脳味噌煮込みうどん 99年10月〜2001年1月 【脳味噌煮込みうどん】99年10月〜2001年1月


芝山町からの手紙(一坪共有地解消要請)

日本医師会>カルテ開示ガイドライン>経過

日本医師会>カルテ開示ガイドライン>疑問

医療オンブズマンを騙る???

介護サービス契約書

医療過誤訴訟原告HP

石原都知事「暴言」をめぐる諸問題

政治家の差別言動と「痛み」論

天皇を中心とする神の国(1)

天皇を中心とする神の国(2)

天皇を中心とする神の国(3)

エトノスとデモス

身捨つるほどの祖国はありや

年越しうどん


1999/10/21 芝山町からの手紙(一坪共有地解消要請)

今から20年前の1979年10月21日は、わいが三里塚空港(成田空港)の反対集会に初めて行った日だった。空港はすでに前年5月に開港していたが、この頃の反対運動は“飛行阻止”を含め“現空港への攻撃”がさかんに叫ばれるような、まだまだ意気盛んなものだった。

それからしばらく後の1983年、反対同盟の呼びかけで一坪共有運動が行われ、わいも共有者の1人となった。

*ちなみに、この一坪共有運動は、反対同盟が「熱田派」「北原派」などに分裂する決定的な契機でもあった。後に「熱田派」となる人々が主導するこの運動に対しては、「北原派」の農家とその支援セクトが猛烈に反発し、われわれは「脱落派」との悪罵を投げつけられた。共有者であるという事実だけで、一部セクトによるテロの対象になったほどである。
さらにそれから16年。このかんわいは転職と転居を繰り返し、支援の足も遠のいた。一坪共有地をめぐるさしたる動きもないようだった。
ところが、今年になり立て続けに一坪共有地の解消要請と思われる文書が届いている。

千葉から遠く離れた高知で、しかも単なる“元”支援者の立場でありながら一坪共有地に関わっていることに対する思いはフクザツである。が、とりあえず個人的コメントは控える(^_^;)。しかし、これら解消要請の文書には「資料」として、それなりに値打ちがあると思うので、さしあたりこれら文書を順次転載しようと思う。が、たぶん「私信の公開」にはあたらないだろう、念のため。

OCRソフトがうまく働いてくれなかったので手作業である。だから転載し終えるまで若干日にちを要すると思うが、参考にしてくれたらと思う。

※ 文書一覧および本文

1999/12/12 日本医師会>カルテ開示ガイドライン>経過

この事が世間にどれほど浸透しているか知らないが、実は2000年1月1日より国内のほとんどの医療機関は、原則としてカルテ開示に踏みきることとなるはずである。そういう風に日本医師会が会員機関に号令をかけているから、それにみんなが従えばの話しだが……。

簡単に経過を言うとこうである。
1998年6月、厚生省に設置された「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」は、その報告書においてカルテ開示法制化が妥当であるとの結論を出した。
これに対して医師会は、

「医師-患者相互間の信頼関係を醸成するための診療情報の提供は(中略)、法的な強制に馴染むものではない」
(診療情報提供に関するガイドライン検討委員会「最終報告」より)
と反発。「関係者の自発的、積極的な履行」に委ねるべしとし、1999年4月、会の倫理規範として「診療情報提供に関する指針」を制定した。こうした議論の末、厚生省医療審議会総会は1999年7月1日、「医療提供体制の改革について(中間報告)」を出したが、この中で法制化の是非については両論併記にとどまり、実質的に法制化は見送られたかたちになっている。
一方、日本医師会は経緯上、カルテ開示を“原則”とした「指針」の完全実施を目指さざるを得ず、現在2000年1月1日よりの各医療機関における施行に向け、さかんに号令をかけているのである。

医療審議会総会の1999年11月2日の議事録を見るとこうなっている。

たいした決意である。しかし医師会がこれほどの決意をしているということを全国の医師会員、そして市民はどれぐらい知っているのだろーか?
「ヒトの褌」ページに以下、転載してあります。

