コラムT 庶民派に徹する経営の専門家


母校の就職部から起業家の一人としてインタビューを受けました。
学内の機関紙に掲載されましたが、これまでの私の思いを客観的にまとめていただけたように思いますので
ここに転載します。(創価大学就職部 機関紙「SPEED」第63号 2001年12月18日発行 より転載)

――創価大学を出てからの経歴を拝見しましたが、苦労と頑張り、波乱万丈の感じを受けました。

谷口 今46歳ですから、まだまだこれからなんですが、一通り色んな経験をしてきました。

 ――学生時代はどうでしたか。

谷口 ギター部に所属していました。結構はまってまして、演奏会なんかもひんぱんにやっていました。それで卒業近くなって、民間企業に就職するか、公務員を受けるか、迷って、国家T種を挑戦しようと決めたのは結局卒業してからです。2回受けて駄目だったので、方向転換して民間企業に切り替えました。

――就職はどちらに。

谷口 三木楽器です。80年に入社して93年まで勤めました。10年間は何があっても辞めないと決めていましたが、だんだん物を売る仕事に魅力を感じなくなってきまして、またこの業界も成熟産業になっていましてのでその段階で退職したのです。

――それからどうされましたか。

谷口 やはり自分は資格を取得して、人々にアドバイスしていくことのほうが合っていると思ってどういう方向がいいか考えて、弁護士か社労士か、最終的に社会労務士試験を受けてみようと思って、勉強を始めました。

――そのときの年齢は。

谷口 37歳でした。年齢的にはちょっと冒険なんですが、とにかく一発で受かろうと自分では決めていましたので,朝から晩まで13時間ぐらい勉強しました。学校はその頃、合格率が高かったマンパワーの関係の社労士教育事業部に通っていました。

――結果はどうでしたか。

谷口 前年の12月末に退社して、翌年1月から勉強開始で、試験が7月末でしたから賞味7ヶ月11月に発表があったのですが、お蔭様で予定通り合格できました。

――難関の試験ですから、最短に近い合格者でしょうね。

谷口 最短かどうか分かりませんが早いほうだと思います。それにその年の合格率はたしか6.7%でしたから、合格率のほうは史上最低だったと思います。

――どちらにしても快挙です。

谷口 目標が達成できたのでほっとしましたね。それで、義理の父が損保の代理店をやってましたので相談したら、安田火災を紹介されまして翌年7月に入社しました。しかし社労士の資格を表に出さない約束の入社でしたので、特別な扱いは何もありませんでした。しかし安田火災には7ヶ月しか在籍しませんでしたが、その間、損害保険取扱資格上級の資格を取得。併せて仕事のリンクの上から中小企業診断士の勉強も始めました。

――その試験も難しい試験です。

谷口 はい。ところがこの勉強の途中で義父が突然亡くなりまして、安田火災を辞めて義父の保険事務所を引き継ぎました。ところがその頃、損保会社が代理店の整理統合を始めた時期で代理店の仕事が減少しました。それで運送会社で時給800円のアルバイト始めたのですが、その会社の社長が病気になって私が代理社長を務めることになりました。

――時給800円の社長ですか。

谷口 そうです(笑い)。トラックの運転をしながら、朝から晩まで経営者のように働いて、夜は中小企業診断士の勉強をやる日々が2年間続きました。体力的にも経済的にも一番きつかったですね、このときが。

――2年後に中小企業診断士の資格を取ってそれで独立された。

谷口 ええそうです。今振り返って思うのですが、運送会社で経営者の苦しみも分かったし、ぎりぎりの生活を味わいましたが、これは自分にとっては貴重な経験でした。

――もう少しお願いします。

谷口 創業セミナーとか転職セミナーなどで話をする機会も多いのですが、そのときに私のそうした体験を紹介しながら事業を成功させるのは並大抵でないことを話しています。

――対象はどんな方ですか。

谷口 創業といっても、大きなビジネスに限りません。うどん屋とかラーメン屋を始めたい人なんかも多いです。しかしうどん屋をやるにしても成功させるのは大変です。統計では創業ベンチャーで10年後の生存率は1%以下です。軽く考えている人には厳しい実態も伝えます。

――これからの目標は。

谷口 仕事の必要性からMBAを取得するつもりです。関西の大学でも取れますので50歳までに取りたいと思っています。

《インタビューを終えて》
     座右の銘は「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」。
   セミナーではうどん屋のおじさんを念頭に話をするという。
   話が抽象論に落ちないための工夫だ。
   庶民の味方として大いなる活躍を期待します。    (水)