぶの、
一つぶ一つぶのきらめきが見えるようだわ。
それはうずめてゆく
それは しずかにわたしたちをうずめてゆく・・・
それを眠りのなかでふたたび見いだす
なぜならば、眼が閉じられ、足がくるまれたときに、
おまえは
夜。
わたしたちはいつもさらされていなければならない
ここで。
かなしく照明のてらす この場所で。
夜はまるで水槽のようだ。
魚は歌わない。
水槽の 冷たい水のなかに身を浸して、
またたきのない目を 大きく
み張ったまま。
彼らがもっともわたしたちに似ている・・・
わたしはあなたをただ所有することしかできない。
それしかできない。
それがわたしたちのかなしさだ。
わたしたちは 誰のものか知れない 濡れた
冷たい肉体を真ん中に挟んで 眠りにつく。
夜が更けてゆく。
森は沈んでゆく。
そして蕾をおおう萼のように
木々の葉が断崖のへりにかぶさり
下の谷底の花を隠している。
愛とはこの深いふかい脱力感のこと、
愛とは、
このどうしようもない体の重さのことではないか
・・・・
沈んでゆきながら
もたれあいながらわたしたちは いっそう
ささえきれなくなってゆく ・・
わたしたちを結びつけているのは きっと 肉体のたがいの重さだ。
びっしょりと死に濡れ
たがいにもたれあいながら沈んでゆく。
だるい・・・
わたしの中では眠れない・・・
あなたの中で眠りたい・・・
とおくで車の音が消えてゆく・・・
夜は
すべて同じ構造をしている。
そこに わたしはいない。
わたしはそこにいない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・