1999/12/12 日本医師会>カルテ開示ガイドライン>疑問

さてその中味である。
さしあたり、少なくとも患者本人が医師に対してカルテ開示(=閲覧、謄写)を求めた場合、医師側は原則としてこの求めに応じなければならない。このことが明記されている意味は大きい。しかも上に見たように、医師会は「除名」という言葉をちらつかせてまでこの指針の実施を会員医師に対して求めている。

一方、問題と思われる点もある。「指針」の次の文章を見ていただきたい。

1 基本理念
1 −1 この指針の目的
日本医師会は、医師が診療情報を積極的に提供することにより、患者が疾病と診療の内容を十分に理解し、医療の担い手である医師と医療を受ける患者とが相互に信頼関係を保ちながら、共同して疾病を克服することを目的として、会員の倫理規範の一つとして、この指針を制定する。
日本医師会のすべての会員は、この目的を達成するために、この指針の趣旨に沿って患者への診療情報の提供に努めるものとする。
そして、この「指針の目的」部分に対する解説にこうある(強調はいとえー)。
指針1 −1 関係
1 この指針が働く場合
第 一次的には、日常診療の中での診療情報の提供、診療記録等開示の問題を扱う。第二次的には、日常診療が継続している場合に、患者が転医し、あるいは他の医師の意見を求めたいと望んだ場合の情報提供、診療記録等開示の問題を扱う。裁判問題を前提とする場合は、この指針の範囲外であり指針は働かない。
つまり、この指針が想定しているのは、現に治療中のケースに限られている。そして「裁判問題を前提とする場合」には指針は働かないとしている。つまり、診療録等の開示を請求し得る者から遺族と弁護士は排除される。
わいも地区医師会の説明会を聞きに行ったが、日医本部から来ていた講演者は「弁護士が来ても断ってください」と説明していた。

「診療情報の所有権は患者にある」という立場に立つと、これはおかしな話だ。この論に立つならば、診療録開示を求めるのが治療目的であれ訴訟目的であれ、もしくは本人であれ正式に代理権を受けた代理人であれ、開示を拒む理由にはできないはずだ。
逆にいうと、「指針」の立場はこうだということである。

「医師は現に行っている治療にプラスとなるよう、診療情報の提供を行うべきであるが、この場合の医師の立場は善意の診療情報提供者であり、診療情報の所有権はあくまでも医師(施療側)のものである。」
ま、これがさしあたりいちおう、現段階での制度的な到達点(=限界)なのだという理解でたぶん良いだろう。まずはせっかくの指針なんだから、大いに利用されたら如何だろーか(^_^)。

2000/01/20 医療オンブズマンを騙る???

先日、わいが勤務している病院宛てに「医療監視市民オンブズマン(METSCO)」という団体からの手紙が届いた。読んでみると、「医療機関における診療報酬の不正受給の温床になっている様々な問題点について実態を把握調査し積極的に、改善を図って行く活動を展開しています。」となっている。

で、活動の支援のため、医療機関にあっては一口3万円の支援金額を受け付けるとゆーことなのだが、どーも具合が変だ。

「会員からの情報や告発を受け調査し悪質な医療機関に対しては、監督官庁への告発また、ネット上での告発という形で対応して行きたいと考えております。」
これは良いとしよう。だが、これはどーか?
「今回私どもの活動にご支援頂いた医療機関が万一METSCO会員からの不正告発をうけた場合は(中略)告発する手段はとらずに、医療機関へ文書指導にて改善を図って行きたい」
これじゃあ、ほとんど「心当たりのある」医療機関に対するタカリちゃうの? 「金を払えば手心を加えてあげるよ」みたいなもんで……。とゆーのが、わいの印象。
だが、そう決め付けるのも悪いし、直截にメールで聞いてみることにした。わいもモノズキである(^_^;)。

