『ぼくに足りないいくつかの』
滝澤真実
へそ
へそがない。
それはすなわち、ぼくがどうやって生まれてきたのか、はなはだ怪しいということだ。へそがないということは、へその緒がなかったということで、へその緒がないということは、母親と胎盤を通してつながっていなかったということ。
ようするにぼくは、ぼくは誰で、どうやって生まれたのか、まったくわからないってこと。
まあ、別に、わからなくてもいい。
わかったところで、何かが変わるわけじゃないだろ?
地球は丸い。それがわかっても、何もできない。ぼくは地球を四角くできないし、地球の中心を通ってブラジルに行くこともできない。
現実ってのは、そういうこと。
ぼくには、へそがない。
理由は、知らない。
月
月がない。
ツキではなく、月だ。あの、空にあって、丸くなったり細くなったりしてるやつ。まあ、ツキがないのも事実だけど。
ぼくのツキのなさは、殿堂入り間違いなしだ。
あたり九本、はずれ一本のくじを引けば、はずれを引く。あたり一本、はずれ九本のくじを引いても、やっぱりはずれを引く。ぼくは、そのくらいツキがない。
でも、そのツキじゃなくて、月の話。
ぼくは、月がほしい。それも、できるだけたくさん。いつでも、ぼくの周りを飛んでいてほしい。ぐるぐる満ちたり欠けたりしながら。
せめて体の外には、確固とした何かが欲しいんだ。へそのない空虚なぼくの、体の外には。
でも、それも無理な願い。
ようするに、月を引きつけておくだけの引力が、ぼくにはないってこと。
ぼくには、月がない。
まったくもって、ツイてない。
トマト
トマトがない。
もちろん、ぼくの体の中にはトマトジュースみたいなどろどろとした血が流れているのかもしれない。でも、ぼくはトマトジュースは嫌いだ。トマトがいい。
赤くて、まあるいトマトを、丸かじりする。
トマトをもいだ瞬間の、あの青くさい感じ。かじった瞬間の、みずみずしさ。あれがいいんだ。
畑で元気に育つトマト。
でも、ぼくのトマトは、実らなかった。そりゃあ、花が咲かなければ、実ることもないよね。もちろん、実らなければ、もぐことも、かじることも、できやしない。
ぼくは、トマトでいい。
イチゴのように、みんなから好かれなくてもいい。泥くさく、不恰好でも、かまわない。贅沢な話じゃないだろ?
でも、ぼくには、雑草しかない。青臭くても、みずみずしさなんてどこにもない。ぐるぐる回るカッターで、あっけなく刈られて、はいおしまい。
ぼくには、トマトがない。
残っているのは、刈られてしなびた雑草の名残だけ。
カーテン
カーテンがない。
実を言うと、サッシさえない。雨戸なら、ある。
雨戸を閉じていれば、雨風はしのげる。でも、暗い。風通しも悪い。カビがはえる。
かといって、いつでも雨戸を開けておくわけにもいかない。ハエやらカやら、ドロボーやら新聞勧誘やら、きてほしくない連中が入り込んできてしまうから。
でも、いつでも雨戸を閉めておきたくもない。たまには、お客さんにもきてほしい。歓迎して、一緒に飲んだりしてみたい。
なによりもイヤなのは、雨戸を開けていると、見られたくないものを見られてしまうことだ。風呂あがりの全裸のぼくや、だらしない格好で寝そべりながらテレビを見てげらげら笑っているぼくや、エッチな想像をして股間をいじくっているぼくや、その他もろもろのダメなぼくを見られるのは、苦痛でしかない。
もちろん、そんなもの、見ているほうも苦痛だろうと思うけどね。
まあ、状況に応じて雨戸を開け閉めすればいいのだけれど、そのへんのバランスはとても難しい。開けたら全開で中まで丸見え、閉めたら密閉されて何一つ出入りできない。
だからぼくは、その中間の状態が欲しいんだ。
ぼくには、カーテンがない。
雨戸も、最近はたてつけが悪くて開かない。
ウナギ
ウナギがない。
正しく言うと、ウナギがつかまえられない。あいつはにゅるにゅるしてて、いつだって逃げてしまう。
見つけたぞ、これだ! と思って捕まえようとするのだけれど、気がつくとウナギはぼくの手を抜け出して、どぼん。泥水の中に逃げ込んでしまうんだ。
いるはずなのに、つかまえられない。
おいしいウナギが食べたいね。
ちゃんとした店では、ウナギは注文があってからさばいて焼くものだから、料理が出てくるまでには時間がかかるもの。
ぼくの場合には、ウナギを捕まえるところで手間取っているものだから、はたして料理になって出てくる日がくるのか、あやしいものだ。
ぼくには、ウナギがない。
最近は、本当にウナギがいるのかも定かではなくなってきた。
すべて
すべてがない。
体はあって、つねれば痛い。運動すれば筋肉痛になるし、風邪をひけばのどが痛くなり、食べれば肉がつき、深酒をすれば吐く。
でも、すべてがない。
肉体は入れ物としてちゃんとあるのに、その中身はからっぽ。
いや、もしかすると、宇宙における暗黒物質と一緒で、存在しているのは間違いないのだけれど、観測できない状態なのかもしれない。
もやもやして、頼りない感じ。
霧の中で手探りをして、何にも触っていないのに手だけ濡れるような感じ。
それが何なのか、どうしても知りたいのに、つかまえようとすると逃げてしまう。影、蜃気楼、そんな感じ。
でも、考えてみたら、暗黒物質はぼくの専売特許なわけじゃなくて、みんなが持っている不安なんだ、とわかる。
そもそも、暗黒物質がつまっているのが人間である、と考えれば、そんなものに不安を感じていたって何の意味もない、と言うこともできる。
正直、暗黒物質がつまっていようが、まったくの空洞だろうが、どっちでもいい。
どっちだろうと、関係ないじゃないか。
ぼくには、すべてがない。
でも最近は、それでもいいじゃないかと思う。
おわり
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