おかのおじか 第九番詩集
『オシヴィエンチィム』
ー アウシュヴィッツ詩篇 ー
この作品は1994年1月7日にドイツ・マールブルクにおいて、発行された
わたしの中の最も低い声で語られた
この作品は日本の父母に捧げられる
序
おかの おじか
私がこの詩集で繰りひろげたのは、アウシュビッツ絶滅収容所が地上に打ち建てた、唯物論にたいする、絶望的な勝ち目のない戦いであった。
一九九三年の四月から五月にかけての時期は、フライブルクからマールブルクに移り住んだ、私の生涯で最も忙しい時期だったにもかかわらず、私は急に産気づいて、この、小さな詩集の中核をなす詩篇を産んだ。私の九冊目の詩集である。私のこれまでの詩を知る読者は、この九番目の詩集の全体を支配するトーンの暗さに驚かれるであろう。
これらの作品の形成に駆りたてた直接的な動機がいくつかある。一つは九二年の冬にミュンヘン近郊のダッハウの強制収容所跡を訪れて内面に衝撃を受けたこと、そして その衝撃に追打ちをかけるように、私がマールブルクの図書館で読むドイツの新聞には、連日、旧ユーゴスラビア領内における民族大量殺戮のニューズが報じられていたことである。ある記事によれば、そこでは強制収容所の存在まで確認されたという。その後、私はポーランドのアウシュビッツを訪れた。
題名のオシヴィエンツィムとは現地ポーランドの、アウシュビッツに対する地名である。この受難の地の名前には、深い、神秘的な響きがあり、まるで隠された叡知の言葉のつぶやきのようである。そこで、この詩集の題名とした。
強制収容所とは単に歴史の問題ではなく、人間存在に内在する根源的な問題であり、それは私にとっては人間への形而上学的な問いになりうる問題であると感じられた。その問いこそが、この詩集の中心を形成する。
わたしがわたしについて、苦しむとき、
わたしの前に誰かがいる気がする。
わたしは誰の前でわたしを苦しんでいる
のか? わたしの前には誰もいない。
なのにわたしが苦しむとき、わたしの
前には誰かが立っているような気がする。
コルベ神父
あなたは死を待つあいだ
この薄暗い 地下の飢餓室で
何をされていたのか
あなたは きっと やさしく
一枚の壁を手さぐりしていた
あなたは闇のなかで 静かに牢の壁に
もたれかかり
あなたの手は 石の壁をなでていた
*
あなたの手がさすっている
一枚の壁
あなたの手がさすっている
壁
これが
あなたのもとめていた あなたの神の
この世のすがた
この壁が ひとつの顔になるまで
あなたの主の顔が この垢と滲んだ血に汚れた
壁となって 浮かんでくるまで
あなたは この世の壁を さすりつづける
この闇のなかの壁を なでつづける
あなたは この
壁の前でひとり死んだ
それは もう
壁ではなかった
声1
それは落ちることではなく きっと
べつのことなのですわ
そう おおもいになりません ?
その時がきたら
だれもが無意味な無意味な
それを抱きしめて落ちるのです
かたくかたくその、無意味さを胸に抱きしめて落ちるのです
ですが、落下とは、それは
わたしたちを無意味さのまま
空中で抱きとってくれるのではないのでしょうか
無意味さのまま
両腕で抱きとってくれるのではないでしょうか
そこにある
落下とは、わたしたちの知らない
抱擁なのではないでしょうか
わたしがある そして
わたしのすべてが
わたしひとりに まかされている
すべての わたしという否定 肯定が ただ
わたしにまかされ
その重さにひとりで耐えねばならない
大きな空の下に わたしはいる
銀色に輝いている草叢
それはしきりに まぶしいほどに
揺れうごいている
わたしのベンチに腰かけているさまは
絶望者さながらだ
両手を組んで かかみこんで
地面をみつめる
わたしがある
わたしがあるために
わたしは見ることができる
わたしはすべてを見つめる
だが たったひとつのものが
見ることができない
わたしはひざまずき
石のちらばっている地面の上で
祈る
フランクル『夜と霧』の一挿話から
わたしは不死です
なぜなら
なぜなら
あの 外のカスターニエンの樹が
けさも わたしに こう語りかけたのです
「わたしはここにいるーーわたしはーーここにーーいる。
わたしはいるのだ。永遠のいのちだ。」
収容所の医師は 死の間近い若い女がこう
言うのを聞いて おどろいて窓をみる。
そこには
いちめん真白な花をつけたカスターニエンの樹が立っている
(註) この詩はフランクル『夜と霧』(みすず書房)
