テニスカップルについて考える


今上天皇と美智子皇后の「テニスコートの恋」を例に出すまでもなく、テニスプレイヤー同士がカップルになってしまう例は少なくないようです。大学の同好会などではテニスは今でもナンパスポーツの雄として君臨しています。
これは男女が同一ルールでプレイでき、さらにはラケットを握ると一般レベルでは男女差が縮小してしまうということに由来しているものと考えられます。そして男女が一緒にプレイする混合ダブルスなどというものが制式採用されているスポーツというのも他に例を見ません。
水泳や陸上の男女混合リレーがオリンピック制式種目に採用されるとこれもナンパスポーツになってしまうのでしょうか。男女混合柔道団体戦など盛り上がるぞー。ネットの高さに検討の余地はあるものの、混合バレーポールでどのポジションに男女を入れるかは監督の腕の見せ所です。

本題に戻って、プロテニス選手同士の交際・結婚というのは歴史をひもといてみますと、明らかになっている例としては1920年代にオーストラリアのジャック・クロフォードとマージョリ・コックスが結婚したのが最初だそうです。この時既に「愛のダブルス」があったそうですが。
アガシ・グラフペアまでの一番有名な例としては、ジミー・コナーズとクリス・エバートの婚約、そしてその解消でしょうか。エバートはその後、オーストラリアンオープン準優勝のジョン・ロイドと結婚・離婚した後、オリンピックスキーヤーのアンディ・ミルと結婚しています。

現在ではATPとWTAは別々のツアーを回っているわけですから、男女プレイヤーにそんなに縁があるわけでもないと思っていたのですが、実際にはグランドスラム以外にも男女共催のイベントは結構あって、平均すれば月に一度くらいは顔を合わせる機会があるということになります。
ただし、もっと接触の少ないはずの他のスポーツ選手とくっついてしまう場合もありますからテニスプレイヤー同士だといっても油断はなりません。
マリー・ピエルスの旦那やアマンダ・クッツアーの恋人はメジャーリーガーですし、アテネオリンピックの最中にはアメリカ女子水球チームがアンディ・ロディックと最初にキスした選手に700米ドルを差し出すという賭けをしておりました。ロディック本人は「選手村で襲われるのを楽しみにしてるよ」とのことでしたが。

で、最近のプロテニスプレイヤー同士の交際例を並べてみますと、
ロジャー・フェデレと元WTAプレーヤーのミルカ・バブリネッチの付き合いは長いですね。そろそろ婚約との噂も流れはじめていますが。バブリネッチがテニスを引退したのはフェデレのマネジメントに専念するためとのこと。
コリナ・モラリウはコーチのアンドリュー・ツシノビッチと離婚した後はジャスティン・ギメルストブとデートしているみたいです。
元トップ10プレイヤーのウクライナのアンドレイ・メドベデフはドイツのアンケ・フーバーと長い付き合い。
メドベデフは常々「愛さえあれば不可能なことはない」などと言いながら99年全仏の決勝に進んだりしていたものの、翌年にはオレガ・バラバンシコバとデートしたりしてましたが。まあ、そろそろフーバーに年貢を納めるような雰囲気になってきました。
アメリカのテイラー・デントとジェニファー・ホプキンスの二人はインタビューを二人で受けたり、かなりオープンな付き合いをしています。
フランスではアーノルド・クレメントがキャメル・ピンとのお付き合い。スペインのフェリシアーノ・ロペスはマリア・サンチェス・ロレンツォと交際中。
一方、別れた代表例としてはまあ、アンナ・クルニコワということになるでしょう。マーク・フィリープーシス及びニコラス・ラペンティと付き合ってました。また、ジェニファー・カプリアティとザビエル・マリッセは2001年に別れてます。
アメリカのアレックス・ボゴモロフJr.とアッシュリー・ハークルロードは12歳の時に出会って、友達としての交際の後、2003年末に婚約を発表しました。ただし、当初情報が混乱していたのは二人のマネジメントサイドが「若すぎる」ということで婚約に反対であったことが原因だったそうです。その辺はハークルロードも承知で「婚約期間は長くなりそう」と言ってましたが。
その後この二人、2004年半ばに8ヶ月ほどで婚約を解消してしまいましたが、ハークルロードによりますと、「二人とも似た性格なので、妥協できなかった」とのことでした。婚約解消を狙っていたマネジメントサイドの工作が功を奏したのでしょうか?(追記:と言いつつ二人は2004年12月に結婚してしまいました。これまたガセネタを掴まされた?)

