道具立てについて考える(ウェア・シューズ編)


今回はウェア・シューズ編です。前回同様使用プロの数を数えてみました。
しかしながらATP/WTA公式ページにはギアの記載のない選手も多く、私の写真判定によるものもあります。さらに表中の契約選手名は2003年シーズン終了時点のもので、セリーナ・ウィリアムズをはじめ2004年シーズンに入って変更した選手もいますが、その点はご容赦を。
ウェア・シューズともナイキとアディダスで約半数を占める結果となっています。

ウェア

Wear

ATP Top 30 WTA Top 30

Ranking

1-10

11-20

21-30

1-10

11-20

21-30

Total

Nike

3

3

3

4

1

1

15

Adidas

1

3

4

2

2

2

14

Fila

2

 

1

2

1

 

6

Sergio Tacchini

2

 

1

   

1

4

Lacoste

1

1

     

2

4

Reebok

1

     

2

1

4

Puma

 

1

 

1

   

2

Yonex

     

1

 

1

2

Prince

       

1

1

2

Asics

       

1

 

1

Others

 

2

1

 

2

1

6



シューズ

Shoes

ATP Top 30

WTA Top 30

 

Ranking

1-10

11-20

21-30

1-10

11-20

21-30

Total

Nike

3

4

3

4

1

2

17

Adidas

1

3

4

2

2

3

15

Fila

2

 

1

2

1

 

6

Sergio Tacchini

2

 

1

   

1

4

Reebok

2*

     

2

1

5

Puma

 

1

 

1

   

2

Yonex

     

1

 

1

2

Prince

         

1

1

Asics

1*

1

   

2

 

4

Others

 

1

1

 

2

1

5


*ATP公式ページにリーボックとアシックスのシューズ併用と記載されているセバスチャン・グロジャンはダブルカウント


ナイキ
1964年にオレゴン大学の陸上部コーチであったビル・バウワーマンと同部のランナーであったフィリップ・ナイトが設立したブルーリボンスポーツという会社がその前身。オニツカタイガー(現アシックス)の代理店を務めていましたが、オニツカとの共同企画品をベストセラーにしたりもということもあったそうです。
巨大企業の草創期には伝説的な話がつきものですが、この会社の第一号社員であったジェフ・ジョンソンの夢枕にギリシャの勝利の有翼女神、ニケ(英語読みでナイキ)が立ったそうです。この夢がこの会社を成功に導きます。
71年にニケの翼をイメージしたとも言われる例のスウォッシュラインを商標登録します。これは一般公募したものの結局入選作はオレゴン大学のデザイン学科学生の作品で賞金は35米ドル(当時の換算レートでは12600円か?70ドル説もあり)だったそうです。 翌年にオニツカとの提携を解消。78年にナイキを社名とします。
しかしキリスト教原理主義的観点から言えば唯一絶対の神・イエス以外の神は邪神=悪魔のはずなんですが、敬虔なクリスチャンのアッシュリー・ハークルロードや聖書絶対のエホバの証人の信者、セリーナ・ウィリアムズも契約しているのはどういうわけなんでしょう。

急速に事業を拡大した会社なだけにトラブルも多いようで、オニツカの代理店を降りた時には訴訟にまで至っています。しかし最近の問題はアンチナイキピープルの存在。ナイキの公共対応は数ある企業の中でも評価が高いそうなのですが、それでも特にアジア地区でのサッカーボール製造における児童労働問題について会社の必死の弁明にも関わらず、いくつかの ウェブサイトがまだ活動しています。
私が通っているコミュニティーカレッジのクラスメイトが最近ナイキへの就職を決めたのですが「アメリカのウェブサイトのQ&Aコーナーに来る質問の半分は児童労働がらみだ」と言ってました。

以前カルロス・モヤがこの会社と契約した時に「トップ10にナイキと契約している選手は多いし、名誉なことだ」と言ってましたが、はっきり言って多すぎるのではないかいな?
2003年シーズンはガリガリのベダノワも小さいクッツアーもでかいダベンポートも同じピンクのワンピースだったし、男役のマレスモもガリガリのハンチコワも美少女系のハークロードやシャラポワも同じ円模様のワンピースだったし。対戦されるととっさには見分けがつかないのです。男子選手の場合は試合中に着替えるということが可能で、実際当時ナンバーワンだった対戦相手のヒューイットに気を使って途中で違う色のシャツに着替えた選手もいましたが。
ナイキの選手同士が対戦する時は最初のコイントスで勝った方が好きな服を選べるようにすればいいのに。観客のことを考えるのならサーブ・リターンやコートの選択はその次です。モヤは今はノースリーブシャツを特別に作ってもらっているそうですのでこれは免除してつかわせましょう。
しかしそのモヤ、2003年全仏オープン時にナイキの宣伝担当者のとんでもない誘いに乗っています。今日は水色、明日は真っ赤と毎試合違う型の新品シューズを履きつづけるというものです。
結果、実力相応に勝ち続けはしたものの、足は靴擦れ(英語でblistersと書いてあったのでまめかもしれない)だらけだったそうな。「しあいのときははきなれたれたくつをつかいましょう。おやつは3ユーロまで」って「全仏オープン参加のしおり」に書いてなかったんでしょうか。


