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人の命(Human Life)に関する研究(命学)
Human Life Study
精神は精神本体と自我からなると考えられます。
精神本体は人がウイルスのような状態から数千万年、数億年、もしかすると数十億年かけて発達してきたと考えられます。
人が精神本体を認識するしないに関係なく、精神本体はすべての人に先天的共通的に働いています。
原始的精神、原精神、基本的精神と呼ぶこともできます。
自我は最近数百万年の間に精神本体の上に発達してきたと考えられます。
本質は先天的共通的ですが、後天的個人的に発達する部分が目立ち、人は誰でも自我を認識します。
精神本体も自我も人を生かすために働いています。
特に精神本体は、人に認識されなくても黙々と働き、人を生かし、自我を助けています。
人生とは精神本体と自我の二人三脚と考えられます。
私達は精神本体を「人の命」(Human Life)と呼んで、その働きを研究しています。
そして人の命(Human Life)に関する研究を命学(Human
Life Study)と呼んでいます。
人の命について研究していると、個人の生き方、あるべき社会、あるべき世界が派生的に描かれてきます。
そこで私達は人の命を第一テーマ、個人を第二テーマ、世界を第三テーマとして考え、小論の形で蓄積しています。
また、日々思ったことはブログに書いています。
Human spirit may consist of its main part and self.
Main part of spirit is
considered to have been developed over billions of years since human beings
might be in a state like viruses.
Whether people recognize main part of spirit or not, main part of spirit is
native and common to all people and works in them.
It can be called primitive spirit, original spirit or fundamental spirit.
Self may have progressed
on the main part of spirit in recent millions of years.
Although it is also native and common, the portion which progresses
a-posteriori individually is conspicuous.
People recognize self easily.
Both main part of spirit
and self work for a person to live livelily.
Even if main part of spirit is not recognized by a person, it works silently
and helps a person and its self in order that a person lives livelily.
Human life is considered a three-legged walking of main part of spirit and
self.
We call main part of
spirit "Human Life", and study its functions.
And we call the research on "Human Life" 「命学」 (meigaku: Human Life
Study).
While studying "Human Life" many ideas come out about good individual
ways of life, desirable societies, and the hopeful future world.
The ideas about "Human Life" are compiled in a sub-website 「人の命」, the
ideas about individuals, in a sub-website 「個人」, and the ideas about the world,
in a sub-website 「世界」, in a form of a short article.
Moreover, what are considered every day are written in blogs 「心の旅紀行」 and 「新世界をつくろう」.
********** インフォリンテル(INFOR-INTEL) **********
【最近考えたこと】(What we thought recently)
○
War mind is
an interior enemy
戦争心は内なる敵
世界で戦争に関する関心が高まり、戦争を話題にする人が増えています。
多くの国々が軍備拡充を行っています。
世界で戦争論者が増えることは危険です。
大きな戦争になる危険性が高まります。
危険な新型ウイルスと、戦争心は伝染性においても人の命に対する危険性においてもよく似ています。
ところが人は新型ウイルスを否定するのに戦争心を肯定する人が多いと思います。
外なる敵に気付いても内なる敵に気付きません。
世界が協力して新型ウイルス対策を行うように戦争心対策を行うようになると平和に近づくことができると思います。
The concern about war is rising in the world in recent years, and the number of
those who mention war is increasing.
There are many countries which are expanding their armaments.
It is dangerous that the number of war disputants increases in the world.
Danger of an outbreak of big war rises.
The dangerous new virus
prevailing now and mind to war look similar in infection and danger to human
life.
However, many affirm war
mind in spite that every one denies the new virus.
They don't notice the interior enemy in their minds but the exterior one.
I think peace will be
near if the world takes measures against war mind in cooperation as it does
against the new anti-virus.
