歌集「でんぐるま」
昭和45年ー49年
【日暮の海】
虹消えて晴れたる空の尖り峰積りし雪の夕映え保つ
昼すぎの冬日の差せる浜部落遠き入江にかたまりて見ゆ
暖かき霞になべておぼろなる海に盛り上る三原山のかげ
式根島見えし頃より曇りきて海は日暮の紫の色
下りつつ右に曲りゐる舗装路の陽炎の中に真白きライン
【月の暈】
薄曇り暈ある月の右下に淡き光もつ夜の飛行雲
我が上を宣伝飛行機過ぎしより言ふ声間のびして遠離る
心通ふのみに交はり我が狭く生きゐる術も安心ならず
【雪を踏む音】
風邪ひきて我が寝てあれば暗みきて凍てし日暮の雪を踏む音
誤字のなき便箋三枚力強く書きある事のみな明朗なり
ためらひつつ小さき声に言ひし汝の心を素直に我は喜ぶ
窓に吹く風ありて月のかげつよし君を知りはやきひと月は経ぬ
とつぎくる不安を言ひし君が姿バックミラーにまだ見えてゐる
何をしてゐるか雪降る午後八時灯点す君の窓に来たりぬ
混みあへる夜の電車の窓ガラスうつる互の眼差あひぬ
薔薇の花垣にめぐらし君の住む家に静かに降る午後の雨
【奄美の島】
離陸してしばらく機体傾けるままに雲を突き抜け昇る
午前三時汝のやすけき息の音冴えたる月の窓に差し入る
森の木々照らして月の上りゆき夜更けて峡の遠き水音
波に乱れ漁火一列遠ざかり島の向ふに月出づるらし
朝の霧段なし流れくる岬濡れたる岩に汝とたちたり
朝霧の流れゆく先に連なるは石積む垣と屋根低き村
巻雲と海の隙間に突き出でしあやまる岬を包む白波
【通夜】
通夜の誦経聞きつつ我はどうしてもうとまれてゐる感じが去らず
母に似て叔父叔母顔の色黒し髪を染め眼鏡かけ金歯がひかる
ただひとつ階下の和室この部屋は病む日のために叔母はつくりし
【変化】
髪を洗ひ風に吹かれてゐる汝に右より早き夕月の差す
夜半過ぎの地震に目覚めて起きゆきし妻が厨に水を飲む音
サングラスかけて帰り来る汝は陽炎の中をゆらめきて来る
娶りてわづかなる月日にかはりたる我をいろいろに言ふ人の声
慣れてしまへば仕事はいづれも単調なるものをかの時思ひつめゐき
何事か変化あるらむ予感して勤めむ今朝も家出でてゆく
【雀おどしの音】
圧搾銃に鋲を打つ音響きゐて干拓地の日暮れ茄子色の靄
岸壁を離れむとする黒き船ながくかかりて向きをかへをり
駅の階段に書かれし色つき宣伝文字踏みつけてあまた人の上りゆく
少しつよくネクタイを締めて雨の降る朝の駅に我は人を待つ
霞だち午後しづかなる山畑に雀おどしの音の爆けぬ
風止絶えはやく曇りてくる空に鳶の声村に豆腐売る笛
我が知恵に計り難き身の回り四緑木星凶といでたり
【胎動】
髪を束ね頭小さくゐる汝のつはりの日々の過ぎたるらしき
胎動のあるをしきりに言ひをりし妻がはやくも寝息をもらす
運命と思ひ諦めしひとつには我に嫁ししを含むや汝は
出産予定日過ぎゐる妻の足の爪今朝は素直に我が切りやりぬ
分娩室に入りし妻を見届けて顔洗はむと廊下を戻る
昭和50年―54年
【鋳物工場】
ルツボより熔けしアルミを汲みあげて鋳型に注ぐ間言葉を絶ちぬ
飛散して丸く固まりし湯玉の上フォークリフトに鋳型を運ぶ
