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私の留学生支援活動
当会の会員は、東京外国語大学の卒業生・教職員を中心に、府中市民など地域の人々、その他さまざまな分野の方々が参加され、留学生支援活動をすすめて頂いています
このページでは、そのなかでもユニークな活動で、当会の活動を支えていただいている会員の活動をご紹介しています。
●元留学生の結婚祝いにタシケントへ/西原夫妻
●地域住民として支援する舘浩道さん
●留学生のテンプルステイを続ける松下宗柏さん
●「お寿司食べよう会」で奮闘する五十嵐さん
●元留学生の結婚祝いにタシケントへ/西原夫妻
新潟県長岡市の西原辰雄・美智子ご夫妻は、2002年夏に、ウズベキスタンの留学生キム・アンナさんをホームビジットとして受け入れました。そして日本語の研修のため2005年秋に2度目の来日をしたキム・アンナさんと伊香保温泉で1泊し、温泉を楽しみました。
2006年4月、アンナさんから「結婚する」との電子メールが届き、驚きと喜びの西原ご夫妻はシルクロードのオアシス都市、『中央アジアの首都』とも呼ばれているタシケントへ向かいました。以下は、ご夫妻による元留学生の結婚式参列の様子です。
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新婦の元留学生アンナさんと新郎は祝福のライスシャワーを浴びて結婚式場へ


(右から) アンナさんとお父さん、西原夫妻
ウズベキスタンのタシケントへは約8時間のフライトで、韓国、中国、ゴビ砂漠、天山山脈上空の旅を楽しみました。機内の日本語通訳は偶然にもアンナさんの生徒さんだったロシア人でした。
タシケント空港には、アンナさんと弟のアントンさんが出迎えてくれました。
タシケントの町は、道路が広く、路肩には背丈が30b程のプラタナスなどが整然と植えられていて、とてもきれいでした。地元民が通う美味しいレストランで、シャシリク、ラグマンという料理を楽しみましたが、どちらも絶品です。
食事後に訪問したアンナさん宅では、お母様のナタリアさんの指揮のもと、食材が山のように積まれたなかで結婚式の料理の下ごしらえの最中。ロシア語が飛び交っていました。
翌日の結婚式は、まず、新郎(ユンさん)が新婦(アンナさん)を自宅に迎えにゆき、新婦宅で互いの家族紹介をする。お祝いの食卓を囲むという順序で始まります。
ところが高層住宅の3階にあるアンナさん宅に新郎がたどり着くまでには数々の関門が待ちかまえています。たとえばたくさんの子どもの写真のなかから新婦の写真を当てないとドア入口のテープカットのハサミがもらえないとか、また難関をクリアして3階にたどり着いても、お金を払わないとドアの鍵がもらえないとか、新婦がどこかの部屋に隠れていて、入り口に"2000"と値札が張ってあり、お金を払わないと部屋に入れなかったりなど、新郎は、新婦を迎えるために知力と体力とお金が必要でした。もちろん友人達が用意した「難関」です。
親族間の食事の後は市内の日本庭園で新郎新婦や友人等とビデオや写真撮影が行われました。新郎新婦はライスシャワーの中、颯爽とリムジンに乗り込み日本庭園に向かいました。
夕方5時頃から市内のホールで日本でいう披露宴に相当するパーティーが開かれ、これが夜11時過ぎまで続きます。昨晩アンナさん宅で調理されていたごちそうも整然と卓上に並べられていました。参加される人数は親戚、知人、勤め先の上司など250名以上でホールは人であふれんばかりになりました。
式は、朝鮮舞踊団に囲まれながら、新婦がお父様に、新郎はお母様にエスコートされて入場するかたちで始まりました。新郎、新婦着席後、神父様の祝福を受け、夫婦の宣誓をしてから指輪を交換します。神父様の祝福は韓国語でしたので、ロシア語に通訳されます。新郎のユンさんは韓国釜山のご出身です。会場はロシア語、韓国語、日本語が飛び交っていました。
