| ■ 税理士試験物語 ■ 2004.5.18〜2004.5.29に「所長の自由帳」に掲載したものです。 |
| ■序章 2004.5.18 |
最後の税理士試験が平成12年8月でしたから、それから4年になろうとしています。早いものですね。 このサイトを見ている受験生がいるのだろうか? アクセス数がまだまだ伸び悩んでいますから、いたとしても数少ないでしょうが、少しでも参考になればと思い、またどこかに思い出として残しておこうとの思いで、決意しました。 そうです。今更、税理士試験受験時代のことを書くのです。 私の記憶がどこまで確かであるかは保証できません。それと、10年もかかってしまいましたから、決して自慢できる程のものではありません。ですが、一年一年思い出しながら勉強方法等を書いてみたいと思います。昔の話ですから、試験の制度等が変わっている点もあるかもしれませんので、鵜呑みにはしないで下さいね。 【受験経歴】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (大学生) 平成 3年 ○簿記論、×財務諸表論 平成 4年 ×財務諸表論 (会計事務所勤務) 平成 5年 ×財務諸表論 平成 6年 ○消費税法、×財務諸表論 平成 7年 ○財務諸表論 平成 8年 ×相続税法 平成 9年 ×相続税法 平成10年 ×相続税法 平成11年 ○相続税法 平成12年 ○法人税法 【受験回数】 簿記1回(独学で受験)、財表5回(うち、独学で受験が4回)、 法人1回(専門学校を利用)、相続4回(専門学校を利用)、消費1回(専門学校を利用) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
| ■受験を決意 2004.5.19 |
私が税理士試験を受験しようと決意したのは、大学2年の時(平成2年)でした。 それまでは、日商の簿記検定1級を目指して、その先はどうしようかとも考えていませんでしたが、私よりも半年先に1級に合格した友人が税理士試験を受験するとのことで、触発されたのでしょう。 無理もありません。1級目指している時も、その友人に負けないように頑張ってきたわけですから、その友人が税理士試験を受験すると言ったら、私としては受験しないわけにはいかなかったのです。 当然、その時は税理士の仕事なんて何にも知りませんでした。難しい試験だから、その先(合格すれば)には何か良いことがきっとあるだろうという、凄い安易な考えでした。 そんなことで、初めての受験は、大学3年(平成3年)のことです。 |
| ■1年目の夏 2004.5.20 |
初めての受験は、大学3年の時です。 確か立教大学での受験だったと思います。受験科目は簿記論、財務諸表論で、簿記論のみ合格でした。 勉強方法としては、とにかく学生の身分でお金が無かったので、ほぼ独学です。それでも、日商簿記検定1級合格の直後だったので入り込みはかなり楽でした。 大学での講座にも出席して、あとは専門学校○原の問題集を利用していました。試験直前には、簿記論の総合問題集を2回づつ解いたような気がします。 簿記論は、似たような問題でも全く同じ問題は出題されませんので、本番で焦らずに、問題をよく読むということと、時間配分が重要だと思います。 とにかく全部解くことが不可能だと分かっていたので、最初に時間配分を決めて、時間になったら次の問題を解くようにしました。どこに配点がくるのかということも研究して、点数稼ぎをするような気持ちで解きました。 財表に関しては、今思えば勉強方法が甘かったですね。その後も独学が何年か続くのですが、「専門学校なしには合格はあり得ない」と言っても過言ではないと思います。 大学生でも専門学校にも通うという、いわゆるダブルスクールだった人が羨ましかったです。それでもそういう人達からの情報がかなり役立ちました。受験雑誌も大学の図書館にあったので利用させて頂きました。 暑い夏真盛りの時に帰省もせずに、大学の図書館でひとりで勉強していたのがつい最近のように思えます。(懐かしぃ〜) |
| ■2年目の夏 2004.5.21 |
2回目の受験は、財務諸表論のみです。結果は不合格。 勉強方法が確立できていませんでしたね。それと、この年は、就職活動も兼ねていました。 受験浪人もしたかったのですが、これ以上親には迷惑をかけられないという気持ちがあったので、自然とその道は閉ざされてしまいました。 あとは就職先です。いくつか会社訪問をさせて頂いたのですが、やはり自然と今の道に入り込んでいってしまったという感じでしょうか、会計事務所への道を選んだわけです。 ある銀行さんからも内定を頂いていたのですが、この道に入り、仕事をしながら受験を続けると決意したのもこの時期でした。ゼミの教授にも相談しましたし、かなり悩んでの決断でした。 |
| ■3年目の夏 2004.5.22 |
