ライ・クーダー

 Ry Cooder(ライ・クーダー)は、1947年3月15日、ロサンジェルスで生まれた。本名Ryland Peter Cooder(ライランド・ピーター・クーダー)。10歳のとき初めてギターを手にし、驚くべき早熟ぶりを見せてフィンガー・ピッキングを習得した。また、ボトルネック奏法は15歳頃始めた。すでに10代の若さでロスの有名なフォーク・クラブ「アッシュ・グローブ」の常連になり、有名なブルース・ギタリストと一緒に演奏活動もおこなうようになった。60年代中頃、ロスアンゼルスのスタジオ・ミュージシャンとしてプロの道を歩み始めた。黒人ブルースマンのTaj Mahal(タジ・マハール)率いる「ザ・ライジング・サンズ」に参加。またギター、マンドリンそしてバンジョーのプレイヤーとしてThe Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)、Captain Beefheart(キャプテン・ビーフハート)、Paul Revere & The Raiders(ポール・リヴィアーとレイダース)等と共演し、その他に数多くの映画音楽にも関係している。1970年、「Ry Cooder(ライ・クーダー登場)」でソロ・デビューした時、ローリング・ストーン誌は、「今日最高の、そして最も正確なボトルネック・ギタリストであり、ブルース・マンドリンの最高の芸術家」と評した。また、同年、ワーナーのプロデューサーRuss Titelman(ラス・タイトルマン)の妹のSusan Titelman(スーザン・タイトルマン)と結婚した。1976年、「Chicken Skin Music(チキン・スキン・ミュージック)」を発表。このアルバムは大きく分けて、テキサスのアコーディオン奏者Flaco Jimenez(フラコ・ヒメネス)が参加したメキシカン・セッションと、ハワイのスラック・キー・ギタリストGabby Pahinui(ギャビー・パヒヌイ)とAtta Isaacs(アッタ・アイザックス)が参加したハワイアン・セッションに分けられるが、とても高い評価を得ている。最近では、ライ・クーダーがプロデュースした、キューバのスター・ミュージシャンによる "ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ"の作品は記憶に新しい。