一方、マルチナ・ヒンギスはテニス界の「ブラック・ウィドー」として有名ですね。この「黒い未亡人」というのは実はアメリカ産の毒蜘蛛のことを言いまして、交尾後メスがオスを食べてしまうことから名付けられたそうです。さしずめ日本語にすれば「カマキリ女」か「さげまん」と言ったところでしょうか。 実は付き合ったスウエーデンのマグナス・ノーマン、スイスのイボ・ホイベルガーとも交際中に故障を起こしたりして伸び悩んでいます。(ホイベルガーとはダブルスを組んだことあり)今はインスブルックのスキーインストラクターと付き合っていますが。 ヒンギスの大ファンのロジャー・フェデレが「僕はいつでも彼女とボーイフレンドの席を用意して待っているよ」と言ってくれているのをいいことに、オージーオープンのテレビ解説の仕事の傍ら、彼の試合を二人で観戦していましたが、北半球の1月という稼ぎ時にスキーインストラクターを10日以上も職場から離してしまうのはまずいのではないかい。確かにほんとにカマキリ女かもしれない。

では、テニス界のビッグカップル二組について解説。

アンドレ・アガシ&シュテフィ・グラフ
この二人、99年の全仏オープンで優勝したときにお近づきになって、グラフがアガシに引退の相談をしたのが付き合いのきっかけという話もあったのですが、実際にはもう少し早かったようです。
もともとのところ、お近づきにならないまでも、当然アガシはグラフのことを偉大なプレイヤーとして遠くから尊敬しておったのですが、99年3月のリプトン選手権で数分間一緒に練習したところで、アガシは彼女に目をつけて食事に誘うのであります。
彼は女優のブルック・シールズと4月に離婚するところでしたしが、この結果グラフはレーシングカードライバーのミハイル・バーテルスと8月に7年間の交際を終えることになるわけです。で、9月の全米オープン直前には一緒にボクシングを観戦したり、ディナーデートにこぎつけるわけですから、手が早い。
しかし、実際はかなり難儀したようで、「これは本当に根競べだった。彼女に接近するたびに相手は10フィート飛び退いた」と言っております。アガシの年齢を感じさせぬダッシュ力はグラフを追いかけることで鍛えたのか?

2004年オーストラリアンオープンではジョン・マッケンローがコートサイドインタビューをしていたのですが、アガシに「君の子供をキムとレイトンの子供と対戦させる気はあるか」と尋ねられた時には、
「息子か娘が負けたなら、たとえ20年後でも僕が決勝でカタキを取るよ」と言ってました。本気でしょうか?決勝に行く前にキムやレイトンに負けてたりして。
2003年全仏での夫婦でのダブルス出場の約束はグラフの妊娠により果たせませんでしたし、今後も難しそうですが、チャリティーイベントにでもすれば結構稼げると思うんですがどうなんでしょう。

レイトン・ヒューイット&キム・クライシュテルス
キムによりますと、彼女は12歳頃からレイトンのことを知っていて、ジュニアサーキットでは兄妹に間違えられたこともあったそう。
付き合い始めたきっかけは2000年オーストラリアンオープンの時のこと。キムが妹のエルクのためにレイトンにサインをもらいに行くのです。そこで親しく話をするようになったらしいのですが、これが発端でその年の全仏オープンとウィンプルドンの混合ダブルスに出場することになったようです。
この過程でキムがパット・ラフターのファンであることを知ったレイトン、利敵行為とも思える行動に出ます。(敵は誰じゃ)ウィンブルドンのいわゆる「ラスト8クラブ」(ベスト8に勝ち残った選手には毎年無料チケットを入手できる権利が与えられる)というものが存在することもあって、毎年ウィンブルドン直前にオーストラリア選手の現役OB交えてロンドンで「オージーバーべキューパーティー」が開催されるのです。この場にキムをパートナーとして連れて行き、ラフターに紹介したことで「まあ、レイトンって素敵なお方」ということになったらしい。
その後交際は順調に進み、2003年末のシドニーハーバークルーズデートでレイトンがプロポーズしています。私この日は半日ハーバーフロントの公園でだらだらしていたから、カメラを持って行ったならパパラッチできたかもしれない。
キムは「レイトンは親友みたいなものよ。誰もが最初に理想の男性を見つけるとは限らないけど、そうできる人も何人かはいるはずだもの」と言ってますが、オーストラリアの元住人としては「二年前にはレイトンの友達しか知らなかったけど、今はオーストラリアに友人がたくさんできた」と言っているのが嬉しい。