で、返事が来た。 → メールでのやり取りはこちら

さてこれをどう判断するか? それは読者の皆さんに委ねることにしよう(^_^)。
んが、彼の人たちの主観や意図がどうあれ、「支援してくれた医療機関」のみ手心を加えるかのごときに受け取れるような書き方をする「市民団体」は、批判されたって仕方がないと思うのだが……。

METSCOホームページ:http://www.iryoukanshi.com

2000/03/30 介護サービス契約書

とうとうと言うか、いよいよと言うか、4月から介護保険がスタートする。

さて、周知のとおり介護保険は「措置」でなく「契約」である。だから、介護サービスを行う事業者は利用者との間で契約書を交わすことになる。特別養護老人ホームにしても病院にしても、これまで利用者と契約書を交わすということはなかった(少なかった)。で、そのため各府県においては推奨書式として「モデル契約書」なるものが配布されているようである。

わが高知県でも配布され、医療機関にも回ってきた。
これによると、たとえば介護療養型医療施設(=療養型病床群)の場合、次のようなことが定められている。

利用者の解約権/サービス提供記録の閲覧、複写交付(つまりカルテ開示)/損害賠償/苦情対応
で、さらに「重要事項説明書」なる文書も取り交わすことになっている。まるでマンションの購入である。
この「重要事項説明書」も、内容はこんな具合。
事業所概要/設備概要(含居室広さ)/職員配置状況/勤務体制/事業所の運営方針(理念等)/苦情相談窓口(院内外)
さて、わいが言いたいのは、こういった契約書を交わすという「新ルール」が医療の世界に与えるインパクトについてである。医療の世界では、たぶん入院契約書(患者−病院双方が記名押印)ではなく誓約書(患者側のみ記名押印)が主流。しかもおそらく「入院中なにがあっても一切の苦情を言いません」というような一筆を取らされるものがいまだに残っているんじゃないかと思う。

で、たとえば療養型病床群で同じ病院内に介護型と医療型とを持つ場合、介護型では「お上の指導に則って」モデル契約書をそのまんまコピーして使用し、かたや医療型では昔ながらの「一切の文句を言いません」式誓約書で運営するような病院がもしあると想定してみよう。
どうだろう(^_^;)、それはお笑いと言うよりかは、不気味としか言いようがないのではなかろーか?

【参考】
日弁連も「高齢者の権利が護られるように」との観点から同様に、日弁連版「介護保険サービス契約モデル案」を公表している。

日弁連版モデル案:http://www.nichibenren.or.jp/kaigohoken/index.htm

2000/04/20 医療過誤訴訟原告HP

なかなか面白いサイトを見つけた。

U.Sオフィス☆医療のページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~uso/
そもそも医療過誤訴訟というのは裁判官も原被告代理人の弁護士もすべて法律のプロではあってもふつう医学・医療のプロではない。それが「なされた医療行為の適切性」をめぐって争い、判断しなければならないというミスマッチを本質的に抱えている。

で、原告が医療に不審を抱き、提訴しようと考えても、弁護士によっては「医療過誤は難しい」と尻込みをすることになる。

が、この裁判の面白いのは、情報をWeb公開することで、被告病院の医療をHPを見た多数の医師による「同僚審査」ならぬ「Web審査」にさらしてしまったところ。原告にとっては、へたな弁護士よりもよっぽど頼りになる。それが書名にある「大切なことはすべてメールで教わった」の意味だろう。

しかも原告は相当したたかな方で、この仕掛けを作るために、HPをいかにもというような「告発調」にはせずに「おふざけ調」にデザイン。まあ、こういうやり方に対しては好き嫌いがあろうが、わいは“天晴れ”と思う(^_^;)。

いずれにせよ、ついにこーゆー時代がきたか、という感慨。
医師と患者との情報の非対称性にあぐらをかいてはいられない。常に「根拠ある医療」を心がけていないと医療側が「Web審査」の洗礼を受けてしまうこともあり得る。医療側からすると怖いこととも言えるが、まあ良いことなのだろう。

