プロフィール(2004年バージョン)
| 谷口清志(タニグチキヨシ)の生まれと育ち 昭和30年3月17日生まれで、まもなく49歳を迎えます。 う・・・うそでしょ? 上の写真をご覧になった、私を個人的にご存じないあなたの声が聞こえてきますが、ほんとです、はい。 三代続いた生まれも育ちも生粋の「浪速ッ子」です。 今ではUSJですっかり有名になった、大阪市此花区の生まれだそうです。でも私に記憶はありません。覚えている範囲での幼い頃は、大阪市西淀川区の神崎川の堤防のすぐ隣り合わせのアパートです。その他、兵庫県の尼崎などで育ちました。つまりは、本当に庶民の町・・・吹き溜まりのような庶民そのものの出自であるということになりますね。 昔、西岡たかしという人が作った歌に、「ぼくたち、大阪の子どもやで〜」というのがありましたが、まさに「町中のことなら何でも知ってるで〜」を地で行く庶民生活そのものの幼少期の後、小学4年の1学期に、突如、これまた都市計画ではすっかり古株になってしまいましたが、現在の高級住宅街千里ニュータウンは古江台の、そのまた町外れの庶民区画にお引越し。当時、あこがれの団地生活ということで両親にとっては大変な生活革命・・・だったのでしょう。だって、当時から水洗トイレでしたから・・・これがいかに凄いことだったのか、大学生時代に下宿を探した時にようやくわかりました。 というわけで、おかげさまで幼少期からずっと、自分は大阪の坊ちゃん育ちと信じておりました。大阪弁では、お坊ちゃまのことを「ぼん」と言います。従いまして、今も私のハンドルネームは、そうです「ぼん」なのです。 だから私の本名を知らないのに、「ぼんさん」と呼んで下さる方がとても多い。さすがのネット社会ですが、他の地方の方には、この名前はお坊さんの意味に聞こえるようでして、いつもご説明には苦労しておりますのでした。・・・(^^;; そして、大学は花の都へ上京しました。 とは言っても都会とは程遠い八王子市にありましたので、 今でも大都会東京にはなじみがありません 都会のそばの田舎育ちがほんとのところでしょうか。 卒業後、大阪に戻ってきまして、昭和58年1月に結婚し、 現在の堺市の泉北ニュータウン鴨谷台に暮し始めて既に20年を経過しました。なんと、時の経過は早いのでしょうか、陶器婚式を終え、銀婚式まで残すところあと4年となりました。 音大出身でピアノが趣味?の優しい妻と、 いつのまにか大学生となってしまった長女との3人家族。 相変わらず自宅を事務所にしているため、 可愛い子どもたちのピアノを聞くことも多くなりました。 こちらも相変わらず、長女はオーケストラ部に所属し チェロを弾いているそうです。 とは言っても、家で練習していることがないため、あくまで聞いた話しです。ホンとはどこでなにやってんでしょうね〜。。。 私自身も中学の頃からクラシックギターを弾きますので 音楽はいつもいっぱいある楽しい家庭になってます。 よかったよかった・・・なにがじゃ〜!(^^;; |
略 歴 昭和48年3月千里高等学校普通科卒 同48年4月 創価大学法学部法律学科入学 卒業に5年かけ、人より丁寧に勉強した結果、 同53年3月 趣味のギター部を最優秀で卒業。 肝心の法律学科は、これもまた優秀な成績で卒業しました・・・と誰も見てないから、書いておこう。しかしあの頃は、マジに何年かかったら単位が全部取れるのか恐怖の日々だった・・・(^^;; そして、迎えた国家公務員試験に見事不合格。 嗚呼、私の人生最初の挫折!そして、失意の帰阪。 順風満帆とは縁遠い社会人スタートは、 大阪心斎橋筋にある、老舗の楽器販売会社。 ここでも将来を嘱望?されるが、14年ほど勤務した後、 営業の酸いも甘いもしっかり体験し、平成5年12月で退職。 これが平成のリストラのど真ん中の出来事。 希望退職・退職勧奨・・・ 今でもこうした言葉を聞くたびに胸が痛くなります。 そしてこれこそ私の人生を一変させたできごとになりました。 この当たりのお話しは、受験と合格体験のところでまたじっくりといたしましょう。 平成6年、夏の試験で、始めて社会保険労務士の国家試験に挑戦し、予定通り一発で合格! これは快挙でした。 さらに翌年には損害保険の初球・普通・上級と連続踏破し、義父の損害保険代理店を手伝うことになりました。ここで一時、席を置かせていただいたのが安田火災海上保険株式会社(現損保ジャパン)です。ここで従業員一万人規模の金融機関の福利厚生の凄さを見せ付けられ、またこのあと体験することになった小規模零細企業でのアルバイト社長の悲惨な?経験の全てが、後の診断士試験へとつながっていき、本格的にチャレンジを決意しました。 この間の経緯につきましては別項の合格体験記をご覧いただくとして、いくたびかの奮戦の後、平成11年4月1日に無事登録完了。この後、それまでやっておりました損保の代理店家業やその他のアルバイトなど、全てを中止。現在の経営労務研究所ITIC設立を決意し、平成12年1月1日を期して事務所を立上げました。ここから数えると本年(2004年)が独立後5年目を迎えることになります。その後については、業務実績にページをご覧下さい。 お陰様で、仕事一筋で楽しく現在を迎えさせていただき、感謝に耐えません。 |