「遠くへ逃げたい」
2006/01/06 開始
落川春秋

 藤沢は目前に拡がる風景にショックを受けて立ち止まっている。彼の目の前には雪しかなかった。雪の壁が建ち並び、細い道はその中に吸い込まれるように見えなくなっていく。白く冷たい巨大迷路の入り口に藤沢は立っている。
 「パンフレットと違う」
 呟く声も寒気に震える。
 震えながら辺りを見回すが誰も居ない。時計を見ればまだ午後四時だ。しかし、降り続く雪の中に人の姿はない。振り向けば駅舎がある。だが、無人駅だ。電車を降りたのも藤沢だけ。そもそも他の乗客はもっと手前の駅で全員が降りていた。ここに来たのは藤沢ただ一人だった。
 あまりの寒さに足踏みをしながら周囲を見回す。予約してある温泉宿の者が迎えに来てくれる筈なのだが一向に来ない。携帯電話で連絡をして到着時刻は知らせてあるのだが、来ない。
 藤沢は震えながら懐に手を突っ込み、携帯電話を引っ張り出す。かじかむ指でどうにか温泉宿へ電話を掛ける。
 「はい、もしもし。仙人です」
 「はぁ?」
 藤沢は自分が驚くほどの大声で驚いた。
 「こちら仙人。オウトウせよ」
 藤沢は寒さも忘れて沈黙する。
 「もしもーし。仙人ですよー」
 自称仙人の声は甲高くでかい。
 藤沢は気を取り直して質問する。
 「あの…鷺の湯という温泉旅館ではないんですか?」
 「えっ、詐欺の湯? ああ、そんな名前の旅館も在ったなぁ…。十分ほど前に夜逃げしたけど」
 「まだ夕方ですよ」
 藤沢は気が動転して、どうでも良いことに突っ込みを入れる。
 「あ、そうか。じゃ、夕逃げだ。ダハハハッ」
 「ダハハじゃないですよ。あなたは誰なんですか?」
 「再三、申している通り、仙人です」
 「僕は鷺の湯に宿泊の予約をしていたんですけど」
 「ご愁傷様」
 「そんな、あっさりと」
 「だって経営者が逃げちゃったんだもん。仙人だって貸した金を回収し損なって大変なんだから」
 「仙人は金貸しなんですか?」
 「サイドビジネスだけどね」
 「…僕はどうしたら良いんですか?」
 「諦めて帰ったら。あ、でも大雪で電車が運休で高速も通行止めになったってちょうど今、テレビのニュースが」
 「む、むごい」
 「今、どこに居るか知らないけど駅の近くにはビジネスホテルもあるからそこへ行って泊まって、明日にでも帰るのがいいんじゃないの。仙人はそう思うよ」
 「はぁ」
 藤沢は仙人との電話を終えた。どの辺が仙人だったのか最後まで分からなかったが、そんなことは気にならなくなっていた。
 「ともかくビジネスホテルを探そう」
 藤沢は敢えて独り言を言う。そして辺りを見回す。雪で出来た巨大迷路は混迷の度合いを増しており、土地鑑の全く無い藤沢は簡単に打ちのめされた。
 「雪しか見えない」
 自身の身長を超える雪の壁にどう挑むのか。考えている内にも頭や肩に雪が降り積もる。

 藤沢は雪の巨大迷路を小一時間ほどもさ迷った挙げ句、ようやくビジネスホテルを探し当てた。周囲の建物よりも高い8階建ての建物だったのが幸いした。しかし、ビジネスホテルの看板が藤沢を不安にする。『ビジネスホテル 仙人』と看板にはあった。
 藤沢は肩に積もった雪を払いつつ、看板を睨み付けている。表情が強張っているのは冬の寒さだけが原因ではない。
 藤沢は中を覗き込むがロビーは暗く、人の姿は確認できなかった。或いは営業時間外なのかと看板に視線を移すが、そんな情報は一切書かれていないのを確認しただけだ。
 「行くしかないか」
 藤沢は覚悟を決める。なぜ、ビジネスホテルに入るのに決死の覚悟が必要なのか自分にも分からないまま。
 二重の自動ドアがガタガタと震えながらぎごちなく開く。中は暗く、人影は無い。物音一つしない。
 「おーりゃーっ」
 天井から白い影が藤沢を目がけて降ってくる。
 藤沢は反射的に後ろへ跳んで躱す。藤沢の目の前には白い服の男がしゃがみ込んでいる。その手には何かが握られ、暗がりの中で鈍く光る。
 「宿泊したいんですが」
 藤沢は男に話し掛ける。男はすっくと立ち上がり、藤沢を見据える。そして気合いと共に鎖鎌の分銅を投げつける。
 藤沢は正面から投げられた分銅を身体を左に開いて避ける。敵を見据えながらも分銅に視線を配り長さを見切る。白い服の男は素早く分銅を引き戻し、中段の構えを取った。男の右手の鎌は30センチ程の刃を持ち、鎌の先端部には鎖が伸びる。男は左手で鎖をゆっくりと頭上で回し始め、鎖と先端の分銅は風を切って唸る。男は口を開く。
 「生きて泊まることは許さん」
 藤沢は反論する。
 「遺体安置所じゃなくてビジネスホテルでしょ、ここは。外は雪で寒いんですよ、泊めて下さいよ。仙人」
 男は暗がりの中で白い歯を見せる。
 「よくぞ、儂が仙人と気が付いた」
 「だって声が同じだし」
 「ふっふっふっ。それは盲点だったな」
 「そうかなぁ…」
 「とにかく死んでもらうぞ」
 「何で?」
 「この鎖鎌で」
 「そうじゃなくて何の理由で?」
 「…それは聞いてないな」
 「誰に?」
 「それは言えない」
 「どうして?」
 「どうしても」
 「そこを何とか」
 「無理」
 無駄な問答の最中も仙人の鎖鎌は音を立てていた。藤沢は暗がりに慣れた目で仙人と室内の様子を見る。仙人はカウンターを背にしており、藤沢は入り口の自動ドアを背にしている。右側には丸テーブルとソファがあり、左側にはグランドピアノと新聞立てが窮屈に置かれている。仙人は一見して老けているが実際には四十代と藤沢には見えた。顔の皺と白髪混じりの頭髪は仙人風だが、白い道着から除く腕や脚、胸元の筋肉の張りは若々しい。鎖鎌の構えや先程の分銅の攻撃を見る限り、かなりの強者だと藤沢は判断した。
 「出来れば殺したくないんですけど」
 藤沢は仙人に話し掛ける。
 「では、おとなしく仙人に殺されなさい」
 仙人は笑う。
 「しょうがないなぁ」
 藤沢は柔和な笑顔を見せる。
 仙人の頭上でゆっくりと回る鎖はその速度を増していき、風切り音は殺気を増していく。鎖先端の分銅の直撃を受ければ骨は簡単に砕ける。そして鎌の刃で掻き切られれば、それで死ぬ。
 「おーりゃー」
 せめてもの救いは仙人の気合いがやけに甲高くすっ頓狂なことぐらい。
 藤沢は自分が分銅の届く範囲内に居ることを承知していた。自分の居る場所が敵の殺傷圏内であることを承知しながら相変わらす柔らかい笑みを保っている。藤沢は背負ったままだったデイパックをひょいと外して右手にぶら下げた。その瞬間を逃さず、仙人は分銅を藤沢の右側から首を目がけて円弧を描くように投じる。藤沢の首を絡めとろうと鎖が伸びる。藤沢は左後方に後ずさりしつつ、右手のデイパックを持ち上げた。分銅はデイパックに当たり音を立てる。勢いをなくした分銅を仙人が引き戻そうとする刹那、藤沢は左手で鎖を掴み、同時に右手のデイパックを離す。仙人が鎖を引き、藤沢の手の中で鎖が滑る。藤沢は左手の中の鎖を滑らせながら空いた右手で分銅を掴む。藤沢は右手に分銅を握り締め、仙人の左手側に向かって走る。二人の距離が詰まり仙人は右手の鎌を身体を左に向けながら振り下ろす。藤沢は仙人の左側に回り込み身体を仙人の真横に正対させてかわす。藤沢は左手で仙人の右手を掴み、鎌を封じて右手に握った分銅を仙人の後頭部に叩き付ける。仙人は立ったまま失神し、その場に崩れた。
 藤沢は気絶した仙人から鎖鎌を取り上げる。辺りを見回し、ロビーのカウンターへ歩み寄る。
 「勝手にルームキーを取ったらまずいのかな、やっぱり」
 鎖鎌片手に困惑する藤沢だった。外は吹雪だ。

落川 「と言う訳で「次回作についての考察」の仕切り直しである「遠くへ逃げたい」が目出度く見切り発車となった」
藤沢 「あのぅ」
落川 「何?」
藤沢 「何で急に作者を交えての座談会になってるんですか?」
落川 「ライトノベルだから」
藤沢 「そうなんですか?」
落川 「あれっ、こういうのってよくあるパターンじゃないの?」
藤沢 「こっちに話を振られても…」
落川 「ま、始めちゃった物はしょうがない」
藤沢 「適当ですねぇ」
落川 「ちなみにこの座談会の目的は前回の反省と今後のストーリー展開について作者と登場人物がざっくばらんに語り合うというものだ。断じて責任の擦り合いをしてはいけません」
藤沢 「はぁ」
落川 「で、前回のストーリーだが…。自称仙人が鎖鎌を持って暴れてあっさり倒されて終わりか」
藤沢 「まとめてしまえばそうですね」
落川 「あっさりしすぎないか、これ?」
藤沢 「実戦であって、見せ物じゃないので。本当の殺し合いはあっさりしたものです」
落川 「仙人は死んだのか」
藤沢 「手加減したので死んではいません。正月早々、人殺しなんて嫌ですから」
落川 「て、ことは次回も登場するのか…。次はウズラの卵を割ってもらうとか天空拳を披露してもらうとかしないと」
藤沢 「元ネタが分かりにくいような気がしますけどいいんですか」
落川 「良いの、良いの。少しぐらい分かりにくい方が分かっている人間の特権階級意識をくすぐるんだよ」
藤沢 「大した特権階級じゃないと思いますけど」
落川 「ま、貴族趣味ではないね」
藤沢 「次回はどうなるんですか」
落川 「強引に萌え系に持って行こうかと」
藤沢 「仙人がメイド服で鎖鎌を振り回すだけじゃないでしょうね」
落川 「駄目だって。オチを先に言っちゃ」
藤沢 「本当にそんなことを考えてたのか…」
落川 「ま、ストーリーは適当にでっち上げるから、そっちも適当に相手を倒しちゃってよ」
藤沢 「想像以上に出鱈目な小説なんだな、これ」
落川 「ライトノベルですから」
藤川 「読んでないだけあって凄い偏見だ」

 「おーりゃー、萌えー」
 メイド服の仙人が鎖鎌を構えて叫ぶ。台詞から見た目まで全てが嫌だった。
 藤沢は寝起きにいきなり見せられた信じたくない実写映像に対して明らかに不愉快な表情をする。
 「何なんですか?」
 藤沢の不機嫌丸出しの質問。それに答えるメイド仙人。
 「萌えーっ。勿論、昨日の復讐だっ。おーりゃー、萌えー」
 ビジネスホテルのロビーで鎖鎌を振りかざす。
 藤沢は仙人を倒した後、ロビーのカウンターから適当にルームキーを拝借し、普通に一泊したのだった。食事はカウンターの奥の部屋にあったカップラーメンをこれまた拝借した。幸い、ホテルの施設は全てが普通に稼働しており、何の不自由もなかった。不自由なのは事情がさっぱり分からないことぐらいだ。どうして気楽な一人旅をしようとしただけなのに旅先で仙人に鎖鎌で襲われたのかがさっぱり分からない。そして今また、更に意味不明な危険が迫っている。朝になり、外の様子とロビーに放置したままの仙人を確認しようとロビーに降りてきた藤沢は仙人メイドの襲撃を受けたのだ。
 「朝食の後にしてくれませんか」
 藤沢は面倒くささ全開で問い掛ける。
 「ふっふっふっ。朝食を取りたければ儂の屍を越えて行けいっ。萌えーっ」
 仙人メイドは鎖鎌の鎖を激しく回転させる。語尾に一々、「萌えーっ」を付けるのが鬱陶しくて、藤沢は眉間に皺を寄せている。
 藤沢は、ふうーっと大きく息を吐いた。
 「文字通り朝飯前に片付けるか…」
 「萌えーっ」
 藤沢の溜め息交じりの独り言が終わらない内にメイド仙人はスカートの裾を翻しつつ鎖鎌を振り上げて襲い掛かって来る。
 藤沢は鎌をかわしてメイド仙人の左へ回り込む。メイド仙人は左手を伸ばし、鎖を張る。藤沢は更に左に回り込みながら距離を取る。メイド仙人は藤沢に正対すべく身体を回し、中段の構えに戻る。メイド仙人は分銅を回さず、鎖を正面に張る。前回は鎖を藤沢に掴まれて負けたので同じ轍を踏まないように闘い方を変えてきている。藤沢の攻撃を鎖で受け止め、絡め取り、動きを止めてから鎌で掻き切るという戦法だ。
 藤沢は面倒くさそうな表情の余韻を残しつつも瞳には静かな殺気を込めている。ボクサーの様なガードの姿勢は取っているがフットワークは使わずに静かに立っている。メイド仙人はじりじりと距離を詰める。藤沢は下がる。二人の距離は鎌の殺傷圏より歩幅一つ分遠い。
 豪雪に覆われたビジネスホテルのロビーでメイド服に鎖鎌という自称仙人と気楽な一人旅の元サラリーマンが早朝から死闘を繰り広げている。理由は少なくとも藤沢には全く分からない。
 メイド仙人が鎌を振り上げ藤沢に斬り掛かる。藤沢は左後方に跳んでかわす。メイド仙人は藤沢を追いながら鎌を揮う。藤沢はまたも後方に跳んでかわす。メイド仙人と藤沢は見つめ合ったまま追っ掛けっこを始める。鈍い光の鎌が空気を切り裂く音とメイド仙人のスカートの衣擦れの音が静寂の中に大きく異質に響く。
 藤沢はメイド仙人によって部屋の隅に追い詰められた。右も左も壁があり、メイド仙人に対して回り込むことはできなくなっていた。メイド仙人は慎重に距離を詰めてくるが、その顔には笑みが浮かんでいる。藤沢はメイド仙人の満面の笑みに身震いする。カチューシャは要らないだろと叫びそうになる。
 メイド仙人は薄く紅をさした唇を開く。
 「貴様の脳天を叩き割ってやる」
 藤沢はぼそりと答える。
 「薄化粧までしなくても…。そもそも何でメイド服なんですか?」
 メイド仙人はニヤリと笑う。
 「今、流行ってるんだろ、これ。流行は取り入れんとな。おーりゃーっ、萌えーっ」
 「メイドはともかく仙人は流行ってないですよ」
 藤沢は普通に反論しながら素早く距離を詰め、しゃがみながら身体を右に回転させ、伸ばした左脚でメイド仙人の左脚を払う。メイド仙人は体勢を崩し、頭からカチューシャが飛ぶ。体勢を崩したメイド仙人は倒れそうになりながらも両腕を振り上げ、脚を踏ん張り、体勢を立て直そうとする。しかし、水面蹴りを放った藤沢はすっと立ち上がり、右の拳をメイド仙人の左こめかみに突き刺すように打ち込む。
 メイド仙人は立ったまま失神し、その場に崩れる。受け身も取れずに後頭部を床に打ち付け、硬い音を立てた。
 藤沢はメイド仙人を見下ろし、すぐに顔を歪めて目を背ける。メイド仙人のスカートがはだけて生脚と白地にイチゴ模様のパンティが見えたからだった。
 藤沢は気絶しそうになりながら敗者の如く、よろけて歩く。