2000/06/18 石原都知事「暴言」をめぐる諸問題

「三国人」発言をはじめとする石原東京都知事の一連の差別言動がマスコミを賑わせてすでに2ヶ月。彼を追及する声も上がりはしたが、逆に支持する意見も結構あったり、その後知事も「三国人」という言葉は今後使わないなどと表明したりで、追及の動きはマスコミ的にはおおよそ鎮静化してしまったようだ。そのうえ、今度は森首相の「神の国」発言が飛び出したりもし、総選挙の絡みもあって、「三国人」発言の方は「神の国」発言と比べてすっかり影が薄くなってしまった。
しかし、わいとしては石原「暴言」はちょっと捨ておけないので、遅ればせながらコメントしておこうと思う。
ところで、ここでは石原都知事の一連の差別言動とは、以下のものを指して言うことにする。
出典は毎日新聞社のWebページ。
・2000/04/09 陸自記念行事における発言
・2000/04/10 視察先の青ヶ島における発言
・2000/04/12 都庁記者会見
・2000/04/14 都庁定例記者会見
さて、簡単に整理すると、石原「暴言」は次の3つの問題点を含んでいると、わいには思える。
  1. 「三国人」という言葉に関する問題。ないし、政治家の差別言動に対して市民が取るべき態度について。
  2. 「不法入国者」に対する為政者および社会の眼差しの問題。
  3. 自衛隊の治安出動に関する問題。
で、順にコメントを試みようと思ったが、なかなか筆が進まず日にちばかりが過ぎていくので、上の 1.〜3.のうち、1.についてのみ述べる。だが本当は、石原「暴言」の問題性は 2.3.についてこそあるのだと思う……。

2000/06/18 政治家の差別言動と「痛み」論

まず「三国人」という言葉だが、これが日本の敗戦直後の時期に在日の人々を指して蔑称として用いられた言葉であることは論を待たない。石原知事は「三省堂の大辞林」を持ち出して「当事国以外の国の人」なんてことを言っているが、そんなものは後から取ってつけた理屈に決まってる。「当事国以外の第3国」というのであれば、まずA、B国が示され、その上で「第3国」としてのC国(人)という話の流れでなければオカシイ。

だが、そんなことはどーでも良い。ここで1つ問題となるのは、政治家の差別言動に対して市民が(場合によっては法律が)どのような態度を取るべきかとゆーことだ。

1.「謝罪と撤回」路線

石原「暴言」への反応として支持・反発双方があるのだが、ここでは支持の動きについては措いておく。
で、反発する動きの中でも、わいの見たところ、そのニュアンスは様々である。それらのうち、「石原発言により傷ついた人々(とくに在日外国人)がいる。(だから)発言の撤回と謝罪を求める。」との主張には、実はわいは少々違和感を感じている。9日の発言の後、12日の会見で「謝罪は?」との質問に対し堂々と開き直った知事の姿を見せられた以降の時点で、そのような性根の見えてしまった相手に対しなお謝罪を“求める”ことにどれほどの意味があるのか?

だいたい「三国人」発言にしても、すでに見たようにいい加減な言い逃ればかり弄して反省がない。「大災害が起きた時に騒擾事件が想定される」などと不用意に言うなんてのは、知事という要職でありながら、いかに関東大震災時の総括ができていないかを示しているに過ぎない。つまり、「(関東大震災の頃のような)もうそんな時代じゃない」と言いながら、自ら率先して「(外国から入国してきた)何を起こすかわからん」人たちへの畏れを煽って憚らない。そのような煽動行為がどれほど犯罪的なものであることか……。こーゆー事が彼には分かってないようなのだ。

