『騎士物語』
                              滝澤真実

    一
 丈の短い緑の下生えが、広がる大地を覆い尽くしていた。風が通り抜け、下生えがさざ波のように揺れている。時折思い出したように鋭い風が吹き、平原に大きな波を巻き起こした。日の光に照らされて明るく輝いている平原の中、風に流されている小さな雲の影が音もなく駆けていった。
 風は障害物にぶつかって、小さな渦を作った。
 白いドレスを身にまとったその小さな障害物は、祈るように男たちを見つめている。亜麻色の美しい髪が、まだ子供らしさの抜けきっていないぽっちゃりとした顔にかかりながら風に踊った。その十歳程度とおぼしきの少女の隣には、およそ少女のドレス姿に似つかわしくない汚い恰好の男が三本の槍を抱えて立っていた。老人とも呼べる年頃のその男の細長い顔の中では、細い目が微かな光を放っている。
 二人の正面、少し離れた所にも同様の槍を抱えた男が立っているが、三人は互いの姿を見ている訳ではない。
 三人の視線の先では、二人の騎士がかなりの距離を置いて向かい合っていた。板金製の鎧を身に付けた二人は、ともに馬にまたがり、槍を構えて対峙していた。双方の鎧には左胸の所に小さく獅子の紋章が刻まれていたが、それぞれの持つ楯には別々の紋章が描かれていた。
 鷹だろうか鷲だろうか、かたや赤地に黒く翼を広げた勇壮な鳥の紋章。かたや白地に青く交差する剣の紋章である。
 その青い剣の紋章の騎士が、馬に拍車をあてた。一瞬遅れて鷹の紋章の騎士も馬に拍車をあて、二人は一直線に、来たるべき衝突の場へと向かって突き進んだ。
 剣の騎士は見事に槍を扱い、穂先をほとんど揺らさずに鷹の騎士の体の中心に狙いを定めている。いっぽう鷹の騎士のほうは槍をゆったりと上下に揺らしながら、しかし左右には全く振らさずに、突進していた。
 激突の瞬間、二人は見物人には見えないような素早さで動いた。鷹の騎士は相手の槍に狙われている位置に用心深く楯を構え、自身の槍は相手の顔面に向けた。剣の騎士はそれに合わせて楯を顔の前まで引き上げた。と、鷹の騎士は槍を下げ、剣の騎士の胸に狙いを定めた。しかし剣の騎士には、その動きは楯が邪魔になって見えない。
 不気味な、地の底から響いてくるような鈍い音が平原に響いた。鷹の紋章が描かれた楯が砕け、剣の騎士の槍は折れて宙を舞った。
 そして馬がすれ違った時には、剣の騎士は馬上にはいなかった。剣の騎士は重い鎧を着込んでいるにもかかわらず、まるで折れた彼の槍と同じように高々と宙を舞い、大きな音をたてて地面に落ちたのである。鷹の紋章の盾を砕かれた騎士はすぐに引き返すと、落馬した剣の騎士の脇まで行って馬を下りた。彼は槍を地面に放ると、まだ意識朦朧としている剣の騎士の兜を脱がせにかかった。
 はずされた兜の中から出てきた顔は、青年のものだった。茶の髪は汗で額に張りついており、青い瞳はまだぼんやりと彼方を眺めている。
 勝利した騎士は腰の剣を抜くと青年に突きつけ、低くよく通る声で言った。
「降参するか?」
「………先生……」青年は何の事だか判らない様子で不安げに首を巡らせた。
「降参するか?」騎士は辛抱強くもう一度聞いた。
 今度は青年は理解できたらしく、小さくうなずいた。
「腕を上げたな、青い剣のルーザスよ」騎士は静かにそう言うと剣を鞘に収め、青年の肩を鎧の上から力強く叩いた。「まだ楯を持っていた左手が痺れておる」
 ルーザスと呼ばれた青年は何かを言おうとして口を開いたが、言葉にはならなかった。「悪いがお前の楯は貰って行くぞ」騎士は青年を残して立ち上がった。「まだ先が長いのでな」
 騎士は青年が取り落とした楯と先ほど自分が地面に投げ出した槍を拾うと、いささか苦労しながら重い鎧に包まれた体を馬の背まで引き上げた。そして馬をゆっくりと進め、成り行きを見守っていた少女の前まで移動した。
「見事でした、ギャラック」少女は少しだけ背伸びをして、少しだけ気取った口調で言った。少女の丸い顔の中で二つの大きな茶色い瞳が、嬉しそうに輝いている。
 騎士はその少女の言葉には何も答えず、ただ静かに会釈した。それから脇に立っている男に槍を手渡し、口を開いた。「いつもすまんな、ワイス」
「なんの。旦那のような強い方の従者ができるなんて、これ以上の幸せはないです」ワイスと呼ばれた従者は、笑みで顔をくしゃくしゃにしながら答えた。
 騎士はふと振り返り、自分が一騎討ちで倒した相手を見た。青年は彼の従者に支えられて、やっとで上半身を起こしたところだ。しかし、たいした怪我はなさそうである。
 騎士は一度大きく息を吐き出すと、少女に向き直って手を差し延べた。
「さあ。お手を、姫。日が暮れるまでには国境まで参らねばなりません」

    二
 三人は沈みゆく太陽を追いかけるように、西へと進んでいた。
 騎士に抱えられるような感じで馬にまたがった少女は、騎士の固い鎧の存在感を楽しむように時折体をもたれかけながら、無口な騎士を仰ぎ見た。少女の位置からだと、僅かに開いた兜の隙間から口が見える。その真一文字に結ばれた薄い唇から、少女は騎士の顔を想像した。
 彼女はまだ、一度もこの騎士の素顔を見たことがないのだ。
「なぜ兜を脱がないのです? 息が詰まってしまいますよ」少女は好奇心を抑えきれなくなって騎士に言った。
「慣れておりますので、ご心配は無用でございます」騎士の唇が優雅に踊った。それを見た少女は、いよいよ騎士の素顔を見たくてしょうがなくなった。
「ギャラック、お前は私の命を救ってくれました。ですのに、私はお前の顔を知りません」
