天皇制なきナショナリズム?
伊藤公雄●男性学

 たぶん保守論壇好きの人たちの間では、もうすっかり話題になっていることだろう。『諸君!』1月号の福田和也氏と大塚英志氏の対談「『天皇抜き』のナショナリズムを論ず」のことだ。
 ぼくもすごく面白く読んだ(ちなみに『世界』12月号の小熊論文、『諸君!』12月号の大塚論文にも同じような観点がみられる)。というのも、10年くらい前に、ちょうど同じような視点(もちろん結論は違うのだが、天皇制とナショナリズムを考える視点が似ていると思う)からいくつか文章を書いたことがあるからだ。簡単に、当時のぼくの主張をまとめると次のようなことだ。
 「日本は近代国民国家形成の段階を十分に経過しないまま、帝国主義段階に突入した。だから、日本人はある意味で、『国民』としての主体形成(もちろん、近代市民社会における主体ということだが)なきままに、現在に至っているのではないか。いってみれば、日本のナショナリズムは、(下からの国民主体形成という)ナショナリティの基盤なき排外主義と多民族抑圧構造を生み出したのだ。そして、基盤としてナショナリティを代行したものこそ、近代天皇制だった。いわば天皇制にナショナリティを仮託した擬似ナショナリズムが日本の帝国主義を支えていたのではないか。自らのナショナリティときちんと向き合うことなく空虚な(「国民」としての)主体性しかもちあわせていないので、外に出ると急激にナショナリスティックになる。欠落していたナショナリティを過剰に背負いこんでしまうのだ。それは戦後においても、同様だった。だからこそ、国内では左翼・進歩派を自称していた人物(つけ加えれば、特に根拠のないまま妙なプライドだけ強く、外面的な鎧で自己武装しないと自己が支えられない傾向が強い人、つまり男性が多い)でも、長期間海外に出ると突然ナショナリズムになって帰ってくる(江藤淳氏を見よ)。その背景には、ナショナリティというものときちんと向き合うことなくこの100年を過ごしてきた日本人の国民意識の問題が控えているのではないか。ところが、1980年代以後の国際化の進行のなかで、海外体験者が急増しつつある。この動きは、これまでとは異なる新たなナショナリズムの浮上につながるのではないか」といったものだった。
 こんなことを考えたのも、当時、ぼくがイタリアのファシズム研究をしていたからだ。誰でもすぐにわかるように、日独伊の三国は、近代国民国家形成という点で、第二派のグループであった。先発組に遅れまいと急激に国民統合を進めざるをえないこれらの国々は、米英仏のような下からの持続的な国民国家形成とは異なる急激な「国民化」のプロセス(それは独伊のような反体制派による下からの運動を出発点とするものと、日本のように主に上からの統合によって進行したものといの違いはあっても)をたどることになった。結果的に、これらの国々が(ロシアを含んでもいいが)、20世紀前半、全体主義という「過剰な国民化」に向かったことの背景には、こうした近代国民国家形成におけるタイムラグが控えているのではないか、とぼくは考えていたのである。なかでも、日本のケースは、もっとも成功した「過剰な国民性」(実際は、国民的主体形成の基盤なき国民化)といえるだろう。というのも、天皇という近代における「発明された伝統」(ボブズボームのいう)が、きわめてうまく作動したからだと考えたわけだ。
 そして今、今回の二人の議論に現れたように、「天皇制抜き」のナショナリズム論が、保守派の側から登場しているというわけだ。天皇制に担保された擬似ナショナリズムから「(本来の)健全なナショナリズム」へ、ということだろう。実は、この構図は、前回論じた加藤典洋氏の議論(負の遺産を背負ったナショナリティの構築を通じたナショナリズムの克服とでもいうか)とも、別の文脈ではあるが、一脈通じていると思う(ちなみに加藤氏の議論の背景にも、彼の海外滞在体験が大きく影響していると思う)。
 もちろん、こうした傾向(天皇抜きのナショナリズムの強調)は、今回の対談以前にすでに見え始めていた。自由主義史観のグループや「新しい教科書をつくる会」の運動においても、天皇問題は、「意識的」といっていいほどに避けられたテーマになっている。少なくとも、ファナティックな愛着の対象としての天皇という図式は後退し始めている(そう考えて、この春の『インパクション』誌106号の編集をする際に、天野恵一さんに「自由主義史観はなぜ天皇を語らないか」を議論してもらおうと原稿依頼したのだが、書いてもらえなかった。といってもこのとき書いてもらった坂本多加雄論はすごく面白かった。天野さんには、この自由主義史観と天皇の問題について、ぜひ稿をあらためて論じてほしい)。
 背景には、天皇というカード(もちろん、このカードは、今なお保守の「最終兵器」であり続けているのだが)が、特に昭和天皇死去後、ナショナリズム(特に若い世代のぼんやりした国民主義的雰囲気)と結びつきにくくなったという判断もあるのだろうが、他方で、本来の「民族派(日本には、天皇主義右翼はあってもこの潮流は少なかった。というのも、欧米の民族派はしばしば反君主性=共和制と結びつく傾向をもっていたからだ)」の議論として、「天皇抜き」もありうる状況が生まれているのかもしれない(欧米の滞在経験が長い福田和也氏には、そんな傾向が少しうかがえる)。
 とはいっても、歴史は絵に描いたようには進まない。おそらく、日本の場合は、まだまだ主流派である天皇主義右派と天皇抜きの民族派が、さまざまな調整のなかで保守としてまとまる可能性が高いだろう。しかし、その一方で、保守勢力がまとまるためのアキレス腱として天皇が浮上する可能性があるということも、保守の動きを批判しようとするなら、ちょっと注目しておいてもいいのではないか。
(『派兵チェック』No.75 1998.12.15)