こーゆー輩に今さら「謝罪と発言撤回」を“求め”てもムダというものだ。彼が自ら反省して「謝罪と発言撤回」するというなら、その時点ではじめて彼の“反省”をどう評価するか、われわれが考えたら良いことだろう。
だからわいは「謝罪と撤回」よりも「抗議と辞任」要求の方がしっくりくるのである(^_^)。

しかし一方、議論はすでにすれ違ってしまっている。「謝罪と発言撤回」を求める人たちが言うところの「傷ついた人々」というのは、その多くはオールドカマーであるか、あるいはニューカマーであっても「不法入国」とは限らない人々が想定されているんだと思う。
だが、石原知事は再三、ターゲットは「不法入国外国人」であると繰り返している。だから「誤解」があるなら「謝罪」じゃなしに「説明」しますよ、と。

2.「痛み」論あるいは「謝罪」の政治学
「差別語の使用によって傷つく人がいるから謝罪せよ」。こうした言説を見るにつけ連想するのは、昨今の「同和啓発」事業である。人の「痛み」に依拠し、人に痛みを与えないように「そっと思いやりましょう」というニュアンスの言説が目につく。
だが、人の世から悪意なるものがなくならない限り、人に痛みを与えようという動機は存在し続ける。ゆえにこうした「思いやり運動」は、間違いとはいえないものの、しかし残念ながら限界があると言わざるを得ない。

で、さらに言うならば、「傷つく人がいるから謝罪せよ」とセットの、「人が傷つくような不適正な言動だから撤回せよ」という論理の背後には、一種の衛生思想が隠れていないだろうか? それは次に述べる“PC”という考え方とも関連しているように思われる。

3.PCあるいは「自由の敵には自由を与えない」
PCとは、politically correct ないし、名詞化して political correctness 、つまり「政治的に適正」というような言葉。90年代のアメリカに登場した言葉らしい。

「人種差別や性差別、障害者への偏見などを鼓吹しあるいは助長すると見られるような言論、民族や国民のあいだの憎悪を煽るような言論を、不「適正」なものとして社会から排除しようとする主張」(「憲法と国家」、樋口陽一、岩波新書、1999年)だそうである。

樋口陽一によると、PCは、「リベラル」の内部に2つの対応をもたらしたという。PCの主張をうけ入れて表現の自由を優越視する態度を再検討するものと、あえて古典的な自由擁護をつらぬこうとするものと。

PCと共通の発想はヨーロッパにもある。フランスの場合、80年代に「アウシュビッツは無かった」などと主張するネガショニスト(=無かったことにする論者)が台頭した。このような状況下、90年に成立した通称「ゲイソ法」は、「人道に対する罪の存在を争う者」への刑事罰を定めている。「アウシュビッツは無かった」と主張すること自体が罪となったのである。
だが、ゲイソ法は、ジェノサイドの否定を犯罪化しはしたのだが、「無かったことにする」主張を挫くことはできなかったと考える人もいる。そういう主張に「違法を犯す栄誉を与えた」と指摘するのだ。

ナチス体験を持つ(西)ドイツも「自由の敵には自由を与えない」という思想を憲法制度化してきた。
ドイツ刑法第130条(民衆扇動罪)にはこうある。
「公の平穏を害するに適した方法で、1.住民の一部に対して、憎悪を挑発し、あるいは暴力的もしくは恣意的措置を要請した者は、または、2.住民の一部を中傷し、悪意で侮蔑し、もしくは誹謗することにより、彼らの人間的尊厳を侵害した者は、3ヶ月以上5年以下の自由刑(禁固刑)に処す。」

石原「暴言」に引きつけて考えると、あの「暴言」自体、「あってはならぬもの」として「問答無用」に排除すべしというのが、PCの発想なのだろう。だが、ここには「表現の自由ないし思想信条の自由」との間に非常な緊張関係がある。これをどう考えるか? 石原「暴言」のようなものを「無力化」するにはどういった手段を用いるべきか? 法か、投票行動か、言論活動か、誰のどのような挙動か? これは「差別図書問題」や「歴史教科書問題」などと同様、けっこう根が深い問題なんだと思うのである。