 騎士は微動だにしなかったが、徒歩でついてきているワイスが息を飲んだのが聞こえてきた。
「顔を見せてはくれませんか?」
「ポーリア様!」ワイスが声をひそめて少女の名を呼び、少女のドレスの裾を軽く引っ張りながら首を振った。
「構わん、ワイス」騎士が静かに言った。「確かに、兜を取らずにいる事が失礼であることは承知しております。しかしこれには深い理由がございますれば、どうかご容赦頂きとうございます」
 しかし、これしきの事では少女は納得できなかった。「ギャラック、お前の名は王宮内でも轟いています。世界一の騎士である、と」騎士はここで小さく礼を述べた。「その世界一の騎士の顔を知らぬとあっては、私としても恥になります」
「誠に勝手ながら、謀叛人・ルダンめの魔手より姫の御身をお救いした、この忠義の心に免じて、兜を脱ぐ事だけはご容赦願いたく存じます」
 ここまで言われては、これ以上無理強いする訳にはいかない。少女は諦めて、話題を変えた。「今度の謀叛には、ほとんどの騎士たちが加担したと聞きます。なぜお前は他の者のように、謀叛に加わらなかったのですか?」
「騎士の務めとは、忠誠を誓ったお方に対して己の総ての力をもって御奉公することにある、と心得ております。たとえそれが………」ギャラックは一瞬言葉に詰まり、少し思案してからゆっくり、言葉を選ぶように続けた。「たとえ他の多くの者が謀叛に加担しようとも、それは他人の事。この私の判断には一切関係ないのでございます」
「そう………」顔が見えないことも手伝って、騎士が本心を言っているのかどうかは疑問だった。いい大人が今言ったような建前を心から信じているとは、少女には思えないのだ。大人は汚く、本音と建前にはいつも差がある。そう考えた少女は、騎士の顔が見れなかった腹立ちも手伝って、小声でこう言った。「ただの理想ね」
「いかにも」騎士は腹を立てる様子もなく、淡々と言った。「私は顔を持たぬ騎士でございます。顔を持たぬ者は、何か他のものを顔にしなければなりません。私はその理想を顔の代わりに選んだのです」
(この人、なに気取っちゃってるのかしら)ポーリアはそう思ったが、口にも態度にも出さなかった。騎士が有能で、彼女を遠征中の父親の所に連れていくために全力を尽くしている事は彼女にもよく判っていたからだ。彼がこの上なく頼もしい道連れであることには違いないのである。
 鎧を着込んだギャラックとポーリア姫を背に乗せた馬は、その重い荷物に息を弾ませながらゆっくりと進んだ。その脇を従者のワイスが四本の槍をバランス良く肩に担いで、えっちらおっちら歩いてついて来る。
 昼間は頭上で黄金色に輝いていた太陽が赤みを増して地平の近くで揺れ、緑の草原を赤紫色に染めた。それから暫くすると太陽は地平線の彼方に姿を隠し、次第に青みがかっていく紫の空だけを残した。その夕焼けすら見えなくなった頃、三人の足元からは徐々に緑の下生えが姿を消しはじめ、一行はいよいよ砂漠の国ヤールが近くなったことを知ったのだった。

    三
 覇王ディバルの死後、彼が一代で築き上げた大帝国は分裂した。ディバルの正統な後継者を主張した草原の国ランドルスの王・コーネンは、その強大な軍事力を使って周囲の国の統合を開始した。ランドルス王にとっては、今回の砂漠の国ヤールへの遠征はその端緒でしかなかったのである。
 兵力の上で圧倒的優位に立っていたランドルス軍は、ヤールの軍勢に決定的な一撃を加えるために戦闘の準備を整えた。一方、ランドルス王・コーネンに対する敗北は死を意味する事を知っていたヤール王も、来るべき決戦に備えて全軍を集結させており、両軍の大規模な衝突は秒読み段階に入っていた。
 砂漠の国の都に近い小さなオアシスに置かれたランドルス軍の本陣では、金色に輝く絢爛豪華な鎧に身を包んだ王・コーネンが、高価な刺繍入りのマントをなびかせながら行ったり来たりしていた。四十歳前後の王のつり上がった目は虚空を眺めていて、右手で手入れの行き届いた口髭をひねっている。腰に下げた剣の柄には宝石が散りばめてあり、左手の指はその柄を苛立たしげに叩いていた。眉間にしわが寄り、右手が尖った顎を隠すような感じで生えている顎髭に移って撫でつけ始めた。
「ガルウィンはまだ戻らんのか!」荒れた、雷のような怒鳴り声である。
「まだお戻りになりません」脇に控えていた小柄な兵士が間髪をいれずに答えた。
「たかだか偵察一つに、何を手こずっておるのだ」
 若い兵士はとっさに言葉が思いつかず、結局何も言わなかった。
「ヤールごとき貧乏国を叩き潰すのに時間を費やしているようでは、先が思いやられるではないか」
「仰せの通りでございます」兵士は王の機嫌をこれ以上損ねないように、適当な相槌をうった。
「ディバル様の恩を忘れて裏切りおった不忠義者どもに、思い知らせてやらねばならん。戦いの起こらぬ平和な国を築き上げるのがディバル様の夢であったのに、欲にくらんだ馬鹿者どもめ、我こそが真の王だなどとたわけた事をぬかして、またこの国を血で染めようとしておる。まったくもってけしからん」
 兵士はぞんざいに相槌をうった。
「わしはディバル様の遺志をついでおる。わしが正義を行わなければこの国の未来はないのだ。そのためにもヤールは叩き潰さなければならん。なのに………」王は目を大きく見開いて怒鳴った。「ガルウィンの能無しめ。奴はどこで油を売っておるのだ!」
「おそらく、只今こちらに向かっている最中でございましょう」確信はなかったが、王の凄まじい剣幕を前にしては、兵士はそう答えるしかなかった。