3回目の受験は、社会人1年目の夏です。 受験科目は、財務諸表論のみでやはりダメでした。 自分のお金が自由に使えるようになったのが、この年の4月以降ですから、まだ独学が続いたのです。 それと言い訳になりますが、仕事を覚えたり、人間関係に慣れたりすることで精一杯でした。 仕事をしながらの受験もまだまだ慣れませんでしたが、就職してからは、受験している先輩や、既に合格した先輩もいましたので、勉強方法や精神的なこと等をかなり参考にさせて頂きました。中途半端な気持ちでは絶対にダメだということが、この頃からようやく分かり始めました。 |
| ■4年目の夏2004.5.23 |
4回目の受験からようやく専門学校の力を借りることになりました。 財務諸表論の勉強はかなり飽きが出てきていたので、思い切って消費税法を選び、専門学校○原の通信講座を申し込みました。失敗しない為にも比較的ボリュームの少ない科目を選んでみたというわけです。 受験地は、初めての地元群馬(高崎経済大学)での受験です。 消費税法と財務諸表論の受験だったのですが、財表は何も勉強をしないでの受験でしたので当然ダメでしたが、消費税法は合格できました。 消費税法の試験の直前が財表だったので、試験の雰囲気に慣れるという意味では、財表の受験は無駄では無かったと思います。当時は何科目受験しても受験料は一緒でしたから。 3年振りの合格でかなり興奮していました。高いお金を払ったのだから絶対に合格してやるという気持ちが強かったです。 当時(平成6年)の消費税法は多分、今の試験よりも易しかったと思います。 計算で最後の納付税額が合わせられたのが良かったですね。 理論は、初めての税法科目受験で暗記方法や、どの程度まで暗記したら良いものなのかが分からなかったので、今思えば運が良かったと思います。 実は理論の問題は、暗記しなかった問題が出題されました。問題を見た瞬間にヤバイと思って、計算問題から先に解いたら、その計算問題がかなり早く解き終わったので、あとは、理論問題を自分の言葉で、計算の知識等を思い出しながら書いていきました。専門学校でもノーマークの問題だったのでその程度で良かったみたいです。本当に運が良かった。 |
| ■5年目の夏 2004.5.24 |
5回目の受験は、また財務諸表論に戻りました。 昨年の消費税法合格で勢いがあったと思います。それと、社会人生活にも段々慣れてきました。 財表としては初めての専門学校利用です。受験経験があったので、○原の上級の通信講座を選びました。 専門学校を利用するとこんなに楽なものなのかと実感しました。今まで独学でいろいろな知識がバラバラに頭の中に入っていたような感じだったのが、専門学校を利用して頭の中の整理が出来ました。 財表は、理論の試験委員が学者なので、その学者の書いた本も勉強しないとダメだという人もいるのですが、すべて専門学校の言うとおりにやりました。ですから、他の教材は一切使用していません。 この年も運が良かったんですよ。試験会場で試験が始まる前に見ておいた理論問題がそのまま出題されたのです。試験委員の特徴のある問題だったのですが、「専門学校は凄い!」と思いました。どこからか情報が漏れているのでは、なんて疑いたくなるくらいです。 そんなことで、これで5科目のうちの半分以上の3科目に到達できたわけです。5科目目が何となく見えてきたところでした。 |
| ■6年目の夏 2004.5.25 |
6年目から相続税法のスタートです。やはり○原の通信講座の一般のコースを申し込みました。 相続は長かった。ここが大きな壁でした。何せ4回も受験しちゃいましたから。財表も5回の受験ですが、それとは違う辛さがありました。何故かはそれぞれの年でお話します。 それでもその時の知識が今になって生きています。私としては、相続税法が一番実務に役立っている科目だと思っています。 結果は、言うまでも無く不合格。反省点としては、消費税法が運良く受かっちゃったので、まだ税法の理論暗記の方法が確立できていませんでした。 理論問題を10問程度しか暗記しませんでしたから、合格は無理です。計算問題も相続税法ではある程度は完璧に出来ないとダメでしたから、到底合格レベルには程遠かったですね。 |
| ■7年目の夏 2004.5.26 |
7回目の受験も相続税法のみ。今度は同じ○原の通信講座の上級コースを申し込みました。 試験直後の感触は、これで遂にリーチ(4科目合格)と思いました。理論もそこそこ書けたし、計算もまずまず、これなら大丈夫だろうと思いました。 以前から4科目が合格出来たら結婚しようと思っていましたので、実は合格発表前にプロポーズをしたんですよ。(勿論、こちらの方は即OKでしたよ。) 合格発表後でも良かったのですが、合格の感触があったので、決意したわけです。試験後には、最後の法人税法の勉強を始めていましたから、余程自信があったのでしょう。 しかし、そんなに甘くはありませんでした。そうです。不合格です。この時は、かなり落ち込みました。 とにかく一年間やってきたことが、否定されてしまったというか、合格しなければ勉強をしていなかったと思われても仕方が無かったので、精神的にも本当に辛かったです。 あまり偉そうなことは言えませんが、今思えば精神的に強くなれたのも、この時期を乗り切ったからだと思っています。 |