2000/06/18 天皇を中心とする神の国(1)

石原「暴言」があったかと思ったら、今度は森首相の「神の国」発言である。

・2000/05/15  「神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会」における森首相挨拶全文

この発言いらい、マスコミは森首相の、皇国史観を持った天皇主義者としてのホンネを不用意に喋ってしまう「首相としての資質」にもっぱらスポットを当てて報道している。資質に問題があることは、まあ事実なんだろうが、資質だけの問題ではない。

昨年の第145国会では、ガイドライン関連法案に始まって、「盗聴法」、住民台帳基本法、国旗国歌法などの戦後を画する重要法案が次々と成立もしくは改訂した。それは言うなれば「戦後」の終焉、「戦後後」の到来である。そうした「戦後後」の陽気に誘われて「戦前的なるもの」がゾンビよろしく起きだした。そーゆー事なんだと思う。

だから問題は、現在、「戦後後」の日本において国家像をめぐるせめぎ合いが起こり始めている中で、われわれがどのような国家像を「選択」していくかなのである。

2000/06/18 天皇を中心とする神の国(2)

そして今度は「国体発言」。まあ、次々と色んなことを言ってくれる(^_^;)。先の「神の国」発言と合わせて考えれば、天皇主義者としての森の思想性がよく分かる。だが、新聞などを見る限り、こちらの発言に対する批判は「神の国」発言と比べ、もうひとつパッとしない。

問題となっているのは6月3日、森が奈良市内で行った講演の次の箇所。

「共産党は綱領を変えないと言っている。天皇制も認めないだろうし、自衛隊は解散になる。そういう政党と、どうやって日本の安全を、日本の国体を守ることができるのだろうか」
で、さっそく例によって森は「国体とは単なる国家体制の意」との弁明を行っている。が、文脈からしてそんなことはあり得ない。上の発言で見ると、自衛隊 → 安全、天皇制 → 国体の対応関係ははっきりしている。国体すなわち天皇制(戦後的には象徴天皇制)の意味なのである。

しかし一方、この発言をもって戦前への回帰願望だとする主張も正しいとは思えない。少なくともこの発言を解釈する限りにおいては、森は何も戦後の象徴天皇制を改めようとは主張していない。むしろ国体(=天皇制)が“護持”されているという一点において、彼にとって戦前・戦中・戦後は連続しており、それが何よりも(おそらくは戦後民主主義と呼ばれる価値体系よりも)価値があることなのであり、それを存続させようというのが、彼の意図なのだ。

だから、ここで問われているのは、敗戦のさい象徴天皇制というかたちで天皇制が存続したことをどうわれわれが総括し、今後どうするべきかということに他ならない。

【関 連】
 敗戦の日に「君が代」を思う(負け犬の遠吠え、99年8月)

2000/06/18 天皇を中心とする神の国(3)

6月16日、「皇太后」良子(ナガコ)が亡くなった。すでに見慣れた光景ではあるが、マスコミは「喪」の演出の大合唱。TVのアナウンサーたちが乱発する敬語は耳障り極まりない。
ついこの間まで森首相の「神の国」発言を攻撃して止まなかったマスコミが一転してこれである。やはり日本は「天皇を中心とする神の国」なのか? 少なくとも「皇族を特別扱いする国」には違いない。

で、こうした事態に乗じて、「神の国」発言で防戦を余儀なくされていた連中がさっそく反撃に出だしている。村上参院議員会長(自民)は「精神的統合の中心が天皇であるというのは歴史の事実」、鳩山元文相(自民)も「日本が天皇中心の国家であることは、間違いない」と街頭演説で語ったとか。まことにもって今の選挙戦にとって彼女の死は「神風」である(^_^;)。