「戻ったらすぐにわしを呼びに参れ。わしは妃と一緒におる」王は身を翻すと、近くに据えられた仮設の寝所に向かって歩きだした。
「ははっ」兵士はそう言いながら、内心では罵詈雑言を王の背中に浴びせていた。
 王は寝所の中に姿を消した。それを見届けた兵士は軽くため息をついて、あくびをしながら背中を掻いた。
 騎士のガルウィンが偵察から戻って来たのは、それから少ししてからだった。
「陛下は?」兜を抱えた長身で赤毛の騎士は、兵士に尋ねた。
「お妃様と一緒におられます。ガルウィン様をお待ちしておられましたが、今は………」兵士は言葉尻を濁した。「今は恐らく仮設の寝所の中で王妃と一緒に………」言わずとも、ガルウィンならば判るはずだった。
「そうか……」ガルウィンは兵士を値踏みするように眺めてから続けた。「他の警備の者たちにも伝えてあることだが、これからここでちょっとした事件が起こる。だが騒ぎ立てる必要はない。この事件はランドルス騎士団の全員が承認している。判ったか?」
 兵士は赤毛の騎士の口調からただならぬものを感じ、黙ってうなずいた。すると赤毛の騎士は兜を地面の上に置いて剣を抜き、寝所に近づいて行った。
 兵士がまさかと思った次の瞬間には、騎士の大柄な体は寝所の扉をぶち破って中に消えていった。何やら激しい物音に続いて、王の雷のような声と王妃の悲鳴が聞こえた。間もなく王の声は聞こえなくなり、王妃が一糸まとわぬ姿で悲鳴を上げながら飛び出てきた。「助けてっ!」全裸の王妃は兵士の姿を認めると、金切り声で叫んだ。
 ……しかし兵士は恐怖のあまり、体を動かすことができなかった。
 王妃の後を追って寝所から出てきた赤毛の騎士は、すでに王の血で濡れている剣を王妃に振り下ろした。お妃の悲鳴は一瞬高くなってから止まり、彼女自身は地面に突っ伏してそのまま動かなくなった。
 その王妃の背中から、恐ろしい色の血がとめどなく流れ出している。
 赤毛の騎士は血のしたたる剣を片手に持ったまま、その血の色に見入っている兵士に近づいてきた。騎士がすぐ近くまで来てから、やっとで兵士は我に返った。
 殺される………。
 兵士はそう思い、逃げようとして尻餅をついた。腰が抜けてしまったのだ。
「恐れる事はない」ガルウィンは兵士を安心させようと、穏やかに言った。「これより、ランドルスは騎士団長のルダン様を中心とした、我々騎士団の共同統治に委ねられる。君も王には困らされてきただろう。これで少しは住みよい国になるはずだ」
 兵士は唖然として騎士を見上げた。
「夜明けとともに引き揚げを開始する。これ以上無益な戦争をする必要はないからね」赤毛の騎士は兵士に小さく笑って見せると、王と王妃の血を振り落としてから、剣を鞘に収めた。「さあ、君も支度をしたまえ」

    四
 ポーリア姫とギャラック、そしてワイスの三人が、砂漠の国ヤールから引き揚げて来るランドルス軍に出会ったのは、次の日の昼過ぎであった。異変に最初に気がついたのは、ギャラックだった。
「陛下の獅子の旗印が見えません。代わりに見えるのは赤い竜の紋章、あれは騎士団の長、ルダンの旗印です」
「どういう事?」ポーリアは騎士を仰ぎ見た。
「騎士たちの謀叛は都だけではなかったという事です。遠征に参加した騎士も都の騎士たちと時を同じくして陛下に反旗を翻したのでしょう。うかつでした。予測できたはずなのですが……」
「お父様は?」
「さあ………」ギャラックは黙り込んだ。少女の位置から、騎士が唇を噛んでいる様子が見えた。
「旦那、逃げたほうがいいですよ」ワイスが提案した。「王様もお妃様も今頃はもうお亡くなりに………」
「ワイス、憶測でそのような事を言うな」ギャラックがいつになく厳しい調子で従者の言葉を遮った。しかし、ポーリアがワイスの言葉を継いだ。
「ギャラック、お父さまは死んでしまったの?」ポーリアがギャラックに問いかける。
「判りません」ギャラックは声にいつもの平静さを取り戻し、静かにに言った。「姫、ここでお降り下さい。陛下のご消息を調べて参ります」
 ポーリアは黙って言われるままに馬を降りた。まだ少女であるとは言え、彼女も馬鹿ではない。自分を殺そうとした謀叛人たちが父や母を殺そうとしないはずはないし、命を狙われている自分を助けたギャラックも当然命を狙われるだろう。そのくらいの事は彼女でも容易に理解できた。騎士が命を賭けて行こうとしているのに、彼女がそれに対してとやかく言う事はできない。
「ワイス、姫をお連れして北へ向かってくれ」騎士が馬上から静かに言った。「森の国モルディリアは長期間中立を保っている。行くならあそこしかないだろう」
「へい、旦那。任せて下さい」ワイスは槍をギャラックに渡しながら力強く請け合った。「姫、陛下とお妃様のご消息を携えて必ず参上いたします。その時まで、しばし失礼させて頂きます。どうかワイスにあまり無理を申しませぬよう、くれぐれもお願い申し上げます。では」
 騎士は少女が返事をする間を与えず、勢いよく馬を駆った。遠ざかっていく騎士の後ろ姿を見ながら、ポーリアは何か言葉をかけてやりたいと思った。しかし何かが喉に詰まってしまったようで、口からは一言も出てこなかった。
「さあ、姫様。参りましょう」ワイスが細い目を余計に細めてにこやかに笑った。「なあに、旦那のことなら心配はございません。約束は守る人ですから、戻って来ると言ったら必ず戻って来ますよ」
 ポーリアはワイスをちらりと見、もう一度走って行く騎士の後ろ姿に目をやった。
 所々に緑が見える褐色の大地から、青い空に巻き上がる砂煙。その砂煙を巻き上げる人影。その向こうに見える大軍の黒い影。所々に突き出された赤い竜の旗印……。少女は、その光景に目を奪われていた。