落川 「という所で座談会の始まり始まり」
藤沢 「ああいう展開が続くようなら、主人公を辞めさせてもらいます」
落川 「ああいう展開って?」
藤沢 「メイド仙人ですよ。何ですか、あの敗北感たっぷりのオチは」
落川 「なかなか衝撃的だっただろ」
藤沢 「嬉しそうに言われると余計に腹が立つ…」
落川 「しかし、あれだな。戦闘シーンが地味だな」
藤沢 「だから実戦はあんなものですって」
落川 「せっかくの鎖鎌も意味が無いし。やっぱり藤沢が首を掻き切られるとかさ、そういう盛り上がりが欲しいよな」
藤沢 「死んじゃうでしょ、そんなことされたら」
落川 「せめて血の一つも出してくれないと…。次はジュースいくか?」
藤沢 「そんな隠語、読者は意味が分からないと思います」
落川 「そこまで読者にネタばらししなくて良いんだよ。分からなくて良いの。皆が知ってたら隠語にならないだろ。要は藤沢が戦闘シーンの合間に陰に隠れてカミソリで自分の額を切って流血して、さも敵にやられたかのようにしてくれれば…」
藤沢 「思いっ切り、ネタばらしです、それは」
落川 「ネタばれすらもネタにして突き進んで行くのがこの作品だ」
藤沢 「はぁ。適当だよなぁ、本当に」
落川 「闘いにドラマ性がないんだよ、藤沢は」
藤沢 「作者にそう言われても…」
落川 「首を飛ばせとは言わないが…って、さっき言ったか。まぁ、少しは相手の攻撃を受けてピンチになってくれないと」
藤沢 「鎖鎌の攻撃を受けたら危ないじゃないですか」
落川 「そういう安全第一の思想が間違いだ。マンション建てようってんじゃないんだからさ、危険と背中合わせじゃないと闘いが盛り上がらないだろ」
藤沢 「しかし、相手があれじゃ」
落川 「萌え系で良いじゃないか」
藤沢 「服装だけ萌え系でも着てるのが仙人じゃ、萎え系ですよ」
落川 「とりあえず出オチにしようかなと思って。盛り上がっただろ、登場シーンは」
藤沢 「自分としては嫌でした」
仙人 「おーりゃーっ、萌えーっ」
落川 「あ、呼んでないのに出た」
仙人 「話が盛り上がらないのを仙人の所為にするとは失礼な。断固、抗議するぞ」
藤沢 「ああ、生きてたんですね、仙人」
仙人 「ふっふっふっ。仙人は不死身じゃ」
藤沢 「仏の顔も三度までって言いますからね。次は確実に殺しますよ」
落川 「面倒だから仙人は死んだってことにするか」
仙人 「なっ。何じゃそりゃ」
落川 「だって話が始まってからずっと藤沢と仙人がドラマ性の無い闘いを繰り広げてるだけだし。これじゃ面白くないだろ」
仙人 「儂にメイド服まで着させておいて何という仕打ち」
藤沢 「嫌だったら着なきゃ良かったじゃないですか。そもそも何でメイド服を持ってたんですか。怪しい趣味の持ち主とか?」
仙人 「だって朝、目が醒めたら、すっ裸にされてて枕元にメイド服が置かれていて…。それしか着る物が無かったんじゃ」
藤沢 「言っときますけど、俺が置いたんじゃないですからね」
仙人 「では一体、誰が…」
落川 「誰なんだろう?」
藤沢 「作者が知らないんですか」
落川 「だって枕元にメイド服が置かれていたなんて話は今、初めて聞いたぞ」
藤沢 「…この話って謎が謎を呼んでどこにも着地しないんだなぁ」
仙人 「メイド服はともかく、何で儂が死んだことにならなきゃならんのだ」
落川 「キャラとして必要ないから」
藤沢 「酷いこと言うな…」
仙人 「そんな…。まだネタが幾つもあるのに。ウズラの卵を鎌で割ったりとか、天空拳を弟子に授けるとか、滑車で滑り降りながら弓を射って外すとか…」
落川 「そういうのをやろうと思ってたけど、飽きたからもういいや。とりあえず死んでくれ、仙人」
藤沢 「飽きたから死ね…って。本編より座談会の方が殺伐としてるじゃないか」
仙人 「納得できん」
落川 「まぁまぁ、そうがっかりせずに。気が向いたらゾンビかなんかにして復活させるからさ」
藤沢 「それって慰めになるのか」
仙人 「とほほ。何で儂、この作品に登場したんだろう?」
落川 「…何でだ?」
藤沢 「真顔で俺に聞くの?」
落川 「ま、過去はどうでも良いや。次の展開を考えないと」
藤沢 「登場人物に今後の展開を相談するのは如何なものかと」
落川 「お前、自分が主人公の作品に対してそんな無責任な態度で良いと思ってるのか」
藤沢 「そっちから責任を追及されるとは思わなかった…」
落川 「萌え系路線への展開は、ものの見事に大失敗だから別のセールスポイントを考えないと」
藤沢 「メイド仙人じゃ失敗するでしょ、そりゃ。中身、おっさんだもん」
落川 「ファンタジー路線で行くか。魔法少女とか出してさ」
藤沢 「それって以前の設定にあった魔法少女ですか」
落川 「えーと、何て名前だったっけ?」
藤沢 「当たり前のように忘れてるよ、この人」
落川 「しかし、ここで唐突に魔法少女が登場というのも訳が分からんな」
藤沢 「仙人が登場した時点で既に訳が分からない」
落川 「ああ、そうだ。ヒロインを投入しよう。村雨を出そう」
藤沢 「あれを出すんですか…。一気に話が殺伐としそうな感じ」
落川 「その前に藤沢の一人旅をのほほんと書くか。旅とグルメと温泉だ」
藤沢 「何か罠が待っていそうだ」
落川 「罠? 考えるのが面倒だから用意しないと思うよ」
藤沢 「少しはストーリーを考えなさい。大体、本編より座談会の方が尺が長いのは変だ。いや、座談会が在ること自体が変だ」
落川 「何でも有りで良いじゃないか。普通にちまちまストーリー考えてたって退屈だし、面倒だからさ。こうやって全てをオープンにして行き当たりばったりで先が見えない状態の方が解放感があって面白い」
藤沢 「…で、次の展開は?」
落川 「まずはビジネスホテルから出て、鷺の湯へ向かってもらうか。そこは多分、お約束の土地だ」

 大人の事情で死亡したメイド仙人を放置して藤沢は「ビジネスホテル仙人」を出た。昨日の吹雪が嘘であったかのように青空が拡がり、「嘘っ」と言いたくなる程に雪が積もっていた。除雪は間に合っておらず、昨日以上の高い雪壁が藤沢を白い迷宮に誘っている。
 藤沢はため息をつく。ため息は白く立ち上り視界をいっそう白くする。まずは朝食を摂りたい。藤沢は駅へと向かって歩き出した。
 そして藤沢は朝っぱらから道に迷った…。
 「天は我を見捨てたか…」
 藤沢の独り言は彼を取り巻く雪にあっさり吸収された。藤沢は雪の中に居た。道と言えるような物は無く、新雪を踏み締めてヨタヨタと歩く。建物の屋根は見えるがそれが何の建物なのかは分からない。駅へ戻りたいのだが方向も分からない。そもそも夜の吹雪の中をさ迷った挙げ句に辿り着いたビジネスホテルから出発したのだから自分の位置が分からなくなるのも当然か。
 藤沢は立ち止まり、腕組みをして考え込む。このまま無闇矢鱈に歩き続けても無駄に疲れるだけだ。気楽な一人旅と遭難は違うのだ。それにしてもどうしてこんなことになったのか。宿泊予定の温泉旅館は経営者が逃げたと仙人に言われ、仙人に奨められるままビジネスホテルへ行ったら、仙人に鎖鎌で襲われ、それを倒したら翌朝にはメイド仙人に襲われた。自分が何かの罠に引っ掛かっていることは確かだが、誰が何の目的で罠を仕掛けているのかが分からない。仙人だけが自分の敵ならば既に片付いているが、他にも敵がいる可能性は残る。
 藤沢は何度目かの溜め息をついた。溜め息の作る白い影に視線を向ける。
 ドスッと鈍い音がした。雪の塊が落ちてきたかと音のした方へ顔を向けるが雪の壁があるばかり。藤沢は歩き出し、音の出所と思われる方へと向かう。
 男が倒れていた。黒い背広を着た男が大の字に倒れている。さっきの音はこの男が倒れた時のものだったらしい。どうしたんですかと声を掛けようとした藤沢は男が倒れた理由をすぐに悟って口をつぐんだ。男の頬骨は大きく腫れ上がり、口からは出血していた。そして顔面に残る足跡。誰かに正面から蹴られている。
 また、鈍い音がした。雪に吸収されて、音は小さくなっているが藤沢にはそれが何の音か瞬時に理解できた。誰かが誰かの打撃を喰らって倒れた音だ。
 「朝飯、喰える所を教えてもらえるといいんだけど」
 藤沢は呑気且つ切実な独り言を呟きながら、恐らくは修羅場である方へと歩き出す。
 黒い服を着た細身の人間が、五人を相手に一方的に暴行を加えていた。藤沢は自分の目を疑ったが、見えている風景は事実だった。黒い服の細身の女が、襲い掛かって来たがっしりした体格の男達を全て一撃で叩き伏せていた。殴るというより腕を振り回し、蹴るというより足を振り回しているだけ。だが、その速さは異常だ。そして速いだけではなく重さも異常にあることは打撃を受けた男達の恐らくは百キログラムを越えた身体が軽々と宙に舞ったことですぐに分かった。
 藤沢は呆然と観ていた。五人の男達は実にあっさりと倒されていた。藤沢から見て男達は全員が素人ではなく、かなり格闘技の訓練を受けた者だった。女を取り囲み、慎重且つ大胆に飛びかかり動きを止めようとフェイントを交えたタックルをしていた。タックルのスピードや姿勢も悪くはなかった。だが、女はそれらを全て異常な打撃で正面から叩き伏せた。かわすでもなく受けるでもなく単純に正面から殴り、蹴った。特に急所に入ったわけでもないのに相手の男は立ったまま失神し、身体を宙に浮かせて吹っ飛ばされた。両腕で女の蹴りをブロックした男も居たが、いとも簡単に両腕は折れ、突出した白い骨が顔面に刺さった体勢で雪壁に叩き付けられた。五人が五通りの血を雪に描いて倒れていた。
 女が藤沢の方を向いた。藤沢は息を飲んだ。単純に美人だった。整った容姿は幼さと色気が同居する美しさを持っていた。
 「あなたは彼らの仲間ですか」
 女は静かに口を開いた。息が全く乱れていなかった。藤沢は女の目を正面から見据えて答える。
 「僕は只の旅行者であって、誰の仲間でもありません。ところで…」
 「何ですか」
 「食事が出来る所を教えて欲しいんですけど」
 藤沢は最大の関心事について尋ねた。
 「私についてきてください。こっちに旅館があって食堂もあります」
 女は藤沢に背を向けて歩き出しながら言った。
 藤沢は笑顔混じりに話し掛ける。
 「助かります。で、この男達は何なんですか?」
 女は振り向かずに返答する。
 「さぁ。忘れた頃に私を倒しに来るのです。その度に適当に殴っているのです」
 「倒しに来る理由は?」
 「分かりません。理由を聞く前に相手が喋れなくなっているので聞けないままです」
 藤沢はさっき観たばかりの格闘現場を思い浮かべる。彼女はいつも、あんな調子で相手を倒してしまっているのだろう。あんな倒され方をしたら相手が喋れなくなるのも当然だ。
 藤沢は自分と同じ位の身長を持つ細身の女の後を歩いていく。歩きながら色々と考えるが、考えても何も分からないだろうという結論に辿り着いて考えることを止めた。
 藤沢はふと思い立って尋ねる。
 「失礼ですがお名前は?」
 女は足を止め、振り向いて藤沢の目を見据えて言った。
 「村雨遥子です。そう名乗ることにしています」
 藤沢は村雨の目から視線を逸らさずに言う。
 「僕は藤沢史郎です。今は無頼の身です」
 「ブライってどういう意味です?」
 「頼る所が無いということです。会社も辞めたし、何かの組織や集団に属している訳でもないし」
 村雨は初めて微かに笑顔を見せて言う。
 「それなら私もブライです」
 藤沢は村雨の後を早歩きで追い掛ける。村雨は雪道を大きな歩幅でずんずん進んでいく。履いているブーツの足首までが新雪に埋もれるが、それでも歩くペースはかなり速い。雪道に慣れているのではなく単純に力任せに歩いているようだ。後方に雪を巻き上げて進んでいくので藤沢は村雨の斜め後ろを歩く。
 村雨は雪の壁が続く白い迷路を迷うことなく突き進む。右に左にと方向を変えて突き進む。細身の身体に軽装だが、寒がる様子は全く無い。早いペースで歩いているにも関わらず息も上がっていないようだ。十分ほど歩くと二人は旅館の前に着いた。
 「ここが鷺の湯か」
 藤沢は旅館の看板を前にして絞り出すように呟いた。そして自分がしてきた遠回りの一部始終を思い出す。結局、仙人とは何だったのか。
 「お帰りなさいませ」
 聞き覚えのある声がした。その声に村雨は「ただいま」と答える。藤沢が視線を看板から声の方へ向ける。
 「げっ、仙人」
 見覚えのある顔だった。そこには鷺の湯と染められた丹前を羽織った、あの仙人が居た。
 「どちら様ですか?」
 仙人に問われた藤沢は怪訝な顔で問い返す。
 「僕は藤沢という者です。あなたは仙人じゃないんですか?」
 仙人は合点がいったという表情で答える。
 「ご予約いただいた藤沢様ですか。吹雪でご到着が遅れたんですか? それにしてもどうして私の双子の兄をご存じで?」
 「双子の兄?」
 「ええ。どこでお会いになったのかは存じませんが、仙人を自称しているのは私の双子の兄なんです」
 仙人の双子の弟という男の話に藤沢は納得がいかず、相変わらず怪訝な表情のまま。それを見た仙人の弟は自分の左の耳元を指差しながら言った。
 「ほら、ここにアンテナがあるでしょう。兄にはこのアンテナが無いんです」
 藤沢は目を見開く。確かに耳元からロッド・アンテナが生えている。確かに仙人にはこんな物は生えていなかった。というよりアンテナが生えている人間は今、ここで始めて見た。
 「そのアンテナは何なんです?」
 藤沢の質問に仙人弟は笑って答える。
 「ラジオですよ。テレビも1チャンネルから3チャンネルまで聴けて便利ですよ」
 少しの沈黙の後、藤沢は言う。
 「へぇー、便利ですね…」
 抑揚のない藤沢の言葉。それを聞いて藤沢の隣で、ふんふんと感心したようにうなずく村雨。
 「あの予定より一日遅れなんですけど、宿泊はできますか?」
 藤沢はアンテナに視線を奪われたまま仙人弟に質問した。
 「ええ、大丈夫です。部屋は、がら空きでお客様は村雨様だけですから」
 仙人弟の言葉を受けて村雨は得意気に大きくうなずく。
 「ではお願いします。それと朝食を摂りたいんですけど」
 藤沢の言葉に仙人弟(アンテナ付き)は満面の笑みで答える。
 「どうぞ、食堂の方へ。当旅館自慢の朝食バイキングです」
 仙人弟(アンテナ付き)の後について藤沢と村雨は鷺の湯の中へと入る。

