旧満州(現中国東北部)


  日本の東北地方と混同しないように、「東北部」とか呼んでいます。  かつて、日本が中国を侵略し、中国の東北部に勝手に「満州国」を作り上げてしまいました。これが、太平洋戦争の重要な原因の一つとなり、敗戦という高い代償を払わされたのです。
  当時(昭和初期)の日本は非常な不景気に見舞われ、多くの日本人が新天地を求めて、「満州国」へ渡りました。日本軍部の積極的な指導があったことも見逃せません。当時の、日本政府の国策に則り、多くの日本人が「満州国」で仕事に就きました。「満州国」で実際に仕事に就いていた日本人の多くは、年齢的に言って、故人になっています。終戦時に乳幼児だった日本人のかなりは、現地で死亡するか残留孤児になりました。終戦時に小学生や中学生であった日本人は、苦労はしましたが、日本へ帰国してそれぞれ活躍しています。
  最後のグループに属する人たちは、日本人が中国人に与えた多大な迷惑のこと(自分たちはあまり関係していないとの気持ちがどこかにある)よりも、少年時代、少女時代をそこで送ったことの懐かしさの方が先になるようです。現在の中国人が暖かく迎え入れてくれることに甘えて、良き昔を思い出すために、在学していた学校や住んでいた住宅を訪問する日本人が多いようです。
中国東北部(旧満州)の概要です。私が住んでいた場所が○印で示されています。   

葫蘆(ころ)島は、多くの日本人(私も含めて)が、ここを経由して日本へ引き揚げたため、特に入れてあります。  
葫蘆島からの日本人の引揚げの記録映画が、長春(旧新京)から引揚げた私の同窓生でシナリオ作家の故国弘威雄氏によって作られました。


 

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