2009.5.7
○The world may
prepare the world police system
世界警察を設けるといい
警察官は人のため法のためという大義がありますから仕事のやりがいがあります。
しかし軍人は、自分が所属する組織ためという義はありますが、世界の人のため世界に共通する法のためという大義がありません。
そのため組織の命令に従って意味もわからずただ破壊し殺人を行うだけという状態になりやすいと思います。
国連で人命重視の世界法を採択し、世界法のため世界警察を設けるといいと思います。
世界警察官には、世界法を学んで世界の人のため世界法のためという大義を身につけてもらいます。
そして世界警察の充実とともに各国は防衛組織を縮小し、軍人を減らすようにします。
現代では事業力、仕事力のある人は軍人になりません。
生活力のない人が軍人になります。
したがって軍人の失敗、犯罪が多発します。
聞くところによると日本の自衛隊員も軍人と同じ問題を持っているようです。
確かに自衛隊員の失敗、犯罪が多発しています。
The work of a policeman
is worth doing since he has justice that it is for people and for law.
But a military man does
not have justice that his job is for people in the world and for law common to
the world, although it may be for the organization which he belongs to.
Therefore, he is apt to
be in a state in which he merely destroys and performs homicide according to
the commands of the organizqtion without
understanding the meaning of his job.
United Nations may adopt
a world law that makes much of human life, and prepare the world police system
for the world law.
A world policeman
studies the world law, and has justice for people in the world and for the
world law.
And with the substantial
world police system, each country reduces its defense organization and reduce
military men.
Nowadays a person with
enterprise ability or work ability does not want to become a military man.
A person without a
living vitality may become a military man.
Therefore, failures and
crimes of military men occur frequently.
It is said that Japanese
Self-Defense officials have the same problems as military men.
To be sure, failures and
crimes of Self-Defense officials
occur frequently.
2008.10.6
○War is sick
戦争は病気
戦後50年強日本は戦争しないできました。
これは日本が健康であったことを示しています。
ところが近年、自衛隊は軍であるとか、隣国の脅威とか、いざ有事の時とか、自衛隊の海外派遣とか、まるで戦争が近いかのような雰囲気が生まれてきました。
だいぶ不健康になったようです。
戦争は病気と考えるといいと思います。
人は生きるため生産を続けます。
戦争を続けるような馬鹿はいないでしょう。
国も同じです。
あの戦争好きなアメリカだって戦争をいつまでも続けることはできません。
More than 50 years after
World War UJapan has been without warring.
It shows that
However, in recent years
atmosphere as if war is near has been born.