「ギャラックはどんな人なのですか?」ワイスに手を引かれて初めて、ポーリアは口を開くことを思い出した。
「どんな……って言いますと?」
「たとえば、どこで生まれたのか、歳はいくつなのか、あなたとはどういう関係なのか……とにかく、そういったことです」
「旦那は今で言う湖の国ラフォールの近くの騎士の家でお生まれになりました。今のお歳は四十三です。旦那が十四の時でしたか、旦那のお屋敷がひどい火事になりましてね、偶然近くに住んでいた私がお助けした訳です。旦那とはそれ以来のお付き合いです」
「四十三なの?」ポーリアは驚いて言った。勝手な思い込みだったが、鎧の中身はもっと若いと思っていたのだ。四十三というと、彼女の父親と同じ歳である。「騎士団長のルダンはまだ四十になっていないはずですが、どうして歳も実力も上のギャラックを差し置いてルダンが団長になったんですか?」
「それは………」ワイスは顔色を変えて口を閉ざした。
「何かあったの?」
「い、い、いいえ。何も……」ワイスはポーリアの問いかけるような目から視線を逸らして、しどろもどろに答えた。
「言いなさい」ポーリアの口調は、瞬間的に王女の命令口調に変わった。
「姫様、勘弁してください」ワイスは心底困ったように、今にも泣き出しそうな表情で言った。「これだけは言えんのです。もしお聞きになりたいんでしたら、旦那ご本人にお尋ねください。私の口からはとても……」
 ポーリアは人の良さそうな細い目の老人が困り果てている様子を見て、それ以上問い詰めるのをやめた。本当に泣き出してしまいかねない。
 ギャラックという騎士は何とも謎の多い騎士だ、とポーリアは思った。
(…ギャラック………)
 少女はもう一度後ろを振り返った。人が大勢いるのは判るが、どれがギャラックなのかはもう知るべくもない。そして騎士が今何をしているのかも、ここからは見分けられなかった。

    五
 ギャラックが軍勢に近づくと、その中から一人の騎士が抜け出してきた。真紅の楯が目に飛び込んでくる。己の赤毛を象徴する色の楯を持ったガルウィンである。
「どうした、ルーザス」ギャラックが青年騎士から奪った楯の紋章を見て、勘違いをしているらしい。「向こうで一緒にいたのは誰だ?」
「私の名はギャラック。楯はルーザスより拝借してきただけのこと」ギャラックは腹の底から大声を出した。「謀叛人ルダンの一味、ガルウィンよ。答えよ、我が国王陛下はいかがなされた?」
 長身の騎士は目に見えて動揺した。今回の計画に賛同しなかった騎士が数名だけいたという話は聞いていたが、まさかギャラックがそのうちの一人だとは思っていなかったのだ。しかも大声で怒鳴るギャラックの姿など初めて見る。だから余計に恐ろしく感じられるのだ。ガルウィンは恐る恐る口を開いた。「ギャラック殿、このたびは正義のため、より良い国を作るために事を起こしたのです。我等騎士団の仲間を始め、罪もない者たちが理不尽な仕打ちで前王に殺されたのは、あなたもよくご存じのはずではありませんか」
「前王? コーネン陛下の次の王とは誰のことだ?」
「もはや王は存在しません。我等ランドルス騎士団が中心となって、合議制の国家を建設するのです」
「まあ良い。お前がそれを正義と信ずるのならば、それで構わん。しかしお前はお前、私は私だ。今一度問う。我が国王陛下はいかがなされた」ギャラックは前にも増して激しい口調で言い放った。
「………お亡くなりになりました」対照的に、ガルウィンは蚊の鳴くような声で応えた。「お妃様は?」
「お妃様もお亡くなりに……」
「お前たちが殺したのか?」
 ガルウィンは答えなかった。
「私はポーリア姫を連れて都から逃げてきた。お前たちの手に渡せば、姫の命も無くなるのであろう?」
 ガルウィンはなおも答えない。
「槍を構えろ、ガルウィン」ギャラックはようやく声の調子をやわらげた。「もはやお前は私の敵だ」
「なぜです?」ガルウィンは慌てて槍を構えながら、悲鳴に近い声で言った。「死んで当然の王だったのに、なぜあなたは………」
「参る!」ギャラックは槍の穂先を赤毛の騎士に向けて、突っかかっていった。
 二頭の馬がすれ違った瞬間、ギャラックの楯に払いのけられたガルウィンの槍が高々と弾け飛び、赤い楯の騎士は激しく地面に打ちつけられた。
 ガルウィンが落馬させられた様を眺めていた騎士が、軍勢の中からばらばらと飛び出してきた。その数は三騎である。
 逃げても追ってくると考えたギャラックは、その三騎に向かって突進していった。
 むろん、三人はギャラックの敵ではなかった。ギャラックはあれよあれよと言う間に三人を落馬させ、彼等が乗っていた馬の尻を槍の柄で叩いて遠くへ追い払った。そして、ガルウィンの乗っていた馬の手綱を引いて、ポーリアとワイスに合流すべく愛馬を走らせたのであった。

    六
 森の国モルディリアに近づくにつれて、地平に横たわる青みがかった深緑色の塊がその姿をあらわにしはじめた。その暗い姿は決して人に希望を与えるものではなく、逆に何か恐ろしげな不安を抱かせるものである。
 その日は朝から鉛色の雲が低くまで垂れ込めていて、太陽の姿はどこにも見えなかった。
「旦那、嫌な空ですね」ガルウィンの乗っていた馬にまたがっているワイスが言った。
 騎士は短く相槌をうった。その二人の会話とは呼べないようなやり取りを聞いていたポーリアは、騎士が団長になれなかった理由を聞き出すタイミングを見計らっていた。
(天気の話の次にいきなり騎士団の話をするのは不自然かしら?)
