友情について考える
テニスにはダブルスという競技がありますが、もちろんコンビネーションやお互いの信頼関係は非常に大事です。ただし、舞台を降りれば口もきかない漫才コンビがいるように別に仲が良くなくては勝てないということはないようです。ダブルスペアの友情パワーが足りないばかりにバロム1に変身できなくてドルゲ魔人にやられてしまったという話は聞きません。
プロスポーツの場合、特に個人競技では他の選手は「自らの収入の道を閉ざす邪魔者」ということになります。しかしテニスでツアーを一緒に回っていると仲の良い人や悪い人が出てくるのは当然の話で、その辺りのエピソードを集めてみました。我々にとって、テニス仲間とよく戦い、よく付き合う参考になるものなのでしょうか。
では、一番有名なこの友人関係から。
ジャスティン・エナン=アルデンヌ&キム・クライシュテルス
昨年末にはキムの方は「二人は親友か」と聞かれたときにはイエスと答えているものの、エナンの方は同じ質問を受けた時に「それは疑問だわ。ずっと一緒に働いているだけ。お互い尊敬しているし、それが一番大事」と答えてます。アメリカのTennis Life誌などは「うまくいっていない」とはっきり書いていますが。
この二人の関係を調べ始めるととんでもない事実を発見しました。私、ベルギー人というのは生まれながらにして二言語が使えるものだと思っていたのですが(ブリュッセルは併用地域)、実際は言語境界が非常にはっきりしている国の一つなんだそうです。
ということで未だにクライシュテルスはワロン語(フランス語方言)がほとんど話せず、エナンのフラマン語(オランダ語方言)は大したことがないそうです。ベルギー国民の実態としてそういうのは特に珍しいことではないとのことですが。あるイギリス人に言わせると「オランダ人はイギリス人より英語が上手」なんだそうですが、フラマン語地域には「フランス語より英語の方が得意」という人がかなりいるそうです。ちなみに現在の二人の家は25キロくらいしか離れてません。
エナンが一年年長で、10歳から一緒に練習したりツアーで同宿したりしていたのですが、最初は身振り手振りで意思疎通していたとのこと。以降現在まで片言のオランダ語で話すようにはなったそうですが。今は二人とも英語は結構達者なので、もしかしたら英語を使っているかもしれません。フェドカップチームの指示は何語で飛んでいるのだ?
そういう障壁があるにも関わらずクライシュテルスは2003年全仏オープン中のロッカールームに絵をぶら下げて、エナンの誕生日を皆に知らせたという実績があります。エナンは「皆に誕生日を祝ってもらえて嬉しかったわ」と言ってます。
しかしながらその後2003年中盤にサンディエゴでクライシュテルスがエナンが1セット取られた後に足まめのためのインジャリータイムを長々と取ったことに対して、
「こんなことが起こったのは初めてじゃないもの。慣れてきたわ。彼女は多分私と対戦する全部の試合にこういうことをしていて、本当に怪我のせいかどうか分からないもの」
と言ったという事件がありました。そしてそれに対してエナンが「文句を言いたくなるのも分かるわ」とクライシュテルスを負け犬呼ばわりしたとも取れる発言をし、双方のコーチが「そういう意味じゃないよな、なっ」と確認し合い、一件落着ということになってます。まあ親友でもこのくらいのことは言うんではないかという内容ですが。
しかもほぼ同時期にクライシュテルスパパや元ベルギーのプレイヤー、フィリップ・ディオルフ、さらにはウィム・バンデベン(ベルギーの元選手、エルス・カレンスのトレーナー)が「ドーピング」とは一言も言っていないものの、エナンの急速な筋肉ウーマンぶりに対して「普通じゃない」と薬物使用を示唆したのでこの時は火に油を注ぐ形となりました。
結局クライシュテルスはホームページで「この件についての取材は受け付けない」と宣言するし、その後のトーナメントで痙攣を起こしかけたエナンはトレーナーを呼ばずに戦い続けるし、結局双方とも損をしたような…。
2004年オーストラリアンオープンでエナンとの決勝戦が決まったクライシュテルス、準決勝の勝利インタビューで、ジョン・マッケンローに、
「彼女のこと嫌いでしょう」とか聞かれて
「そんなことありません」と大変慌てた様子で必死に否定していました。「冗談だよ、でもなにかあるんじゃないの」「彼女はコート上で素早く動くからどんなボールを打っても返してくるし、それだけが呪わしいわ」と言ってました。
どうも調べれば調べるほどこの友情、クライシュテルスの片思いのような感じが…。部活の先輩に憧れるようなものか?ただし単に愛想が良く、インタビューにもよく応じるクライシュテルス側の情報だけが流れてきている可能性もありますが。
キムは結婚生活についてのアドバイスをリンジー・ダベンポートから受けたとの話もあるんですが、エナンは何してたんでしょう。
子供好きのキムは婚約成立の瞬間から子供の話をしていて、最近のイギリス・オブザーバー紙のインタビューでも「とりあえず一人産んでみて様子を見る」と言ってます。別の会見でも「多分24歳まで、遅くても25歳までには間違いなく産むわ」と発言しています。
エナンの前に赤ん坊を抱いて現れて「年間一位になれなくてもグランドスラムで勝てなくても、女の人生私の勝ち」と主張したいのではと勘ぐっているのは私だけ?
