コーチについて考える


私事ですが、私の通っているコミュニティカレッジ(日本で言うカルチャースクールみたいなもの)の指導を請け負っているスポーツコーチング会社ではフロリダのニック・ボロテリアカデミーに年に何人か研修に送り込んでいるとのことです。当然帰ってきたときにはコーチ連中で研修会をしているわけで、それを知ったときには「私ゃニック・ボロテリの孫孫孫孫弟子だったのかー!」といきなり正統派プレイヤーになったような気がしたものです。

プロテニスの世界ではコーチというものは非常に重要視されます。一般的にはジュニア時代に面倒を見るクラブコーチとプロになってから指導するツアーコーチの両方に教わる選手が多いと思います。ただし、コーチをつけずに活動している選手もいるにはいるのです。
2004年初時点では、ロジャー・フェデレやパティ・シュニーダーなどはコーチをつけずに活動しています。(なぜスイス人ばかり? )シュニーダーは旦那さんが練習の手伝いをしているようですが。ティム・ヘンマンも現在は一人でツアーを回っているようですが。
フェデレはオーストラリアンオープンの勝利インタビューでジョン・マッケンローに「このトーナメントが終わったらコーチの申し込みが殺到するに違いない」と言われて、「もう来ている」と冗談を言ってましたが。

親族にコーチを依頼している人もいます。親に関しては第二回で述べましたので省略しますが、リンジー・ダベンポートはフィアンセの兄のリック・リーチとのコーチ契約を3ヵ月で解消しています。義理の兄との関係が悪くなるというのを気にしたのか気にしていなかったのかよく分かりませんが、結婚生活には差し支えなかったようです。日本人にはできない芸当ですな。
解雇されたリーチ、現役に復帰して結構いい成績を収めたりしているのがよく分からん。
ダンナがコーチをしているという人もいます。オーストラリア人のアンドリュー・ツシノビッチはアメリカでコーチをしているうちにジュニア時代から面倒をみたコリナ・モラリウと結婚し、彼女のランキングを29位まで上げています。彼女が白血病と戦っている時は非常に献身的に看病したそうなのですが、回復した彼女がツアー復帰した時に「人生の方向が違ってきた」ということで離婚、コーチ契約も解消されてます。
シルビア・ファリナエリアやアンナ・スマシュノワ=ピストレッジのコーチも旦那さんではなかったかいな。
マイケル・チャンのコーチが兄のカールであったのは有名ですね。タチアナ・パノワのコーチの一人、ルスラン・パノフは実兄。
ラファエル・ナダルのコーチのトニーは叔父ですが、彼がテニスを始めたきっかけというのも別の叔父のミゲル・アンヘル・ナダルに勧められたからとのこと。この人、2002年ワールドカップにも出場したサッカー選手なんですが、どうしてテニスを勧めたの?

一方、コーチと別の関係を持ってしまった人もいますが。
アナスタシア・ミスキナのコーチのジェンス・ガーラックは彼女のボーイフレンドでもありますが、「あまりにドイツ人」で常に冷静なので時々嫌気がさすそう。ガーラックの言い分は、「試合中二人でカッカしてたら収集がつかなくなるだろう」ということで、非常に真っ当な発言だと思います。(追記:ミスキナが2003年全仏オープンに優勝した時にはガーラックは「コーチで前のボーイフレンド」という肩書きになってた・・・)
変わったところではパティ・シュニーダー。コーチのレイナー・ホーネッカーがボーイフレンドとなったのですが、この彼、自称「細胞再生学者」で彼女をベジタリアンとし、毎日3リットルのオレンジジュースを飲むように仕向けたりしています。さらに彼女は他のコーチを解雇した上に社会から隔絶された状況に置かれ、両親と会うことさえままならなくなってしまいました。
ここで両親に雇われたのがレイナー・ホフマンという私立探偵で、カルト宗教から洗脳を解くのに実績のある人だったそうです。彼は両親の期待に応え、シュニーダーを社会復帰させるのですが、この人に詐欺の前科があることが発覚、ついでに当時まだ結婚状態であった妻と子供の認知をめぐって裁判沙汰になった上に重婚すれすれだったそうで、結局娘の相手が「オレンジジュースなしのホーネッカー」に入れ替わっただけというのが両親の見方です。当然のことながら二人の結婚式には両親は出席しませんでした。
それ以降シュニーダーはコーチなしです。
(追記:男子選手で女性コーチを持っている人はいないと思ったのですが、2004年全仏でアガシを倒したジェローム・アネルはコーチを持たず、ガールフレンドにヒッティングパートナー兼アドバイザーになってもらっているらしいです。彼は「世界で一番素晴らしいコーチ」と言っております。)