 「どうぞ全国の漬物バイキングです」
 アンテナが、だだっ広い食堂の隅から隅まで響く大声で自慢する。藤沢は長机の上に置かれた丼に山盛りになった色とりどりの漬物の群れに目を丸くした。確かに全国から漬物を取り寄せているらしい。沢庵、ぬか漬け、味噌漬け、奈良漬け、べったら漬け、わさび漬け、しば漬け、キムチもある。漬けられている野菜も大根、キュウリ、蕪、白菜、野沢菜、高菜…とにかく種類は豊富だった。
 「どうぞ」
 アンテナが仰々しく藤沢に渡したのは白いご飯が盛られた丼。
 「どうも」
 藤沢は丼を受けとると漬物軍団に正対する。どれにしようかと長机を見回す。大きく首を回して左右を見る。振り向いて後ろを見る。机と椅子があるだけだ。
 藤沢はアンテナに問う。
 「漬物以外には無いんですか」
 アンテナは笑みを絶やさず答える。
 「白いご飯があります。おかわりはご自由にどうぞ」
 藤沢は更に問う。
 「漬物と白いご飯以外は無いんですか」
 アンテナは笑っている。
 「番茶があります。おかわりはご自由に」
 藤沢は更に問い詰める。
 「漬物と白いご飯と番茶以外は無いんですか」
 アンテナは更に満面の笑み。
 「ありません」
 藤沢は思わず手元の白いご飯に目を落とした。それからゆっくりと顔を上げる。村雨が丼に盛られた白いご飯を箸でまっ平らにならしてから、長机の端から順番に漬物をご飯の上に盛りつけている。サイケデリックな漬物の山が出来上がると村雨はやかんを手にし、勢いよく番茶を掛けてお茶漬けを完成させた。そして席に着くと凄まじい勢いで食べ始める。その手首の回転は何かのスポーツ競技を思わせる。藤沢が何とはなしに見ている内に村雨はお茶漬けを完食してしまった。そして席を立ち、空の丼を持ってアンテナの方へ向かい、当たり前のように言った。
 「おかわり」
 藤沢は「凄い」と小声で呟く。
 結局、藤沢は白いご飯に二、三種類の漬物だけの朝食を摂った。村雨は例のお茶漬けを五杯食べた。お茶と白いご飯と漬物を文字通り掻き込んでいた。
 「腹八分目って言いますから」
 村雨はそう言った。藤沢は自分の耳を疑ったが、確かにそう言っていた。
 当人曰く腹八分目の食事を終えた村雨は空の丼になみなみと番茶を注ぎ、片手で呷る。あっという間に丼一杯の番茶を飲み干すと、また番茶を注ぐ。机の上に置かれていた女性週刊誌を手に取るとパラパラと捲りながら、ぐいぐいと番茶を飲む。
 藤沢はあれこれと気になっていたし、何度か村雨に問おうかと口を開きかけた。しかし、何から問うて良いものか分からなくなって結局、口をつぐんだ。
 村雨は女性週刊誌の人気清純派女優のスキャンダル記事を熱心に読んでいる。対面に座っている藤沢には記事の詳細は見にくかったが、要は男性関係が派手でSMやら乱交やらを夜な夜な繰り広げているという、どこまで本当か嘘なのか分からない、ありがちな記事だということは派手に踊る見出しの拾い読みでも理解できた。村雨は黒いショートコートの胸ポケットから赤いマーカーペンを取り出すと、記事に赤線を引き始めた。まるで参考書を読む受験生のように真剣な面持ちで女性週刊誌のえげつない記事に赤線を引いている。藤沢が思わず覗き込むと、SMやら乱交やらの具体的な行為についての文章に赤線が引かれていた。藤沢は益々、村雨が分からなくなる。
 藤沢の目の前に居る女は長身で手足が長く、細身。整った端正な顔立ちも相まってファッションモデルだと言われれば成る程と納得できる外観だ。だが、技の無い打撃で屈強な男達を一撃で叩き伏せる殺傷能力を持っている。更に大喰らいで、多分、味覚オンチ。ついでに女性週刊誌を熱心に読み赤線まで引いている。藤沢は興味を惹かれる一方で関わらない方が良いのではとも思う。
 このまま村雨を眺めていても仕方がないと思い、藤沢はアンテナに部屋へ案内してもらおうと、彼の姿を探す。だが、食堂にアンテナの姿は無かった。
 「あれ、どこ行ったんだろう?」
 藤沢が漏らした言葉に村雨が答える。
 「アンテナおじさんですか?」
 「うん、アンテナおじさん。どこ行ったんだろう?」
 「あの人、すぐにどこかに行ってしまうんです。昨日も夕方から居なくなって…。今朝は居たけど」
 「アンテナ以外の人は居ないのかな」
 「居ないようです。他の人は旅館の人もお客さんも見たことがありません」
 村雨の話に藤沢は困った顔で呟く。
 「部屋へ案内してもらいたかったんだけどなぁ」
 村雨は立ち上がると女性週刊誌を小脇に抱える。藤沢に向かって言った。
 「取り敢えず私の部屋へ来れば良いでしょう」
 「へっ」
 「私の部屋に来れば良いでしょう」
 「しかし、それは…」
 「何か問題でも?」
 正面から村雨に問われて藤沢は答えに窮した。取り敢えず村雨の部屋に行くだけなら、確かに問題は無いような気がする。別に同じ部屋に泊まる訳ではないし、アンテナを見つけたら部屋に案内してもらえば良い。仮にアンテナが見つからなかったとしたら…昨晩同様に勝手に適当な部屋で寝れば良いだろう。
 「じゃ、お言葉に甘えて」
 藤沢は村雨の部屋に行くべく席を立つ。
 藤沢は村雨と部屋へと向かう。食堂からロビーを通って階段を昇る。藤沢が思っていたよりも広い旅館だ。あちらこちらに絵が掛けられているが、何故か全てが伊藤晴雨ばりの責め絵だった。当然、村雨の目にも絵は入っている筈だが、彼女は全く動じる様子もない。さすがに女性週刊誌を熟読する女だけのことはあるなと藤沢は感心する。三階へ着いた。村雨は階段のすぐ側の部屋に向かい、ドアを開けようとするが開かない。鍵が掛かっている。村雨は顔色一つ変えず、鍵も探さず、ドアノブを無理やり回す。金属の引きちぎれる悲鳴。静寂の後、ドアノブはポロリと取れた。
 「どうぞ」
 村雨はドアノブだけを持ったまま、にこやかに藤沢を招く。美人に部屋に招かれるという場面に藤沢は強い違和感を覚えた。
 中は八畳の和室だった。大きな窓からは雪景色が見える。連なる山と谷は白く輝き、藤沢は旅行の喜びを初めて味わった。
 「良い景色ですね」
 思わず窓に歩み寄り藤沢は嘆息する。村雨は藤沢の隣に立ち、窓の外を指差して言った。
 「あそこに建物があるでしょう」
 「ああ、何かありますね。何ですか?」
 「アンテナおじさんが言うには『秘宝館』だそうです。カップルで行くと良いって言っていたから後で一緒に行きましょう」
 藤沢は返答に詰まる。確かに温泉場に秘宝館があっても不思議ではないかもしれない。しかし、それはかなり昔の話であって現在、秘宝館はかなり珍しい施設の筈だ。何故、こんな辺鄙な場所にあるのか。逆に辺鄙な場所だからあるのだろうか。それにしても出会ったばかりの自分を秘宝館に誘う、村雨は何を考えているのだろうか。
 「ところで『秘宝館』ってどういう施設なのか、知っていますか?」
 不意に村雨に質問されて藤沢は更に戸惑う。
 「知らないの?」
 「はい」
 村雨は知らないのが当然だという顔をしている。藤沢は知っている答えを説明するにはどうしたら良いのかという答えを知らない。
 「あなたも知らないのですか?」
 「知ってるけど…説明しにくい」
 「では、行った方が早い」
 「いや…」
 「行きたくないのですか?」
 「えーと」
 藤沢が答えに窮していると、ドアを荒々しく開けて誰かが入ってきた。二人だ。
 「ダブル仙人参上」
 ヌンチャクを持った親父と両手にプッシュダガーを持った親父が揃い踏み。お揃いの黄色いツナギが目に眩しい。
 「ペアルックか」
 藤沢は明らかに興味が無い口調で話し掛けた。
 「死んでもらうぞ」
 アンテナ付き仙人がヌンチャクを構えつつ藤沢に告げる。その隣の男の頭にも何かが付いている。
 「頭の上でクルクル回っているのは…」
 藤沢の問いに親父はにやりと笑う。
 「勿論、レーダーだ」
 「タケコプターのバッタ物かと思った」
 藤沢は明らかに興味が無い。対して村雨は目を輝かせてレーダーを見ている。
 「我らダブル仙人が貴様を倒す」
 アンテナが叫ぶ。レーダーは村雨の熱い視線を感じて何故か頬を赤らめている。
 「だから理由は?」
 やる気無さそうに藤沢が聞く。命を狙われることに飽きている。
 「それは言えない」
 アンテナはメイドと同じ答えを返すのみ。レーダーは隣でうなずくだけ。村雨はレーダーとアンテナを見比べて楽しそう。
 「一人ずつ? 二人一遍?」
 藤沢は微苦笑まじりに問う。
 「ところでアンテナおじさん。秘宝館って何か具体的に教えて下さい」
 唐突に村雨が発言する。藤沢は軽く驚いて言う。
 「その話題、続いてたんだ」
 「だって気になるし」
 村雨はアンテナを正面から見据えたまま藤沢に答えた。
 「その話題は、こちらの用事が済んでからということで」
 アンテナはすげなく答える。
 村雨はがっかりした表情をする。
 「アンテナおじさんの用事とは何ですか?」
 「だから、藤沢を倒すの」
 「どうして?」
 「それは言えない」
 村雨とアンテナの問答は続く。
 「アンテナおじさんは藤沢に闘いを仕掛けている訳ですか?」
 「そう」
 「ふーん。面白そうだから私も参加しようか」
 村雨はさらりと言った。ごく自然にそう言った。藤沢は一気に緊張する。「もし村雨と闘ったらどうやって勝つか」を、初めて村雨を見た時からずっと考えてきた。そして答えは出ていない。その答えをこの場で現実の闘いの中で見つけなければならなくなるのか。見つけられなければ藤沢は無惨に倒れる。
 「じゃ、行きまーす」
 村雨は澄んだ声で朗らかに言いながら強烈な前蹴りを予備動作なくアンテナの顔面に叩き込む。アンテナは簡単に後ろへ吹っ飛び、開けっ放しだったドアから廊下へと飛び出した。身体を壁に叩き付けられ鈍い音と共に崩れ落ちる。
 藤沢は緊張を維持しながらも苦笑する。この女は蹴りやすい相手から蹴っただけ。その安易な発想がやけに面白かった。同時に蹴りの速さと重さに嫌気が差す。
 自分の隣に居たアンテナが一気に視界から消えたことにレーダーは目を丸くしていた。頭の上のレーダーは危険を察知する能力が無いらしい。
 「じゃ…」
 村雨がレーダーへ視線を向ける。レーダーは慌てて後方に跳び、距離を取る。
 「どうして逃げる?」
 村雨は不思議そうな顔で聞く。
 「あ、あんたは何者だ?」
 レーダーの声は震える。
 村雨は不思議そうな顔のまま答える。
 「私は村雨遥子と名乗ることにしてます」
 レーダーは顔を引き攣らせつつ、プッシュダガーを握り締める。そして村雨ではなく、その隣に立っている藤沢へ一気に襲い掛かる。
 迫って来るレーダーのプッシュダガーを視界に捉えながら藤沢は素早く構えを取った。が、すぐに膝を曲げて頭を引っ込める。引っ込んだ藤沢の頭の上を村雨の右上段回し蹴りが風を斬って吹き抜ける。藤沢が躱した村雨の蹴りはそのままレーダーの顔面に叩き込まれた。レーダーは頭から吹っ飛ばされ、折れた前歯を二、三本散らして、後頭部から壁に叩き付けられる。鈍い音をさせた後、レーダーは壁で身体をバウンドさせて前のめりにバッタリと倒れる。壁には後頭部の形が転写されて窪みができていた。当然、レーダーはへし折れて本人同様、力なく床に落ちている。
 藤沢は自分の後頭部目がけて跳んで来た村雨の右脚が空中で高さを変えて戻って来るのを見て更に姿勢を低くして後方へ跳んで躱す。
 村雨の右脚が藤沢の顔面を掠める。藤沢の頬は蹴りの風圧で歪む。藤沢は村雨の右脚が通り抜けると低い姿勢のまま、村雨の右脚へ片足タックルに行く。藤沢は視界の片隅で村雨の左脚が床を離れるのを捉える。村雨の左の膝蹴りが藤沢の側頭部目掛けて伸びる。村雨に組み付いた藤沢の肩口を村雨の太腿が掠めた。藤沢は村雨の右脚を抱え込み、村雨の身体を持ち上げると同時に村雨の右脚を払う。藤沢は自身の体重を掛けて村雨を押し倒す。そのまま右手を村雨の顔面へ向けて素早く滑らせて目突きに行く。藤沢の指が村雨の眼球に突き込まれる直前、藤沢の身体は大きく浮き上がり、弾き飛ばされた。藤沢の身体の下敷きになっていた村雨の右腕一本だった。
 藤沢は内心の驚愕を表情には出さずに四つん這いの姿勢で着地する。再び跳び込んで村雨の顔面に拳を叩き込もうと構える。だが、藤沢は両腕でガードを取りながらゆっくりと立ち上がり、そしてガードを降ろした。村雨が寝たままの姿勢で顔だけを起こして藤沢をきょとんとした顔で見ていた。
 「私、人に押し倒されたの初めてです」
 村雨は今までと全く変わらない口調で話す。
 「藤沢は人を押し倒すのが上手なのだな」
 「嬉しくない褒め方は止めてくれ」
 藤沢は苦笑する。そして小さな溜め息を一つして言う。
 「何で僕を蹴ろうとしたんだ」
 藤沢の質問に村雨は身体を起こしながら答える。
 「人を殴ったり蹴ったりするのに理由は無い」
 さらりと言われて藤沢は内心、ずっこけた。
 「そういうのは迷惑だ」
 藤沢の言葉に村雨は不思議そうな顔で答える。
 「そんなこと言われたの初めてだ。私はずっとこうやってきて、誰からも何も言われなかったが」
 「それは相手がああなってれば文句の言い様もないよ」
 藤沢は倒れたままのアンテナとレーダーを指さして言った。二人の仙人は何の為に登場したのかも不明なまま気絶したまま。
 「そう言えば避けられたのも初めて…。藤沢は面白い人だ」
 村雨は興味津々という瞳の輝きで藤沢を見詰める。
 「そういう君は恐い…」
 小声で呟く藤沢。組み付いた時に感じた身体の重さは優に100キロを越えていた。それに右腕一本で藤沢の身体を跳ね飛ばした力。村雨は打撃が異常に速くて重いだけではなかった。力も人間離れしている。
 「ともかく、僕を殴ったり蹴ったりするのは止めてもらいたい。自分が襲われている訳でもないのに無闇矢鱈と人を襲うのは善くない」
 藤沢ははっきりと村雨に説教をする。
 「ふぅーん。それが外の決まりだって言うのなら、そうしよう」
 村雨はあっさりと藤沢に従った。
 「ところで秘宝館なのだが」
 村雨の言葉に藤沢は内心、意外にしつこいなと少し呆れる。

 藤沢と村雨は並んで雪道を秘宝館へと歩いて行く。村雨のしつこさに藤沢は結局、根負けした。旅館の村雨の部屋から見た時には近くに在るような気がしていたが、実際に歩いてみるとかなり遠いようだ。
 藤沢は左横を歩く村雨を見る。大きな歩幅で雪道を物ともせずにすたすたと歩いている。足跡は藤沢のそれと比べて明らかに深い。
 「村雨はどこから来たんだ?」
 藤沢は村雨に聞く。
 村雨は横目で藤沢を見て答える。
 「お家から」
 藤沢はコケそうになる。雪に足を取られた訳ではない。
 「お家はどこ?」
 藤沢は挫けずに再度、質問をぶつける。
 「山奥」
 村雨は一言で済ませる。
 藤沢はこれ以上、聞くのもしつこいかと質問を止めた。村雨はしばしの沈黙の後、口を開く。
 「山奥だと分かったのは外に出てからだった。ずっとお家の中に居たからお家がどこにあるのかなんて知らなかった。今も良く分からない。お家を出てから出鱈目に電車に乗ってここまで来た」
 村雨はあっけらかんと話した。藤沢は難しい顔でそれを聞いた。
 「殴ったり蹴ったりは誰かに習ったのか?」
 藤沢は難しい顔のまま聞く。
 「一応、習ったけど殆ど自分で勝手に覚えた。教えてくれた人を殴ったり蹴ったりしている内に覚えた」
 村雨は楽しげに殺伐とした話をする。表情だけ見ていると見惚れてしまいそうな程に美しかったが、話の内容は怖かった。
 「確かに技術的には無茶苦茶だな」
 藤沢も楽しげに村雨を批評する。二人は並んで歩き微笑むが、話には何の色気も無かった。

落川 「久し振りに座談会でもやるか」
藤沢 「また話に行き詰まったんですか」
落川 「失敬な。ストーリーが決まっていないだけだ」
藤沢 「澱みなく間抜けだ、相変わらず」
落川 「さて、秘宝館でどういった事件が起きるか…」
藤沢 「登場人物に相談されても困るんですけどねぇ」
落川 「秘宝館で大人の玩具を持った敵に襲われるってのが普通のストーリー展開だな」
藤沢 「普通じゃないだろ、それ」
落川 「今度は仙人じゃなくて天狗が現れると」
藤沢 「急激に下品な展開になりそうだ」
落川 「股間に天狗の面を着けて顔は普通に露出しているという…」
藤沢 「単なるみっともない人だな」
落川 「十手かな? と思ったらバイブレーターだったという展開だ」
藤沢 「絡みたくないなぁ、そんな人とは」
落川 「絡み? そこまで書いたらポルノになっちゃうじゃないか」
藤沢 「そういう意味の絡みは尚更、嫌だ」
落川 「実は『遠くへ逃げたい』とは関係なくポルノ小説のアイディアが閃いたんだよ」
藤沢 「関係ない作品のことまで相談されるのか…」
落川 「自称性奴隷のセックス以外に取り柄のない美少女メイドが主人公の話だな」
藤沢 「過激なようで、今時は普通の設定だなぁ」
落川 「それで頭の中で色々とストーリーを進めていたら、或る重大な事に気がついた」
藤沢 「何?」
落川 「このヒロインは見た目が美少女なロン毛おじさんだということに」
藤沢 「おぇっ」
落川 「一気に萎えた…」
藤沢 「関係ない俺まで巻き込まないでくれ…。何も食べてないのに食中りしたみたいな感じだ」
落川 「文学って怖いよね」
藤沢 「真顔でふざけるんじゃない」
落川 「ま、そんな訳でポルノには懲り懲りなんで下ネタは控えようかなと思って」
藤沢 「そうしてくれた方が登場人物としても楽かな」
落川 「普通に温泉グルメが良いよな」
藤沢 「ちょっと待て」
落川 「何だよ」
藤沢 「普通に温泉グルメって、そんな場面は無いじゃないか」
落川 「ちゃんと温泉旅館に着いたじゃないか」
藤沢 「温泉に入ってないし、料理だって漬物バイキングだけだし」
落川 「俺はツアーコンダクターじゃないんだから、それぐらい自分でエンジョイしろよ」
藤沢 「ストーリー展開を登場人物に丸投げするな」
落川 「だってストーリー考えるの面倒くさいんだもん」
藤沢 「無気力全開か…例によって」

