ラケット裁き
「ああ、恵子、迎えに来たったぞ。愛はどこやねん」
「まだもうちょっとコートを使わしてもらえる言うて、あっちで石倉コーチと練習してますわ。もうちょっと待ってくれへん?」
「さよか、ほなこのベンチにでも座らしてもらおか」
「まあ、ぼーっと待っててもええけど、せっかくテニスクラブに来たんやし、そこのコートが空いてるそうやさかい、テニスしてみぃへん?ラケット一本余ってるし」
「そんなん、わし一回もラケット握ったことないで」
「まあ、やってみたら楽しいかも知れんで」
「そうか、ほなやってみるかな」
「そのラケットでこっちに球を打ち返したらええんやからね。行くで」
ポーン
バシッ
「あ、あんた今のショット・・・」
「え、どうかしたんか?」
「ウチに隠れて練習しとったでしょう」
「そんなことないで。テニスしたのは初めてや」
「それでそんな球が打てるわけないやん」
「たまたまやって。あれってそんなにええ球が行ったんか」
「ええも悪いも、あんなんやったらプロになれるわ。どうやって打ったん?教えてぇや」
「そんな、打とうとして打ったのと違うで」
「とぼけるのもええ加減にしい。大体あんた昔からそうやねん。水臭ぁいところがあるわ」
「やり方知らんもん教えようがないやないか。あんまりわけの分からんことを抜かしてけつかったら、しばきたおすぞ」
「フン、ちょっと自分が都合悪うなったらしばきたおすやなんて、ラケットで突き刺すなとボールで心臓に穴開けなと、好きなようにしたらええがな」
「『突き刺すなと・・・』よーし、そのど性根叩き直したるさかい」
「どぉにでもしなはれ、いっそ殺しとくんなはれ、さぁ殺せ!」
「何っ、殺したるわ!」
「ま、待ちなさいって。テニスコートで夫婦喧嘩は困るんですわ。しかも死ぬの殺すのって人聞きの悪い」
「ああ、石倉コーチ、すいません」
「一体全体どうしたことですか」
「いやね、この人がさっきすんごいショットを打ったんですわ。それでね、どうやって打ったか聞こうと思たら、『そんなんどうやって打つか知らん』とか言いよるんですわ。うわぁーんっ」
「泣くこともないでしょう。それでさあ殺せまで行くんですか。気楽な夫婦ですね。恵子さん、クラブハウスでお母さん方がお茶を飲んでますから、行って機嫌直してください。さぁさ」
「石倉コーチ、すいません。いつもはああいうことはないんですけど、恵子のやつ、テニスのことになると前後見境なくなって・・・」
「いいお母さんなんですけどねぇ、『ラケットで突き刺せ』まで行きますか。ですけど、そのショット、どんな風に打ったんですか」
「知ってたら嫁に喋ってます。コーチまでそんな」
「ここはやっぱり専門家がちゃんと分析すれば、娘の愛ちゃんのショットは飛躍的に向上するに違いないんです。もちろん他の選手には完全に秘密にしますから」
「専門家やろが何やろが、知らんもんは知らんのですわ」
「あっ、愛ちゃんの将来がどうなってもいいんですか。このテニスクラブで合宿をした時に行方不明になって、10年後に香港の阿片窟で惨めな姿で発見されるんですわ。才能があるだけに可愛そうですけど仕方がないですねえ」
「そ、そんな。それは誘拐と違いますか。お巡りさーん、うちの娘を助けとくんなはれ!」
「オマワリサントハ、ブッソウデスネ」
「あっ、アンダーソン客員コーチ」
「イッタイ、ナニゴトデスカ」
「いや、嫁とテニスをしてたらですね、凄い球が行ったんらしいですわ。それで嫁がどうやって打つのか教えろっちゅうてね、わたい全くの初心者なもんで、そんなもん偶然やっちゅうても聞き入れませんのや。ほんで喧嘩になってしもて、石倉コーチが仲裁にきてくれはったんやけど、コーチまで打ち方を教えろっちゅうて・・・。さもないと娘を香港に売り飛ばすっちゅうて脅しまんねんけど、そんなん打とうと思って打ったもんと違うさかい、説明のしようがありませんのや」
「イシクラサン、ショシンシャノマグレアタリニカマッテイルヒマガアッタラ、ソウコデぼーるミガキデモシテイナサイ。ケイスケサンデシタカ、こーちヲダイヒョウシテオワビイタシマス」
「いや、分かってくれはったらええんですけどね。ほな、帰らしてもらいますわ。娘はどこですか」
「オカエリニナルマエニチョット」
「はぁ?」
「オクサンガシリタガリ、イシクラこーちガシリタガッタソノしょっとノヒミツ、コノあんだーそんニダケニコッソリオシエテモラエマセンカ」
「ええーっ、知らんもんは知らんのですわ」
「モトATPらんきんぐ30イノワタシニマデ、シラヲキルツモリデスカ」
「ワタシにもたわしにも、喋りようがないんですわ」