ひと夜経て未だ熱もつ熔解炉張り替ふる煉瓦もち昇りゆく
湯玉浴び肌に負ひたる火傷の跡の一つふたつは誰にでもある
自動化されし鋳物工程にただ一人アルミ製防熱服着て鉄を注ぐ
型砂の焼けゐる匂ひ湯玉踏む地下足袋のゴムの焦げゐる匂ひ
鋳残してインゴットに流しゆく鉄が夕暗き工場に光を放つ
型を込む鉄を鋳る鋳型の砂落すなべて百米のコンベア−の上
降りかかる湯玉浴びつつ取鍋に真赤く熔けし鉄を汲みゆく
出湯を告ぐる電鈴響きシャツを脱ぎ長き杓を持ち集りて来る
炉の温度上りとけゆく鉄塊が火の色となり沈み始めぬ
熔けし鉄は運ぶ杓より溢れたりこぼれしは必ず高く飛び散る
砂埃激しき熱気飛ぶ湯玉恐れてゐては仕事にならぬ
工場排水に生かされてゐる池の金魚立札は記す魚齢三歳
鉄を鋳る傍を防塵眼鏡かけ両腕に煉瓦をぶら下げ運ぶ
柄の長き杓にくむ赤々と熔けし鉄腰低くして鋳型に注ぐ
語尾ながくのばしてマイクに人を呼ぶ声が鉄鋳る工場にひびく
鋳込場の蒸るる空気に息つめて湯玉よけつつ煉瓦を運ぶ
【煉瓦倉庫】
縫ひ合せ尚張り合せ幾重にも包装されゐる米国産ベントナイト
乾燥し袋に詰めし鋳物砂光透き入る倉庫に積みあぐ
売り惜しみ在庫せし日の白煉瓦売れざるままに下積みとなりぬ
風通し悪き倉庫に積み置ける煉瓦をしばりし縄腐りたり
荷を降し窓を閉めたる倉庫の中トラックのバネの弛みゆく音
屋根打ちて降る雷の粗き雨倉庫に雨の匂ひ満ちたり
人の指図のままに物言ひ荷を運び責任少なき今日の終りぬ
包装し無人コンベアーに流れくる荷を積む我はひとり倉庫に
湯玉浴び焦げ穴あきし作業衣のままに帰りぬ残業をして
足重く疲れて寒き午後八時トラック仕舞ひし倉庫を戸閉す
裸電球点る倉庫に帰り来て熱もつタイヤに輪止めを噛ます
電動シャッター上りし倉庫深ぶかと差し入る朝のやはらかき光
ひび割れてまだらになりゐる安全靴脱ぎし我が足汗にふやけゐる
シャツの袖まくりトラックに積む煉瓦強く触れあひ火花を発す
雨にはかに激しくなりし午前四時倉庫を開けてエンジン始動す
【トラック】
荷を納め軽くなりたるトラックに帰るは我と受取手形
朝日に向ひゆく我が車の前窓のガラスに虹に似たる色むら
クラッチを踏む左側の靴の底右より早くひび割れてくる
ラジオの音量あげて窓入る風を受け納品済まししトラック走らす
荷を積みてトラックに走り来し夜の夜明けて富士の見え始めたり
トラックを停めて寝てゐし一時間に晴れて三日月前窓に見ゆ
朝明けて路肩の草の露光る国道一号金谷の峠
赤旗並べ労働歌うたひゐる真中をトラック進める納入業者吾
煉瓦納め帰る高速道路二百粁我が乗るトラック今日から新車
パンクせしタイヤ取り換へゐるあひだ光差しつつ虹のたちゐし
寝転びて目薬を差すトラックの前窓高くたつ夕の虹
吹き出でし夜の季節風に右ひだり押さるるトラックを運転してゆく
五十分眠れば必ず目が醒めるトラックをとめては仮眠する癖
背もたれの形に汗の滲むシャツ配達終りて我は脱ぎたり
我が積んで走る煉瓦は八百丁伝票に「至急」のゴム印三つ
【トラック(その二)】
荷台のシートが風になびく音夜のトラックにひとり乗りゆく