一方、これまたオーストラリアンオープンでのマッケンローのインタビューですが、
「婚約したっていう話だけれど、結婚がどういうものか分かってるんだろうな?」
と離婚暦のある彼に脅かされていました。ヒューイットは
「いや、彼女は素晴らしい女性だし、いい妻になるよ。試合でも活躍しているし」
と答えてましたが。
しかし2004年4月に二人が企画したチャリティーイベント「ラブ・マッチ」の写真(特にリンクページの一番下)に関してはこれを報じたシドニーモーニングヘラルド紙の記事の一文をそのまま引用させていただきたいと思います。
「さあ、皆さんご一緒に。あぁー(ため息)」
(追記:皆さんご存知の通り、キムが10月22日に「悪意のある報道のため二人が距離を置くようになってしまった」と関係が終わってしまったことを宣言しました。ああーっ

というわけで、あるスポーツ評論家によりますと、プロテニスプレイヤー同士の交際でうまく行くのは、双方のランキングが近く、目標を共有できる場合のみだそうです。確かに以上の二組はそれに該当しています。フェデレとバブリネッチもフェデレがただの若造だった時からつきあっているはず。レイトンのランキングが急降下した時もキムとの交際にひびは入りませんでしたけどね。
そういう意味では今売り出し中のスウェーデン青年、ヨアキム・ヨハンソンと伸び悩んでいるジャスリン・ヒューイットの仲は危ないんでしょうか。スウェーデンが勝ち、オーストラリアが敗れた2004年デビスカップ一回戦の後にレイトンとヨアキムは親しそうに話をしてましたが。彼女と別れようものなら兄貴が仕返しに来そうで怖い。
結局この時はレイトンとヨアキムが対戦することはなかったのですが、2004年全米オープン準決勝でレイトンと当たることが決まったヨアキム、「兄を選ぶことはできないけれど、ボーイフレンドを選ぶことはできるから、彼女は僕を応援してくれるはず」と自信の程を語っておりました。試合はご存知の通りヒューイットの勝利に終わりましたが。
一方、アンディ・ロディックは参加権を得られなかった2004年ウィンブルドンの公式優勝パーティーについて、
「パーティーでのマリア・シャラポワのスカートの丈がどのくらいになるのか見たかったんだ。長いのか、短いのか?見られないのが残念だよ。これから忍び込んで大暴れするんだ。さあ行こう」と言っておりました。決勝でロジャー・フェデレに勝てなかったのはシャラポワに対するスケベ心が足りなかったせいだと思われます。(結局膝上20センチほどの白のスカートでした)
この一件で、新恋人でモデルのローラ・ベッドフォードの肩身は狭くなったものと思われます。

ということで、結論。
教訓:テニスプレイヤーを口説こうと思う時は、相手の実力を見極めましょう。 コーチを装って初心者の女性に接近するなどもってのほかです。相手がネットラッシュをかけたときにネットを使って絡め取ろうとか、ガットを張ってないラケットを首に引っ掛けて引き寄せようとかいうのも止めましょう。
ただし、カロル・クチュラは「今までで一番手強かった相手は?」と尋ねられた時に、「僕のガールフレンド」と答えておりますので覚悟の程を。

参考
"The Love Matches" Australian Tennis Magazine, February 2004
"The odd couple" Tennis, April 2004

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