また、引退した選手がコーチとなるというのは至極当然のケースではあるのですが、アマンダ・クッツアーの現在のコーチは以前のダブルスパートナーのローリー・マクニールです。
マクニールが94年のウィンブルドンで前年優勝・ランキング1位と圧倒的な強さを誇った女王グラフを一回戦で破ったのは有名な話ですが、クッツアーはコーチを受けている時に「現役の時はへまばっかりしていたのに偉そうなこと言わないで」とは思わないんでしょうか。
まあサーブ&ボレーヤーとグラウンドストローカーの違いはあれど、グラフキラー同士うまくいっているのかも知れませんが。アガシ&グラフのダブルスペアデビューの日を指折り数えながら再びグラフを倒す作戦を練っているに違いありません。


では、プロテニス界で名を成したコーチ達の足跡をたどってみましょう。コーチ選びのご参考にどうぞ。

ニック・ボロテリ
マーク・フィリープーシスに「いいお爺ちゃん」と言われるテニス界の首領。フロリダのボロテリキャンプの施設は本拠に51コート、別コートとして21面、さらに加えて人工芝室内練習場など巨大なテニスコンプレックスです。
スポーツ選手マネジメント・イベント運営会社のIMGとも深い繋がりがあるのでこの会社のスポンサーを受けた選手をはじめ、世界中から有望な少年少女が集まってきます。ザビエル・マリッセはいつまで経ってもATPタイトルが取れないのでボロテリアカデミーでのトレーニングに戻ったそうです。
これだけの施設があって、スターの卵が世界中から集まるのなら、コーチの腕前とかもう関係ないのでわ?PL学園高校野球部のレギュラー争いと一緒で、選手が互いに競争して勝手に強くなっていくような気がします。(追記:ちなみにボロテリアカデミーで幼少時のマリア・シャラポワのサーブ&リターンの専任コーチであったピーター・マクローのインタビューがシドニーモーニングヘラルド紙に載ってました。それによりますと、彼女は泣いたことがない、暑いコートの真中で速いボレーに襲われても急にスピンを掛けられても怖くなかった という性格で、練習でも試合でもコート上で泣いたことは一度たりともなく、女子選手としては大変珍しいことなんだそうです。そんな彼女が物心がついて以来泣いたことが二回。9歳のときに離れて暮らす母を思って泣いたのとボロテリアカデミーの寮でいじめられた時のことだそうです。裏の競争も厳しそうです)
ここでのアンナ・クルニコワについてのエピソードはいろいろあるのですが、いかにも彼女らしいと思ったのはこの話。
ボロテリが彼女より10歳ばかり年長のアガシやセレスを指導している最中に、10歳になるかならないかのクルニコワが、「ニック、次は私の番よ」と訴えたそうな。そのくらいのアピール度がなければここでは生き残っていけないのでしょうか。
一方、この当時ユーノス・エルアンヌィもボロテリアカデミーに在籍していたのですが、あまりに強い選手が多くその間に埋没してしまいそうになり非常な危機感を持ったそうです。
そのため、収入を得るためと存在理由を示すためにアカデミーでアルバイトをしていたそうです。ジムの清掃とかトレーニング器械の割り当てとかの管理業務、さらには送迎バスを運転したりレッスン参加者の子供の面倒を見たり、夜の掃除を請け負ったり。23、4歳までそういう事をしていたとのことで、こういうアピールの仕方もあるのでございます。
アメリカの雑誌などには普通に広告が載っているように、ボロテリアカデミーではお金さえ出せば初心者でも容易に講習を受けられますが、目立つためには大型自動車免許は必須と思われます。日本のもので良いからボイラー技師や電気技師や調理師や保育士や薬剤師や危険物取扱者の資格を取ってから行くのも良いかもしれません。