People say the
Self-Defense Forces is an army, there are threats of the neighboring countries,
time of emergency may come soon, and it is necessary to send the Self-Defense
Forces overseas.
It seems that
You may think war is
sick.
People continue
production in order to live.
There is no one who
foolishly continues war.
A country is the same as
a person.
Even the
2008.6.27
○人の命を信じて生きる
今生きているという事実、これは非常に重いことだと思います。
人類の始祖は、ウイルスのような状態であったと思いますが、その誕生は数千万年前、数億年前、もしかすると数十億年前と考えられます。
人の命は気が遠くなるような長い歴史を持っています。
親から伝わっただけではありません。
通常、人の命と言うと誰でも自分の命と考え、自分は死ぬ、人の命ははかないと思います。
しかし、世界では今も人口は増え続けています。
自分は死ぬが世界には必ず誰かがいて人の命を未来に伝えていきます。
この人の命に注目するなら、はかないどころか、人の命は永遠です。
人の命は自分ではありません。
生きているすべての人の中で働いている共通の存在です。
人の命は、自分とは別の存在で、気が遠くなるような長い歴史を持っています。
この人の命のおかげで私達は生きています。
少なくとも数千万年を生きてきた人の命は、生きる方法について自分とは比較にならないほどの経験知識を持っているからです。
人の命は信じるに値します。
今自分が生きているのは人の命が自分の中で働いているからだと思います。
いつか自分の肉体は古びて死にますが、その時まで人の命と一緒に生きる、これが人生だと思います。
2008.4.30
○ 一民族一国の時代ではない
最早一民族一国は不可能です。
それなのに民族独立戦争がおこる原因は何でしょうか。
差別だと思います。
したがって政治は異なる民族の人々の命や心を平等に尊重することが必要です。
被差別民族についてですが、もちろん威張る民族の方が悪いのですが、たとえ差別を受けても差別にめげず、助け合って学問し、仕事をし、事業を行なって、いろいろな分野で生き生きと生きた方が、差別民族と戦争するよりいいと思います。
戦争すればまず勝つことはできません。
その上、怒りのあまり戦争することばかり考え、学問にも仕事にも事業にも手がつかず、非人間的な生活に陥るでしょう。
戦争に巻き込み愛する家族や友人も失うでしょう。
仮に外国の支援で独立できたとしてもこのような民族国家が経済的独立を達成することは容易ではありません。
独立後も独立を支援した外国の経済的支援を受けることになりやすいと思います。
これでは独立しても今度は別の国に従属することになります。
差別されても文化的な生活をしていたらやがて差別民族の方が遅れていることが目立つようになるでしょう。
遅れていると思って被差別民族から学ぶ人が現れるでしょう。
差別民族に対してもよいことについて協力的ならば差別のない社会にする運動もやりやすくなるでしょう。
民族共存の方法を考えた方がすべての民族が人間的に生活できると思います。
国を持ちたいと苦労している民族、持っている国を民族国家として維持したいと苦労している民族は、いつまでも不安危険な社会に生きることになるでしょう。
2007.12.23
○戦争しやすいから戦争しない決意が必要
成長の限界を感じる世界で自由競争を強調すると個人の間でも国の間でも自分の利益だけを重視する傾向が出ます。
その結果、格差が拡大します。
勝者も敗者も将来を考えないで感情的衝動的に行動するようになり、世界に不安と不信が満ちてきます。
個人が政府を使って自分の利益を守ると考えると国家主義が強くなります。
成長の限界を感じているのに、アメリカの自由主義、資本主義を強調したグローバリゼーションが支配的であることから判断にして現代は戦争しやすい時代です。
このような条件下で、時には戦争もある、いざとなったら戦争すると考えていると、本当に戦争し、しかもその戦争が予想以上にはるかに長引き、人々が一生苦しむことになります。
このような時代だからこそ、戦争しないとの決意、戦争しない方法を考え話し合う姿勢が重要になると思います。
不安と不信を除去するには、法の重視、情報交換、話し合い、格差是正、協力が必要になります。
勝手に相手を敵とし、感情的になり、怒って不法に対して不法で応えるのは不法です。