 ポーリアは結局問いかけられず、寄り掛かっている騎士の鎧の上で軽く頭を弾ませた。 固い鎧、冷たい鎧……この鎧の中に入っている人間は、いったいどんな男なのだろうか。鎧と同様に冷たい男なのだろうか。……そんなはずはない。彼女の死んだ父親に最後まで忠誠を尽くし、こうして森の国まで彼女を送り届けようとしているではないか。
 父親………気むずかしくてすぐに暴力を振るった父親。母親がそんな父親に合わせて意に反した行動をとっていたのか、もともと父親と同じような人間だったのかは、今はもう知りようもない。とにかく、ポーリアにとっては二人ともいい親ではなかった。しかし、死んだと聞いた時には涙が出た。育ててくれたのは親ではなく爺やだったのに、親らしいことは何一つしてくれなかったのに、である。そう言えば、爺やはどうしたのだろう。都から逃げだす時のごたごたで、すっかり忘れていた。世話になった人の事を、こんなに簡単に忘れてしまっていいのだろうか………。
 ポーリアは騎士の顔を見上げた。口だけが兜の中の暗がりに見える。その口の周りには不精髭が生えていたが、暗くて色までは判らなかった。目の所に開いている穴は小さすぎて、その奥の瞳をうかがうことはできない。顔のない騎士。常に兜で顔を隠し、一番の実力を持ちながらリーダーにならない騎士。深みのある低い声でいつも穏やかに話す騎士。自分の為に命を賭けて戦ってくれる騎士………。
「姫、どうかなさいましたか?」自分の顔を熱心に見上げている少女の視線に気がついたギャラックは、兜に隠された顔を少女に向けた。
「………いいえ、何でもありません」少女は騎士の顔から慌てて目をそらし、彼女の体の前で手綱を握っている太い二本の腕に視線を落とした。
 槍を持って、敵の騎士を次々と落馬させていく頼り甲斐のある腕だ。これからも、いつでも彼女を守ってくれるに違いない。
 ポーリアがそんな事をぼんやりと考えていると、突然ワイスが緊張した声を出してギャラックを呼んだ。
 騎士は黙って首を巡らし、老人を見た。ワイスは後方を見つめている。その視線をたどると、そこには追手の騎士たちの姿が見えた。
「いよいよ来ましたね」ワイスは細い目を見開くと、追手の数を数えた。「四人、従者はいません。ずいぶん飛ばして追ってきますよ」
「疲れた馬を別の馬に替えながら来たのだろう。とても振り切れそうにない」
「姫、ワイスの馬に移って頂けますか?」ギャラックが言った。「そして彼と一緒に森の国に行って下さい。私が追手を食い止めましょう」
「ギャラック、あなたは逃げないのですか?」
 騎士の口に笑みが浮かんだ。騎士は何も言わずに少女のわきの下に手を差し入れると、彼女を軽々と持ち上げ、隣に並んでいたワイスの馬の背に移した。
「あなたはどうするの?」ポーリアはもう一度尋ねた。
「近いうちに、再び必ずお目にかかれるかと存じます」騎士はそう言うと、ワイスに向き直った。「槍をよこしてくれ。姫の事をくれぐれも頼む」
「へい、旦那。モルディリアでお会いしましょう」
「そうだな」騎士は槍を受け取りながら兜の中で笑った。「平和な森の国で」
「待って」駆けだそうとする騎士にポーリアが声をかけた。「あなたに神のご加護がありますように」
 騎士は何も言わず、ただポーリアに向き直って馬上で優雅に会釈をしただけだった。
 そしておもむろに拍車をあてると、馬を走らせた。
 ポーリアはワイスとともに騎士の後ろ姿を見つめながら、惜別の念とも喪失感ともつかない感情に心を乱されていた。
「では、参ります」ワイスが軽く手綱をさばくと馬はゆっくりと歩きだし、だんだんそのスピードを上げていった。
 雨粒が鉛色の空から落ちてきて、前を見つめるワイスの顔とギャラックを見送るポーリアの亜麻色の髪とを、静かに叩き始めた。

    七
 ギャラックは四人の騎士が三方に別れるのを見た。正面に二人、右と左に一人ずつである。彼は左右に別れた二人がポーリア姫を追って捕らえようとするに違いないと考え、槍を構えて右の騎士に突撃を開始した。
 相手は最近騎士団に加わった若い騎士で、ギャラックは彼の名前をよく覚えていなかった。若い騎士は慌てて応戦したが、楯と槍もろとも空高くはね上げられた。
 次にギャラックはもう一人の騎士を追おうとしたが、それは諦めざるを得なかった。一人を落馬させている間に、その騎士がかなり遠くまで行ってしまった事もある。しかし、すでに正面の二人が近づいてきているのだ。一人はギャラックの弟子でもあった交差した剣の楯のルーザスで、もう一人は赤い竜の紋章が刻まれた楯を持つ、騎士団長のルダンだった。
「ルダン!」ギャラックは馬を止め、呼びかけた。「貴様と勝負がしたい」
「望むところだ」騎士団長の声が返ってきた。「だがその前に尋ねたい事がある」
「何だ、言ってみろ」
「騎士の忠誠を頭に入れずに冷静に考えて欲しい。コーネン王は善人か悪人か」
「………陛下は善行よりも悪行を多く成したと思うが、それがどうした?」
「ならばなぜ我等に賛同せんのだ。悪事を成す者を成敗するのは、それこそ騎士の務めではないか」
「真にそれが騎士の務めと信じ、私にそれを望むのか?」
「もちろんだ」
「ならば話は早い。ルダンよ、お前は悪事を成す者だ。一つ、騎士として忠誠を誓った国王陛下を謀殺した。二つ、罪のないお妃様も謀殺した。三つ、全く罪のないポーリア姫まで殺害せんとした。四つ、純真な若い騎士たちをそそのかして自分の悪事を手伝わせた。この四つの悪事を成した罪で、私はお前を成敗する」