2000/06/18 エトノスとデモス

「憲法と国家」(樋口陽一、岩波新書、1999年)によれば、「近代国民国家」という時の「国民=nation」にはエトノス(ethnos)とデモス(demos)の2種類のとらえ方があるそうである。同書にしたがって両者を比較すると次のようになる。

デモスエトノス
人為の産物自然の産物
nation は諸個人の社会契約という擬制の論理で説明されるような、近代的意味の「国民」nation はエスニシティの単位ないし「民族」
国民国家を構成するのは諸個人の存在国家はエスニシティ単位の実在を前提とする
個人は人権主体として解放されていると見なされるエスニシティに包み込まれる個人を抑圧する

そして樋口によれば、デモスとしての国民を創出する執拗な政策努力(nation building)を行ってきたフランスにおいては、政教分離と国籍法制の出生地主義が「共和制伝統」のかなめ石とされてきたのだという。政教分離は、エトノスの表現としての宗教を公的空間から排除するものであり、出生地主義は、血統を共和国の構成要素から排除するものである。
だから今年、国籍法を改正して出生地主義を取り入れたドイツは、国民=エトノスから国民=デモスの国家へと大きく舵をきったことを意味する。一方、日本はいまだ血統主義でやっている。

このように見てくると、「神の国」発言をめぐる国家像のせめぎ合いが、国民=エトノスの国家か、国民=デモスの国家かという対立であることが見てとれるだろう。森は5月14日の例の演説の中で「宗教教育」を推奨する発言を行ってもいる。
そして、「皇太后」良子(ナガコ)の死と、その皇室報道を見ても明らかなように、天皇制の存在が、振り子を国民=エトノスの方向へと振らせる極めて大きな役割を担っているのである。

2000/09/10 身捨つるほどの祖国はありや

さて、この4月、石原東京都知事による「三国人」発言があったが(6月18日付本欄参照)、あれは今月3日、陸海空3自衛隊を動員して行われた大防災訓練「ビッグレスキュー」に向けての発言だった。
で、その「ビッグレスキュー」が行われる前の8月18日、伊豆諸島三宅島の雄山(おやま)が大噴火し、9月1日、島民に対し「全島避難」の指示が出された。9月1日夕の日経ニュースメールは次のように伝えている。
伊豆諸島・三宅島での火砕流の危険性に初めて言及した火山噴火予知連絡会の見解を受け、東京都は1日午後、三宅村職員らを除く一般住民全員の島外避難を同村に要請、これを受けて三宅村は、島民に島の外へ避難するよう指示することを決めた。
(中略)
同日昼前に都が開いた災害対策本部会議で、石原慎太郎知事は「火山噴火予知連絡会の見解を読むと、危険が増してきたとの認識を持たざるを得ない」と発言。電気や水道、道路などのライフラインの維持や、警察、消防、村役場などの防災関係者を除く全島民を、3日以内に避難させることを明らかにした。
(*下線はいとえー)
で、これと関連して、石原知事は雑誌「正論」10月号における鼎談で、次のように語っている。少し長いがあえて引用する。
わが国において「非常時の決断」で思い出すのは、昭和(ママ)61年(1986年)に起きた伊豆大島・三原山の噴火で、当時の中曽根首相が全島民に避難命令を出したことです。実際に艦船を派遣して都区内に避難させたわけですが、間に合わないことがあってはならないと閣議にもかけず一人で決断した。厳密には内閣法違反、憲法違反だけれども、最高責任者としてはよくその孤独な決断に耐え得たと私は思っている。

ここでもう一つ考えなければならない問題があって、そのとき中曽根さんは島民の避難が完了するまで残れと言って、町長や警察署長ら数人を島に残している。都民、国民の生命を守るのが努めであるけれども、それがすべてではない。

命を守るためだけに国政があるとするなら、命を捨てても任務をやり遂げなければならない自衛官や警察官、消防士といった同じ国民の存在とは矛盾する。命さえ助けられれば国政は目的を果たし、それでいいとする論理と矛盾が生じる。