「ヨクキキナサイ、ココデソノヒミツヲアカサナイヨウデアレバ、ワチシノクチキキデ、アイチャンハふろりだノころてりてにすあかでみーニリュウガクサセラレ、ガッシュクジョデセンパイニイジメラレテ、シンシントモボロボロニナッテ、ソノゴミジメナジンセイヲオクルコトニナルノデス」
「そんな殺生な」
「デナケレバ、ジツリョクデゲロヲハカセルマデデス。こーとノマワリヲ200シュウハシリナサイ」
「何で娘のレッスン料払ってまでそんなことさせられないかんのですか」
「イイカラハシリナサーイ」
「はあ、はあ、もうあかん。まだ100週や。目がかすんできた。何で人はテニスとくると気が狂ったようになるんやろう。ああっもう倒れるわ」
そこへ突如吹き付ける一陣の風。圭介は天空高く舞い上がるー。
「なんや、気を失ってたみたいやな。ここはどこやねん。あっ、あんた天狗さん!」
「心ついたか・・・。ここはテニスの聖地、ウィンブルドンの上空30000メートルにあるテニス天狗の住処である」
「ウィンブルどんとはけったいな名前」
「西郷どんやおいどんの親戚ではないぞ。ましてやかつ丼やうな丼の仲間でもない」
「テニス天狗さんがその手に持っているのはやっぱりラケットでっしゃろか」
「これは天狗のラケット、握った瞬間に憧れのテニスコートにひとっとび、どんな相手にも圧勝を収められる魔法のラケットじゃ」
「そのテニス天狗さんがわてに何の用で」
「世界中のテニスコートを見渡せる天狗のサングラスで下界を覗いておったらならば、あるコートでよれよれになっておる男を見た。実績のあるコーチともあろうものが、たかが初心者のショットの秘密を知りたがり、懲罰を加えたという。不憫なゆえにここまで助け運び取られたのじゃ。あのような者にコーチはできん」
「ありがとうございます。打ち方も知らない打球の秘密を喋れ、喋れと言われて往生しておりました」
「全く素人どもが」
「重ねてお礼申し上げます。どう打った、どう打ったと責め立てられて困っておりました」
「馬鹿馬鹿しい。聞いたところで何になる。たかが初心者のまぐれ当たりではないか、なぁ・・・。うん、はぁ・・・。最初女房が聞きたがり、次にコーチが聞きたがり、そして元ATPプレーヤーが聞きたがったというショットの話、テニス天狗はそのようなものは聞きとうない。しかしながら・・・、しかしながら並のテニスプレイヤーと申す者がどういうショットに興味があるのか、その方が『シャベリたいっ』というのであれば、聞いてやってもよいが・・・」
「喋りたいなんちゅうことはおまへんので、へぇ。本当にどうやったか知らんのですわ」
「ここは他に聞くものもなきウィンブルドン上空30000メートル、ましてわしは人間ではない。『聞いてやってもよい』と申しておる。わしがこう申しておる間に喋った方がよかろぉ」
「脅かしたらあきまへん、ホンマにわては知らんので、やりようのないことは説明ができまへん」
「天狗を侮るとどのようなことになるか存知おろう。体中にガットを巻きつけられ、きりきりと生きながら締め付けられていくのじゃっ」
「わ、分かりました。説明用に、そ、その手に持っておられる古ぼけたラケットを貸してくんなはれ」
「これは天狗のラケット、そう簡単に貸せるか」
「そこを何とか、ちゃんと説明しますんで」
「うむ、ちょっとだけだぞ」
かくしてラケットを手にした圭介、
「ウインブルドンっ」
と唯一知っているテニス会場の名前を叫んだ。
「うわーっ、ほんとにテニスコートに立ってるわ。それにしてもでっかい客席や。わー、人がぎょ―さんおるなー。今日の相手は誰やろ。ロディックとかいうアメリカの兄ちゃんや。強そうやなあ。どんなルールで戦うのか知らんけど、よし、今日は勝ったるでえ」
「ちょっと、あんた!暇やからってベンチで寝てもうたら困るわ」
「何や、夢やったんかいな」
「愛の練習まだ時間かかるみたいやし、まあ、ぼーっと待っててもええけど、せっかくテニスクラブに来たんやし、そこのコートが空いてるそうやさかい、テニスしてみぃへん?あんたの傍にあるその古ぼけたラケット使わしてもろたらええやん。それ持ってコートにおいで」
「そんなん、わし一回もラケット握ったことないで」
「まあ、やってみたら楽しいかも知れんで」
「そうか、ほなやってみるかな」
「そのラケットでこっちに球を打ち返したらええんやからね。行くで」
ポーン
バシッ
「あ、あんた今のショット・・・」
「え、どうかしたんか?」
元ネタは上方落語「天狗裁き」。(一部台詞は桂米朝版からそのまま拝借)後半の展開はその東京落語バージョン「羽団扇」に拠っております。