| ■8年目の夏 2004.5.27 |
この年は、合格発表後の12月か1月頃からの勉強開始です。またまた、相続税法不合格です。 試験後には結婚式を控えていました。言い訳になりますが、勉強どころではなかったのでしょう。キチンとした理論暗記の方法にも気付いていませんでした。むしろ前年の出来の方が良かったくらいです。 何かを変えなければ、何かをつかまなければと焦っていました。仕事を辞めての受験専念も考えましたが、独身の時のようにはいきませんので、引き続き仕事をしながらの受験が続きました。 時間が無いからこそ時間を大切に出来るということも分かりましたから、きっと仕事を辞めたとしてもダメなものはダメだったと思います。時間がありすぎても怠けるだけだったでしょう。 結婚して余計にダメになったなんて絶対言われたくない。そう強く感じました。 |
| ■9年目の夏 2004.5.28 |
いい加減、相続税法にも飽きが出てきましたので、この年からは、T○C(TKCではありません)の通信講座に切替えです。 私的には、○原でもT○Cでもあまり変わらないと思うのですが、気分転換になると思い、変えてみました。 9回目の夏の暑さは今でもまだ覚えています。この年から埼玉での受験になりましたので、試験会場までの道に迷ってしまったのです。それでも早目に家を出たので間に合いましたが、焦ってはいけないと自分に言い聞かせながら試験会場を探しました。その気持ちが試験が開始されてからも持続できたと思います。この年から試験会場に冷房が入り、気分よく受験出来ました。 結婚して初めての受験でしたし、合格発表の前には第一子誕生が分かっていましたから、かなり気合が入りました。 土日になれば朝から晩まで図書館で勉強し、平日も通勤前の朝と仕事が終わった夜も勉強時間にあてました。理論は机に向かっての暗記が苦手でしたから、図書館の周りを散歩しながらや、お風呂の中で暗記したりしました。 何とか合格できたわけですが、合格発表の日には長男が既に誕生していましたので、妻は実家に帰っており、家には誰もいませんでした。 合格通知の封筒を透かせて見ると合格を予感させるラインが見えました。それでもまだ分からない。大慌てで封筒を開けてみると、「ゴウカク」(確かカタカナだったと思う)という文字が書かれていました。 アパートで独りで泣きました。思い存分泣きました。 これでやっとリーチです。5科目目はいよいよ法人税法が待っています。「やってやるぞぉー」という気持ちが今までよりも倍増していったのです。 言い忘れましたが、相続税法のポイントは、計算については土地と株式の評価ではないでしょうか。それと理論は応用理論(条文間の横の繋がり)が重要だと思います。 |
| ■最後の夏 2004.5.29 |
税理士試験10年目となりました。いよいよ待ちに待った法人税法です。とにかく相続4年間が辛かったので、新しい科目をやりたいという気持ちが強かったみたいです。 運良くこの年から地元に専門学校T○Cの教室講座が開講されました。 それでこれがまた運良く授業は毎週日曜日でした。土曜日だったら、第3と第5は仕事でしたから本当に運が良かったです。 迷わず私はその教室講座を申し込んだわけですが、通信講座と一番違うところは、受験仲間が近くにいるということです。いろいろな経験をしてきている方ばかりですから、良い刺激になりました。 それと、毎週日曜日に授業がありますので、その日までにやるべきことを必ずやらなければならないようになっているので、通信講座の時のような甘えは許されません。とにかく専門学校がやれと言ったことは、必ずやりました。 そんなことで、この年は本当に充実していました。良い仲間にも恵まれました。 試験直後の感触は、計算はほぼ完璧。理論問題がこれまた運が良かったのか前日に時間まで計って書いてみた問題が出題されたので、スラスラと書けただけではなく、時間配分もうまくできました。しかし、もう1題の理論問題で書かなければならない箇所がいくつか抜けてしまったので、不安ではありました。 合格発表までの期間が長くて長くて、とにかく勉強が終わっても試験のことばかり考えていました。この頃からインターネットを始めたので受験生の掲示板をよく見ては、他の受験生の出来具合が気になっていました。 平成12年12月12日 いよいよ合格発表の朝です。 勤務先でもインターネットが見れましたので、すぐさま官報のサイトを確認しました。ありました。私の名前が。嬉しかったというか、ホッとしました。 安心しすぎたのか、その後病気にもなりました。 結婚してからの2年間は負け知らずです。この試験は家族の協力が絶対に必要です。家族には本当に感謝しなければいけませんね。(終) |