 藤沢と村雨は小一時間ほど雪道を歩き、遂に秘宝館へと到達した。白い息を吐きながら藤沢は呟く。
 「鍵が掛かってる…」
 目前の門扉にはチェーンが巻き付き、大きな南京錠が掛かっている。その奥にはショッキング・ピンクが雪景色から浮きまくっているタージ・マハルもどきの建物。入り口には男性器を模した高さ1m程のオブジェが出鱈目な配置で十本ばかり、文字通り立ち並んでいる。
 「予想以上に趣味が悪いなぁ」
 藤沢の呟きが終わらない内に村雨は門扉に前蹴りを叩き込む。金属の斬れる音が響くが、すぐに雪に吸い込まれて静寂を取り戻す。後には雪に食い込む歪んだ門扉と千切れたチェーン。南京錠は勢いよく飛ばされ、雪に掻き消えた。
 「行きましょう」
 村雨は藤沢に告げると返答を待つことなく秘宝館の入り口へと突き進む。藤沢は少しためらい、三歩遅れて村雨の後を追う。
 男性器のオブジェを擦り抜けるように二人は進む。村雨は何の反応も示さない。こういった物に興味があるから秘宝館へ来たがっていたという訳ではないらしい。或いはこのオブジェが何を模しているかさえ分かっていないのか。
 「秘宝館」と金釘流の達筆で書かれた看板の前に二人は立つ。受付らしき出窓が入り口脇にあるがカーテンは閉まったままだ。
 藤沢は「閉まっているようだから戻ろう」と村雨に言おうとした。しかし、村雨は既に入り口の鉄製の扉を金属の悲鳴を轟かせながらこじ開けていた。顔色一つ変えずに鍵を破壊して引き戸を開ける。毎度のこととは言え、何も考えずに鍵を破壊する村雨に藤沢は少々、呆れていた。
 村雨は秘宝館内部へと侵入していく。藤沢はまたも三歩遅れて追う。
 「秘宝館」内部は照明が消えている為、薄暗かった。それでもピンクの壁とやたら肌色の多い展示物の輪郭は見て取れた。
 不意に室内に明かりが灯った。蛍光灯の瞬きの中に人の姿が現れる。仙人だった。
 「また仙人シリーズか…」
 藤沢は嫌な表情。
 村雨は仙人の頭頂部を見て、何も付いていないのを確認すると、がっかりした顔をする。
 「ようこそ『秘宝館』へ」
 仙人は白い空手着に鎖鎌を持って頭を深々と下げる。
 藤沢はきつい口調で問いかける。
 「仙人は何人居るんだ? 目的は何なんだ?」
 仙人はニヤリと笑いながら返答する。
 「それはこれから分かりますよ。そんなに焦らずにまずは秘宝館の展示を見てくださいよ」
 仙人は藤沢と村雨を壁に沿って並べられた展示台へ連れて行く。ひんやりとしたリノリウムの床に影が映る。
 「まずは『謎の超古代文明によって創られた電動コケシ』です」
 仙人の台詞と展示されている物に藤沢は顔をしかめながら言った。
 「どう見てもプラスチック製なんだが」
 「ほら、超古代文明だから」
 仙人の返答に藤沢は食い下がる。
 「どういう超古代文明なんだ、それは」
 仙人はあっさり返答する。
 「謎ですから分かりません」
 藤沢は不満そうな顔。村雨は不思議そうな顔。
 仙人はご機嫌な接客笑顔全開で二人を次の展示へと誘う。
 「世界の美女 アンダーヘアーコレクションです」
 仙人の指し示す物はちぢれた毛がスクラップブックにセロテープで乱雑に貼り付けてあるだけの代物だった。ちぢれ毛の下には鉛筆で「ジェニー」とか「ジェーン」とか「富江」とか女性の名前が書かれている。
 「毛だけじゃ美女かどうかなんて分からないだろ」
 藤沢は半分、怒っている。
 「そこはお客さんの想像力次第」
 仙人は満面の笑み。
 藤沢は眉間に皺を寄せつつ、頭を掻く。村雨は藤沢を見て、きょとんとしている。
 「次は大地に描かれた春画、痴情絵でーす」
 仙人の自慢気な声が秘宝館内部に寒々と響く。写真パネルの中の荒野に描かれた線画はナスカの地上絵を思わせる佇まいだったが、描かれている内容は蛸が花魁に絡んでいる物だった。
 藤沢は完全に呆れている。村雨は真剣に凝視している。
 藤沢は重い口を開いて取り敢えず質問してみる。
 「これはどこにある地上絵なんだ?」
 仙人が明朗に答える。
 「秘宝館の裏庭です」
 藤沢はやや怒気を孕んだ声で聞く。
 「誰が描いたんだ?」
 「私が拾った木の枝で」
 仙人の答えは明朗であり、虚無だった。藤沢の目の光も虚しさ交じり。村雨は相変わらず真面目に見ている。それどころか仙人の説明に一々、感心したように頷いている。
 「えー、これはですね、『万国 女の喘ぎ声ソノシート』でして。ここにあるレコードプレイヤーに掛けると、あら、不思議。万国の女の喘ぎ声が部屋中に響き渡るというご機嫌なサウンド」
 「あんた、自分で言ってて馬鹿馬鹿しいとか思わないのか?」
 仙人の解説に突っ込みを入れる藤沢。
 「何を言ってるんですか、テープ・ループを多用した現代音楽ですよ。クラスターがセリーでミニマルなエレクトリカル且つアヴァンギャルドなんですから。ライヒがライリーでリゲティなマイクロポリフォニーなニュアンスでOK」
 「自分の言ってる言葉の意味が解ってないのが丸分かりなんだよっ」
 藤沢の怒声は仙人の脳を素通りし、仙人は接客笑顔を保ったまま。そして村雨は首を捻りつつ藤沢と仙人の会話に耳を澄ませている。
 「こちらは『結婚式用下ネタスピーチ集』と『ベッドでしか使えない英会話』、そして『旅先で便利な体位読本』の三点セットでーす」
 仙人の軽やかな説明に藤沢の重い顔。
 藤沢は声を張り上げるのも面倒になったらしく、小声で言う。
 「何の役に立つんだ、これは?」
 仙人は待ってましたとばかりに、にこやかに喋り出す。
 「勿論、結婚式と海外旅行ですよ。これさえあれば、あなたもオシャレな国際人」
 「オール下ネタで何がオシャレな国際人だ」
 「グローバル化の波ですよ」
 「週刊誌とか新聞の見出しだけ拾い読みしたな」
 「図星」
 「物凄く馬鹿馬鹿しくなってきた…」
 藤沢は馬鹿に負けつつあった。
 仙人は上機嫌で展示ケースから一冊の本を取り出す。声色を変えて宣言する。
 「宇宙人が地球に持ち込んだエロ本」
 「何で某猫型ロボットの声真似なんだよ」
 藤沢は反射的に抗議する。村雨は、はっとしたように発言する。
 「ロボットって言うと食い倒れ人形とか、大きな蟹とか…」
 「ちょっと違うような気がする」
 藤沢は密やかに抗議する。
 仙人はエロ本を開き、藤沢と村雨に向かって突き出す。
 「どうです? 宇宙的でしょう」
 開かれたページには、銀色の全身タイツに身を包み「宇宙人」と書かれたワッペンを胸に縫いつけた男が大根と長ネギを持った買い物帰りらしい中年の主婦を押し倒していた。宇宙人は股間を突っ張らせて男性自身を強調しており、「へっへっへっ、奥さん、旦那が東京に単身赴任で寂しいんでげしょ」との吹き出し付き。奥さんには「あーれーっ、あちきには良人が。勘弁してくんなまし」との吹き出しと顔の周囲の沢山のハートマーク。
 藤沢は呆然としている。村雨は凝視する。
 藤沢は口を開いた。
 「どこから文句つけりゃ、いいんだよ。こんなの」
 「お気に召しませんか?」
 仙人は藤沢の言葉を受けて呑気に答える。そして、更に続ける。
 「では、こちらの部屋へどうぞ。もっと凄い物が、どかーんと見られますよ」
 不気味ににこやかな仙人。藤沢は難しい顔のまま。村雨は待ってましたという顔。
 仙人に導かれるまま、藤沢と村雨は秘宝館の奥へと進む。仙人が鉄の扉を開く。そして二人を仰々しく招く。
 そこは十メートル四方程の広さの部屋。高い天井にピンクの照明。そして四方の壁から生えるかのように突き出している二メーター程の身長の人型ロボットがざっと十台。それらのロボットが激しい機械音と共に絡み合い、抱き合い、ピストン運動を繰り広げている。
 「巨大ロボのまぐわいオブジェです」
 仙人の自慢気な向上が聞き取りにくい程にロボットの交尾は騒々しい。コンプレッサーの音と振動が室内で増幅され、ロボットのエアシリンダーとサーボ・モーターの作動音と発熱が加わり、ピンク色の照明が部屋の空気を狂った組成に変えていく。
 ロボット達は複雑に四肢を絡ませ、金属の喘ぎを響かせる。肌は鋼の色と光沢。匂いは機械油の熱さ。動きは一糸乱れず直線的に叩き付け合う。人の姿を模した人ではない物の交尾。何かが生まれる筈もなく、快楽を感じる筈もない性交。
 藤沢は澱んだ瞳で口を開いた。
 「これ、何の意味が有るんだよ?」
 仙人は澱みなく答える。
 「ありませんよ」
 村雨は落ち着き無く周囲を見渡しながら歩き回り、動きまくるロボットの腰をペシペシと軽く叩く。
 「意味が無い割りには大掛かりだ」
 「秘宝館ってそういう物でしょ」
 藤沢と仙人の会話を耳に入れることもなく村雨は跳ね回るようにしてロボットからロボットへと歩き、動いている腰をペシペシと叩いている。
 仙人は村雨を見ながら言った。
 「あの行為には何か意味が有るんですか?」
 藤沢は村雨から視線を逸らして答える。
 「あるわけないだろ」
 村雨は満足げに微笑みながら仙人に言う。
 「次は何?」
 仙人は待ってましたと小走りに次の部屋と向かう。村雨は仙人の後をこれまた小走りで追う。藤沢は後を追うのをためらうが、このままここに居るのも嫌なので結局、二人の後を追う。
 仙人は新たな部屋の扉を勢いよく開ける。そして右手を大きく振って紹介する。
 「当館のマスコット人形である『ハリガタ君』です」
 そこには身長2メーターほどの男性器に手足が付いただけにしか見えない物が立っていた。亀頭にしか見えない頭部には申し訳程度に目鼻と口が付けられている。表情は何故かアルカイック・スマイルだった。
 村雨はきょとんとしている。
 「何ですか? これ」
 村雨の質問に仙人は自慢気に答える。
 「マスコット人形の『ハリガタ君』ですよ。どうです、立派なサイズでしょう」
 まるで自分自身のモノでもあるかのように誇らしく説明している。
 藤沢は明らかに呆れた口調で仙人に問う。
 「これはただ突っ立ってるだけの代物なのか?」
 仙人は明るく答える。
 「勿論。ハリガタだけに立ってますよぉ」
 藤沢は2メーターの張型を前に意気消チン。
 村雨はハリガタ君の周りをぐるぐると回っている。相も変わらず不思議そうな表情のまま。どうやら、これがナニを意味しているのか分かっていないようだ。
 「もう帰りたいんだが」
 唐突に藤沢が呟いた。
 「えっ。何か不満でも」
 仙人が驚いて問い返す。
 「不満だらけだ」
 藤沢ははっきりと仙人に告げる。村雨は二人のやり取りに耳を貸すこともなくハリガタ君を平手でバシバシと引っ叩いている。
 「そうですか…。残念ですね。まだまだ色々と展示物は豊富なんですけどねぇ。性教育映画の『怪奇巨乳青年 立身出世編』とか…」
 「知らない方が幸せそうな映画だな」
 仙人と藤沢の会話に割り込むこともなく、村雨はハリガタ君にパンチを叩き込み始める。2メーターの男性器が村雨のパンチを受ける度に鈍い音を立てながら揺らぐ。
 仙人は目を丸くして言う。
 「な、何をしてるんですか、あの人は」
 藤沢は驚くことなく返答する。
 「殴ってるだけだろ。毎度のことだ。取り敢えず、殴って蹴り飛ばすのが習性らしい」
 藤沢の言葉通り、村雨はハリガタ君にロー、ミドル、ハイと多彩なキックをぶち込み始めた。金属製らしいハリガタ君は鈍く強い音を立てながら足の形の陥没が見る間に増えていく。
 仙人は呟く。
 「鉄で出来てるのに…。ボコボコにされちゃってる」
 藤沢は股間を軽く抑えながら呟く。
 「痛ましい姿を見てると男性として、いたたまれないなぁ」
 ハリガタ君の笑顔は凹み、歪む。張り出していた頭は凸凹に変形し、塗られていたペンキは剥げて鉄の地色が除く。棒状の部分も大きく窪み、抉られたかのようになってしまっている。
 「悪い性病に罹ったみたいだ」
 藤沢の独り言に仙人は震えながらうなずく。村雨は男性陣の恐怖の視線に気付くことなく、実に楽しそうにハリガタ君を殴り、蹴る。スピードの乗った重い突きと蹴りは金属を飴細工のようにひん曲げる。
 そしてハリガタ君は酷い性病…ではなく村雨のミドルキックで胴の部分を叩き斬られ、上下に分割されながら吹っ飛んでいく。床に固定していた太いボルトも巻き添えにして吹っ飛んだ。金属片がコンクリート剥き出しの床を転がり、火花を散らす。硬い音があちこちで響き、耳を責める。
 一人、村雨だけが何かを達成したかのような充実した笑みを浮かべる。藤沢と仙人は二人揃って自分の股間を押さえながら嫌な顔。


落川 「ま、そんな訳で座談会の復活だな」
藤沢 「またか…」
落川 「あからさまに嫌な顔をするなよ」
藤沢 「登場人物に作者がストーリー展開を相談するってのを定着させないで欲しいんだが」
落川 「俺が楽をする為だ。仕方あるまい」
藤沢 「何を言っても無意味か」
落川 「ふっふっふっ。所詮、登場人物であるお前は作者である俺から逃れられないんだよ」
藤沢 「嫌な台詞だな」
落川 「そういう訳で次の展開なんだけどさぁ」
藤沢 「急に友達感覚で話し掛けるな」
落川 「堅いこと言うなって。軟弱に行こうよ、軟弱に」
藤沢 「…で、この後の展開は何も思い付いてないのか?」
落川 「いや、実は考えていることはあるんだけどね」
藤沢 「だったら素直に書けば良いだろ」
落川 「書くのが面倒くさいんだよ」
藤沢 「身も蓋もない事を言い出すな」
落川 「俺も筆無精だから…」
藤沢 「その言葉も聞き飽きた…」
落川 「次は仙人が増殖して襲い掛かって来るんだ」
藤沢 「仙人以外の敵は居ないのか?」
落川 「意外に粘るよな、仙人」
藤沢 「新しいキャラクターを考えるのが面倒なだけじゃないのか」
落川 「新しいキャラクターは考えてあるんだ。ただ、仙人絡みで色々と思い付いたことがあるんでそれを出しきりたいなと」
藤沢 「毎度、仙人を出されるこっちの身にもなってもらいたい」
落川 「次で本当に最後だから安心しろ。それに仙人と戦うのは村雨だ」
藤沢 「ひょっとして俺は観てるだけ?」
落川 「そう」
藤沢 「ひょっとして必要のないキャラクターにされるのか?」
落川 「そんなことはない。藤沢も村雨と仙人の戦闘中に別の行動を起こすことになっている」
藤沢 「それこそ新たな展開だな。何をするんだ、俺は?」
落川 「戦闘の途中で便所に行って用を足す」
藤沢 「…」
落川 「トイレでおしっこするんだ」
藤沢 「お前に対して殺意を覚えたんだが」
落川 「おしっこを我慢し続ける方が良いのか? そりゃ、ある種の変態プレイだぞ」
藤沢 「勝手に人を変態と呼ぶな。お前は作者として話を盛り上げようという気があるのか?」
落川 「あんまり無いなぁ」
藤沢 「…だろうな」