エナンの結婚式の時、クライシュテルスはヒューイットとオーストラリアでホリデー中のため出席しなかったのですが、さて、今年末のキムの結婚式はどうなるのか、注目です。基本的にはベルギーで行うものの、彼の地の冬は結婚式にふさわしくないのでオーストラリアでもお披露目を行うとの話ですが。しかし招待客リストの筆頭にはキムのこれまた親友のアナスタシア・ミスキナが載ったらしい。
パラドーン・スリチャパン
インタビューで「ツアー中に仲の良い選手はいるか」と聞かれた時に真っ先にアンディ・ロディックの名前を上げました。
トーマス嶋田とも親友とのことで、2002年のデビスカップアジア地区予選で戦った時にはバンコクで夜一緒に出掛けたりしています。
パラドーンの車でバーに乗り付けた二人、場所がなかったので仕方なく駐車禁止の所に車を駐めたところを警備員に発見されたものの、国民的ヒーローの顔を認識したその警備員が車の留守番を買って出たというエピソードもあります。
この話の状況証拠によると間違いなく、パラドーン飲酒運転で帰りました。(泣)
アンディ・ロディック&マーディ・フイッシュ
1999年に1年間、フロリダ州ボカ・レイトンのロディックの家にフイッシュが寄宿して以来の仲。
フイッシュはロディックの兄の部屋に寝泊りしていたそうです。その頃はテニス選手としてはフイッシュの方が有望だったそうなのですが、二人ともATPレベルで対戦できるようになるとは思っていなかったとのこと。「二人ともカレッジテニスの選手になれたらと思っていた」とロディックは言っています。
さらに彼は「食事の分配以外ではすべて争った」とも言ってます。
当時は毎晩バスケットボールや卓球で勝負していたそうなのですが、学校のバスケットボールのチームではロディックの方がベンチ要員だったとのこと。
女をめぐって戦ったとは一言も言ってないのですが、ベロビーチで先に素手でホオジロザメを倒した方に憧れの彼女を譲るとかいう取り決めをしていたならどちらかの命はなかったことでしょう。しかし命を惜しんでばかりもいられません。サメを殺せぬような男に女と付き合う資格がないというのはフロリダの掟なのだ。そうでないと大カジキを釣り上げたキューバの老漁師にも負けてしまうではないか。
それがダメならケープカナベラルでアリゲーター100匹を生け捕りにした方が勝ちとか、オーランドでミッキーマウスの首を取った方が勝ちとかいうのでも許してやろう。
実際、ティーンエイジャーというのはしょうもないことで勝負するもので、自ら車を運転して学校に行くのにどっちのルートが早く着くか毎朝競争したものの、通常フイッシュが22分、ロディックが25分でいつもロディックが負けていたらしい。彼はそれをフイッシュのフォード・ムスタングのせいにしてますが、ロディックにフェラーリを与えたていたなら今頃彼はハイウェイの肉塊と消えていたのではと心配しているのは私だけ?