トラック停め休むひととき靴を脱ぎ素足を窓吹く風につき出す
トラックに煉瓦積み置き我が帰る明日走りゆく道順をメモして
日かげれば寒きトラックの窓閉し国道一号大井川渡る
信号待ちの我が運転台に投げ行きぬ北方領土返還要求のビラ
疲れて視力弱る夕暮れ運転し過ぐる町並色彩乏し
雷低く近づく朝雨の中を幌をはりたるトラック乗り出す
【おづおづと】
おづおづと口ごもりながら物言ひて結極この人に嫌はれてゐる
予期せざる言葉に戸惑ひ口ごもり頬熱くなりて部屋を出できぬ
脱硫して清しと宣伝する排気黄砂の空へ流れゆきたり
今日我は残業となるらむ熱下り意識戻りし子の傍を立つ
【入院】
望楼のテレビカメラが回転し東向く時光を返す
病みふして心緩みてゐる夜明け硝子鳴らして地震すぎゆきぬ
問はれつつ押へられゐる上腹部痛くて我は答が言へない
全快して退院する者ここに居ても治らぬと言ひて出でてゆく者
幼児の昼寝してゐる傍に癒えて帰りし体横たふ
【海】
曳き船とひかれゆく舟波のなき入江にふたつの水尾重ねゆく
つづきゐし雨の漸くやみし海二十分ほど照りて日暮れぬ
うす曇る中に小さく浮く冬日雁のひと群横切り過ぎぬ
倒産せし船渠の起重機立つ方に日蝕の日は傾きゆきぬ
海面に影を落して移る雲岬の山をひと息に越ゆ
昭和55年
【母・むつ子】
真赤なる手の平かざし見てゐし母何も言はずに眼を閉ぢぬ
口ひらきいびきをかきて眠る母胸に置く手の紅斑あかし
母の癌を告げられ眠れぬ長き夜の夜明けてなべての窓開け放つ
夜明くれば限られし母の命また一日少なくなりにけるかな
隣室に痰吸引の聞ゆれば母病む部屋の窓を閉ざしぬ
助からないなら家の畳で逝かしめよと言ひし言葉に我は苦しむ
またひとり亡くなりたりと寝たきりの母が気配を察して話す
死んでも母は地獄へなんかいくものか地獄の如き世を生きたれば
雷過ぎて窓開け放つ病室に雨の匂ひを母は喜ぶ
眼鏡と入歯今朝は外して眠る母かなしきまでに媼さびたり
心電図かすかにかすかに脈打てり息絶えましし後四十秒ほど
人工呼吸施されつつ七分間乱れに乱れし呼吸止りぬ
髪乱れ黄疸に染まり息絶えし母の額を我ぬぐひつつ
わが手ふるへ亡骸となりし母に寄り口紅を薄くうすくひきてやる
息絶えて体温残る我が母の解剖室へ運ばれゆきぬ
亡き祖父に並べて母を掲げたり父貧しくて写真残らず
誦経して我が心足るひとときよひたすら勤めきぬ人に素直に
【未組織労働者】
消耗品のごとき我らの使はれ方を真剣にいきどほりし日はなかりしか
出向社員を工場長に迎へたるこの得意先物売りにくし
やめゆきし老鋳物師が工事現場で交通整理の旗振りてゐき
納品の我にも声かけふいご祭祝ふ御神酒を注ぎてくれぬ
個人企業の未組織労働者我らはただこらへこらへて勤むるのみか
抑揚乏しき口調に勤務の不満言ふ君に代りて居残り受けぬ
汚れし足バケツに浸し洗ひつつ明日の早出を頼まれてをり
【飛行機雲】
暮れ残る伊吹の上を越えてゆく戦闘機鋭く夕光返す
形崩れ拡がりてゆく飛行雲小豆の色に夕焼け保つ
戦闘機がしばしば南に飛ぶ日暮高き余光にあまたの飛行雲
水平線に朝の日を受け垂直に飛行機雲はたちあがりくる