ロバート・ランズドープ
トレーシー・オースチン、リンジー・ダベンポート、ピート・サンプラスなどのコーチを歴任しましたが、健在のホープはマリア・シャラポワ。
シャラポワは11歳のときに彼の面前に現れたものの、その時はIMGのスポンサー選手としてボロテリアカデミーに在籍していたので、その後しばらくカリフォルニアとフロリダを飛行機で往復していたそうです。学校はどうした!?
彼はシャラポワを「馬鹿なブロンド娘」と呼んだこともあるそうなのですが、彼女は、「まあ、ロバートったら」といった感じで全く気にしている気配がないそうです。だからって調子に乗って、「おい、アンナ。ちょっとこっちへ来い」とか呼ぶのは止めなさいって。「私はマリアで、他の誰でもない」と本人も言ってるんですから。
しかし彼のシャラポワに対する最大の功績は5年かかって彼女の叫び声を止めさせたことだと思います。(ラリーが続くと声が出ることもあるようですが)
「有名になるに従ってつまらないことでの批判も増えてくるので」とのことですが、モニカ・セレスやセリーナ・ウィリアムズやニコラス・マスーの面倒を見た他のコーチでこれに成功した人がいます?多分プロテニス史上初の快挙だと思います。
打つときの声が大きいと苦情の出ている人は彼に入門するといいかもしれません。飼い犬の無駄吠え防止用電気ショック首輪を使ったのでなければの話ですが。

タリック・ベナビレス
無名時代からアンディ・ロディックとマーディ・フイッシュの面倒を見、現在はフランスの新星、リシャール・ガスクエのコーチ。元ATPプレイヤーとはいえ、そこら辺の町のコーチが選手と一緒に成長した代表例です。
1999年夏、息子のジュニア大会を応援しに行ったロディックママ、雷雨に見舞われて大木の下に逃げ込みます。そこで同様に雨宿りをしに来た元フランス人のテニスコーチと意気投合、二人とも同じフロリダ州ボカ・レイトン(人口7万人余り)に住んでいることを発見するのであります。
ベナビレスの前歯の右から四本目に虫歯があったのかロディック夫人が買ったばかりのスヌーピーのハンカチを貸してあげたかは定かではありませんが、ロディックは翌週から新しいコーチに着くことになります。
それ以降の関係は非常に強固で、母親のブランシェ・ロディックによると「タリックはもう一人の父親みたいなもの」なんだそうです。
2003年の全仏オープン四回戦で敗退したロディック、ウィンブルドンに備えてロンドン入りしていたのですが、「ここは自分勝手になるべし、しかし面と向かって話をすべし」とベナビレスに会いにフランスに戻り、コーチ変更の意思を伝えた後、イギリスにとって返しています。
別れた後も関係は良好で、2003年夏に一日だけボカ・レントンに帰ったときにはその日を彼と過ごしたとのこと。2003年全米オープン表彰式でベナビレスに対して謝辞を述べる機会を奪われたことが会期中一番がっかりしたことだそうです。
でも、フランス語の話せるベナビレスがリシャール・ガスクエのコーチに就任したことにより、ツアーで顔を合わせる機会が増えるわけですから、敵に回して悔しいやら嬉しいやらといったところでしょう。かなりの理論派だそうですから、ガスクエとは合うかも?