アディダス
契約プロはマラト・サフィン、ジャスティン・エナン=アルデンヌなど。マルチナ・ヒンギスは今でも契約しているみたいです。「(引退した今は)お世話になった団体やスポンサーにお返ししたい」と殊勝なことを言っています。
1920年、第一次大戦敗戦直後のドイツ・ニュルンベルグ近郊の町で設立されたアドルフとルドルフのダスラー兄弟商会に端を発します。陸上競技用やサッカーシューズを手掛け、その後のオリンピックではこの会社のシューズが大活躍したそうです。31年にはテニスシューズの製造を開始しています。
二度目の敗戦後の48年に、祖国ドイツのごとくこの会社は分裂し、アドルフの方の会社は翌年Adolf + Dassler でAdidas と命名され、47人の労働者と共に靴製造を再開します。翌年に補強材の意味合いもあって、例の三本線が採用されたそうです。
99年にスキー用品・インラインスケートで有名なサロモンを買収し、adidas-Salomon AG という会社名になってます。

今やプロテニス界においてはアディダス製の「パラドーン・スリチャパンの赤シャツ」はもう伝説の域に達しつつあります。赤はタイでは幸運と日曜日(男子トーナメントの決勝がある日)を意味するそうなのですが、試合の最終セットの休憩時間など彼が勝利を確信した時にコートサイドでこのシャツに着替えます。彼自身は「相手に不必要にプレッシャーをかけたくはないんだけども」と言ってますが、この時に相手も観客も彼の「俺は勝つ」のメッセージを受け取るわけです。というわけでこれを「スーパーマンのマント」と呼んでいる人もいます。
実は最初にこれを着用した試合には負けたそうですし、ドレスコード上着用できないウィンブルドンでアガシを破ったりしてますからあまり意味はないとも言えますが。青シャツを着せて対照実験をしたいと思っているのは私だけ?
驚くべきことにこのシャツは一枚しか持ってないそうで、ツアー中は毎晩コーチでもある父親がホテルの浴室で手洗いして自然乾燥させているとか。「一枚だけの方が貴重に感じることができるから」ということなんだそうです。

実はあまり知られていませんが、この会社にも2000年頃には低賃金・児童労働問題がありました。ジャカルタの工場で15歳の労働者を一日15時間、週70時間働かせ、さらには残業を拒否すると賃金カットだったそうです。インドの工場では7歳の子供が働いていたとのことですし、バンコクでは組合を作ろうとした女性労働者がセクハラの上解雇されたとか。
アディダス本社もこれを認め、待遇を改善した上に、さらに労働条件の劣悪ないくつかの下請け工場との契約を解消したそうですが。
こちらは製造しているモノが服なだけにテニス界に与える影響は大です。チャンダ・ルビンもティム・ヘンマンもアジアの子供の血で染まったウェアを着てプレイしていたのです。児童福祉活動に熱心なヒンギスやイアン・ソープが契約選手というのは歴史の皮肉としか言いようがないのでは。


フィラ
契約プロはジェニファー・カプリアティ、マーク・フィリプーシスなど。
1911年にフィラ兄弟がイタリアのビエラにニット工場を設立したのが始まり。その後下着メーカーとなり、1940年には創業者の名前から社名をFILAとする。73年にはスポーツウェア事業へ乗り出し、特にテニスウェアではそれまでの伝統的な白一色から色柄物への展開を図り、注目されたとのこと。
後に飛行機から心臓手術用の人工肺まで作っているイタリアの復合企業体フィアットグループの一員となりますが、フィアットは2003年にフィラをアメリカの持株グループに売却してしまいました。
ファッション好きで「ミラノから来るものはみんな好き」と言っているダニエラ・ハンチコワをナイキに取られているのはなぜなんでしょう。今でもデザイン工房はミラノにあるのに。