大人になった今はやってないと思いますけど、ツアー先でスピード勝負するのはサーブだけにしてね。
シドニーで毎朝シェラトンフォーポイントホテルからインターナショナルテニスセンターまでレンタカーでレースをされた日にはポッサムが何匹犠牲になるか分かりません。慣れない右ハンドルで反対車線を走られたら困ります。
いずれにせよプロデビュー後、彼らは当然何度か対戦しているのですが、2003年3月にはロディックが足首を捻って途中棄権し、フイッシュは「親友が倒れて棄権するのを見るなんてこれ以上最低の勝ち方は考えられない」と言ってます。
2004年2月にカリフォルニアのシーベルオープン決勝で対戦した時に、スマッシュを決めたロディックがコートの反対側に向かって「俺のジャンプに嫉妬するなよ」と言ったのはご愛嬌。
全米オープン優勝時のロディックの記者会見中にシャンペンを彼の頭にぶちまけたのはフイッシュですが、ロディックによると二人の関係は兄弟みたいなもので、ケンカしても3分後には手を繋いで歩けるとのこと。彼の言う通り、まだ偏見もあるし、繋ぐのは手だけの関係にしておいた方がいいと思います。
アンドレ・アガシ&サルギス・サルグシアン
男子テニス界には密かにアルメニアン・コネクションというのがありまして、サルグシアンの場合はもちろん生粋のアルメニア人ですが、デビッド・ナルバンディアンの祖父の一人もアルメニア人だったりします。ちなみにアルメニア人の姓の末尾にはほぼ間違いなく-anが付きますので識別は割と簡単です。アガシの場合は父親が元アルメニア系イラン人で、名前をアルメニア語で発音するとアンドレイ・アガシャンになります。
アガシがナンバーワン陥落後、97年に不調のずんどこに陥って、格下のチャレンジャートーナメントでサルグシアンと戦って以来の仲。二人してATPで戦うようになってからはお互いのヒッティングパートナーを務めたりしています。
そのチャレンジャートーナメント決勝でアガシに敗れたサルグシアン、こう言ってます。
「彼がまた(ATPで)ナンバーワンに復帰したいと言っていたのを聞いて、僕はうなずいてはいたけれど、内心は『あまりにも遠すぎる道程だ』と思ったんだ。でも、彼は復帰したばかりか長期間その座にいつづけたんだ。僕はそれができるとは思わなかった。これが彼を疑った最後だね」
というわけで心酔ぶりは相当なものです。さらにはいろいろ勝ち方を教えてもらったとのことで、たとえ会った時には敵でも、仲良くしておくと後でいいことがあるという代表例みたいなものですな。
ロシア女子選手の皆さん
雨後の筍のごとく現れたロシアの女子選手でありますが、テレビの解説をしていたヒンギスが、「彼女たちは非常に緊密な関係を築いていて、移動や練習も一緒にする」と言ってました。私もトーナメントの練習場で共に行動する彼女らを見ましたが、こんな事を言っている人もいます。
2001年のインタビューでリナ・クラスノルツカヤはクルニコワについて、「彼女は女の子と話すのは好きじゃないのよ。特にロシア人とはね」と発言しています。
クリス・エバートがアメリカの雑誌"Tennis"2003年11月号に書いた内容によると、ここのところのロシア女子選手の活躍というのは、ソ連時代の名残として女性が活躍できる社会であったこと、国家の威信に賭けてスポーツを行う環境にあったことに加えて、クルニコワがプロテニスプレイヤーで生活していけるということを証明して若いスポーツ選手にテニスをする動機を与えたことが大きいそうです。彼女モスクワのテニスクラブに寄付もしている割には人望がないのはどうして。
まあ当然ロシア人同士でも仲の良い人ばかりではないことを証明しているエピソードにこういうのがあります。
2003年8月、カリフォルニアでのツアーの二回戦、3セット目、マリア・シャラポワがナディア・ペトロワに拳を突き出したところ、シャラポワの父親の見解によるとペトロワが卑猥なポーズで応戦したそうです。
これに激怒したシャラポワパパ、試合中ペトロワを非難しつづけたとのこと。シャラポワが勝った試合後にはペトロワのコーチ、グレン・スカープが彼をごみ箱に押しやったところを警備員に止められるという事態になりました。
まあロシア語が通じるのでシャラポワパパが強気になっただけで、本人たちの間には何もないのかもしれませんが。アメリカ育ちが長いにも関わらず「オリンピックでロシア代表になりたい」と言っているシャラポワのチームワークに水を差すことにならなければいいんですが。