170〜1ページの挿話にもとづいている。
血
1
血
私のしらない
私のなかの重さ
それをになうのは誰
私は私には重すぎる
私をになう人がいる
その人は私のしらない重さのために
釘にかけられている
2
今なお
くるしげに血をながす人よ
あなたの像は
この 収容所の跡地に 立っている
なぜ神が自ら
人間の血を ぼとぼとしたたらせているのか
なぜ 釘の上で肉体をゆがませ 目をとじて首を垂れ
血をながすか
ここに立ち なぜか 異教徒のわたしにも
わかったような気がする
あなたの血は あなたの
ものではなく
あなたの血は 重い重い人間の血
血
それはだれにもになえない
人間の血の重さは だれにもになえやしない
その重さは だれにもになえないから
あなたが かわりに になったのだ
あなたの血を わたしはみつめることができない
あなたから わたしは
目をそむけつづける
3
血 見てはならないもの
血 目をそむけるもの
わたしたちは血を見なければならない
血を 理解しなければならない
血とは 重いもの 見知らぬものだから
血 わたしの知らない 神
の重さ
血 わたしの知らない重力の形而上学
それは 一滴づつ したたる
だれにも になうことのできない 重さで
壁にかけられた
あなたの像から したたる
キリスト
血とは あなたのことなのだ
影
たった一本の垂直と
たった一本の水平だけからなる
恐ろしい力がある
獄からひき出されて そこで
彼は見た
彼は その恐ろしい力が
目の前で 十字架という
不思議な姿をしているのを見た
彼がその時見た ゴルゴダの
奇妙な 死刑台の影
それが彼じしんの、主の姿 ー
彼は幾度も 倒れながら
その主の姿にむかって
一歩づつ 歩まねばならなかった
そこで
彼の肉体を重ね合わせるために
クレマトリウム。
わたしはその場所に立っていた
目をそらすこともできずに
地をみつめながら。
だがわたしたちに聞くこと以外のなにができよう・・・
*
苦しみはすべて声をもつ。
しかしそれらの声に
答え得るのは
われわれの歎きの声を超えたところの、
たった一つの声だけだ。
その声がどこから来うるのか
知らない。
しかし、すべての苦しみという苦しみが
声であるかぎり、どこかに
かならず それらの声に答える
たった一つの声がなければならない・・・
声3
この苦しみはわたしのものです
この苦しみはわたしなのです
わたしはわたしが誰なのか、
この苦しみはなぜわたしのものなのか、
なぜ、この苦しみなのかを、知りません
でもこの苦しみはわたしのもの
それだけがわかっています
この苦しみは泣きぬかれねばなりません、
ほかの誰でもない、わたしによって。わたしひとりによって。
なぜかはわかりません
それがなぜなのかわかりません。でも
こうして横たわったまま
白い壁に1本の影がうつっているのを見ていると
これでよいのだと、ーーーわたしはこれでよいのだと
なぜか 死をまじかにして
そうかんじるのです・・・
私のなかで 数を数えるのは誰か。
囚人棟の蚕棚ベッドの数。
天井の羽目板の数。
監視塔の数。
眼鏡の数。
窓の数。
靴の数。
数。
数。
・・・
あるきながら歩幅を数えているのは
私ばかりではない。
私と一緒に数を数えるのは誰か。
ここでは けっして数を数えてならない。
なのにここにあるのは数ばかりだ。
私は 数しか数えることが出来ない
アウシュヴィッツとは
どんなところか
そこは
いちめんの野
花はなく
かわりに石があちこちに白く咲いていた
おそらく
じぶんに与えられた石を ここで
花咲かせるには。 ー
じぶんに与えられた
重い一個の石ころを それだけで
石のままで 花咲かせるには
どうしたらいいか
おおくの囚人が青ざめ 大地にしゃがみこむように
くるしんだのだ
訪れた
アウシュヴィッツは いちめんの野原
花はなく
かわりに奇妙にも
地の上では
石が 石のままうつくしく花咲いていた
声4
石がむすうに
地の上に散らばっています、まるで
握りしめた拳のように。
わたしの仕事はそれらが土に帰れるよう
砕いてやることです、
二つに砕き、三つに砕き
五つに砕いてあげます。
砕きながら 砕いてやりながら 目からは
涙がこぼれます、 なぜなら
いくらわたしがどんなに小さく
どんなに細かく砕いてやっても
それらは けっして土になることなく
花々のあいだで 散らばっているのです・・・
*
そうです
ここには
石だけがちらばっています
そこで
なにをすべきなのでしょう そこに立たされた
われわれは