 村雨は藤沢と仙人の方を向くと良く通る声で言う。
 「お腹空いた」
 藤沢も続く。
 「確かにお腹が空いたな。仙人、ここでは食事は出来るのか?」
 仙人はわざとらしく頬を歪ませてニヤリと笑い、答える。
 「ありますよ。めくるめく官能の世界が」
 「いや、官能じゃなくて食事…」
 藤沢の言葉を無視して仙人は怪しい笑顔のまま歩き出す。藤沢は諦めてその後に続き、更に村雨が期待に顔を緩ませて続く。
 仙人に先導された藤沢達が入っていったのは宴会場だった。四、五十人の客が入れるだけの広さとちょっとしたステージ、カラオケセットと天井にはミラーボール。今はテーブルも座布団もなくあちこちが擦り切れた畳だけが目立つ。
 藤沢はがらんとした和室を見回しながら言った。
 「ここで何が食べられるんだ?」
 仙人の返答はなかった。それ以前に仙人はその姿を消していた。
 「どこへ行ったんだ?」
 藤沢は村雨に聞く。
 「あっち」
 村雨が指したのはステージの袖だった。
 「余興の準備でもしてるのか?」
 藤沢の呟きに似た問い。そしてその回答はすぐにステージ上に現れた。
 「妹仙人 シスター・サウザンドマン」
 何者かの叫び声と共にステージの袖からどたどたと現れる多くの人影。藤沢は驚愕し、叫ぶ。
 「女装した仙人が…12人も居る」
 ステージ上には仙人が12人。それぞれが異なるコスチュームを身に着けていた。
  1.企画物のAVか風俗店でしかお目にかかれないであろうピンクのミニスカート・ナース服。白いタイツの粗い編み目から脛毛が黒く曲がりくねって幾本も飛び出しているのが印象的だ。
  2.白いスクール水着。生地から透けて見える肉体は老け顔の割りに発達している大胸筋と割れた腹筋、太い腕と脚。そしてやや左寄りのイチモツ。
  3.セーラー服。スカートはやけに短く、明らかに校則違反だろう。そもそも、おっさんが着ている段階で何かの法律に触れている筈。というより、法律が無くても犯罪だと言いたい。
  4.婦人警官の制服。タイトスカートではなく、せめてズボンにしてほしい。片手には警棒のような物を握っているが、金属製で表面には無数の刺が伸びている単なる凶器だ。
  5.園児服。激しい違和感。身長170cm以上ある巨大園児が老け顔で、へらへらと笑っている。肩掛けの黄色い鞄からは山刀らしき物の柄が飛び出ている。
  6.留め袖。老け顔には一番、違和感が無いかも知れない。しかし、不気味なことには何の変わりも無い。鶴と亀が交尾している珍しい模様。それに何故か、腰に日本刀を差している。
  7.レースのフリルが大量に付いた黒いドレス。ゲイバーで葬式をやった帰りか、お前は。大量に塩を撒いて清めたい。
  8.ピンクのネグリジェにダンボールで作った装甲板が取り付いたパワードスーツ。肩と腰と脛に白色に赤の縁取りをしたぺらぺらの見るからに軽そうなダンボールがぶら下がり、庭の水まき用のホースが全身を這っている。どういう意味合いがあるのか分からないが、仙人が薄化粧で微笑んでいるのがとにかく嫌だ。
  9.ブルマ。紺色の白線二本入りブルマだけ。臍の辺りから何かが恥ずかしげに頭をちょっぴり出しているが、出している本人は全く恥ずかしくないらしい。どうだと言わんばかりにブルマ一丁で踏ん反り返っている。
 10.ウエディングドレス。何かもう、死装束にしか見えません。
 11.SMの女王樣風ボンデージルック。黒い皮の服が浅黒い肌にフィットしている。片手に鞭を持ち、もう片方の手には鎖鎌。
 12.全裸猫耳。妹仙人とか名乗っていたのに男性自身が露出している。ふざけんなって。しかも猫耳、付けてるし。
 全員を見回した後、藤沢の顔は土気色に変わっていた。村雨はその瞳をきらきらと輝かせて生気溢れる笑顔を見せている。
 ピンクミニスカナース仙人が不敵な笑いと共に告げる。
 「藤沢、死んでもらうぞ。我ら十二人の妹達による洗礼を受けるが良い」
 藤沢は土気色のまま無反応。気力を削がれているのが明らかだ。
 十二人の妹仙人は満面の笑みと共に一斉に死の言葉を吐く。
 「せーのっ、お兄ちゃん、大好きっ」
 秘宝館の宴会場に野太いおっさんの声で甘い言葉が轟く。藤沢はがくりと膝をつき尻もちをつき引っ繰り返った。
 村雨は藤沢を興味深そうに見る。
 「えーと、私も引っ繰り返らないと駄目?」
 そんな訳はない。
 藤沢は土気色から真っ青に変わっている。仰向けに倒れたまま天井を虚ろに見上げ、微かな痙攣。
 「やった。遂に藤沢を倒したわよ」
 妹仙人達の歓喜の叫びが唸りを上げる。良いのか、こんな勝ち方で。しかもお姉言葉。
 「さぁ、止めを刺すとしますわよ」
 ピンクミニスカナース仙人がステージから降りてくる。他の仙人達も続く。
 村雨は一歩前へ出て、仙人達に立ちはだかる。そして静かに言った。
 「藤沢、この人達を殴っても良いか」
 藤沢は掠れた声で答える。
 「ぜひ、そうしてくれ」
 藤沢の許可を得た村雨は満面に笑みを浮かべる。その笑顔の前に仙人達は歩みを止めた。村雨は右の人指し指で仙人の頭の数を数え始める。
 「イチ、ニー、サン、シー…。全部、殴って良いんだ」
 指差し確認をしながら幸せそうに微笑む村雨。顔を引き攣らせる仙人達。藤沢はようやく半身を起こすと宴会場の隅へと這っていく。この場に居ると巻き込まれるに違いないからだ。
 「おりゃーっ」
 裂帛の気合いと共に村雨に襲い掛かるのはセーラー仙人。短いスカートから伸びる筋肉標本のような太い脚が村雨の顔面に向かって円弧を描いて伸びてくる。村雨は左腕を上げてセーラー仙人のハイキックを簡単にブロックする。その身体は振れることもなく、どっしりと立ったまま。そして藤沢はセーラー仙人のイチゴ模様パンツをモロに見て、また引っ繰り返る。
 「勘弁してくれ」
 藤沢の消え入るような声は誰の耳にも届かない。
 村雨はセーラー仙人のハイキックを左腕でブロックしたまま一歩を踏み出し、右の拳をセーラー仙人の顔面に突き刺す。セーラー仙人は弾かれて三メーターほど宙を飛び、ステージの縁に背中を打ちつける。セーラー仙人はぐったりとして大股開きで失神。そしてまたもやイチゴ模様が全開。藤沢は事態を素早く察知して既に目を反らしていた。
 村雨はイチゴ模様には目もくれず、婦人警官仙人に殴りかかる。婦人警官仙人は右手の刺付き棍棒を振り回す。村雨は構わず跳び込む。村雨の顔に棍棒が当たる寸前、村雨の右の拳が婦人警官仙人の左眼を叩き潰す。村雨の拳に弾む感触を残して婦人警官仙人は勢いよく身体を回転させながら倒れ込む。棍棒は力を無くした婦人警官仙人の手を離れて宙を舞い、藤沢目掛けて飛んで来る。藤沢は面倒くさそうに仰向けに引っ繰り返った姿勢のまま、両足で棍棒を挟んでキャッチ。藤沢は、足で棍棒を村雨に向かって器用にひょいと放る。くるくると回りながら緩やかに飛んでいった棍棒は村雨の脳天に、こーんと軽やかな音を立てて当たり、高く跳ねてから床に落ちた。
 村雨はくるりと棍棒の飛んできた方向、藤沢の方に向き直り、言った。
 「痛い」
 「嘘だろ」
 藤沢は反射的に言い返す。村雨の表情は人を殴る喜びに満ちて、苦痛を示すような色は一切、無かった。
 ニコニコと無邪気な顔の村雨の周りを仙人達が取り囲んだ。彼ら…いや、彼女らの目的は藤沢だった筈だが、まずは村雨を排除しない限り、自分達の生命が危ういので先に村雨を倒すことにしたようだ。
 嫌なコスプレ三昧の妹仙人達に囲まれても村雨は楽しそう。仙人達より頭二つ分ほど背が高い村雨を藤沢は眺める。他の者は視界に入れない。だって気持ち悪いから。特にセーラー仙人のイチゴ模様と婦人警官仙人のタイトスカートから伸びる毛むくじゃらの脛。
 SM女王仙人が鞭を振るう。宴会場の畳に確かな傷跡と響く音。白スクール水着仙人と黒ドレス仙人が左右同時に村雨に跳びかかる。二人の仙人は村雨の両腕に手を伸ばし、掴もうとする。だが村雨は顔色一つ変えずに両方の拳を同時に突き出す。白スクール仙人の鼻骨に拳がめり込む。黒ドレス仙人の顎を拳が叩き割る。二人の仙人は仰け反り、崩れる。その時、ウエディングドレス仙人が低い姿勢のタックルで村雨の左脚にしがみついた。村雨の動きは止まる。
 その瞬間を見逃さず、ピンクミニスカナース仙人と園児服仙人が村雨に跳びかかり、その両腕にしがみつくことに成功した。更にネグリジェパワードスーツ仙人が村雨の右脚を抱え込む。村雨は両脚と両腕を抱え込まれ、攻撃と防御を封じられた。
 藤沢はゆっくりと立ち上がる。仙人の毒入りお色気攻撃からようやく精神的に立ち直ったようだ。コスプレ仙人四人にしがみつかれて身動きが取れなくなっている村雨を見て、やれやれといった表情で苦笑する。
 村雨の真正面には留め袖仙人が立つ。にやりと笑う薄化粧が不気味だ。すらりと日本刀を抜き、白刃を煌めかせる。
 「死んでもらうわよ」
 留め袖仙人の野太いお姉言葉に、村雨はいたずらっ子の様な笑顔を見せる。そしてウエディングドレス仙人ごと左脚を振り上げ、強烈なハイキックを留め袖仙人に叩き込む。弧を描いて空間を裂くウエディングドレス仙人の胴体が留め袖仙人の側頭部にブチ当たる。留め袖仙人は吹っ飛ばされ、日本刀はその手から落ちる。ウエディングドレス仙人も衝撃でその手を放して村雨の左脚から剥がれて飛んでいく。
 村雨は蹴りを放ち終わると同時に床に転がる留め袖仙人に向かって仙人三人をしがみつかせたまま突進する。半身を起こした留め袖仙人の顔面に右腕(ピンクミニスカナース仙人付き)を突き込む。ピンクミニスカナース仙人の踵がぶち当たり、留め袖仙人の眉間は割れ、血が噴出し、その血を浴びてピンクミニスカナース仙人は朱に染まる。村雨はウエディングドレス仙人に体を向けて左腕(園児服仙人付き)を振るう。園児服仙人の円軌道の終着点はウエディングドレス仙人の右腹部。パンチなんだか園児服の体当たりだか分からない攻撃を喰らってウエディングドレス仙人は悶絶する。
 村雨は振り返り、ブルマ仙人と女王様仙人、そして全裸猫耳仙人に相対する。三人の哀れな仙人をぶら下げたまま。
 藤沢は一言発した。
 「トイレはどこですか?」
 全裸猫耳仙人が宴会場の出入り口を指差し言う。
 「出て、右に曲がって突き当たり。にゃん」
 藤沢は「にゃん」の所で顔をしかめる。が、すぐに表情を普通に戻す。
 「ありがとうございます」
 礼を言ってから藤沢は宴会場の出入り口へと歩き出す。
 「村雨、皆殺しにはするなよ」
 藤沢は村雨に背を向けたまま言う。
 「どうして?」
 村雨は藤沢に背を向けたまま問う。
 「お前は知らないかもしれないが、人殺しは悪いことなんだ。あくまで一般論だが」
 「へぇー」
 どこぞのテレビ番組で聞いたような返答に失笑しつつ藤沢は宴会場を出て、トイレへと向かう。
 「じゃ、死なない程度に殴ります」
 村雨の言葉に仙人達は顔を引き攣らせる。「ガッテン」とはいかないようだ。
 村雨は両手を大きく振り上げる。両腕にしがみついていた仙人はだらしなくぶら下がる。村雨は勢いよく両腕を出鱈目に振り回し始める。仙人達は必死でしがみつく。何かのアトラクションの様だ。村雨の動きを封じるという本来の目的が全く達成されていないことに誰一人、気が付いていない。
 村雨は両腕を仙人ごと振り回しつつ、ブルマ仙人に歩み寄る。右脚にもネグリジェパワードスーツ仙人がしがみついているのだが、完全に無視されている。
 ブルマ仙人は近付いてきた村雨の鳩尾へ前蹴りを放つ。村雨は防ぎもせず、かわしもせず、腹で前蹴りを受け止め更に前進する。蹴ったブルマ仙人がバランスを崩して後ろへ倒れる。子供が戯れにトラックのタイヤを蹴り飛ばして転ぶ様だった。そして村雨は仰向けに倒れたブルマ仙人にネグリジェパワードスーツ仙人付きの右脚を振り下ろす。臍の辺りを踏みつけられたブルマ仙人は呻く。雑巾を搾ったかのように脂汗が吹き出してくる。
 慌てて女王様仙人と全裸猫耳仙人が村雨に襲い掛かる。女王様仙人の鞭が村雨を狙って振り下ろされ、全裸猫耳仙人は中段蹴りを見舞う。哀れなことに村雨は二人同時の攻撃を両腕にしがみついた仙人で受け止めた。園児服を鞭が引き裂く音とおっさんの野太い悲鳴が二つ、ほぼ同時に宴会場に轟く。そして、どさりと二人の仙人は村雨の腕から脱落した。苦痛に顔を歪めて。
 村雨は右脚を振り回して女王様仙人の胴を蹴る。女王様仙人とネグリジェパワードスーツ仙人は一緒に吹っ飛ぶ。吹っ飛ぶ二人には目もくれず、村雨は軽くなった左腕を振るい、全裸猫耳仙人に左フックを叩き込む。村雨の拳に顎間接の外れる音が直接伝わる。全裸猫耳仙人は口から血を吐きながら立ったまま失神し、その場に崩れる。
 村雨は周囲を見回す。十二人の妹達は全員、倒れていた。気絶している者、呻きながらどうにか立ち上がろうとしている者、それぞれが恥ずかしい格好を惜しげもなく披露している。ピンクのミニスカートはまくれ上がり、蛍光ピンクのパンティーが女性ではない膨らみを示す。白スクール水着は鼻血に塗れて仰向けM字開脚。セーラー服からは毛深い脚が伸びる。婦人警官も同様の負の脚線美。園児服は無惨に破け、浅黒い肌のチラリズム。はだけた留め袖はおっさんの大胸筋と乳首から伸びる長いムダ毛。黒いドレスは体を捻りながらバタバタと動き、さながら洋風古式泳法。ネグリジェパワードスーツと女王様の四肢は絡み合い、SMとMS(モビルスーツ)の奇妙な融合。ブルマは素肌を汗に塗れさせ、苦悶の表情を浮かべて怪しく悶え、悶える度にブルマから亀の頭が顔を出す。ウエディングドレスは乱れまくり、捲れ上がったスカートが全身をすっぽりと覆って女子中学生の古風なイジメ。全裸猫耳は血の泡に顔をうずめて痙攣しつつ、うわごとで「にゃん」と微かに言っている。藤沢はこれらの光景を見たくなかったのだろう。
 「物足りないのでもう少し頑張って下さい」
 村雨は丁寧な口調で鬼のようなことを平然と言った。

 藤沢は全猫耳仙人の言葉に従い、トイレへと向かっていた。
 「右に曲がって、突き当たり。にゃん」
 律義に復唱している自分に気が付き、トイレの前で凹む藤沢だった。トイレに入ると更に凹んだ。
 「黄金のトイレかよ…」
 床、壁、天井、便器、洗面台…見渡す限り全てが下品な金色だった。本当の金が持つ輝きは微塵も無くひたすらに安っぽく派手な金色だった。そして和紙に金釘流で書かれたセックス標語があちらこちらに貼られ、それらが藤沢を萎えさせる。

 『あ、危ない。その実弾が子供産む』
 『松笠を 広げてアワビの 涙受け』
 『竿、長きが故に貴からず。太さや硬さも大事なり』
 『珍しくもないのに珍宝とはこれ如何に』、『一個しか無いのにマン○と云うが如し』
 『立ってるモノは親にも使え by 鬼畜』
 『珍しいねとキミが言う。正常位は初めてかいとボクが聞く』
 『変態を 極めて 最後は水着グラビア』
 『イリュージョン 前の男の ゴムが出た』
 『磨こうイチモツ。学ぼうテクニック。女房の機嫌も良くなって、晩酌のつまみも一品増えました』
 『陰核平和宣言の街』
 『ロリコンは 犯罪だよと 子に教えられ』
 『セックスと ドリンクがフリーな 夢の国』

 藤沢は気を取り直して黄金の便器に向かい、小用を足す。長い息をゆっくりと吐き出し、ほっとした表情をする。藤沢は手を洗い、ポケットからハンカチを出して手を拭く。その後ろに黒い服の男が三人、立った。藤沢は男達の一人がスタンガンを持っているのを手洗場の鏡で見て取り、鼻で笑った。
 洗面台を前にして背後を三人の男に囲まれ、一人はスタンガンを手にしている。藤沢は三人の位置を素早く見切ると動き出した。
 スタンガンを持った真後ろの男の足を藤沢は踵で勢いよく踏み付ける。足の甲、親指の付け根の辺りに強い打撃を受けた男は苦痛に顔を歪め、痛みと痺れで動きが止まる。慌てて左右の男が藤沢に掴み掛かる。藤沢は右手に持ったままのハンカチを右側の男の眼前にふわりと放り、視界を塞ぐ。そして右側の男の顎に肘を叩き込む。男の顎は割れ、血の筋が赤く浮き出る。同時に左側の男の膝頭に横蹴りを打ち込む。膝頭を正面から蹴られ、膝間接が軋み、男はバランスを崩してしゃがみ込む。藤沢は体を回転させながら真後ろの男の肘内に手刀を入れる。腕が痺れた男はスタンガンを取り落とす。藤沢は男の側頭部に頭突きを見舞った。こめかみの薄い骨がミシリと軋み、男は目を見開いたまま失神して崩れ落ちる。藤沢はそれに構わず体を回し、遠心力を活かして斜め上から縦に、肘を右側の男の側頭部に打ち込む。男の腕のブロックを擦り抜けて打ち込まれた肘は皮を切り裂き、肉を抉り、頭蓋骨を露出させる。白い骨は吹き出す血によって真っ赤に隠れる。男は壁にもたれ崩れる。藤沢は右膝を左側の男の顔面に叩き込む。膝を押さえながらようやく顔を上げた男は鼻骨を潰され、声を発することも出来ずに血走った眼だけで絶叫しながら真後ろに吹っ飛ばされ、個室のドアを後頭部で開けると洋式便器に寄りかかり、俯く。
 藤沢は辺りを見回す。三人とも気絶している。耳と鼻から出血している者、頭蓋の一部を露出させて出血している者、凹んだ鼻からざぁざぁと血を流している者。村雨を襲撃して返り討ちにあっていた連中の仲間のようにも思えた。しかし、三人とも昏倒してしまっているので事情を聞くという訳にもいかない。藤沢は何となくもう一回、手を洗った。そして、そのままトイレを後にした。
 「腹、減った…」
 藤沢は呟きながら宴会場へと戻る。
 「村雨の奴、皆殺しにしてなきゃいいけど」
 微苦笑しながらまた呟く。

落川 「さて、久し振りに座談会といこうか」
藤沢 「また、ネタ切れか」
落川 「その通りだ」
藤沢 「あっさり認めやがった」
落川 「だって何にも無いんだもん」
藤沢 「謎の敵についての種明かしでもすればいいじゃないか」
落川 「謎の敵って?」
藤沢 「仙人とか黒服の男達とか。目的も何も不明じゃないか」
落川 「うーん。俺も知らないんだよ」
藤沢 「作者が知らないって…」
落川 「あいつら、何だろうな。特に仙人は何で同じ姿形の奴が何人も出るんだろう?」
藤沢 「それも気になるが、あのコスプレは…」
落川 「あれは読者サービスだろ」
藤沢 「殺意を覚える台詞を吐いたな」
落川 「どうも妹仙人を書いて以来、アニメとかの美少女キャラのコスプレシーンを見ても、全て仙人に見えちゃって困ってるんだよ」
藤沢 「自業自得だ」
落川 「そんな訳で次はツンデレ仙人か?」
藤沢 「想像もしたくない」
落川 「まぁ、仙人シリーズはこれで打ち止めだな。特に種明かしもなく」
藤沢 「ほったらかしか」
落川 「新キャラクターを登場させて新展開だ」
藤沢 「新キャラクターって誰だ?」
落川 「それをこれから考えるんだ、お前が」
藤沢 「何で俺が」
落川 「主人公なんだから物語の展開に責任を持てよ」
藤沢 「それ、作者の台詞じゃないだろ」
落川 「…今日はもう寝るか」
藤沢 「ふて寝すんなよ」