国政の目的は、確かに国民の生命財産を守ることにあるけれども、そこにはより高次の概念があるべきです。それは命を捨てても守るべき国家の価値、われわれ一人一人の歴史に連なる国家の存続を確保することであり、政治家は常にそれを意識していなければならない

(*下線はいとえー)
へえーっ、そおゆうこと(=命を捨てても守るべき国家の価値)のために防災関係者を島に残してるの? どーも、このおっさんにとっては、防災関係者の身の安全を図るよりも、殉職の美学を謳うことの方が重要なようだ。条件反射的に想いおこすのは、寺山修司の次の歌である。

マッチ擦るつかのま
海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや

何ともおっかない知事を都民は戴いていることだ(^_^;)。いや、もっともおっかないのは、そーした知事を選んだ都民の方かな?

2001/01/05 年越しうどん

言い訳がましくて申しわけないが、昨秋いらい仕事がめっきり忙しくなり、このホームページの更新をすっかりサボってしまった。2001年は相変わらず仕事は忙しくなる予定だが、ここはひとつ、逆に業務とは別の自己発信のための時間を作っていきたいものだと思う。とゆーことで、21世紀もよろしくお付きあいのほどを……(^_^)。

で、そーいったわけで、この秋以来書きそびれていたネタの在庫処分を。

1.サン人アフリカに帰る

今から8年あまり前、新聞のスポーツ欄の片隅に載った記事に反応し、わいが新聞に投書した文章が「負け犬の遠吠え」ページに保管してある。「黒人のはく製展示はむごい」とゆー文章である。
そして2000年10月。件の「ボツワナ黒人部族戦士のはく製」がようやくアフリカの地に還され、埋葬される旨、報じられた。この記事によると「ボツワナ黒人部族戦士」はサン人で、1992年当時彼(はく製)を展示していたスペイン・バニョラス市の博物館は1998年になってようやく“展示”を中止したのだとか……。1992年の記事はバルセロナ五輪の頃。そして2000年秋にはシドニー五輪。アボリジニのフリーマンが華々しく脚光を浴び、かつての植民者の子孫と先住民の人々との和解が喧伝される一方で、たった1人のこのサン人の若者(死亡時27歳とのこと)へのむごい仕打ちがやっとこさ止んだ。フランス人が彼の墓を暴いた時から数えると170年後のことである……。
2.高木仁三郎氏死去
10月8日、脱原発に生涯をかけて尽力され、科学者として信頼性の高い発言や情報を発信し続けてこられた原子力資料情報室前代表の高木仁三郎さんが亡くなった。ご冥福を祈ります。
原子力資料情報室はわが「おこのみSITESEEING」にも掲載しているので一応フォローアップを。
3.岩佐嘉寿幸氏死去
高木仁三郎さんに続き、10月11日、岩佐嘉寿幸(いわさ・かずゆき)さんがこの世を去った。岩佐さんは「岩佐訴訟」の元原告。大阪在住で水道管工事が仕事の“ただのおっさん”だったが、1971年、たった一度きりの原発内作業ののち体調を崩し、方々を受診して回ったあげく阪大病院にて「放射線皮膚炎・二次性リンパ浮腫」の診断を得たことから「唯一の被曝労働者原告」としての闘いの日々が始まってしまった。

不肖わいもかつてこの裁判には支援者として加わったものである。個人的なことを言わせてもらえば、この訴訟支援をつうじてできた人間関係からわいは医療業界へ、ひいては今の職場へと導かれることとなった。
岩佐訴訟は1994年の上告棄却により敗訴、終結。併せて闘われた労災認定闘争も結局のところ認められなかった。原子力業界の密室性の壁に屈したかたちではあるが、一方で原発事業者側に対し、労働者に対する安全配慮の必要性を強く意識させる作用もおそらくはナンボかは果たしたことではあるだろう。岩佐さんのご冥福を心より祈る。


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