Taysir's Journal
   
プレーンズウォーカー、テイザーの手記。Magicに深く関係するものから、一般論に近いものまで全部で四編、お楽しみください。

 

    Taysir's Journal Part1
 
私は何千年にもわたって存在してきた。群衆の中の一人の人間ですら、私のようなプレーンズウォーカーをもってしても、理解するにはとほうもない存在だ。にも関わらず、この巨大な群集ひとつひとつが、ドミニアのプレーンに存在する人間ひとりひとりが、歴史という名のタペストリーに自らの運命を織り込んで行く。不幸にも、ほんの一握りの者しか、自らの住む世界や、共に生きる人々のさまを見られない。生はあまりにも短く、プレーンはあまりにも巨大なのだ。

私はここにドミニアのさまざまな文化に伝わる、歴史や伝説、そして物語を、経験や知識を通して紙に書き記そうと思う。望むらくは人々がこのコレクションを見て学んでくれれば。さて、この書物全体を通して、私は批評を残していきたいと思うが、人々の内部にある物語の言葉を検閲するような真似はしないと誓うものである。

若かりし頃は、この様な時間のかかる仕事をやるだけの忍耐力を持ちえなかっただろう。しかし、生を味わい、そして、死を味わい――そしてまた生を受け――私は平穏という徳の必要性をより理解したのだ。

かつて私はある女性を、今までのどんな男も経験したことないほどの熱心さで愛した…。これはもちろん、真実ではない――私の愛は他の者に優るとも劣るとも言えないものだ。が、私はその唯一無二の価値を確信したのだ。しかし、その愛は私に深い哀しみしかもたらさなかった。なぜならばそれは身勝手な愛であり、その女性のことを本当に考えたものではなかったからだ。私はこのことから大変多くのことを学んだといえよう。

私はEncyclopedia Dominia、すなわちこの編纂書を、Kristina、そして養女であるDariaに捧げたいと思う。二人とも輝くばかりの女性であり、世界という織物は彼女らの生という煌く糸により、遥かに豊かなものとなった。

   
   
    Taysir's Journal Part2
   
私はこの図書館の中で座っていると、我々が何者であるか、と言うことに関していかに環境が重要であるか考えざるを得ない。

もしも良ければ、想像してみたらどうだろう、私が若々しい定命の者のクローンを作ったとしたら? 彼は何から何まで完全に同じだとしよう。しかし、もしもこの二人が全く異なる環境におかれたら、すぐに別個の存在として成長していくだろう。例えば、一方の少年が安穏とした、辛いことといえば兄弟からのいじめや時々のちょっとした怪我くらいしかないような、物理的にも精神的にも必要なものは満たされた場所で育ったとしたら、彼の性格や個性はこの環境を反映するだろう? もう一人のクローンの少年が、常に欲求不満で、誰も彼のことを気にもかけてくれないような場所だったら、ずいぶん違った感じに育つ(しぼむ)だろう?

本当に驚異的な、もしくは悲惨な環境はそこに住むものに、大きな影響を与える。最悪、もしくは最高の地は共にある他の地へさえも影響する。従って、いくつもの文化の文献や神話は何度も何度も特定の地へ言及するのだ。こういったものの一つに、フィレキシアと呼ばれるものがある。苦痛と恐怖の、漆黒の地獄だ。これには驚かされるのだが、そこの生物は生き延びるだけではなく、納骨堂のような煙、金属、そして灰の満ちたこの地でも時々は成功するのだという。光といえば、煤煙を吐き出す巨大な炉しかないような所で。

この様な地で過ごした者への衝撃は確実に大きなものだ。疑うことなく、仮借なき悲惨さはほとんどの者の肉体と精神を粉砕するだろう。しかし、最も熱いカマドからこそ、最高の剣が生まれるのもまた事実なのである。逆境なしでは、英雄的行為はめったに生まれぬ。悪がなければ、正義も意味を持たない。ゆえに、私はフィレキシアのような地の歴史や文化を記録することは、もう一つの土地に関して記録するのと同じくらい重要だと思ったのだ。例えば、Lanowar(ラノワール)のような。