 ルダンは怒りに体を震わせ、息を飲んだ。その彼の兜を、雨粒が静かに叩く。
「話が違うじゃないですか」ルーザスは騎士団長に詰め寄った。「私に与えられた命令は姫を捕らえて都に戻る事だったはずです。殺すなんて話は聞いていません」
「黙れ、ルーザス!」ルダンは激昂して怒鳴った。「一つ、騎士として忠誠を誓ったのは正義であり国王陛下ではない。二つ、お妃も王と同様に国民を食い物にしていた。三つ、国王の血を引く者を残しては後々の災いの種になりかねない。四つ、そそのかしたのではなく総てを話して騎士たちの賛同を得たのだ」
 ギャラックは何も言わず、ただ静かに首を振った。
 雨粒がたてる微かな音だけが、辺りに響いている。
「判らんのか、この………」ルダンは毒づこうとしたが、思い止まった。何を言っても頑固な騎士には無駄だと判断したのだ。
「騎士の名誉を賭けて誓ってくれ、ルダン」ギャラックはいつもの穏やかさを失わず、ゆっくりと、言葉を一つ一つ噛みしめるように言った。「これからの一騎討ちで私が勝ったなら、ポーリア姫のことは諦めるのだ。決してお前が危惧しているような事にはならないと約束しよう」
「よかろう。だが私も騎士の長だ。いくらギャラック殿とて楽には勝てんぞ」ルダンは槍と楯を油断なく構えた。
「承知の上だ」ギャラックも槍と楯を構えた。
 睨み合う二人も、二人の姿を見守るルーザスも、どちらも次第に激しさを増してきた雨に打たれて、そぼ濡れていた。
 風に吹かれて鉛色の雲が波うっている。雨が地面や騎士たちの鎧を叩くさざ波のような音が周囲に満ちていた。
 ルーザスが知らずのうちに息を詰めて見入っていた事に気づいた時、風が細かい雨の粒を舞わせた。そして雨が舞った瞬間に、ルダンとギャラックは蹄の音を轟かせる突風に変わった。
 以前、若きルーザスと戦った時と同様に、ギャラックの槍の穂先はゆったりと上下していた。しかしルダンは何を思ったか、槍を肩にかついで悠然と構えている。と、ルダンは楯を放り投げて両腕で槍を持った。そして、なおも距離を詰めてくるギャラックの顔面に向けて思いっきり槍を投げつけ、剣を抜き、鞍の上に立ち上がった。馬上で剣を構えたのである。
 顔面めがけて飛んできた槍を注意深く払いのけたギャラックは、立ち上がったルダンの胸に落ちついて槍を命中させた。しかし、振り下ろされたルダンの剣はギャラックの馬の顔面を覆う金属製の装甲をしたたかに打ち、ルダン自身は槍の衝撃を弱めるために後方に跳んだ。
 結局ルダンはギャラックの槍に弾き飛ばされたが、自ら跳んだためにさほどの衝撃は受けなかった。逆に顔面を打たれた驚きのために後脚で立ち上がったギャラックの馬は、乗り手をその背から振り落とした。
 ルダンは素早く立ち上がると、落馬したギャラックに向かって剣で打ちかかっていった。ギャラックは慌てて槍と盾を捨て、体を起こしながら剣を抜き、片膝をついたままの体勢でルダンの激しい一撃を受け止めた。
 ガツッという音とともに、剣についていた水滴が舞った。
「この判らず屋め」ルダンは絞り出すような声で呻いた。
 まだ片膝をついたままのギャラックは、兜の奥から無言のままで騎士の長を睨みつけた。「この石頭の、救い難い判らず屋め!」ルダンは怒鳴りながら、渾身の力を込めて二度、三度と剣を振り下ろした。
 ギャラックがその剣を受け止めるたびに、無数の水滴が雨中に散る。
 五度目の剣がギャラックに受け止められると、ルダンは上からのしかかるようにしてギャラックを押さえつけようとした。
 冷たい金属製の兜に隠された二人の顔が、肉薄した。
 二人は互いの呼吸を聞き、兜の奥から異様な光を発している互いの瞳を見た。
「どちらが、判らず屋なのかな?」力のこもった声で、ギャラックが一言一言を区切るように言った。そして言い終えると、彼は気合の入った掛け声とともにルダンの体を剣ごと弾き返して、ゆっくりと立ち上がった。「さあ来い」ギャラックがいつもの穏やかな口調の中に強い感情を込めて言った。
 ルダンは返事をしない。
 雨が激しくなり、二人の全身を打った。弾けた雨粒は白く霧散し、散りきらなかった水滴は兜から鎧へ、鎧から地面へと、滝のように流れ落ちていく。
「ギャラック殿、参る!」ルダンが叫び、再びギャラックに打ちかかった。そのルダンの鋭い切っ先はギャラックの鎧の左脇腹部分にあたり、鎧の表面をえぐった。
 しかし、その一撃にひるまなかったギャラックの剣が、ルダンの鎧に包まれた左腕をしたたかに打ち据えていた。
 しかしどちらの鎧も厚く、命中しても決定的なダメージを与えられない。二人は互いを打ち続け、二人の荒い息と金属同士がぶつかり合う鋭い音だけが辺りにこだました。
 かなり長い間二人は雨の中で打ち合っていたが、決着はつかなかった。脇で息を飲みながら見守っていたルーザスには、どちらがどちらか判らなくなっていた。二人とも同じランドルスの騎士の鎧を身につけているので、盾を捨てた今となってはどうにも区別のつけようがないのだ。
 どちらがギャラックなのだろうかとルーザスが思案していた時、馬が戻って来た。ポーリア姫を追って行った赤毛の騎士、ガルウィンである。憮然とした表情のポーリア姫の細い腕をしっかりと掴んで、彼もルダンとギャラックとの一騎討ちを観戦し始めた。