落川 「ふて寝から戻って参りました」
藤沢 「って、まだ続くのか、座談会」
落川 「俗に言う編集会議だな」
藤沢 「作者がストーリーを考えてない最近ありがちなマンガみたいだな」
落川 「編集者が物語を考えるんだろ、ああいうのは。その点、こっちは編集者なんて居ないから。つまり、誰も物語を考えていない訳だよ」
藤沢 「何で得意気なんだ」
落川 「いやあ、ここまで予定が何も無いと解放感があって良いな」
藤沢 「何でご機嫌なんだ」
落川 「やることが無いって自由で良いなぁ」
藤沢 「いや、やることがあるんじゃないのか、お前は」
落川 「何かあったっけ?」
藤沢 「ストーリーの続きを考えて、書けよ」
落川 「うーむ。このまま延々と無駄話じゃ駄目か」
藤沢 「小説を途中で放棄して無駄話して終わるってのは、どういう代物なんだ」
落川 「饒舌な尻切れ蜻蛉だな」
藤沢 「本当に他人のやる気を殺す奴だ」
落川 「ま、物語としては適当に村雨に暴れてもらって…。その後は適当に飯喰って風呂入って寝ろ」
藤沢 「適当に飯喰って風呂入って寝ろって…。俺はお前の子供かよっ」
落川 「日常の描写って大事なんだぞ」
藤沢 「今まで非日常しか描写してないじゃないか」
落川 「言われてみればそんな気もするな」
藤沢 「自分の原稿を読んでないだろ」
落川 「たまには読むぞ」
藤沢 「今更、その程度のことで文句を言う気にもならない」
落川 「取り敢えず薄幸の少女は発酵食品が好きという新たな設定があるから、それを使おう」
藤沢 「誰だ、それ?」
落川 「だから幸薄い少女を登場させて心温まる物語をでっち上げようという…」
藤沢 「心温まる物語なんて書けるのか?」
落川 「二、三行ならどうにか」
藤沢 「100文字程度で終わりかよ…」
落川 「じゃ、そういうことで今日は寝る」
藤沢 「明日こそはストーリーが進むんだろうな」
落川 「それは神のみぞ知る」
藤沢 「お前が知ってろよ」

 藤沢が戻ると宴会場は修羅場であった。宴会場のど真ん中に仁王立ちの村雨が妹仙人を殴っては蹴り、蹴っては殴り。妹仙人達はそのコスプレ衣装をズタズタに引き裂かれ、まるで性犯罪の現場の様。そしてよろよろと立ち上がっては村雨に殴りかかり、カウンターのパンチやキックで吹っ飛ばされる。あちこちから出血し、あちこちを腫らし、それでも村雨に食らいついていく妹仙人達だったが、村雨はどっしりと動かず、殺傷圏内に入った者を的確に叩き伏せる。
 ブルマ仙人が低い姿勢で村雨にタックルを試みる。村雨は膝を顔面に当てる。ブルマ仙人は崩れ落ちる。
 ウェディングドレス仙人は跳び込んで膝蹴りを繰り出す。村雨は顔面に向かって来る膝を拳で迎え撃つ。跳び膝蹴りをパンチで叩き落とす。骨の割れる音がした。勿論、村雨の骨ではない。膝を抱えてウェディングドレス仙人が悶え苦しむ。村雨は視線を向けずに顔面を蹴って黙らせた。
 留め袖仙人が日本刀を振るって突っ込んで来る。村雨は上段から振り下ろされた刃を右の掌と左の拳で挟んで受け止める。日本刀は硬い澄んだ音色と共に折れた。留め袖仙人の驚愕の表情は前蹴りに掻き消される。
 藤沢は村雨の楽しそうな顔を見て、小さく溜め息。それにしても、息も乱さず一対十二の戦いを嬉々として続けている村雨は何なのだろうと藤沢は考える。
 女王様仙人が鞭を振る。大きな円を描いて首筋に向かって来る鞭を村雨は左腕で受ける。鞭の音が響き、鞭は腕に絡みつく。村雨は左腕に鞭を絡ませたまま、大きな歩幅で女王様に歩み寄る。女王様は慌てて鞭を放し、村雨の顔を目掛けてハイキックを放つ。村雨は顔に蹴りが届く前に右の拳を女王様の顔面に振り下ろすように叩き込む。女王様は片足を振り上げた体勢のまま、弾き飛ばされる。
 村雨は左腕から鞭を取る。絡み付いた鞭を取るのに些かの時間を要したが、妹達は全員ぶっ倒れていて、村雨を襲う者は居なかった。藤沢は宴会場の片隅に座り込み、呑気に見物している。結果から見る程に仙人は弱くはないのだ。藤沢が直接、対峙した仙人もそうだったし、ここに倒れている妹達も強者揃いだった。しかし、村雨には全く歯が立たない。複数で襲い掛かっても素早い一撃で叩き伏せられてしまう。
 ネグリジェパワードスーツが村雨の背後からそっと近付く。藤沢は「村雨、後ろ後ろ」と声を掛けようかと思ったが、黙って見ていた方が面白そうなので何も言わない。ネグリジェパワードスーツは村雨の背後から近付き、手に持った水まき用ホースで輪を作って首を絞めようとしている。村雨は前触れ無く、くるりと振り向く。ネグリジェパワードスーツは村雨と目が合い、凍りついたように止まる。村雨は、まじまじとネグリジェパワードスーツを見詰める。ネグリジェパワードスーツは顔を引きつらせたまま指一本、動かさない。村雨は前触れ無く、くるりと背を向ける。ネグリジェパワードスーツは慌てて手に持ったホースを村雨の首に引っ掛けようと背伸びをする。村雨は右脚を後ろへ軽く蹴り上げる。踵がネグリジェパワードスーツの金的にズバリ命中。どさりと崩れて痙攣する。村雨は背を向けたまま左の踵で顔面を蹴る。ネグリジェパワードスーツは痙攣もしなくなる。藤沢はごろりと寝っ転がって高みの見物。
 園児服仙人が山刀を腰だめにして村雨に突っ込む。真っ正面から体当たりしてくる園児服。村雨がパンチを打とうとした瞬間、白スクール水着仙人が横から村雨にしがみつき、村雨の両腕を抱え込む。園児服と白スクール水着のダブル攻撃。その手の趣味の人間にはたまらない魅力だろう、着てるのが仙人でなければだが。村雨は白スクール水着に抱きつかれたまま、突っ込んで来る園児服に向かって突進する。腰だめに構えられた山刀が自身に到達する前に頭突きを園児服の顔面に喰らわせる。園児服は大きく仰け反り、血の噴水と共に倒れる。村雨は上腕がロックされた状態で白スクール水着の手首を片手で掴み、力で引き剥がす。抵抗する白スクール水着。ボキリと音が響く。関節ではない所から腕が曲がった。白スクール水着は曲がった腕を抱え込んで唸りながら倒れ込む。村雨は自由になった腕を振り上げ、白スクール水着の後頭部にパンチを打ち込む。硬い音がして、すぐに静かになった。
 ピンクミニスカナース仙人は何時の間にやら鎖鎌を持っている。藤沢の眼がすっと細くなり、半身を起こす。鎖鎌の分銅が宴会場の血なまぐさい空気を斬る音が村雨を振り向かせた。
 「珍しい物を持っている」
 村雨は感心して呟く。ピンクミニスカナース仙人は格好に似合わない厳しい表情…表情に関係なく服装は似合っていないか。仙人は野太い声で言った。
 「死ね」
 村雨はあっけらかんとして言う。
 「死ね」
 村雨は大きな歩幅で仙人との距離を詰める。その大胆さに藤沢は目を見開く。構えも取らず、無防備なままで鎖鎌の殺傷圏内に村雨は入った。
 鎖鎌の分銅が鈍色の弧を描いて吸い込まれるように村雨の側頭部に当たる。ごんっと鈍い音。分銅は力を失い、落ちる。村雨は首をかしげる。それだけだった。恐ろしいことに柔和な笑顔で更に仙人との距離を詰めてくる。仙人は鎖鎌の刃を振るい、斬り掛かる。村雨は素手で刃を掴む。そして捻じるようにして仙人から鎖鎌を取り上げ、捨てる。仙人は村雨の鳩尾に膝蹴りを打ち込む。村雨は全く動じず、仙人の頭を左手で鷲掴みにして固定してから右拳を側頭部に叩き込む。バリッと頭蓋骨が悲鳴を上げた。仙人はぐったりとして動かない。村雨は左手で鷲掴みにした仙人を、ひょいと放り捨てた。
 藤沢はゆっくりと立ち上がった。これでコスプレ妹仙人は全滅した。藤沢は自分が彼女達の相手をせずに済んだことを感謝していた。藤沢は村雨に声を掛ける。
 「少しは楽しめたか?」
 「かなり楽しかった。今までは五、六人しか一遍に殴ったことが無かったから」
 村雨は微笑みと共に殺伐とした台詞を吐く。それから、ぱあっと笑顔の花を咲かせて藤沢に告げる。
 「藤沢が出掛けている間に妹さんから貰ったお菓子がある」
 「お菓子?」
 「秘宝館特製お菓子だそうです」
 村雨が足元においてあった包みを藤沢に渡した。藤沢は包みを一瞥して嫌な顔。包みを開けて中身を見て更に嫌な顔。もう一度、包みを見直して更に更に嫌な顔。
 「秘宝館特製お菓子『お珍棒』と『オマンじゅう』…。中身はナニの形をした餅菓子とアレの形をした饅頭…。しかも、賞味期限が三年も過ぎてるじゃねえか。喰えるか、こんなもん」
 藤沢は激怒してお菓子の包みを畳に叩き付ける。命を狙われても怒ったりはしないが、空腹時に食べられない食べ物を見せられたのが癇に障ったようだ。
 「食べられないのか?」
 村雨は不安そうな表情で藤沢におそるおそる尋ねる。村雨のそんな顔を見て藤沢は驚く。こういうことでは不安になるのか、この女は。
 結局、二人揃って食い物のことでしか怒ったり不安になったりしないようだ。
 「結局、妹仙人って何です?」
 村雨の素朴な質問。答える藤沢。
 「変態だろ」

 藤沢と村雨は秘宝館を後にした。人を沢山殴ったことで村雨の表情は明るく、足取りも軽い。藤沢は妹仙人による視神経への攻撃が堪えて疲れた顔をしている。
 二人は旅館へと戻った。村雨の部屋へ戻ると誰も居なかった。アンテナ仙人とレーダー仙人を放置していたのだが、その姿は無かった。藤沢はほっとすると同時に疑問を覚えた。村雨は例によって何も気にせず、自分の旅行鞄の中からチョコレートを取り出して口に入れ、満面の幸せ。
 「藤沢も食べるか?」
 そう言って差し出された一口サイズのチョコレートを藤沢は受け取り、口に放り込む。
 「ぐっ」
 藤沢の顔が歪む。
 「チョコレートに包まれた唐辛子の辛さが旨い」
 村雨は言いながら二個目を口に放り込み微笑む。甘いのが好きなのか辛いのが好きなのか、良く分からない。そして藤沢は村雨を恨めしそうに見ながら、村雨から貰った物は二度と口に入れないと誓っていた。
 「これからどうするか…」
 藤沢は呟く。この旅館に居続けても良いことは何も無いという確信がある。
 藤沢の呟きに村雨は簡潔に答える。
 「お腹が空いたので食事に行こう」
 藤沢は村雨に聞く。
 「どこか食事の出来る所を知っているのか?」
 村雨は簡潔に答える。
 「ここ以外、知らない」
 藤沢は小さな溜め息。
 「ともかく、ここを引き払おう。また仙人に襲われては敵わない」
 藤沢の言葉に村雨は言う。
 「私は一向に構わない」
 「俺は懲り懲りだ」
 藤沢は荷物を手に部屋を出る。村雨も旅行鞄を手に後についていく。
 村雨が藤沢に問う。
 「ここの漬物バイキングも悪くないと思うが、藤沢は嫌なのか」
 「漬物と白いご飯だけでは流石に嫌だ」
 「…あぁ、食通という奴なのだな、藤沢は」
 「そんなことはないだろう」
 「贅沢は良くない。ご飯を残すと目が潰れると聞いている」
 「おかずが欲しいというのは贅沢なのか? それにご飯を残した訳じゃない。そもそもご飯を残しても目は潰れない。残すのは確かに良くないが」
 「目は潰れないのか? 聞いた話と違うな。私は目が潰れるものだと思って残さず全て食べきってきたが」
 「そういう理由で大喰らいだったのか…」
 雑談を繰り広げながら二人は旅館を出た。藤沢は宿泊代金をどうしようかと思ったが、払う相手が誰も居ないし命も狙われたのだから踏み倒しても良いだろうと勝手に解釈した。そういえば最初に泊まったビジネスホテルの料金も払ってないぞ、こいつは。

落川 「これで第一部完…じゃ、まずいか」
藤沢 「新キャラが出るんじゃなかったのか?」
落川 「一体、どんなキャラクターなんだろうな」
藤沢 「お前が知らなきゃ、誰も知らないだろ」
落川 「参ったな…。知らない奴を登場させるのか…」
藤沢 「どういう悩みなんだ、それは」
落川 「そうだ、仙人は千人居るという設定を今日、思い付いたぞ」
藤沢 「今日かいっ」
落川 「ま、仙人にも飽きたんで、もう登場しないけどね」
藤沢 「無駄な設定を披露しやがって」
落川 「しかし、何だな。唐突に魔法少女とか言われても意味が分からないな」
藤沢 「確かに意味が分からないな。何を言い出してるんだ、お前は」
落川 「だから新キャラは魔法少女なんだよ」
藤沢 「何で急にそんなのが登場するんだ?」
落川 「理由が居るのか?」
藤沢 「理由が無いのかよ」
落川 「合理的、科学的根拠が無いのが魔法っぽいな」
藤沢 「ただ単に出鱈目なだけだ」
落川 「魔法少女ってのは、やっぱり魔法の国から修行の為にやって来たのかねえ」
藤沢 「俺に聞かれても困る」
落川 「いい歳をして魔法少女のことも分からないのか」
藤沢 「何でそんなことで責められなきゃならないんだ」
落川 「ところで魔法の国ってどこだ?」
藤沢 「だから俺に聞くなって」
落川 「取り敢えず近場にしておくか…。北朝鮮とか魔法の国っぽいかな」
藤沢 「何なんだ、そのピントのずれた政治的な発言は」
落川 「しかし、あの国から来るのは魔法少女というより工作員だよなぁ」
藤沢 「キャラクターが変わってるじゃないか」
落川 「大体、魔法ってのは何だ?」
藤沢 「いや、だから俺に聞くなよ」