パーティーでは、友人達が趣向を凝らし、美人コンテスト、美男コンテスト、ダンスコンテスト、プロの歌手による歌や踊りなど、大変にぎやかでした。
ウズベキスタンの伝統的な踊りは日本の阿波踊りに似たような振り付けでした。また、若者達はディスコ風に激しい曲で踊りまくっていました。このようなにぎやかなパーティーでしたが、私どもにとってはいささかハードな結婚式となりました。
新郎新婦は事前準備から忙しかったはずなのに最後までサービス精神旺盛で、疲れをまったく感じさせませんでした。とにかく、新郎新婦を祝福する人たちに囲まれた、愛あふれる結婚式でした。私達も彼らの幸せを少し分けていただき、感無量でした。
ウズベキスタンでは、一生に3つの大きな祝いをするそうです。1つ目は1歳の誕生日のお祝い、2つ目は結婚式、3つ目は還暦のお祝い(子どもが親にするお祝い)です。アンナさんのお父様が話してくださいました。また、結婚式は新郎新婦の出身地でそれぞれ行う習慣があり、その後、新郎ユンさんの出身地釜山でも結婚式を行なわれ、約300人が集まったそうです。
ウズベキスタン…そこには私ども日本では姿を消そうとしている、本当の「家族」の姿がありました。
ユンさん、アンナさん、末永くお幸せに!
西原辰雄・美智子
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●地域住民として支援する舘浩道さん
東外大が府中に移転した時から、地域住民の一人として、さまざまな支援活動に取り組んでいます。
最近は中古の自転車を留学生に貸し出す活動をはじめました。
また留学生を自宅に招く、ホームビジットも引き受けています。(府中市紅葉丘在住)
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留学生のホームビジットを受け入れた時の様子
元旦にファニー・ウー(カナダ)とタナワン(タイ)の2人の留学生の2回目のホームビジットを受け入れました。
まず、午後に東外大へ孫娘たちと迎えに行き、大国魂神社に初詣。神社は初詣客が殺到しており、参拝するまで約1時間の行列待ち時間となり、タナワンは少し寒そう。日本人の年頭の参拝の習慣について話す。参道の屋台では甘酒、たこ焼き、その他様々なものが売られており、二人は「あれは何ですか」を連発。ようやく賽銭を投げ入れて、それぞれ年の始めのお祈りです。その後、冷えた身体を甘酒で温め、電車で我が家へ。
我が家では、日本の伝統的なカードゲームで有名な「小倉百人一首」で遊びました。7世紀から13世紀の間に読まれた百人の歌人から一つずつの和歌を藤原定家が編纂した「百人一首」の由来、いくつかの歌の意味、尾形光琳による札の絵についての説明に興味を示してくれました。実際のゲームでは、日本語を勉強中の留学生といえども馴れない知的遊びで、孫娘たちに遅れをとってしまいましたが、それでも数枚ずつの札をとることが出来たようです。クイーンはもちろん11歳の孫娘(長女)でした。
お正月のお膳の用意が調いましたので、席に案内したところ、まず箸袋に留学生のそれぞれの名前が書かれて用意されていたことにびっくりした様子。盛んにデジカメに収めておりました。
そして我が家の6人家族と乾杯。「お重」の料理や、「雑煮」、お寿司も喜んで口に運んでくれました。食後は、少しゆっくりしながら、お正月のことや日本の習慣や昔の日本人の暮らしなどについて話し合いました。
ホームビジットはもちろん留学生のためのものですが、受け入れて気づくことは、子どもたちにとってもふれあいを通して国際理解が深まるのでとても良いことだと思っています。次回は、サクラの咲く4月頃に来ないかと誘って、寮まで送り届けました。(舘 浩道)
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●留学生のテンプルステイを続ける松下宗柏さん
2006年の夏、当会のアレンジで2人の留学生が沼津市のお寺にホームスティしました。