石をかぞえればよいのでしょうか
石をかぞえ
かがみこんでは石の数をかぞえ
ただ石をかぞえる それだけ ああ
かぞえることは
その数を背負うこと
背負いきれなくなって ついに
たおれるまで
たおれて 泣きながら
その重さを大地にかえします
その 石の間で
ちらばっている石にかこまれて
肉は言(ことば)であったというのか
肉はそのとき言であったというのか
証言せよ そのとき 肉はもえあがる言であったと
黙した肉はもえあがる言であったと
それらの 殺された肉 肉となった肉
山と積まれて焼かれた肉すべての人間の
肉は言であったと
そのままもえあがる言であったと
声5
わたしが わたしにとどく
穴
それがわたしなのだから
わたしはかくも底なしに深い 神よ
わたしが わたしにめぐりあえる
扉
それがわたしなのだから
わたしはかくもながく待ちつづける
神よ
*
旅の途中、ホテルで、年配のドイツ婦人と知り合いになった。
彼女はポーランドを旅行したおり、アウシュビッツにも寄ったと
いう。どうでしたか、と聞くと、彼女は明るく首を振って、こう
話してくれた。
彼女は、そこを訪れたが、寒さのために治療が済んでいない歯が
ぼんやりと痛みだした。その歯痛がもたらした不安のために、そ
こで見たものは、すべて夢をみているようにかんじた・・・
「人の苦しみを理解するなんて、不可能なことだと、それでわか
りましたの」と彼女は微笑みながら、いった。
声6
1
わたしはわたしでありつづけることしか出来ぬ
わたしはわたしでありつづけることしか出来ぬ
だからこそわたしには一つの扉が必要なのだ
わたしがこのままで死ぬことがないように
2
わたしこそ一つの扉なのだ
だれか わたしを開けてくれ
あたらしく わたしを開いてくれ わたしにわたしを
開けることはできないのだから
ああ わたしはこのままでありつづけることは
出来ない
3
わたしは生涯かかってこの扉だけにゆきついた
この閉じきった扉に。
そして わたしは
ある訪れを信じ わたしの中で
わたしという扉の前で 待ちつづける
4
わたしは信じたいのだ 人間の
ある不思議な 変容のものがたりを
わたしは聞きたいのだ ある神秘な 訪れの
ものがたりを
5
ドアが少しづつ開かれるように ある日から
わたしたちが少しづつ 変わってゆき
そしてある日 めざまされて 鳥の声のなかに
たしかに鳥の声を聞き 光のなかに 光を浴び
扉の外に立たされている自分を見いだすような
そんな ある一つの 変容のものがたりを
声7
1
わたしがわたしであるとは
ひとつの 必然の
場所のようなもの
だが
わたしはここで待たされているだけなのだ
だからわたしは わたしのなかで
ここに
椅子を据えて待つつもりだ
2
きょうわたしは死を告知された
3
わたしはわたしであるより
逃げ場がない
だからわたしはわたしに椅子を据えて
待つつもりだ
わたしはおそらく
わたしという場にいるだけなのだ。
4
わたしとは壁なのかも知れない。
壁と向きあったまま
坐らされている
わたしとはもう一つの壁なのかも知れない。
5
わたしとはここにいる
わたしとはここにいる
わたしとはここにいる いまここにいる
どうしようもない
壁。
わたしは待ちつづける。
6
この肉体のなかで 待ちつづける。
7
わたしである必然のなかで待ちつづける。
わたしである壁から にげてはならない
この壁が わたしの最後の扉なのだから。
プラットホームでの死の選別
人間が柱のように立つ。
人間が柱のように立つ。
人間が柱のように立つ。
人間が人間を立たせる。
声が近づいてくる。
おまえは右。
おまえは左。
おまえは右。
おまえは右。
おまえは右。
おまえは右。
おまえは右。
おまえは。
声はどんどん近づいてくる。
近づいてくる。
人間が柱のように立っている。
*
誰かが語りかけている、しわがれた声で
それ以来その言葉は私をつきまって
離れなくなった
「たぶん、そうなのだ・・・われわれがこの世に
あるのは・・・」
その声が心の中で聞こえるたびに、そのつど
思い浮かぶのは あのがらんとした、クレマトリウムのみえる
空地の光景なのだ。
そこでは霜が、差している冬の日に白く輝いていた
「捧げるためなのだ・・・残らず捧げつくすためなのだ・・・
この世にあるのは・・・」
以上、『オシヴィエンチィム』の前篇が終わった。
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