2001年のシーズンだったか、ビヨン・ボルグモデルのストライプシャツを復活させ、契約選手全員に着せたことがありますが、それに関して質問を受けたエレナ・ドキッチは「フィラが着ろって言っているから着ているだけ」と答えてました。年齢的にボルグを知らなくて当然かと思いますが、もうちょっとちゃんと説明してから渡してはどう?
しかし2004年ニューモデルを着用した彼女の写真を会社のホームページに掲載したものの、その数日後である1月第一週目に「2004年のドキッチとの契約は合意に至らなかった」と発表するのは架けた梯子にトマホークミサイルを撃ち込むような酷い仕打ちでございます。(追記:私は幼少時のクルニコワにラケットを与え、プリンスとのラケット契約を反故にされた上にウィルソンに振られたディメンティエワを救ったヨネックスが助け舟を出すのではと予想していたのですが、その通りドキッチはラケット・ウェアともこの会社のものを使用することになりました)

というわけで、プロ選手とのスポンサー契約というプロモーション方法を考案したのもこの会社ということですが、これが選手の活動範囲を制限することがあります。
フィラとの2年契約を結んでいるキム・クライシュテルスは2003年12月にアテネオリンピックに出場しない旨発表しました。というのも、ベルギーのオリンピック選手はアテネではアディダスを着てメダル授与式に出ることになっており、フィラとの契約がそれを許さないとのこと。ベルギーオリンピック委員会の両社に対する必死の調停工作も功を奏さず、彼女は「ジャスティン、金メダルを取って」と応援するだけの立場となりました。
これからは複数の企業と契約するのが得策でしょう。そのうち帽子はフィラ、シャツはアディダス、ボトムはナイキで靴は左右それぞれリーボックとアシックス、リストバンド左右にタッキーニとエレッセで靴下はル・コックとKスイス、香水はラコステなどという選手が現れるかもしれません。
私がそれに近い格好をしているのはスポンサー契約のせいではなくて特売品を寄せ集めて着用しているだけですのでお間違えのないように。


セルジオ・タッキーニ
契約プロとしてはファン・カルロス・フェレーロが有名。
イタリアのテニス選手、セルジオ・タッキーニが、テニスウェアの製造を目的として1966年に設立した会社。生まれた時からテニスウェアを作っていた会社というのはこことラコステくらいです。
白一色のテニスウェアの世界にカラフルな色柄物を初めて持ち込んだとのことですが、フィラも同じことを言ってません?年代的にはこっちの方が早そう。
シューズが足の故障の原因となったとしてマルチナ・ヒンギスに訴訟を起こされてケチがついてしまったかと思いましたが、最近のフェレーロやデビッド・ナルバンディアンの活躍で面目を取り戻しつつあります。
まだ判決が出ていませんし、敗訴したとしても全額賠償すると決まっているわけでありませんが、4000万米ドル(45億円)は大きいぞ。それでなくても裁判費用の負担は大きいわけで、かくなる上はこの一件を逆手に取って売上げを稼ぐしかありません。
あるアマチュアテニスプレイヤーがセルジオ・タッキーニの靴を買ってきた。箱の中に機能の説明や手入れの仕方を書いたのとは別に一枚紙が入っている。












「この靴は不幸のシューズです。これを手にした人は一週間以内に同型のシューズを10人に贈らないと再起不能の故障を負うことになります。これを無視したマルチナ・ヒンギスという人は若くしてプロ競技生活からの引退に追い込まれました」 そうやって靴をもらった人の何人かにも同じ内容の文書が箱の中に…。売上げ激増です。


プーマ
現役で着ているのはタチアナ・パノワ、マーチン・フェルケルクくらいですか?ボリス・ベッカーはプーマ履いてたのになあ。
1948年に分裂したドイツのダスラー兄弟商会の弟、ルドルフ・ダスラーの方の会社は当初ルーダという会社名(ルドルフ+ダスラーか?)でしたが、翌年に社名をPUMAとし、主にサッカーシューズを製造していたとのことです。マークを見ても分かる通りPUMAはピューマ(アメリカライオン)のことですが、なぜこの名前になったかは分かりませんでした。
セリーナ・ウィリアムズは2002年全米オープンに真っ黒なボディコンシャスのウェア(英語ではcat suitと言われてました)を着て現われ、話題になりました。
2003年オーストラリアンオープンを盛り上げようとした大会役員が「ぜひあれを着て出場してほしい」と言った代物です。結局オーストラリアでは別のニューモデルを着用してましたが。
2004年の同大会のポスターはアメコミタッチの選手のイラストが載っているのですが、2年前のモデルにも関わらずそこではセリーナはキャットスーツを着ています。これほどラブコールを送っているのだから着てあげればいいのに、彼女は2004年から各種条件込み5年で6000万米ドル(65億円)の女子スポーツ史上最高の契約額でナイキと契約しました。
一方、ツアー一の短躯ながら大いに活躍するパノワが対抗してマウススーツを着たとかいう話はありません。(追記:彼女2004年からロットを着用しています)