法で応えるのが法です。
不法を犯さない最善の方法は、不法を犯してはならないと考えることではなく、法を行なうことだと思います。
日本は、平和ボケではなく軍備拡充ボケで、次第に法に甘くなっていると思います。
戦争しやすい状態になりつつあります。
07.4.23
○総合的に見れば世界も法が支配的
殺してはならないという法が支配的な社会であれば個人は武器を買う必要はありません。
時々起こる殺人については警察が対応します。
総合的に見ればアメリカも殺してはならないという法が支配的な社会と思います。
アメリカで個人が武器を持てるのは、自分の身を守るのは個人という昔の開拓時代(無法時代)の武器を持つ慣習が個人の権利として残っているからでしょう。
それが現代も武器による犯罪が非常に多い結果になっています。
現代は法の時代ですからアメリカといえども個人が武器を持つ権利を放棄した方がいいことは明らかです。
世界には国々がありますが、国権として武器を持つ国がほとんどです。
日本は、世界が法が支配的であることを期待して憲法では軍備および戦争を放棄しています。
ところがその日本も現実は戦争の恐れや戦争があるというので憲法を無視して軍備を拡充し、正当防衛の範囲をこえる武力の行使ができるようにしようとしています。
しかし実は総合的に見れば世界も法が支配的です。
別に世界は戦乱の状態ではありません。
一部自制のない国、民族、武装勢力が戦争や内乱を起こしている程度です。
したがって国連や国際的話し合いで、各国がそれぞれ武器を保有する段階から、時々世界のどこかで起こる戦乱に備えるため世界警察を設ける方向に進むならば、各国の防衛予算を大幅に減らし、民生改善に回せるはずです。
現代は国権として武器を保有するなどと馬鹿なことを言っている時代ではないと思います。
07.4.20
○自我否定の矛盾(人の命の問題)
宗教的あるいは道徳的な人の中に自我を捨てよとか、私は自我を捨てたと言う人がいます。
しかし自我を捨てた人はいるでしょうか。
自我を捨てる主体は何かと考えてみるといいと思います。
それは自我です。
つまり自我が自我を捨てたと言っている訳でから実は自我は存在しています。
矛盾です。
矛盾と批判されると彼らは面白いことを言います。
「私が言ったのではない、神が言われた」などと言います。
仮に神が言ったとしても、神が言ったと思ったのは自我です。
そして神が言ったと言ったのは自我です。
もっと面白いことを言う人がいます。
「私は自我ではなく、神である。」
真実なら矛盾ありません。
ところが彼らは普通の人と全然変わらない生活をしています。
変わっているのは口で「私は神である」と言うことだけです。
確かに自我は神であるという思想はあります。
しかしこの場合は自我を神と言っている訳ですから自我を捨てたことになりません。
自我を捨てることが不可能なら、自我を肯定し、自我のあり方を考えた方がいいと思います。
私は自我は人の命(Human
Life)の次に重要なものだと思います。
人生とは人の命と自我の二人三脚だと思います。
(注)ここで人の命とは、精神本体、つまり精神全体から自我を引いた基本的精神、原始的精神、原精神のことを言います。
自我未発達の時代に人に作動していた精神と考えるとわかりやすいと思います。
人は、数千万年、数億年、もしかすると数十億年かけてウイルスのような状態から人に進化してきたと考えられます。
精神本体も気が遠くなるような長年月をかけて発達してきました。
2006.11.28
○精神本体と自我の役割分担(人の命の問題)
精神として通常私達が認識できるのは自我です。
感じたり、学んだり、考えたり、行なったりする主体です。
しかし人が生きるのに機能している精神が自我だけでないことは何人も否定しないでしょう。
自我よりはるかに強大な精神が働いて人を生かしていることを感じるでしょう。
私はこれを精神本体と呼んでいます。
精神を地球にたとえるならば、自我は表層の薄い地殻だと思います。
そして精神本体は地殻の下の厚い地球の内部だと思います。
私達は地殻についてはかなりの知識を持っていますが、地殻の下となるとほとんど知りません。
同じように、私達は自我についてある程度の知識を持っていますが、精神本体についてはほとんど知りません。
ウイルスのような状態の時から数えるならば、人類の歴史は、数千万年、数億年、あるいは数十億年かもしれません。
数千万年としても人類は気が遠くなるような年月を生き、経験してきたと言えます。
その間人類はいろいろなことを経験し、知識として蓄えてきたと思います。
この知識は、自我が生後学んだり、考えたりして得る知識と比べれば、比較にないならない膨大な知識でしょう。
私達がこの知識を先祖から受け継いでいることは明らかです。
それではこの先天的知識はどこに蓄えられているでしょうか。