引き受けていただいたご住職の松下宗柏(まつした そうはく)さんは、東京外国語大学英米語学科卒(1972年)で、JETROを退職して住職となられた変わり種。荒れていた寺だった長興寺を再建されたそうです。
お寺でのホームステイの様子が地元紙の「沼津朝日」(2006/09/23付)で取り上げられていますので、転載します。
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二人の留学生
松下 宗柏
八月末、東京外国語大学の国費留学生である二人の男子学生が、当寺に滞在した。
まず、六月にモンゴルの首都ウランバートルから来た内気な感じのトゥシー君。お父さんは医師、お母さんは銀行員で、日本語を一年間勉強した後、一橋大学の経済学部に入学するのが希望だという。
モンゴルには海がないからと、毎朝、原の海岸を散歩していた。御用邸記念公園に案内すると、庭園で、そよ風に色々な音色を奏でる風鈴に興味津々であった。
次いで、西浦の木負に向かい、馴染みの喫茶店で香ばしいハーブティーを楽しみ、海辺にあるべンチに座った。私は、里帰りが間近いというスカンジナビア号と別れを惜しんだが、トゥシー君は夕日に光る海を見つめていた。
そして、「海は広くて素晴らしい。海に浮かんでいる鳥は平和そう。大学の寮の部屋にだけいると心が小さくなる」とつぶやき、「モンゴルの空は青く澄み切っていて、とてもきれいです。いつも夜には、たくさんの星が輝いています」と教えてくれた。
翌日、スイスのローザンヌ出身の、活発で好奇心旺盛なジュネーブ大学生のダビツド君が到着した。日本語が流暢で社交的、なかなかの好青年だった。
この十月には一年の留学を終え帰国するので、「青春18キツプ」を最大限利用して、青森のねぶた祭りや恐山、京都の大文字焼き、そして富士山と精力的に旅行中。
お父さんはギリシャ語とラテン語の教師で、三船敏郎や小津安二郎といった日本映画の大ファン。だから、彼も子どもの頃から日本語に親しみ、宮沢賢治、井上靖などの現代文学や宮崎駿、松本零士などアニメにも詳しかった。
沼津ゆかりの文学者、芹沢光治良がローザンヌに滞在したことがあると知って感激していた。
夜、二人は歩いて千本へ行き、サンセットページェントの花火を楽しんだ。感想を聞くと、ダビツド君は、ジュネーブのレマン湖の畔でも花火大会があるが、モーツァルトなどのクラシツク音楽に合わせて打ち上げられるという。ヨーロッパ人は芸術性を求めるからだと。
寡黙なトゥシー君が雄弁に話した時があった。それは三島の竜沢寺でのこと。
私は玄関で「転両輪とは、仏法の輪と経済の輪を転回していくこと」、線香の香りが漂う本堂で「妙智力とは、人間に具わっている素晴らしい智恵のカ」「大悲殿とは、慈悲の菩薩・観音様の御殿」などと額や掛け軸にある漢字の意味を説明した。
三人で畳に座り込み一休みした。ダビツド君は電子辞書に入力していたが、トゥシー君が目を輝かせて堰を切ったように話し始めた。
「ダライラマ法王がウランバートルに来たことがある。私はお説法を聞き、体に触れてもらった。著作を何冊か読んで、慈悲と智恵の教えを学んだ」「おじいさんは信心深く、念珠を繰りながら真言を唱え、お寺参りに連れて行ってくれた。常に謙虚にして相手を敬うようにしなさいと教えられた。おじいさんには感謝している」と。
トゥシー君は、その日の午後、「来年、桜の花の咲く頃、また来ます」と言って、沼津駅北口から高遠バスで東京へ向かった。ダビツド君は翌日、三島のFM放送にゲスト出演した後、東海道本線に乗って旅立った。
今、日本はもちろん、世界中が神も仏も、祈りも誓願もないという世俗主義や、モノとカネの物質文明の波にさらされている。その中で、教養豊かで明るいダビツド君、大自然を愛し人の心を大切にして宗教心あるトゥシー君に出会い、人間社会の活路を直感し、安心した。 (長興寺住職、大塚本田)
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