ラコステ
契約プロはセバスチャン・グロジャン、アーノルド・クレメント、ナタリー・デーシーなどに加えて旧植民地出身・パリ在住のユーノス・エルアンノウィーなどおフランスの香りのする方が大勢います。他にもエレニ・ダリニドゥとかアレックス・コレッチャとか南欧系ばっかり。
それには当然理由がありまして、もともとフランスチームの一員として1927年にアメリカから初めてデビスカップの王座を奪うと共に全仏オープンで三度、ウィンブルドンで二度勝利を収めたテニスプレイヤー、レン・ラコステが1933年に設立した会社です。
食いついたら離れない執念深さのためアメリカのメディアに「アリゲーター」と綽名されたので、それをそのままブランドマークにしたというのが公式サイトの説明です。
一方スペイン・バスク地方出身の彼が地元での綽名であったワニを自分のシャツに刺繍したのが事の起こりという説もありますが。実際ワニ革が大好きだったらしい。
現在テニス・ゴルフウェアや香水などを製造しており、全仏オープンの公式スポンサーでもあります。
マニアの方は製造国によるワニマークの微妙な表情を見分けてシャツをコレクションしているらしいですが、選手に合わせたモロッコ顔やギリシャ顔のワニのシャツが製造されているかは定かではありません。帽子の背面にもワニマークを入れているのはグロジャンやダリニドゥなど後ろ前にかぶる選手が多いせいか?
球際に弱い方はラコステを着ると執念深くなれるかもしれません。ただし、飛んで来たボールにかぶりついたまま離さなかったら相手方のポイントです。


リーボック
アンディ・ロディック、ビーナス・ウィリアムズなどが契約選手。もともとイギリスの会社なのにアメリカ人ばっかり。引退したオーストラリアのパット・ラフターは今でも人前でスポーツをする時はリーボックを着てます。
ビーナスの契約金5年で3800万米ドルはセリーナのナイキに抜かれるまでは女子スポーツ選手史上最高でした。

1895年にイギリスのランナー、ジョセフ・ウイリアム・フォスターが自分用の靴を作ったのが創立のきっかけ。1900年にJ.W.フォスター社を設立し、1958年に創業者の孫がアフリカのカモシカの名前を取って社名を「リーボック」と改名。84年にアメリカの事業家に買い取られ、86年にアパレル事業に参加。

リーボックといえば忘れもしないのがシドニーオリンピックのスポンサー降板騒ぎ。オリンピック組織委員会が他のメーカーに公式シャツと帽子を発注したことにより契約違反としてこの会社はスポンサーを降り、格安の金額で公式スポンサーに収まったナイキの一人勝ちとなりました。この件裁判沙汰になったとの話ですが、結果はどうなってるんでしょう。
一方、ナイキとリーボックのスウェットシャツを作っているメキシコの工場で2001年に労働条件の改善を求める争議があったのですが、これに呼応する形でアメリカでスウェットシャツ不買運動が起こったことがあります。社外の弁護士や人権活動家を雇って対処しようとしたナイキに対して、リーボックは自社の人権担当マネージャーを現地に送り、工場経営者に圧力をかけたとのことです。もともとアムネスティインターナショナルをはじめとする人権活動に積極協賛する企業ではあったのですが、このことによりナイキのようにボイコットのターゲットにならなくて済んだとのこと。これで結果的にはオリンピックの仕返しということになりました。
しかし服や靴は概して極度に高度な技術も多額の投資もなく製造できるということで、常に途上国での労働問題が付きまといますね。


アシックス
やはりシューズに強い。セバスチャン・グロジャン(リーボックと併用)や「驚異の17歳」リシャール・ガスクエなどフランス人が多いか?ただ単にラコステが靴を供給していないので補完計画が完成しているのでしょうか。ユーノス・エルアンノウィーもこの組み合わせです。その他のシューズ使用プロにはマルチナ・ナブラチロワがいます。

