「染みつく泣き声」
2004/07/25
落川春秋
いつの頃からか天井の染みが女の顔に見えるようになった。夏の暑い盛りには、こういう不気味な現象も涼し気で良いだろうと放っておいた。
しかし、二日ほど前から泣き声まで聞こえ出した。一日目は空耳か近所の誰かだろうと思っていたが、二日目になって天井の女の顔からであることがはっきりと判った。はっきりと判る程、声をあげて泣くようになったというだけのことでもある。
こうなってくると邪魔くさい。夏の熱帯夜の怪談は風流だと思っていたが、何となく気味が悪いというのではなく、明確に女の顔が天井にへばりついて泣くとなると恐怖を通り越して鬱陶しい。
そういう訳で今日は天井の拭き掃除だ。夜中になって泣き出されるのも嫌なので日中に作業することとした。
女の顔の真下に椅子を用意し、その上に立ってみる。が、回転椅子なので作業がしにくく、危険なことに気が付く。予想はしていたが、思ったより作業しにくい。しかも、拭き掃除をするとなればしっかりとした足場が欲しくなるものだ。
次はちゃぶ台を用意した。しかし、低い。天井に手が届かない。正確には届くが、拭き掃除はできずに女の顔を雑巾で撫でるだけ。何だかメイク落としをさせられているようで、すぐに不愉快になった。しかも、全く落ちる気配がない。
女の顔の真下に胡座をかいて考える。何か適当な足場は無いものか。ホームセンターにでも行って買ってこようか。しかし、一回しか使わない物をわざわざ買うのも癪に障る。とは言え、このまま夜を迎えて女の顔を見ながら、女の泣き声を聞きながら眠りに入るのも気が滅入る話だ。何か使える物は無いか。
そうだ。雑巾じゃなくてモップを使えば良いんだ。
閃いた後、モップが家に無いことを思い出し、すぐに落ち込んだ。
結局、ちゃぶ台に乗って必死に手を伸ばして女の顔を隠すようにポスターを貼った。それにしても他に無かったから仕方がないとは言え、選りに選って怪奇映画のポスターを貼ることになるとは。血塗れのゾンビが襲い掛かってくる顔が不気味だ。
今夜はゾンビを見ながら寝ることになる。待てよ、女の顔の方がまだ良かったのでは。
急に何も彼もが面倒になり、夕飯を作る気も萎えたので外食で済ませた。
夜になり、布団を敷いて寝る。ゾンビと目が合う。やっぱり、女の方が良かった。
しくしくと泣く女の声で半分、起こされる。ぼんやりとした意識のまま枕元の目覚まし時計に視線を向けると三時だった。
ポスターで隠しただけでは駄目だったかと思いながらも眠いのでこのまま眠り続けようと眼を閉じる。
「この薄情者」
いきなり怒られた。びっくりして閉じたばかりの眼を見開いてしまう。
「女が泣いているのに何とも思わないの。しかも何よ、この白い紙は」
ゾンビが。否、ゾンビの奥の女が喋っている。女からはゾンビの顔は見えずにポスター裏の白紙しか見えていないようだ。半身を起こして天井を見上げる。
「五月蠅い」
呟く。
「失礼しちゃうわねぇ。何よ、その態度は」
ゾンビの向こうで女が喚いている。怖いというよりバカらしい。
「夜中に大声を出されると迷惑だから静かにするように。用があるのなら昼間に言ってくれ」
言うだけ言って横になり、眼を閉じた。女は何かしら文句を言っていたが聞く耳は持たなかった。とにかく眠いのだ。
翌朝、いつものように目覚まし時計に起こされる。いつもとは違い、目覚めは悪い。全ては天井の女の所為だ。恨めしい。この恨み晴らさずにおくものか。
「許して。ごめんなさい。私が悪かったわ。だから勘弁してぇ」
夜になって天井の女は泣き出した。真っ白なポスター越しにそれを見ている。ゾンビのポスターを裏返しに貼ってゾンビと女の顔が向き合うようにしてやったのだ。やはり、気味が悪いらしく、泣いて許しを請うている。
「女心の判らない男じゃないが、聞く耳は持っていない」
言い捨てて、寝た。