ブラッド・ギルバート
1994年から面倒を見たアンドレ・アガシを復活させたコーチとして名を上げましたが、現在はアンディ・ロディックを指導中。しかもアガシのコーチを辞めた後、フロリダにいる間だけコーチしたロシア生まれの16歳のフランス少女、タチアナ・ゴロビンが2004年オーストラリアンオープンで四回戦まで進出してその後のトーナメントでも存在感を示しているなど、コーチとしての腕は伝説的ですらあります。
他には97年には行き詰まったマリー・ピエルスを短期間面倒見てグランドスラム全てで四回戦以上に送り込んでます。ただし、10日間コーチしたものの「教えることは何もなかった」マルチナ・ヒンギスと同様、付きまとう親がうっとうしかったようで関係は長く続きませんでしたが。
アガシは彼に最初に出会ったときには「よく喋る男だ」とくらいにしか思っていなかったようですが、デビスカップチームで一緒になったりするうちに彼の妻と知り合い、すっかり彼女の人柄に惚れ込んでしまいます。「この人の夫なら」ということで選手同士としての付き合いがはじまったようです。
94年にイタリア料理店で一緒に食事をした時にアドバイスを求めたアガシに対して「お前はライジングが素晴らしいのにどうしてベースラインの後ろに立つのだ、それに試合毎の出来の差が激しすぎる」と指摘したところ、「適当でいいから一緒にやらないか」ということで、ギルバートはコーチ契約もなく、現役選手のままアガシと一緒のトーナメントに出る時にはヒッティングパートナーを務め、そうでない時は電話で話をしつつ指導を開始します。その半年後には復帰後初タイトルを取ってしまうのです。その時ギルバートにコーチがいたかどうか知りませんが、コーチのコーチという立場はどんな気持ちなんでしょう?
そしてその年にギルバートは引退してコーチ業に専念することになります。後の成功ストーリーは皆様ご存知の通り。

アガシが言うには「彼がロディックに教えることはたくさんある」ということでしたが、現在のロディックのコーチに就任して一週間で初勝利を挙げ、全米オープンを制するなど成果は上々でございます。ちなみにアメリカの雑誌"Tennis" 2004年1/2月号によりますとロディックの試合の勝率、2003年の1月から5月までが69.4%(25−11)、コーチ就任後の6月から11月までが85.5%(47−8)なんだそうです。
この関係の始まりにはちょっとしたエピソードがあります。ロディックが全仏オープン敗戦後考え抜いた末にイギリスからギルバートの自宅にコーチ申し込みの電話をしたところ、6歳の娘が出て「パパはいません」とか返事をされて、ロディックは別の人に電話しようかと思案したとのことで、すんでのところで近年では最も成功した師弟ストーリーの一つが帳消しになるところでした。
二回目に電話したときもギルバート本人は園芸用の土をトラック一杯分買いに外出していたものの、奥さんが出て事なきを得たそうです。
翌日彼は飛行機に乗ってロンドンへ向かったとのことで、その土が予定通り花壇に収まったかどうかは定かではありません。もし彼が鳥取砂丘に砂の買出しに出掛けていたなら帰りがもっと遅くなって、ロディックは別の人にコーチを頼んでいたに違いありません。

この項を書くに当たって彼の著書"Winning Ugly"(日本語訳もあります)を読んでみたのですが、「相手をよく観察して弱点を見抜き、自分の持てる技量を駆使して徹底的にそこを突いて勝つ」という野村ID野球を彷彿とさせる内容です。ジミー・コナーズが観客を操るところまで計算に入れてます。野村克也氏の「弱者が勝者になるために」は読んでませんが、似たような内容なのではないかいな。