 ガルウィンが姫を連れて戻って来た姿は、戦っている二人の目にも入った。そして、その事はギャラックに大きな影響を与えた。
 一瞬、ギャラックの動きが鈍った。捕らえられた姫の姿に気を奪われたのだ。
 ルダンはその一瞬の隙をついて、剣を勢い良くギャラックの脳天に振り下ろした。狙いは違わずギャラックの兜に命中し、あまりの激しい衝撃にギャラックはふらふらと尻餅をついた。ルダンは間を置かずギャラックに掴みかかると、まだ朦朧としている彼を易々と組み伏せた。
 ギャラックが正気に返った時、ルダンは彼の兜を脱がせようとしていた。
「待ってくれ、ルダン。私の負けだ。降参する。だから兜を取るのだけは勘弁してくれ」ギャラックは荒く息を弾ませながら、悲痛な声でルダンに哀願した。「判っているだろう、私の顔は………」
「悪いが、兜を取らずに負けを認める訳にはいかん」ルダンは荒い息を飲み込み、できるだけ静かに言った。
 そして、騎士団の長はギャラックの言葉には耳を貸さずに、ゆっくりとギャラックの兜を取り去った。その下から姿を表した顔は………。
 ポーリア姫が悲鳴を上げた。
 悲鳴こそ上げなかったものの、ギャラックの素顔をしらない若い騎士と赤毛の騎士も、あまりの驚きに身を硬くした。
 世界一の騎士ギャラックは、同時に世界一醜い騎士でもあった。しかしその醜さは生まれつきのものではない。彼が十四歳の時に刻まれた、火事の刻印なのだ。彼の顔の右半分、目の僅か下あたりから上がひどく焼けただれている。髪も右側は生えていない。右目は半分潰れかけている。右の耳もグロテスクに歪み、果たして聞こえているのかは判らない。 その焼けただれて不気味に崩れている右側とは正反対に、左側には多少白髪が混じり始めている明るい金髪と、太い眉と、憂いを含んだ切れ長の眼と、形のよい耳とがあった。火傷さえなければ素晴らしい美丈夫だったに違いない。
 しかし今のギャラックの姿を見てしまうと、かつては美しかったかもしれない姿を想像することは到底不可能だった。
 醜い騎士は大きくため息をついてから、静かに目を閉じた。形の良い薄い唇が僅かに震え、荒く熱い息を吐き出している。
 雨が彼の顔を打ち、汗と混ざって流れ落ちた。
「殺せ」落ちついた、しかし悲しげな声で、ギャラックが言った。
「もちろんそのつもりだ」ルダンは静かに言った。「いまやあなたは国に楯突く犯罪者だ。残念だが、正義を貫き通すためにも姫と一緒に死んでもらわなければならない」
「正義を語るなら、己の正義が真の正義であるかどうかを常に問い続けなければ………いや、お前も子供ではないのだ。もうこれ以上何も言うまい」目を閉じたままそう言ったギャラックは、言い終えると唇を噛んだ。
 ギャラックの喉の奥から、言葉にならないうめき声が漏れ出てくる。しかし時間が経つにつれて、その声は次第に言葉の形をとりはじめてきた。
「………畜生……畜生…………私は……私は………」
「最後だ、ギャラック」ルダンの剣が、今まさにギャラックの喉に突き立てられようとして振り上げられた。
「私は負けない!」ギャラックが叫び、目をかっと見開く。「負けるものか!」ギャラックは、上から押さえ込んでいるルダンを振りほどこうと体を動かした。
 突然のギャラックの抵抗にバランスを崩したルダンは、突き下ろした剣の狙いを外し、ギャラックの右頬から耳にかけてを切り裂くにとどまった。
「くそっ」ルダンが毒づく。「負けを認めてからの抵抗とは、往生際の悪い!」
 しかし、ルダンがバランスを崩したおかげで、ギャラックの左腕が自由になっっていた。ギャラックは再び振り下ろされてきた剣の切っ先を、その自由になった左腕で払いのけると、ルダンの顔を兜の上から思いきり殴る。ルダンは大きく体勢を崩し、ギャラックはようやく体を自由にすることができた。
「私は負けられないのだ」ギャラックは火傷で歪んだ顔から血を流しながら、ルダンを睨み付けた。「私の死がポーリア姫の死をも意味しているというのに、どうして負けられようか!」ギャラックは立ち上がり、取り落とした自分の剣を拾う。
 ルダンもギャラックに向かって立ち上がる。「兜なしで、互角に戦えるとでも思っているのか?」
「もう顔を隠すのはやめだ」ギャラックは静かに言う。降りしきる雨が彼の頬と耳から流れる血と混ざり、赤く染まっていた。「この焼けただれた顔を恥じるような真似はもうするまい。私がこの顔を恥じず、騎士団長の任に就くことを拒みさえしなければ、このような事にはならなかったかも知れぬのだ」
「たわけた事を!」ルダンがギャラックめがけて打ちかかる。ギャラックはその一撃を自分の剣で受け止めた。振り飛ばされた水滴が、ギャラックの素顔にかかる。
「仮面を脱げ、ルダン!」ギャラックがルダンの剣を弾きながら叫ぶ。「私はもう何も隠さない。理想だの、正義だの、忠誠だの、そんな仮面はもうかぶらない。私は、人を殺すという行為が私個人として許せない。だから戦うのだ!」
「勝手にわめくがいい!」ルダンがもう一度ギャラックに打ちかかり、そのまま鍔で競り合った。「愚かな頑固者の言葉など、聞く耳を持たん!」
 二人は睨み合った。雨が容赦なく二人を叩き続けている。
 と、気合もろともルダンがギャラックに頭突きを食らわせた。ギャラックがもんどりうって倒れる。額が割れ、血が止めどなく流れ出す。