   
   
    Taysir's Journal Part3
   
私は長きにわたって、ラノワールのエルフたちがどうやって自分たちの世界を築き上げ、そして維持したかを見てきた。近隣の者と接触を持たない訳でもないのに、彼らは驚くほど他の人々や文化が自分たちを汚染するのを防いできた。学者の中には、驚異的なこの森の規模がエルフたちを長期にわたり守ってきたのだというが、ラノワールの森がいくら大きくとも、その大きさが特別なのではない。ドミニアには、他の文化に「汚染された」広大な森に住むエルフが他にもある。

伝え聞くところによれば、10の独立したエルフの社会(ラノワールの言葉によればelfhame(エルフヘイム))がこの不規則に広がる森林地帯にはあるらしい。各エルフヘイムは独自の方法で、文化や慣習を外界からの影響から守っている。何人かのエルフは木々の狭間に消え、その中のごくまれな者が故郷を離れ冒険に出るという。他の者は、人間やミノタウロスといった外界と交易を行っているが、信仰に基づく厳格な信条を守っている。すなわち、神秘的な大自然や故郷の森とのつながりを保つには、他の人々と距離を置かなければならないという信条だ。

この孤立主義的哲学は、最も不穏で極端なOrder of the Steel Leaf(鋼の葉の掟)によって守られている。ラノワールの選ばれし幹部である彼らは、女神として崇められているプレインズウォーカー・Freyalise(フレイヤリース)自身によって結成されたという。鋼の葉はラノワールの純粋さを守ることに関しては熱狂的である。今日にいたるまで、ラノワールの住人でないものは、この掟の領域に入る時は命を懸けねばならない。彼らは警告無しに侵入者(ゴブリンだけでなく)を殺すことで知られているのだ。僅かな矢と不運な侵入者の死体はすぐに「森の肥やし」となる。

鋼の葉は、非エルフ族との協力もしくは「共謀」を許さないため、他のラノワールの者たちが熱心に孤立主義を守っているか監督していることで知られている。ある時、他者との交際を理由に自らの民を反逆者と考え、掟が剣と矢を向ける…これが想像の領域のみにとどまっているとは限らない。

自分たち種族の保存にかけるこの熱狂さ。鋼の葉はラノワールの守り手なのだろうか――それとも死刑執行人か?

   
   
    Taysir's Journal Part4
   
自分の若かりし頃を思い返すたびに、自分の犯した愚かな行動一つ一つがはっきりと分かる。それぞれが金剛石のように輝くので、いくらかは誇れる、もしくは賢明であった行いからも心の目をそらさせる(誓っていうが、幾つかはそういった行動もあったのだ! まあ、多くはないだろう。しかし、いくらかは)。過ちというのは、なぜにこうも記憶の中ではっきりと残るのだろう?

一般的には、歴史に注意を向けない者は同じ事を繰り返すという。これは本当だろうか? おそらく腹黒い振る舞いや愚かな行動の神秘的な華々しさが、かつて犯してきた過ちを繰り返させるのだろう。他のものが失敗したとしても自分ならば絶対に成功するという考えには、確かに誘惑や挑戦のしがいがある。だからこそ、我々は失敗という名の輝く宝石を手にするのだ。

何年か前のジャムーラの地での3人の魔術師を見ると、私の行った若き日の過ちを見て取れる。マンガラ、ジョーレル、ケアヴェク。プレーンズウォーカーではないが、かの魔術師たちの嫉妬、不安、そして欲望は、私自身のものとさして変わらない。私の養女、ダリアに聞いて見てくれ! 彼らの強き力、そしてその行いゆえに、全ての人々と文化を巻き込んだのだ。

無名という影はしばしば力の栄光を求める者を守ってくれる。だからこそ、失敗は歴史の中で暗く輝くのだ。続かんとするものへの明々とした警告として。