 藤沢と村雨は並んで雪道を歩く。
 「どこに向かっている?」
 村雨は大きな歩幅でズンズンと歩きながら聞く。
 「いや、何となく。どこかに食堂でもないかなぁと」
 藤沢も村雨に合わせた早歩きのまま答える。この二人、行き先がはっきりしないのに雪道をズンズン進んでいる。
 「食堂というのは金銭と引き換えに食事を与えてくれる所だったか。利用したことはある」
 なぜか得意げに村雨は言う。
 「それはこの近くでか?」
 「否。ここからだと徒歩で20時間ほど歩いた所だ」
 藤沢の微かな希望は容易に打ち砕かれた。何だよ、徒歩で20時間て。
 「村雨は徒歩以外の移動手段はないのか?」
 藤沢の問いに村雨はいささかムッとした顔をする。
 「失礼な。私は汽車にだって一人で切符を買って乗れたんだ」
 自慢のレベルが子供並みだ。藤沢は何も言わずに済ました。村雨は誇らしげな顔。
 「ところで大衆食堂というのは何だ?」
 村雨が唐突に言う。
 「一般大衆向けの食堂だ」
 藤沢は簡潔に答えた。
 「看板が見える」
 村雨の一言に藤沢の眼が光る。人を殴る時と違って表情が険しい。空腹は人を凶暴にさせるようだ。
 「本当か。どこだ?」
 「あそこ」
 藤沢の殺気に満ちた問いに戸惑いながらも前方を指さす村雨。確かに「大衆食堂 さとう」と書かれた看板が雪景色の中に見えている。
 ぱぁっと瞳を輝かせる藤沢。その表情の変化に村雨は目をぱちくりさせる。藤沢は走り出した。置き去りにされた村雨も慌てて後を追う。
 「大衆食堂 さとう」に辿り着くまでの雪道を3分ほど全力疾走した藤沢だったが、呼吸は全く乱れず、静かに食堂の前に立つ。村雨は数秒遅れて、藤沢に追いつき食堂の前に立つ。
 「休業日」
 村雨が読み上げたプレートの文言を藤沢は険しい顔で睨み付けている。藤沢は沈黙のまま、食堂の引き戸に手を伸ばし、開けようと試みる。開かない。鍵が掛かっている。戸はガタガタと音を立てるだけ。
 村雨が半歩、前へ進んだ。
 藤沢が静止する。
 「村雨は確実に鍵を破壊するから駄目だ」
 村雨は伸ばした手を引っ込める。
 藤沢は白く長い溜め息。
 「あの、どちら様ですか?」
 戸の向こう側、食堂の中から声がした。そして引き戸越しに小さな人影。声と人影のサイズから判断するに少女のようだ。しかし、何か変だ。背格好がおかしい。内側から引き戸の鍵が外され、カラカラと音を立てて開かれる。藤沢は少女と正対する。そして瞬時に人影が異常であった理由を知る。
 「何で高足蟹を背負ってるんだ?」
 藤沢は驚愕と共に反射的に呟いた。村雨は目を輝かせ、羨望の眼差し。二人の目前には高足蟹を背負った小学校高学年くらいの少女が立っていた。
 「あの、どちら様ですか?」
 少女は藤沢の驚愕と村雨の羨望を置き去りにして先刻の台詞を繰り返す。村雨が答える。
 「村雨と藤沢です」
 良く考えなくても質問の答えになっていない。藤沢は村雨を無視して少女に話しかける。
 「食事ができる所を探しているんですが…」
 「すいません。このお店は三ヶ月前からずっとお休みなんです。私は今日は片付けに来ているだけで、いつもは誰も居ないんです」
 申し訳なさそうに少女は答える。心なしか背中の高足蟹も悲しそうな眼をしている。
 「その蟹は食べられないのですか?」
 唐突に村雨が言う。
 少女はびっくりした顔で後ずさる。高足蟹は左右のハサミを振り上げる。村雨はニヤリと笑いながら高足蟹を見下ろす。
 「このカニさんは食べ物じゃありません」
 少女は引きつった顔で村雨に言う。高足蟹もうなずいて…いるように見える。
 「ああ、腐ってるんですか?」
 村雨はにこやかに問う。さらりと無礼だ。
 「腐ってません。とにかく、カニさんは私のお友達なので食べちゃ駄目です」
 少女は必死に説明する。藤沢は少女に言う。
 「近くに他の食堂はないかな? いや、食堂じゃなくてもお弁当とか売ってる所は?」
 「えーと、車で40分くらいの所に確かあったような気が…」
 少女の話に藤沢の表情はあからさまに曇る。
 「あの、お腹が空いてるんですか?」
 少女の言葉に藤沢は無言でうなずく。
 「ちゃんとしたものはできませんけど。それで良ければ何か作りましょうか?」
 少女の優しい言葉に藤沢は素直に感動し、無言で何度もうなずく。旅に出てから初めて人の優しさに触れた藤沢だった。
 「私は食べられるものなら何でも良い。何ならその腐った蟹でも良い」
 村雨は得意気に宣言し、胸を張る。
 「腐ってないし、食べ物でもありません」
 少女は叫ぶように言った。
 「要するにペットなんだよ、村雨」
 藤沢の解説。
 「ペット? それはどういう武器だ?」
 「武器じゃなくて、蟹だ」
 村雨の頓珍漢な質問に見たままの答えを返す藤沢。少女はそっと小さな溜め息をついている。
 「とにかく中へ入ってください。食事を用意しますから」
 少女は違う意味でのバカップルに告げた。藤沢と村雨は言われるままに「大衆食堂 さとう」へと普通に、鍵を破壊することなく入って行く。
 中は薄暗く、がらんとしていた。テーブルも椅子も無くコンクリートの床が寒々と拡がるだけ。
 少女は奥へと進む。藤沢と村雨も続く。薄暗がりの中で高足蟹の眼がキラッと光り、村雨はそれに反応して何故か両手でチョキを作って振り上げる。藤沢は村雨の行動に軽く驚き、瞬時に呆れた。
 少女がドアを開けてサンダルを脱いで段差を上がる。藤沢は靴を脱いで上がる。村雨は靴を脱がずに上がろうとして藤沢に膝頭を軽く叩かれる。村雨は慌てて靴を脱ぐ。少女に案内されたのはごく普通の六畳の和室だった。
 「ここで待っていてください。今、お茶を煎れます」
 少女はそう言うと和室を出て行く。
 藤沢は和室の真ん中に置かれた炬燵に脚を滑り込ませ、くつろぐ。村雨は炬燵を見ながら、周囲をぐるぐる回り出す。藤沢は問う。
 「何をしているんだ? 鬱陶しいぞ」
 「これは何だ?」
 「炬燵だ」
 「コタツとは何だ?」
 「見た通りの物だ」
 「これはどういう…」
 「武器じゃなくて暖房器具だ」
 村雨は謎の回転運動を止めると藤沢の対面に座り、炬燵に両足を突っ込んだ。武器ではないと聞いて警戒を解いたらしい。
 「ああ、暖かい」
 村雨は呟きながら表情を緩ませる。その穏やかな表情からはコスプレ妹仙人12人を一人で全滅させたことは想像できない。そもそも、そんな状況が想像できないのだが。
 二人が炬燵でくつろいでいると少女がお盆にお茶を載せて戻ってきた。温かい緑茶だった。藤沢は少女に軽く頭を下げてからゆっくりと飲み始める。村雨は藤沢の真似をして少女に頭を下げ、イッキ飲みした。少女は目を見開き驚くが、村雨は平然としている。熱さを感じる神経は無いのかも知れない。藤沢はそんな村雨に馴れてしまって、驚くこともない。
 「じゃ、すぐに食事を用意しますから。本当に簡単な物しか作れないのであんまり期待しないでください」
 少女は控えめに言って和室を出て行く。藤沢は背負われたままの高足蟹を見詰めながら、疑問を感じる。藤沢は呟く。
 「何で高足蟹を背負っているんだろう」
 村雨が答える。
 「護身用だろう」
 どんな答えを耳にしても納得することは無いのだろうなと藤沢は思った。
 藤沢と村雨は炬燵に入って少女を待つ。藤沢は落ち着いた時を過ごしていた。だが、村雨は三分も経たない内に暇を持て余したらしく、部屋の中を見回し始める。大きな音がした。何かが床に落ちると音と水をぶちまけたような音。他の部屋からだ。
 「きゃっ」
 少女の悲鳴。藤沢は素早く立ち上がると和室を出た。村雨も続く。
 和室を出て悲鳴の聞こえた方へ廊下を進むと台所へ出た。少女が四つん這いになって床を拭いている。傍らには鍋が置かれ、鍋に入っていたと思われる味噌汁が床に拡がっている。
 少女の隣に立つ高足蟹が口を開く。
 「大丈夫かい、幸子ちゃん」
 藤沢は目を丸くした。
 「聴いたか、村雨。驚いたな」
 「全くだ。まさか、あの子の名前が幸子だったとは」
 「そっちじゃなくて、蟹が喋ったことに驚けよ」
 「蟹が喋ると驚きなのか?」
 「いや、だって蟹だし」
 「ふーん。蟹は喋れないのか…。でも、喋ったぞ、この蟹」
 「だから驚きなんだよ」
 何だよ、この不毛な会話は。
 「ごめんなさい。私、お味噌汁をこぼしてしまって…」
 幸子は床を拭く手を止めて藤沢に謝罪する。
 「それより火傷とかしてないだろうね」
 藤沢の言葉に幸子は答える。
 「大丈夫です」
 高足蟹が幸子に話しかける。
 「ごめんね、僕が手伝おうとして却って邪魔をしてしまって」
 藤沢は高足蟹を見詰める。村雨が口を開いた。
 「蟹の味噌汁を作ろうとしてたの?」
 「だから、食べ物じゃありませんってば」
 幸子の抗議は悲鳴に似ている。高足蟹は素早くその場を離れ、両手のハサミを大きく振り上げて村雨を威嚇する。村雨はニコニコしながら高足蟹に向かって一歩を踏み出そうとする。が、藤沢に肩を掴まれ制止された。
 「彼女の友人を食おうとするんじゃない」
 「しかし、蟹というのは美味いものだと聞いている」
 「…普通、高足蟹は食べないと思うぞ。ずわい蟹とか鱈場蟹とかは確かに美味いが」
 村雨は静かに落胆する。その表情は暗い。
 「あなたには失望した」
 村雨の台詞に高足蟹はハサミを大きく振り回す。抗議のつもりらしい。
 「あのう、お味噌汁はこぼしちゃったんですけど、ご飯とおかずの焼き魚はありますから、それで良ければ召し上がってください」
 村雨と高足蟹の抗争を無視して幸子が藤沢に言う。藤沢も村雨と高足蟹を無視してうなずく。
 幸子は食事の用意をする。藤沢は幸子を手伝い、焼き魚をグリルから取り出して皿に盛りつける。高足蟹は幸子から少し離れた所に佇んでいる。幸子の邪魔にならないように気を使っているらしい。村雨も幸子から離れた所に立っている。手伝う気がないらしい。
 「支度ができたぞ。向こうで食事にしよう」
 藤沢の言葉に村雨は実に爽やかな笑顔で応じた。
 幸子と藤沢はそれぞれ、お盆を持って和室へと向かう。村雨はその後を手ぶらでついていく。高足蟹は最後尾を歩く、真っすぐ前を向いて。
 和室の炬燵に食事を並べて三人は座る。高足蟹は幸子の背中にひょいと乗っかる。幸子の背中が高足蟹の定位置であることを藤沢は理解していたが、納得はできていなかった。藤沢は幸子に聞く。
 「その蟹に名前はあるのかい」
 「ヘマル・トテンテンです」
 答えたのは幸子ではなく、高足蟹本人いや本蟹?
 「…けったいな名前だ」
 藤沢は冷たく言い放つ。高足蟹は口から泡を吹く。抗議のつもりなのか。
 「いただきまーす」
 村雨は周囲を全て無視して食事に箸をつける。相変わらずの凄まじい手首の回転で一気に米を掻き込む。そして鯖の塩焼きを指で摘みあげて頭から口に放り込み一気に租借する。魚の骨がバリバリと音を立てて噛み砕かれる。そして鯖は尻尾の先までするすると村雨に吸い込まれ消失した。
 「早いよ」
 藤沢は村雨に言う。村雨はきょとんとする。
 「何が?」
 「いきなり一人で食べ出すんじゃない」
 「そうか…。じゃ、おかわり」
 村雨は満面の笑みで幸子に空の茶碗を差し出した。幸子は村雨の食べ方に驚き、表情を固くしながらも茶碗を受け取り、和室から出ていく。炊飯ジャーは台所に置いてある。幸子に背負われた高足蟹の甲羅が戸の向こうに消えるのを見た後で藤沢は呟く。
 「あの蟹は何者だ?」
 「ヘマル・トテンテンと名乗っていたから、そういう者じゃないのか」
 村雨の言葉に藤沢は溜め息と共に言葉を返す。
 「だから、それはどういう者なんだ?」
 「私に食べられない蟹のことを聞かれても困る」
 村雨は即答する。食べられないと知って急激に興味を失ったらしい。
 「人間の言葉を喋る高足蟹か…。確かに食べられない蟹のことなんかどうでも良いかもな」
 呟く藤沢。お前もかよ。
 幸子が村雨のお茶碗と炊飯ジャーを持って戻ってきた。座るなり炊飯ジャーを開けてお茶碗にご飯を山盛りに盛りつけて村雨に差し出す。
 「ありがとう」
 村雨は満面の笑みで受け取り、五秒で平らげた。
 「はい、おかわり」
 幸子は目を丸くしながら空のお茶碗を受け取る。
 藤沢は既に見慣れた光景を無視して自分のペースで食事に集中する。白いご飯と鯖の塩焼きだけの食卓だが藤沢は静かに感動していた。気を抜くと目が潤んでしまいそうだった。
 「あ、お漬物を出すのを忘れてました。私、取ってきます」
 幸子は立ち上がる。
 「漬物は遠慮させてください」
 藤沢は早口で幸子を制止する。漬物はもう懲り懲りだと目で訴えかけられ、事情は分からないが幸子は戸惑いつつも座る。
 「好き嫌いはよくないな、藤沢」
 「人に注意する前に口の周りのご飯粒をどうにかしろ」
 村雨は真っ赤な舌をぺろりと回して器用にご飯粒を舐め取った。
 村雨はその後もハイペースで食べ続け、藤沢がお茶碗を空にする前に炊飯ジャーを空にした。藤沢は一杯のご飯だけとなってしまった。
 「腹減った…」
 藤沢は呟く。
 「ごめんなさい。もうご飯が無いんです…」
 幸子は申し訳なさそうに言う。
 「私も空腹なのだが」
 村雨はぬけぬけと言い放つ。藤沢は軽く村雨を睨むが村雨は表情を変えず、呑気な顔のまま。幸子はそんな村雨を見詰めるというより眺めていた。珍しい生き物を見るような目だった。村雨は背中に高足蟹を背負った少女の視線に気付くと一言。
 「蟹が食いたい」
 藤沢と幸子は精神的にずっこけ、高足蟹は両のハサミを振り上げ口から泡を吹いた。
 「もう諦めろ」
 藤沢は冷たく言う。村雨は不満そうな顔はしたものの反論はしなかった。
 幸子が藤沢に言う。
 「後はインスタントラーメンくらいしかないんですけど」
 「是非」
 藤沢は幸子の申し出に跳び付いた。村雨は藤沢の明るい顔を見て言う。
 「いんすたんとらーめんとは何か?」
 藤沢が答える。
 「鍋にお湯を沸かした後、麺を入れて三分煮る。火を止めてから粉末スープを入れてよく混ぜてラーメンのでき上がり」
 藤沢の説明を聞いた後、村雨は一瞬、考え込む。そして、ぱぁーっと明るい表情を見せる。
 「素敵だ」
 あまりにも無邪気な笑顔に幸子は軽く仰け反った。背中の高足蟹も一緒に仰け反る。
 「じゃ、私、作ってきますから」
 幸子は和室を出て行く。再び高足蟹の甲羅を見送る藤沢と村雨だった。
 藤沢と村雨は、ぼけーっと幸子を待つ。何をするでもなくただ、ぼんやりと待つ。
 「きゃっ」
 台所の方から幸子の悲鳴が聞こえてきた。
 「また鍋でも引っ繰り返したのかな」
 言いながら藤沢は立ち上がる。村雨ものろのろと立ち上がる。二人は和室を出て台所へと向かう。

落川 「で、この後は?」
藤沢 「俺が聞きたい」
落川 「そう言われても俺も何も考えてないし」
藤沢 「はぁーっ…」
落川 「そうやって俯いて溜め息なんかついていると幸を逃すぞ」
藤沢 「元凶が何を言うか」
落川 「ともかく魔法少女が登場したんだからいいじゃないか」
藤沢 「魔法少女って誰だ?」
落川 「幸子に決まってるだろ。蟹じゃないよ」
藤沢 「魔法なんて何一つ使ってないじゃないか」
落川 「言われてみれば食事の用意しかしていないような…」
藤沢 「話の展開ぐらいは覚えててくれよ」
落川 「すまん、すまん。興味のないことは覚えられなくて」
藤沢 「いちいち殺意を煽る奴だな、お前は」
落川 「しかし、昨今の少年少女による凶悪犯罪はどうしたものかね」
藤沢 「何で急にそんな話題になるんだ?」
落川 「せっかくの社会問題なんだから良いネタにならないかなと思って」
藤沢 「何でも利用しようとするんだな、取り敢えず」
落川 「やっぱりエンターテインメントは子供と動物。そして時代性だ」
藤沢 「話の頭はまともなんだよな」
落川 「だから少年犯罪と絶滅、後は合わせ技で獣姦」
藤沢 「結論がおかしいだろ。何でそんな悲惨な話だけになっちゃうんだ。しかも合わせ技で獣姦ってのが意味が分からない」
落川 「多少の変態性は必要だぞ。人は少々、悪趣味なものの方が興味を持つ」
藤沢 「納得できるような、できないような」
落川 「とは言え、今回はエロ方面は控えたいんだよな。18禁になってしまうのは避けたい」
藤沢 「…コスプレ妹仙人はエロ方面を控えた結果なのか?」
落川 「別にエロじゃないだろ、あれ」
藤沢 「確かにエロではないが…。子供向けでもないだろう、あれ」
落川 「そうかぁ? 子供ってああいう壊れた極端なキャラクターの方が喜ぶんだぞ」
藤沢 「言われてみれば、そんなような気もしてきたが…。何か納得できない」
落川 「ま、情操教育には良くないね。教育上は間違いなく有害だな」
藤沢 「自覚はあったのか」
落川 「他所のガキなんか知ったこっちゃないってことよ」
藤沢 「お前の存在が子供の教育上、有害だ」