しかしこの人、人を食ったような答えをする癖があって、
「あなたのアガシに対する最大の功績は何か」と聞かれた時には、
「オーストラリアンオープンに出場するように説得したことだ」と答えてます。アガシは95年初出場から8回出て4回勝利してますが、アガシが94年の全米オープンを制覇して、観客席のギルバートに感謝しに来た時にオージーオープンに出たことのない彼に対して、「次はオーストラリアだ」と宣言し、その後のパーティーでも念押しをしたらしい。
「ロディックを強くした秘訣は何か」と尋ねられた時には、
「弱そうに見えるからそのバイザーは止めろと言ったんだ」と言ってます。被るものを変えただけで全米オープン制覇できるのなら彼に武田信玄公の兜を被せたならグランドスラム完全制覇できたのでわ?

2004年のアンディ・ロディックの新年の誓いは「爪を噛むのを止める」ということだったそうなのですが、その年のオーストラリアンオープンで、ロディックがピンチに陥るとプレイヤーボックス席で爪を噛んでいたのがこのコーチ。変なところが似ています。

ハロルド・ソロモン
その"Winning Ugly"のタイプ別プレイヤー攻略法で「リトリーバー」(日本語で言うシコリンガー:どんな球でも返してくる選手)の亜種、トップスピンを駆使するブループスターまたはムーンボーラーとして分類されていたのがこの人。
よく彼の名前の前には「実績のある」という枕詞がついていますが、彼の名声を確固たるものにしたのはジェニファー・カプリアティの復活劇。大麻・万引事件からプロツアー復活を目指した彼女、父親と練習を再開するのですが、やはりちゃんとしたコーチに頼るべしとハロルド・ソロモンに電話します。彼の場合は付きまとう父親がうっとうしくなかったようです。
社会復帰を果たした彼女への指導は2000年末をもって終わりを告げるのですが、その時には「今でも彼女の大ファンだよ」と言ってます。その翌年にカプリアティのグランドスラム二冠ということになりますが、成功の秘訣はと聞かれたときには「プレッシャーを取ってやったこと」と答えてました。
その後ダブルスプレイヤーとしてアンナ・クルニコワを何度か優勝させるものの、彼女の故障により復活劇は未完のままに終わりました。付きまとう男共がうっとうしくて投げ出したわけではないようです。
そして2004年にダニエラ・ハンチコワの恋人とも噂されたナイジェル・シアーズ(アマンダ・クッツアーの元コーチ)の後を襲って彼女のコーチに就任しました。ハンチコワがかつてカプリアティとダブルスを組んでいた時にソロモンに目を付けたのか?つきまとう母親は気にならなかったようです。
というわけで私、2004年アディダスインターナショナルでハンチコワの練習を見ていたのですが、たまに「スタンスもうちょっと広げて」とか「もっとスピンかけて」とか言う以外は黙々と球出しをするソロモンの姿に「スター選手のコーチってこんなものか?」とちょっと感動を覚えたものです。まあ毎日顔を合わせていれば指導することもそうそうないのでしょうが。
しかもこの人テニスプレイヤーだったのかと思うほど汗かきです。振り回されているハンチコワが涼しい顔をしているのに球出しをしているコーチは自分の汗を踏んで滑りそうな程に周囲を濡らしています。
女子選手の多くはコーディネーショントレーニングの一環として「投げ物」をコートに持ち込むことが多く、ハンチコワのホップマンカップでの映像でもラグビーボールを投げてましたが、シドニーやメルボルンで持ち込んでたハンドボールはコーチのストレッチ用です。
練習終了後、彼女を先にコートから送り出す時には一人で、そうでない場合立ったままストレッチをするハンチコワを見上げながら会話しつつ、コートにタオルを敷いて、寝っ転がってボールを背中でゴロゴロしてます。
Solomon & Hantuchova
シドニーで練習後彼女をコートから送り出した後に彼はのんびりと一人でストレッチをして帰り支度をしていました。よっぽど「彼女に5キロ太れと言ったのは本当か、それは可能だと思うか」と尋ねようかと思いましたが(実際実現してしまった)、もう一つ聞きたかったことがあります。「今あなたが着ているそのナイキのTシャツのメッセージは本心なのか、それともたまたまそうなのか?」。そのメッセージとは、
"ASK HER PLAY HARD"
おたおたしていたら業界人みたいな青年が話し掛けたのでタイミングを逸してしまった。
カプリアティやクルニコワとの指導上の違いを聞いても素人的には面白かったかも。