 ルダンはなおもギャラックに打ちかかる。ギャラックは体をひねってルダンの攻撃をかわし、渾身の力を込めてルダンに突きかかった。
 ギャラックの剣先をかわそうとしたルダンは、避けきれずに剣を持つ右手に突きを食らった。突きの勢いは凄まじく、これまで何度とない攻撃を防いできた鎧の厚い装甲をも貫き、ルダンの右腕を串刺しにした。
 ルダンは苦痛に喘ぎながらも、まだ自由になる左手でギャラックの顔面を殴りつけた。ギャラックは剣をルダンの右腕に残したまま後方の地面に倒れる。ルダンはよろよろと片膝をついて、右腕から剣を引き抜こうとする。
 二人の動きが、止まった。
「この勝負、それまで!」鋭い声が辺りに響いた。青い剣の紋章の盾を持つ、ルーザスである。「それまで!」若い騎士ルーザスが、二人の間に割って入る。ルーザスは腕から剣を引き抜けずにいる騎士団長を見、ようやく半身を起こしたギャラックの血まみれの顔を見、静かに宣言した。「お二人とも、この戦いの続行は不可能です。よって、代理人を立てて決着をつけるべきでしょう。私はギャラック殿に教えを請うておりましたので、ギャラック殿の代理人をつとめさせて頂きます。ルダン殿の代理人は、ガルウィン殿が引き受けて下さることでしょう」ルーザスは、真紅の盾を持つガルウィンに目をやった。「よろしいですか?」
「……戦いの続行は不可能と言うルーザスの言葉はもっともだ。よかろう、ルダン様の代理人として戦うことにしよう」ガルウィンは渋々承知して、自分の馬からポーリア姫を下ろした。
「団長、先生、いかがです?」ルーザスが二人を交互に見る。
「許可する」ルダンが苦しげに呻いた。
「…ルーザスの申し出に感謝する」ギャラックが顔じゅうから血を滴らせながらつぶやくように言った。
 ルーザスは静かにうなずくと、ポーリアの前に進み出た。「ポーリア姫様。ギャラック殿の代理人として、あなたのために戦う事をお許し下さい」
「………」ポーリアはルーザスを驚きの表情で見た。「喜んで。こちらからお願いします」
「では、ガルウィン殿。参りましょう」ルーザスが馬を操りながら言う。
「今ひとつ」ガルウィンも馬を操りながら、ルーザスに問いかけた。「私の質問に答えてくれ。ギャラック殿の考えに同調して代理人を申し出たのか。それとも、ただの騎士の義務として、代理人に名乗り出ただけなのか」
「私は、今さっき先生より教えを受けました」ルーザスは静かに答えた。「その教えにより、義務や責任という名の仮面は捨てたつもりでいます」
「そうか……」ガルウィンはため息混じりにつぶやいた。
 そして、二人は別々の方向へ馬を進めて行った。
 ほどなく、二人は馬にまたがったままで距離を置いて向かい合っていた。この二人の一騎討ちを空も見物しようというのだろうか、先ほどまで降りしきっていた雨はいざ一騎討ちが始まろうという今になってぱったりと止んでしまっていた。
 何やら大声を出して気合を入れたルーザスが、まず先に駆けだした。ガルウィンもそれに続いて馬を駆る。二頭の馬は水を含んだ大地を力強く蹴り、水しぶきを上げながら一点を目指して疾走した。
 その一点に二人の騎士の姿が重なった瞬間、青い火花が激しく散った。そしてその直後、駆け抜けた二頭の馬の背には一人の姿しかなかった。
 馬上に残った一人が、槍と楯を持った両腕を空高く突き上げて歓喜の声を上げ、天を仰いだ。
 その力強い腕に握られている楯には、白地に青い剣が交差する、ルーザスの紋章が描かれていた。

    八
 一筋の光が鉛色の雲の合間から漏れ、水に濡れた木々の葉を鮮やかな緑色に染めた。名も知らない小さな鳥がその青みがかった羽を懸命に上下させながら、短くちち、とさえずった。それに応えるように、そこここで鳥のさえずりが聞こえ始めた。
 そんな森の中を、四人が三頭の馬にまたがって進んでいた。どこかで脱ぎ捨ててきたのだろう、ギャラックは兜も鎧も身につけておらず、彼の馬も重い装甲を外されていた。そのギャラックに抱えられて、ポーリアが歓声を上げながら手綱を握っている。その脇を、こちらも鎧を脱ぎ捨てているルーザスが進み、なにやらポーリアに話しかけている。少し遅れて、怪我をした左腕を布切れで吊っているワイスが馬にまたがって続いていた。
 木から大粒のしずくが落ち、ポーリアのまだ乾ききっていない亜麻色の髪に落ちた。
「冷たい!」
 賑やかな声をあげて天を仰いだポーリアにつられて、ギャラック、ルーザス、ワイスも空を見上げた。覆い繁る葉の間から、明るい日の光が見え隠れしている。
 まだ新しい切り傷の痕が痛々しく残るギャラックの顔に、その細い光があたった。表情を失ってから久しい彼の顔の右半分も、明るい光を受けてどことなく微笑んでいるように見える。
 ワイスが目を無くなるほどにまで細めて、嬉しそうに言った。
「日が差してきましたね」

                                 完



| 紡ぐ | 叫ぶ | 呟く | 繋ぐ | 跳ぶ | 企む | 語る | 表紙 |





このページの作品に対するご意見・ご感想などは、E-Mail : inspiration_taki@mail.goo.ne.jpまでお願いいたします。
※スパム対策のために「@」を全角にして掲載しています。半角に直してお送りください。