なにかだまされているような気になるでしょうから、この辺りをもう少し詳しく 説明しておきます。何かを観測するというはどういうことでしょうか。もし何も ない空間の中をただ粒子が進んでいるだけであれば、その粒子は全く観測できま せん。たとえば「物がそこにある」ということを観測するためには、光をあて、 跳ね返ってきた光を見なくてはいけません。今考えている実験の場合では、光が 飛んでいるのを観測するわけですが、そのためには何かに光を当てなくてはいけ ません(何物にも当たらない光は全く観測できない)。しかし、もしその観測装置 (別に装置でなくても、そこに光があたったことがわかるようなものであればな んでもよい)に当たることによって、光の進む方向などが変わってしまいます。 干渉縞ができるのは、二つの(本当は一つの)光の強めあいや消しあいのおかげで すが、観測装置との相互作用が光の状態を変えてしまうため、光が強めあうか弱 めあうかという条件が崩れてしまい、縞は見えなくなってしまいます。
結局、観測装置の存在が現象を変えてしまうため、こういうことが起こるわけで す。この現象を、量子力学の世界では、「観測装置を置かなければ二つのスリッ トの両側に広がっていた粒子が、観測装置を置いたことで一方に収縮してしまっ た」というふうに考えます。これを「波動関数の収縮」と呼びます。
今までの話からすると、人間が観測しようとするかしないかで、物理現象が変わっ てしまうということになります(実際、実験ではそうなってしまうわけです)。ま た、実際に観測するまでは、どっちのスリットにいるかは全くわからないことに なります(50%ずつの確率で両方にいる)。普通の(量子力学以前の)科学において は、人間が観測しているかどうかなどということは、現象には何の影響もおよぼ さないと考えるのが普通でした。しかし、量子力学の世界ではそうはいかなかっ たのです。
これはたいへん奇妙なことで、20世紀最初の頃の物理学者たちはみな、「こんな おかしなことが起るはずがない」と考えてなんとかこの解釈から逃れる方法を考 えようとしました。アインシュタインなどはその急先鋒で、なんとか現象を確率 的でなくする方法を考えていました。「神様はサイコロを振らない」というのは 彼の有名な言葉です。しかし残念ながら現在まで、確率的でなく光がどっちを通 るかを予言できる理論はありません(実験と矛盾しない理論は、「一つの光子が 両方を通る」というものだけ)。
このような量子力学の奇妙さを表す例え話として、シュレーディンガーの猫とい うものがあります。いまある箱の中に放射性元素があり、ある確率で放射線を出 すとします(これも確率的にしか予言できません)。そして放射線が出ると放射線 感知器が作動し、感知器に結び付けられた毒ガス発生器からガスが出て、猫が死 ぬとします。つまり「放射線が出る→ガスが出る→猫が死ぬ」というのが一連の 因果関係を持ってつながっているとするわけです。さて量子力学の予言によれば、 観測するまでは放射線が出たかどうかは不確定であり、「放射線が出た」と「放 射線が出なかった」の重ね合わせの状態にあると考えなくてはいけません。する と、毒ガス発生器も「ガスを出した」と「ガスを出さなかった」の重ね合わせと なります。当然猫も観測する前は「生きている」と「死んでいる」の重ね合わせ だったと考えなくてはいけません。
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この気持ち悪い重ね合わせ状態は、観測してやると解消してしまいします。猫の 場合には、生死を確認するとどちらかの状態であることがわかり、中間状態は見 えません。複スリットの場合に、どっちを光が通るかを何らかの測定で決めると、 上か下か、どちらかの状態に限定されてしまい、干渉がなくなったのと同じこと です。猫の場合でも光子の場合でも、状態を観測したとたん、どちらか片一方の 状態に変化してしまうのですが、誰も(何も)観測していない場合は重ね合わせ 状態のままでいられます。光子の場合は「誰も観測しない」ことは可能ですが、 猫の場合、生きていれば鳴き声もするだろうし、息も吸ったり吐いたりするだろ うし、ごそごそ動き回ったりするかもしれません。死んでいたら死んでいたで臭 いもするかもしれません。そういう兆候を観測されてしまうと生死を観測したの と同じですから、収縮した状態しか見ることができないというわけです。
じゃあいったいどういうメカニズムでこの収縮が起きるのかについては説明があ りません。さらにたいへん不自然なことには、この波動関数の収縮は他のあらゆ る物理現象とは全く違って、瞬間的に(超光速の現象として)起こります。この あたりも、アインシュタインが量子力学を嫌った理由の一つです。
「シュレーディンガーの猫」における、「いつ収縮が起ったのか」に対する回答 としては、別の解釈があります。「猫が生と死の重ね合わせであるように、観測 している人間も猫が生きていると観測している人間と、死んでいると観測してい る人間の重ね合わせになっている。ただ彼は自分にもう一人の自分が重ね合わせ になっているとは感じていない」という考え方で、この考え方では「何か観測が 起るたびに宇宙が分裂していく」という壮大な考え方をします(多世界解釈と呼 びます)。
あくまで重ね合わせで考える解釈に従うならば、我々が生死の重ね合わせを見な い理由は、「我々が見た時には収縮が起ったあとだから」ということになります。 第2の解釈(多世界解釈) に従うならば、「我々は猫が死んでいる宇宙か、猫が 生きている宇宙か、どちらかにいるのだから、重ね合わせなど見ることはできな い」ということになります。多世界解釈では収縮という不思議さは減りますが、 たくさんの宇宙が一度に並列して存在しているという不思議さが残ります。どち らの解釈でも現実を説明することはできるので、どう解釈するかは現在のところ、 人の好みの問題であるとも言えます。