スペイン男子選手の方々
この国の選手はお互い非常に仲が良くて、互助会のようなものを組織しており、旅行や練習の手配を共同で行うそうです。アルゼンチンの選手も似たようなことをしていると聞いたことがあります。
カルロス・モヤはスペインの選手と戦うことについて「楽じゃないよ。嫌だけど一旦コートに立ったら、友情とかそういうものは忘れなきゃいけない」と言ってました。2002年に六回決勝に進出して内三回はスペインの選手と戦ったそうです。ファン・カルロス・フェレーロと勝負するときに本気を出していないという噂もあったな。同郷のラファエル・ナダルともよく行動を共にしているみたいですし。
また彼はブラジルのグスタボ・クエルテンについて、
「彼とは引退後10年経っても友達でいられる。他のテニス選手とは違うんだ」と言ってます。クレーコートで砂遊びするラテン系の巨体老人二人…。微笑ましくも異様な光景です。
ちなみにファン・カルロス・フェレーロはサテライトツアープレイヤーのイスラエル・マトスと普通のアパートに同居しているそうです。ずっとツアーに出ているわけですから一緒に生活する機会は非常に少ないかと思いますが…。
「しばらく家を空けます。遠くに行きます」とかスナフキンのような書置きでコミニケーションしているのでしょうか。いない間に机の引き出しに隠しているエロ本を見つけられたらどうするんでしょう。直接対戦することはまずないとはいえ、それをネタに八百屋の長兵衛さんを要求されたりしたら・・・。
「晩ご飯はいりません。それから、机の引き出しを開けると目がつぶれます」
ビーナス・ウィリアムズ
2002年オーストラリアンオープンのプログラム、アレクサンドラ・スティーブンソンの選手紹介には「スティーブンソンはウィリアムズ姉妹の親友である」と書いてありますが、ビーナス・ウィリアムズは"Australian Tennis Magazine" 2003年5月号のインタビューで「(5人の姉妹関係が緊密なので)私には親友はいない」と言い切ってます。単にスティーブンソンがそう思っているだけなんでしょうか。
というわけで同インタビューによるとビーナスの引退後の目標は「友達をつくること」だそうです。ワールドナンバーワンにいた人とは思えない、中学校に入学する元いじめられっ子みたいな野望です。
アミール・ハダド&アイサムル・クレシ
しかしやはりテニスでの友情大賞は2002年に人道表彰とアーサー・アッシュ記念賞を受けたアミール・ハダドとアイサムル・クレシのダブルスペアでしょう。
クレシはパキスタンでクリケットではなくテニスができるという珍しい環境に育ち、そうであるが故にプロとしてツアーを回っている時に他の国の選手と親しくならざるを得なくなったのですが、そうこうしているうちにイスラエルの選手からダブルスで何回か対戦した年長のハダドを紹介されます。
そしてウィンブルドンの予選で初めてペアを組んで通過するのですが、ハダドはイスラエルの新聞から「今後彼と組むつもりか」と電話で質問を受けたそうで、「親友だ」と答えたらそれに関連していくつか質問を受けたものの非難されることはなかったとのこと。
クレシの方はイスラエルの選手と対戦していた時にさえ何人かのイスラム原理主義者から「彼らとテニスをするべきではない」と言われたそうです。ペアを組むなんぞ彼らからするととんでもないことなんでしょうな。
二人とも政治的発言は極力避けているものの、ユダヤとイスラムの融和に向けた声明は度々出していますし、世の中にはこんな友情もあるのだなと感心させられます。この二人ならコプーに見込まれてバロム1に変身できるかもしれません。
以上検証してきましたが、テニスの場合ダブルスというのがあって、パートナーとシングルスで戦わなくてはいけないという事態も発生します。
2003年スコッツデールでアレクサンドラ・スティーブンソンとの午前中の準決勝に勝った杉山愛、その直後にキム・クライシュテルスと決勝戦を戦い、勝利を収めました。それからクライシュテルスとダブルスを組んで二試合行い、一日四試合全てに勝っています。クライシュテルスはシングルスで負けた時にも日本語で「ヨクデキマシタ」と言ったんでしょうか。
2004年に入ってペアを解散したのはこれが原因ではなくて杉山側がシングルスにウエイトを置きたい事情があったためです。
昨日の敵は今日の友どころの騒ぎではありません。気持ちの切り替えはさすがプロです。見習いましょう。