DNA、細胞、組織、そして生きている体全体が記憶に関係しているかもしれません。
さらには体の周りの環境が記憶に関係しているかもしれません。
つまり周りの環境があって記憶が再現するような仕組みになっているかもしれません。
この先天的知識を引き出し、生きることに役立たせているのが精神本体であると考えられます。
自我が、生きている体に実現しているように、精神本体も生きている体に実現しています。
自我にしても精神本体にしても、精神は、化学的物理的生物学的有機物であるDNA、細胞、組織、体などと違って形がありません。
神経系は、精神実現に深い関係がありますが、精神ではありません。
精神は生きている体に実現している生命機能です。
精神本体と自我は緊密な関係にあり、相互に影響しあっていると思います。
しかし、何故か、自我は、精神本体が引き出しえた先天的知識を、自我が理解できる形で引き出すことができません。
どうも役割分担があって、自我は精神本体が持っている知識を無理に知る必要がないのかもしれません。
つまり、精神本体は、先天的知識を自分で管理し、活用し、人が生きるのに役立たせているようです。
人が生きるためには精神本体の安定が重要ですから、不安定な自我に支配されないようにしているのかもしれません。
自我に向かって精神本体は、無理に先天的知識を知る必要はない、精神本体は精神本体で人が生きるように活動している、また自我を助けている、だから精神本体を信じて、自我は自分がやるべき仕事をやって人が生きることに役立てと言っているような感じがします。
私は精神本体こそ人の命と思いますので、これを「人の命」(Human Life)と呼んでいます。
そして人生とは、人の命と自我の二人三脚と思っています。
06.11.19
○国とはいったい何か(世界の問題)
国とは何か、国境とは何かという問題は現代人にとって大きな課題です。
現在は、世界という意識が弱く、世界は国際社会と呼ばれています。
つまり国は主権国(主権を行使する完全な独立国家)という考えが強い状態です。
したがって国連があっても、強国が支配的です。
大名が支配的で、日本という意識があいまいであった昔の日本を考えると今の世界がわかりやすいと思います。
国連には既存の国境は動かさないという原則があります。
しかし国が支配的ですからいまだに国境争いが生じます。
たとえば北方4島問題、竹島問題、尖閣諸島問題は、このような国際社会の中で起こっています。
単なる所有欲だけでなく、具体的な利害が絡んでいますから問題は深刻です。
当事者(国)は執念深く領有を争いますから戦争になる危険性を内包しています。
しかし国境問題で国は決して戦争してはいけません。
戦争は損害が大きすぎて全く損得勘定が合いません。
忍耐強く話し合いを続けるか、急ぐなら国際司法裁判所で裁決を求めるのが妥当です。
ところが、国境問題で国が戦争し、人が死んでもいいと考える国意識の強い人がいます。
これが愛国心と誤解している人は多いと思います。
強すぎる国意識は人々の迷惑です。
戦争を避けるためには国とは世界の中の地方、区域、行政区と考える方法があります。
このような考えを人々が持つようになることは可能です。
人間の思考の問題にすぎないからです。
外国に永住している人は無数にいます。
彼らを異常と思う人は一人もいないでしょう。
しかし現代はまだ、国意識が強く、世界意識が弱い状態です。
世界は夜明け前です。
そのため私達は戦争の不安をかかえながら生きています。
06.11.17
○神とは人の命、人の命とは神(人の命の問題)
神については神の信者でない人も関心を持っている人が多いと思います。
無神論者でもときどき自分のことを神ならぬ身などと言います。
無限の神、有限の自分という認識があるのでしょう。
しかし無限の神と認識されている割には神は無限ではありません。
たとえば、もし神が、人は人を殺してはならないと考えているならば、神が、人を、人殺しをしないようにすればいい訳です。
しかし現実はそうなっていません。
したがって無限の能力を持つ神は存在しないか、神は、人は人を殺してはならないと考えていないか、どちらかです。
それでは、人は人を殺してはならないという法は誰が定めた法でしょうか。
人です。
生きている人は、生きることが目的です。
この目的は自分も他人も同じです。
したがって人は人を殺してはならないのだと思います。
自分も人ですから自殺もいけないのだと思います。
つまり神の有無関係なく人は人を殺してはいけないのだと思います。
もっとはっきり言いますと、神より、人を殺してはならないという法の方が人にとって重要なのだと思います。
したがって人を殺してはいけないという教えが無限の神の教えと信じている人は、神とは人の命である、人の命が神であると考え直すと、矛盾がなくなると思います。
06.11.16