こんなシャツを着ていたばかりに要求がきつすぎると思われたのか、実績が上がらないこともあって三ヶ月でハンチコワに解雇されてしまいました。
2月に彼女が東京でウイルスをもらってブラスチラバの自宅で臥せっている時に(真冬の東京でヘソ出しのセーターなぞ着るからじゃ。寒さに強いスラブ人とはいえ日本の寒さを甘く見たらいかん)「この苦境を脱するには信頼できるコーチに頼むしかない」ということで、シアーズを再雇用することにしたそうです。もうちょっと一緒に頑張っても良かったんじゃないかと思いますけど。
こうなったらもう、素質があるものの行き詰まっている選手を活躍させてハンチコワを見返すしかないでしょう。誰がいるかな・・・。やっぱり、エレナ・ドキッチか?


しかし、2004年前半のオーストラリアの若手男子、トッド・リードやクリス・グッチオーニの活躍の影にこの人ありと言われた女性がいます。彼らはデビスカップチームのヒッティングパートナーとしてレイトン・ヒューイットやマーク・フィリープーシスの相手をしたのですが、そのヒッティングパートナーのヒッティングパートナーを務めたのがキム・クライシュテルス。相手と年齢はほとんど変わらないのですが、もしかしてこの人コーチとしての能力も既に超一流?
ついでにオーストラリアチームのキャプテン、ジョン・フィッツジェラルドによりますと、 スウェーデンのマルメでチームが戦ったときには、
「キムは洗濯をしたわけじゃないけれど、食事の手配を含めて全てを手伝ってくれた」
とのことで、マネージャーとしての才能もあるかも?

ところでそのレイトン・ヒューイットは2004年ロッテルダムで、マーク・フィリプーシスとダブルスを組んで出場する予定だったのですが、デビスカップの連敗ショックでフィリプーシスがカリフォルニアの自宅に引き篭ってしまいました。シングルスの調整のためどうしてもダブルスに出たいヒューイット、コーチのロジャー・ラシードに頼んで一緒に出場してもらっています。
しかしこの人、現役時代は主に格下のチャレンジャーシリーズで活動していたとのことでATPプレイヤーとしてはほとんど実績がないそうです。
このペアリング、ヒューイットとラシードが勝てるかどうか賭けて遊んでいただけという噂もあったのですが、ヒューイットはこれをきっぱりと否定しています。
この時はファルケルクとスルターのオランダペアに一回戦で勝ったものの、選手のわがままに付き合うのも大変だ。

一方、ブラッド・ギルバートはアガシが勝ったがために約束通りビアスをしたり、胸毛を剃ったりしたそう。(この時は全身の毛を剃るという約束だったものを勘弁してもらったらしい)一度はアガシとの賭けに負けて頭を剃ったそうです。
さらにはジェットコースターにも乗れない彼、2003年モントリオールのマスターズカップを取ったらスカイダイビングに挑戦するとロディックと約束して、結果二人で飛行機から飛び出す羽目に陥ってます。

というわけで、モチペーション維持のためには選手のために一肌脱いでくれるコーチが良いでしょう。怪我したときには影武者を務めてくれるとか。勝ったときには清水の舞台から飛び降りるとか、一緒に猫じゃ猫じゃを踊ってくれるとか、生きたゴキブリを飲み込んでくれるとか白いギターをくれるとか約束してくれるコーチが理想的なのではないかと思うんですがどうでしょう。


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