1946年に現会長の鬼塚喜八郎が「非行化する少年たちを立ち直らせるにはスポーツしかない」と思い立ちオニツカ株式会社を設立、ケミカルシューズ製造集積地である神戸の地の利を活かしてスポーツシューズとしては一番製造が難しいと言われていたバスケットボールシューズの製造に着手したのが始まり。
77年に釣り着やアウトドアウェアのメーカーと合併した時に、創業時の精神に立ち返り、 「健全な身体に健全な精神があれかし」という2世紀のローマの風刺作家ユベナリスによるラテン語の単語の頭文字を取って社名をASICSとする。実はMSICSでは語呂が悪いので「精神」という単語を同じ意味の別の単語に入れ替えたそうですが。
というわけで「足+靴」で「あしっくつ」というわけでは決してありません。スポーツシューズを脱いだ友人に「足っクサッ」とはやしたてるのも止めましょう。

メダル取り職人の異名を持つ名匠、三村仁司氏をはじめとする驚異の靴職人軍団を抱えてスポーツ界からの信頼も厚いですが、テニス選手にはまだそこまで注文をつける人はいないようです。もったいない。プロテニスにおける成績向上の盲点かもしれないのに。
実際、足まめが国際レベル競技会での戦績に直接、しかも度々影響しているスポーツというのは最早テニスくらいしか存在しません。同様に直射日光下、ハードサーフェス上で数時間戦うマラソンや競歩ではこの問題はほぼ解決されているにも関わらずです。三村さん、出番です。


ラケット系メーカー
ラケット系メーカーとウェア及びシューズの契約をしている選手としては、プリンスにはリサ・レイモンドがいます。ウィルソンではマギ・セルナ、ヨネックスはモニカ・セレス、エレナ・ディメンティエワあたりですか。
伝統のなさは否定できませんが、ヨネックスは同様に新規参入したウォーキングシューズ事業でも確実に評価を高めつつありますのでモノとしては良いのでしょう。スリチャパンの契約争奪戦ではアディダスに敗れてしまいましたが。
先頃リチャード・クライチェクの妹のミカエラ・クライチェクがジュニアツアーデビューしたのですが、ダンロップのラケットとヨネックスのウェアという組み合わせは変な感じがするのは私だけ?


その他
コンチータ・マルチネスが着用しているのがカッパ。完全にランニングギアの会社だと思ってたんですが。
アグスティン・カレリはディアドラを使用しているようです。アメリカのメーカーで日本にも販売子会社があります。
グスタボ・クエルテンの靴と服はオリンピカスというところのものらしいです。(追記:すいません、ディアドラはイタリアのメーカーで、しかもクエルテンもずっとこれを着用しているようです。しかしオリンピカスを着ている写真も結構あるんですが。個人スポンサーのディアドラとチームスポンサーのオリンピカスとの対立で彼がシドニーオリンピックに出られなかったのは有名な話でした)
パオラ・スアルスはロット。イタリアのメーカーで、ATP/WTAオフィシャルウェアやシューズを作ってます。
不明の一人はユリ・ノバック。以前はチェコ国産のAlea というブランドの服を着用していたようなのですが、ここ2年ほどはオーストラリアでも見たことのないカンガルーマークの付いた服を着ています。靴はナイキです。
(追記:2004年7月1日付のシドニーモーニングヘラルド紙に以下のような小ネタが載っていました。ロンドン在住のオーストラリア人男性が、ウィンブルドン男子ダブルス三回戦、ウェイン・アーサーズとポール・ハンレイのオージーペアを応援しに出掛けたところ、相手のチェコの選手達、ノバックとステパニクはシャツもパンツも靴下もカンガルーマーク入りだったそうです。それに当惑したのは彼だけではなく、彼の背後に座っていたイギリス人の少年が「どっちがオーストラリアの選手?」と母親に尋ねたところ、彼女は「パンツにカンガルーのマークが入っている方」と答えたそうです。この服、イギリスのKangolというスポーツウェアメーカー製とのこと。)


ところでナイキを着用している杉山愛はワコールの所属のはずですが、どうしてマリナーズのイチロー選手も練習では愛用しているという同社製CW−Xサポートウェアを着てこないのかな?あれって疲労防止にはかなり効くと思うんですけれど。最近テニス用にも積極的に宣伝しているみたいですし。タイツの進化形ではありますが、別に下着でプレイしろと言っているわけではありません。
私もランニングには使っていますがあれって男性の場合は前がもっこりするので恥ずかしいのよ。上にショートパンツを履くと何か間抜けやし。女性の場合はおシリのラインがはっきり出るものの大筋では問題ないと思うんですが。

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