 藤沢と村雨は台所へと駆けつける。そこには引っ繰り返った鍋と倒れた幸子、そしてハサミを振り上げた高足蟹。ついでに黒い服の男が一人。
 藤沢が呑気に尋ねる。
 「どちら様?」
 黒い服の男は無言で藤沢にスタンガンを突き刺すように打ち込んでくる。藤沢は横に動いてあっさりかわして、男の耳の後ろ辺りに拳を軽く叩き込む。男は立ったまま失神して、ばったりと前のめりに倒れる。
 藤沢は高足蟹に問う。
 「で、どちら様?」
 「知りません。いきなり勝手口から入ってきて…凶暴な女がこの辺に居ないかって聞いてきたんです」
 高足蟹の言葉に藤沢は村雨を見た。村雨は言った。
 「凶暴な女か…。物騒だな」
 どう考えてもお前のことだろうと言いかけて藤沢は口を閉ざした。そんなことより幸子だ。
 「大丈夫かい、幸子ちゃん」
 藤沢の言葉に幸子はゆっくりと身を起こす。
 「急に知らない人が入ってきたから驚いて転んじゃって。あー、またお鍋、引っ繰り返しちゃった」
 幸子の言葉に村雨が反応する。
 「まさか、インスタントラーメンに被害が…」
 「食い物以外の心配はないのか、お前は」
 藤沢は冷たく言い捨てる。
 村雨はそれには取り合わず、倒れたままの黒い服の男が持っているスタンガンに視線を落とす。無言で拾い上げる。
 「おい、何をする気だ」
 藤沢の声。幸子、高足蟹の視線は村雨の手に集中する。
 「これは何だ?」
 村雨が藤沢に聞く。藤沢は答える。
 「それはスタンガンと言って、高圧電流で相手を麻痺させて動けなくする武器だ」
 村雨は藤沢の言葉を聞きながらスタンガンのスイッチを入れる。バリバリと音を立てて青い火花が飛び散る。幸子と高足蟹は驚いて後ずさる。村雨はスタンガンのスイッチを入れたまま、自分の頭頂部にそれを押しつけた。これには藤沢も思わず声を出す。
 「あっ」
 村雨の頭頂部で火花が散った。村雨はスタンガンのスイッチを切る。そして片手で頭を掻く。
 「痒い…」
 藤沢は村雨の言葉に只々、呆れた。同時にスタンガンを持って村雨を探していた黒い服の男に同情する。あの男は全く意味のない武装をしていた訳だ。
 幸子が倒れたままの黒い服の男を指さす。
 「この人は?」
 藤沢は言う。
 「さぁ。良く分からないから取り敢えず外に放り出しておこうか」
 「凍死しちゃいますよ」
 幸子の言葉に藤沢は少し考える。そして言った。
 「別に構わないんじゃない。それに仲間が回収していくと思うよ」
 藤沢のあっさりとした残酷さに幸子は若干、怯えた。
 「ああ。そうか、この男は私に殴られに来た人達の仲間に違いない」
 村雨は得意気に藤沢に話す。
 「今、気がついたのか」
 藤沢は溜め息交じりに呟いた。
 藤沢は黒い服の男の襟首を掴むと勝手口へと引っ張る。そして勝手口を開けると雪道に放り投げた。男は気絶したまま。
 幸子が恐る恐る言う。
 「あの、本当にいいんですか」
 「気にしない、気にしない。どうせ仲間がその辺で村雨のことを探してるはずだから、すぐに気がついて回収するよ。大切なのはラーメン」
 藤沢は爽やかに男を見捨てて勝手口の戸を閉める。
 「どうして村雨さんのことを探しているんです?」
 幸子の質問に村雨は明解に答える。
 「知らない」
 答えになってない。
 「俺も知らないけど、たまに命を狙われるくらいで実害がないから、あまり気にしてないな」
 藤沢は床に落ちたままの鍋を拾い上げながら言う。幸子は思わず高足蟹と視線を合わせ、小さな溜め息。
 「えーと、お湯を沸かす所から再開かな」
 藤沢は厨房に立ち、ラーメンを作るべく準備する。村雨は興味深そうに見てはいるが、手は一切、出さない。
 幸子はラーメンに入れる野菜やハムの準備に取り掛かる。例によって村雨は手伝わない。
 しばらくしてラーメンは完成した。藤沢と幸子はラーメンを一つずつ持って和室へと向かう。高足蟹は幸子の後に続く。村雨は高足蟹の後に続く。三人と一杯は和室に戻り、炬燵に潜り込む。
 村雨は座るや否やラーメンに荒々しく箸をつける。一気に大量の麺を手繰ると轟音と共に吸い込む。ダイソンの掃除機か、お前は。
 藤沢は村雨を横目に静かにごく普通に食べ始める。キャベツとニンジンとハムだけの野菜炒めに茹で卵と海苔が載せられたインスタントラーメン醤油味をじっくりと堪能する気らしい。しかし、温泉旅行に来た筈なのに何でこんなに貧相な食生活なんだろう。きっとそういう宿命なんだろう。
 幸子は対照的な二人の食べ方を見ている。そして口を開いた。
 「お二人は観光旅行でこちらへ?」
 「俺はそうだけど」
 藤沢はそう言ってラーメンに夢中の村雨を見る。
 「ふがふぐもぐもが」
 村雨はラーメンを咀嚼しながら意味不明な言語を放つ。
 「何となく来ただけだって」
 藤沢は適当に翻訳する。村雨は咀嚼しながらうなずく。
 「は、はぁ」
 幸子は不思議そうな顔でうなずく。
 藤沢は幸子に聞く。
 「どうしてここに一人で? ご両親は?」
 幸子は一瞬、目を伏せる。それから顔を上げて努めて明るく返答する。
 「三ヶ月前に交通事故で亡くなりました。私がここに居るのは後片づけの為です」
 藤沢は箸を止める。そして言う。
 「不躾に聞いてしまったかな。すまない」
 「いえ、良いんです」
 村雨は二人の会話を無視してラーメンのスープを喉を鳴らして飲み干している。ある意味、凄い集中力だ。
 「今はどこに住んでいる…」
 藤沢が幸子に質問している最中、金属の破れる音が響いた。
 「シャッターが破られたな」
 藤沢は呟く。そしてラーメンを再開する。村雨は既に食べ終わり、ほーっとした気の抜けた顔。幸子だけが驚きと不安に怯えた表情だ。高足蟹に表情は無い。
 複数の足音が和室に向かって来る。幸子は立ち上がるが、おろおろとするばかり。高足蟹もハサミを振り上げて幸子の周りをぐるぐる回るだけ。村雨は何となく幸子につられて立ち上がる。空の丼を手にしたまま。
 和室の戸が乱暴に開かれた。スキーウェアの男達が鋭い視線を室内に向ける。幸子達からは手前の二人程しか見えない。だが廊下に更に数名が居る気配を感じて、村雨は気の抜けた顔から生き生きとした顔に変貌する。藤沢はのんびりとラーメンを堪能中。
 「魔法少女というのは誰だ?」
 スキーウェアの乱入者の言葉に藤沢と村雨は軽く驚く。藤沢は箸を止めて言った。
 「無法少女ならそこに一人居る」
 箸で村雨を指し示す。
 「こんにちは」
 村雨は藤沢の無礼な紹介に笑顔で挨拶。無駄な美貌が乱入者達を一瞬、怯ませる。
 幸子が意を決して一言。
 「だ、誰ですか? いきなり」
 強い口調で始めた台詞の後半は急に小声になった。
 乱入者達の先頭の男はじろりと幸子を見る。そして幸子の足元の高足蟹も見る。そして押し殺した低い声で言う。
 「一緒に来てもらおう」
 幸子は怯えた顔。幸子は村雨を見る。村雨は普通の表情で立っている。幸子は藤沢を見る。普通にラーメンを食べている。幸子は俯く。
 村雨が幸子に声を掛ける。
 「この人達は幸子のお友達か?」
 あまりにも呑気な口調だったので幸子は驚きながら目一杯に首を横に振って否定する。村雨は続ける。
 「では殴っていいのか?」
 あまりにも呑気な口調だったので幸子は驚きながら藤沢に視線を向ける。藤沢は丼から視線を上げて村雨を見ると一言。
 「蹴ったっていいぞ」
 村雨は予備動作無しで強烈な前蹴りを放つ。蹴りを鳩尾に食らった男は体をくの字にして倒れる。悲鳴すら出せない。隣の男は瞬間の惨事に反応できずに棒立ちのまま。その横顔に村雨の体重の乗った右ストレートが突き刺さる。男は吹っ飛び、廊下の壁に頭から突っ込んで壁に大穴を開ける。
 廊下に待機していた男達が襖をぶち破って和室に雪崩れ込んでくる。村雨はニコニコしながら全員が揃うのを待つ。
 村雨がにこやかに人指し指で乱入者の数を数える。全部で五人。倒れた二人を入れれば七人だ。村雨はニコニコして言う。
 「食後の運動にはちょうど良い」
 言われた男達は顔を引き攣らせている。藤沢は男達に視線を向けるが、すぐにラーメンに復帰する。良くも悪くも興味を引く者は居ないらしい。
 幸子は村雨に殴られて倒れた男が壁に開けた大穴を見つめている。襖が破られたおかげで随分と見通しが良くなってしまった。室内から廊下が良く見える。幸子の表情は硬い。怒っているとか悲しんでいるとかではなく感情が欠落したかのようだった。
 「じゃ、行きまーす」
 のほほんと村雨は言い、言葉が終わらぬ内に男達に殴りかかる。男達は逃げる。だが、狭い廊下に五人が並んでいた為、狭くて身動きかが取れない。村雨は滑るように男達に近づき、一番近くに居る男の顔面に左の拳を突っ込んだ勢いそのままに打ち込む。殴られた男はバレリーナのようにくるくると回り、頭から壁に突っ込む。木片と埃が舞う。そして大穴。
 「いやーっ」
 幸子のすっ頓狂な悲鳴に村雨は思わず振り返る。その隙を逃さず一人の男が村雨の顔面を力任せに殴る。殴った男は村雨の顔面に指の骨を砕かれた。呻きながら倒れ込む。殴られた村雨は、ごく普通に倒れた男に顔を向ける。
 「どうかしたのか?」
 殴られた自覚がないまま相手を気遣う村雨に、他の男達は背を向けて逃げようとする。しかし、お互いの体が障害物になって狭い廊下でばたばたと暴れるだけ。一向に前へ進まない。村雨は逃げようともがき続ける男達に両手を伸ばし、襟首を二つがっちりと掴む。一気に引き寄せる。二人の男は物凄い力で後方に引かれ、その体は宙に浮く。そして村雨はまず一人を自分の横を擦り抜けるように後方へ投げ捨てる。その時、足元に倒れていた男も巻き添えを食らって後ろへ転がる。村雨は屈み込み、姿勢を低くしてもう一人を頭の上を通して放り捨てる。天井に男が接触し、天井が割れる。落下した男は廊下に大穴を開けて沈み込む。
 「ひぃーっ」
 幸子の悲鳴。そして藤沢はラーメンのスープを一滴残さず飲み干して満足そうにしている。周囲の喧噪に興味は無い。だが、一言。
 「埃が立っているな」
 藤沢は炬燵に体を潜り込ませたまま、寛いでいる。村雨の楽しそうな顔と幸子の引きつった顔と高足蟹の泡を無視してのほほんとする。
 幸子が叫ぶ。
 「お家を壊さないでぇーっ」
 村雨と男達の姿は壁の向こう側で幸子からは見えなくなってしまった。だが、打撃音と呻き声、そして破壊音が響き、壁が破られると全てが丸見えになった。
 「あ、あっ」
 幸子は悲鳴も出ない。柱だけを残して壁が粉砕され、木屑や壁紙、断熱材がズタボロになって屋内に散乱する。その向こうには笑う村雨と顔面が変形した男の顔が二つ。村雨は男達の頭二つを両手で鷲掴みにして振り回す。壁に男達が当たる度に破壊音が響き、男達の呻き声も響き、埃が立ち、家が壊れる。狭かったはずの廊下はすっかり広くなっていた。両側の壁が抜けて隣の部屋まで見通せるようになっていた。天井も大穴が開いて、一階と二階の区別も無くなりつつあった。
 呆然とする幸子に高足蟹が声を掛ける。
 「幸子ちゃん、幸子ちゃん」
 しかし、幸子は無反応。その目前では村雨が嬉々として男達を振り回し、ついでに柱に蹴りを入れる。柱は簡単に折れた。高足蟹は幸子になおも語りかける。
 「幸子ちゃん、このままじゃ思い出のつまった、この家が壊されちゃうよ」
 高足蟹の言葉に幸子はカッと眼を見開く。呆然とした表情から一気に険しくも気力漲る表情へと変わった。
 「幸子ちゃん、変身だ」
 高足蟹の絶叫。藤沢は呑気な表情を一変させて幸子を見る。
 幸子の背中に高足蟹が飛び乗る。すると幸子と高足蟹を半透明の赤い球体が包み込む。幸子の体が十センチほど、ふわりと宙に浮く。そして赤い閃光が周囲を圧した。
 「魔法少女 トリガーハッピー」
 幸子、いや魔法少女は叫ぶ。その姿は白を基調としたセミロングのドレスに変わっていた。青のストライプとあちこちに付けられたピンク色のリボン。そして右手には銃床とドラムマガジンが装着されたルガーP08砲兵モデル。腰には二勺三寸の業物。背中には高足蟹。こちらは以前と変わりない。ドレスとか着られても嫌なんで、これはこれで良い。
 藤沢は呟く。
 「この子だけは、まともだと思っていたのに…」
 藤沢は項垂れた。まぁ、高足蟹を背負って現れた時点でまともじゃなかったんだけどね。
 村雨は両手に二つの頭を鷲掴みにしたまま、きょとんとした顔で魔法少女を見ている。
 「幸子…。ひょっとして怒ってる?」
 村雨は魔法少女への変身やその存在よりも相手の怒りに満ちた表情が気になっていた。
 「よくも。よくも私の家を…。お父さんとお母さんが居た家を…」
 トリガーハッピーの瞳の色が黒から緑に変わる。目は吊り上がり、口元も歪ませている。
 村雨は慌てて両手に掴んだ男達をぽーんと放り投げる。そして首を左右に振る。家を壊したのは自分ではない、自分だけが悪いのではないと主張したいらしい。しかし、村雨が放り投げた二人の男は壁を突き破り柱をへし折り天井に大穴を開けた後に落下して床に穴を開けた。トリガーハッピーはそれらを視界の片隅に捉え、その眼の光はギラギラと強まる。
 顔を引きつらせる村雨。それほどまでに魔法少女の形相は鬼のそれと化していた。トリガーハッピーは叫ぶ。
 「マジカル・ミサイル発射」
 背中の高足蟹が両のハサミを振り上げる。そして甲羅から金色の光が一直線に空へと伸びる。天井も屋根もあっさりと打ち抜いて、金色の光線は高く高く昇っていく。
 藤沢は金色の光線を目で追う。村雨も見上げる。トリガーハッピーは村雨を睨む。高足蟹はハサミを振り上げて硬直する。その他大勢の男達は失神して転がっているだけ。
 轟音と共に何かが降って来た。正確には何かが地上に向かって打ち込まれた。金色の光を辿るようにそれは飛んで来た。
 「衛星軌道上からのミサイル攻撃よ」
 魔法少女トリガーハッピーは高らかに宣言する。こんなの魔法じゃない。
 光・衝撃・爆発音。閃光が世界を埋め尽くし、激しく昇る火柱は雲をも焦がす勢い。爆風は周囲の雪を一気に巻き上げ吹き飛ばす。爆煙の中で雪は瞬時に蒸発し、更に煙を膨張させる。黒煙と白煙は侵略の意志があるかのように周囲を埋め尽くしていく。幸子の家は自らの魔法攻撃(ミサイル)により、完全に破壊された。屋根は吹き飛び、壁は砕け、柱は薙ぎ倒された。建材も家財道具も粉砕され高温で瞬間的に燃え尽きた。村雨が叩きのめした男達は物凄い勢いで宙へと舞った。スキージャンプの選手のように。とは言えスキージャンプは民家からミサイルの爆風で飛び出す競技ではないが。
 後には家の土台が残された。爆心地となった和室は土台も残らず、すり鉢上の大穴が掘られていた。上空には赤い球状の光に包まれたトリガーハッピーが呆然と浮いている。
 「やりすぎだよ」
 背中の高足蟹が消え入るような声で呟く。手遅れと言うかハサミ遅れと言うか。
 トリガーハッピーはゆっくりと地上に降りる。そこは、村雨が立っていた地点。今は荒れた地面があるのみ。
 「ああ、楽しかった」
 地中から声が聞こえる。そして地面の中から土煙を巻き上げながら村雨がむっくりと起き上がり、大地に立つ。身体に付いた土と埃を手で払う。
 トリガーハッピーは信じられない物を見たという表情。村雨はその顔を見て言った。
 「変身しても背中の蟹は食べられないのか?」
 トリガーハッピーは引きつった笑み。高足蟹は両のハサミを激しく振って抗議する。
 やはり、蟹が食べられないと悟った村雨は周囲を見回す。
 「藤沢はどこに消えた?」
 トリガーハッピーの顔から血の気が引く。慌てて周囲を見るが人影は見えない。
 「いきなりミサイル攻撃とは…。咄嗟にラーメン丼をヘルメット代わりにしたから無傷で済んだが、普通なら死んでるな」
 藤沢はラーメン丼を頭に被ったまま、何処からともなく現れた。村雨は問う。
 「どこに居た?」
 「炬燵と一緒に爆風で飛ばされて、歩いて戻って来た」
 藤沢は簡潔に答える。トリガーハッピーはほっとした顔を見せたが表情に硬さが残る。そして赤い球状の光が青色に変わり、すうっと消える。トリガーハッピーは幸子へと戻った。高足蟹は高足蟹のままだった。幸子は藤沢と村雨に向かって頭を深々と下げる。
 「ごめんなさい。つい、取り乱してしまって…」
 高足蟹も頭を下げる…と言うより這いつくばる。
 藤沢は明るく答える。
 「ああ、気にしなくて良いよ。ラーメンも食べ終わった後だったし」
 いい加減、ラーメン丼を頭から外せ。
 村雨も明るく答える。
 「爆発の衝撃で吹き飛ばされそうになって面白かった」
 身体中、埃まみれで満面の笑み。
 幸子は泣きそうな顔を見せて言う。
 「お家が壊れちゃった…」
 藤沢が言う。
 「いや、壊したのは君だから」
 冷静な藤沢の言葉に幸子は大粒の涙をこぼす。
 「さ、幸子ちゃん」
 高足蟹は慌てて幸子の背の上からハサミを回す。幸子の涙を拭おうとしているようだが、傍目には捕食を試みているように見える。
 村雨はそんな一人と一杯の様子を見て藤沢に聞く。
 「幸子、どうかしたのか?」
 「自分で自分の家を爆破してしまったことを悔やんでいるんだろう」
 「ふーん。私は楽しかったけどな」
 村雨の陽気な台詞に幸子は声を挙げて泣き始める。
 藤沢は村雨を軽く睨みつつ言う。
 「村雨が家を壊し始めたのが原因だ」
 村雨は驚いた顔をする。って、自覚がなかったのか。
 藤沢は続ける。
 「村雨が調子に乗って家を壊しまくるから幸子が衝動的に魔法少女に変身してミサイル攻撃を自宅に仕掛けて、こうなったんだ」
 「それって要するに止めを刺したのは幸子ということか」
 村雨の言葉に藤沢はちらりと幸子を見る。すすり泣いていた。
 「誠に遺憾ながら村雨の言う通りだ」
 幸子は泣き崩れるのだった。

落川 「で、この後は?」
藤沢 「またか。また、俺に今後の展開を聞くのか?」
落川 「正直言って、この後の展開は何も考えていない」
藤沢 「断言するな。頼むから」
落川 「まぁ、昼飯は食べたんだから今晩の宿探しだろうな」
藤沢 「はぁ…。行き当たりばったりだ。しかも良い思いはしてないし」
落川 「良いじゃないか。美女と美少女に蟹まで付いて」
藤沢 「経緯を振り返ると何も良いことないぞ」
落川 「経緯ねぇ。しかし、一年掛かりで執筆して作中では一日しか経過してないってのは凄い見込み違いだよな」
藤沢 「他人事みたいに言うな」
落川 「次の宿は…。そうそう、ゾンビ女将にメカ仲居の登場だ」
藤沢 「何じゃ、そりゃ」
落川 「益々、どんなジャンルの話か分からなくなってきたぞ」
藤沢 「温泉グルメ物の筈じゃなかったのか」
落川 「そう言えば土曜ワイド劇場の『混浴露天風呂連続殺人』シリーズがファイナルを迎えたんだよ」
藤沢 「それで?」
落川 「だからオマージュって言うかパクリって言うか…。次は裸の女を大量に出すから」
藤沢 「不気味なまでに普通の読者サービスだ。何か裏があるな」
落川 「裏なんか無い。ちゃあんと綺麗所を登場させるさ