天皇の尊厳を押しつける自治体との闘い
―富山県立近代美術館裁判一審判決をふまえて―

小倉利丸●富山大学教員

 昨年暮れに、昭和天皇を素材とした大浦信行の「遠近を抱えて」とその掲載カタログを処分した富山県とこの処分を違法として提訴した私たちとの裁判の一審判決がだされた。県側が主張した処分理由を裁判所は認めず、私たちの観覧請求を不許可とした県側の決定を違法とした点では、この判決は滑り込み「勝訴」といえた。ここでは、この裁判の判決内容よりも作品の意味と裁判の過程で主張された富山県の象徴天皇制についての理解の問題点について述べておきたい。
 大浦の作品は、戦後の天皇を主題とした作品として、山下菊二の作品と並べて語られることがあるが、作品のモチーフはまったく違う。山下は、天皇の戦争責任を正面に据えたが、大浦の作品にはそうした意味での政治性は全くみられない。大浦の作品は、ボッチチェリやレオナルド・ダビンチ、尾形光琳などの美術史上の古典と昭和天皇の様々な写真を組み合わせる一方で、入れ墨やヌードなど二十世紀の作品とも組み合わされた。この作品は、大浦がニューヨーク在住中に自画像を描くことを企図したときに、日本人としての自己を表現する素材として、自分自身から一番遠い存在としての天皇を用いることを考えたと大浦自身は語っている。
 戦争体験のなかで天皇と自己との関わりをとらえた山下と、純粋に戦後生まれの大浦が、天皇を自覚するきっかけは、作家の個人的なモチーフの形成という側面からすればそれほど大きな差はないようにおもう。粉川哲夫が指摘していたように、大浦の作品には、戦争経験のない戦後世代が、日本人としてのアイデンティティを表現しようとする場合に、この世代に固有の天皇に対する意識が表明されているとみることができる。作品の政治性のなさ、極めて私的な天皇に関する表現こそが、戦後の象徴天皇制の本質そのものの表現であって、それこそがまさに象徴天皇制の隠された政治性なのだということもできるかもしれない。マスメディアの皇室報道、とりわけ家族関係の報道は、天皇家という家族を人々が私的に営む家族と結びつける機能を担っている。誰もが、ごく私的な関心で天皇家の報道に接する。こうしたメディアを介した天皇家のイメージの形成は、ナショナリズムを支える不可欠な条件である。戦争や軍事的な危機のなかでの国民統合が不可能になった戦後の「平和憲法」体制のなかではこうした方法でナショナリズムが形成された。これは、戦後的な天皇制の個人への内面化作用であり、天皇の非政治的政治性である。このような「内面化」は、天皇にたいする「親近感」を生み出しはするが、国家的な権威をそのままでは形成しない。この国家的な権威としての天皇は、思わぬところでその抑圧的本性を発揮する。「遠近を抱えて」では、議会の批判とそれに続く、右翼や行政側の対応がまさにこの権威主義的抑圧の典型といえた。
 富山県は、この作品を公式に「不敬」という表現で批判することはなかった。しかし、作品とカタログの処分にさいして、県は、作品を「プライバシー侵害の疑いがある」と判断した。その後の裁判でも肖像権の侵害の恐れがあるなどと主張した。これは、「不敬」な作品であるということの言い換えであって、事実上、県は全面的に右翼や作品破棄派の要求を受け入れたのだ。
       *       *       *       *
 この裁判では、裁判所が天皇の肖像の扱いについて判断を下した最初のものとして重要な意味を持つが、私にとっては、むしろこの裁判の過程で論じられた被告、富山県の天皇にたいする考え方によりいっそう大きな問題を感じる。
 天皇の肖像権とかプライバシー権といった問題は、自治体にとってはやっかいな問題だから、裁判では余り踏み込んだ主張はしないのではないかと私は思っていたが、作品処分の理由の大きな柱であるから、そうもいかないと考えたのだろうか。富山県は、特に最終準備書面で、次のように立ち入った主張を展開した。「大日本帝国憲法下の天皇が、主権者、統治権の総攬者、国民の象徴という地位を兼ね備えていたことと対比すると(もっとも、大日本帝国憲法下では、天皇は主権者であり、統治権の総攬者であったため、象徴たる地位は表面化されなかった。)、日本国憲法下の天皇には、象徴としての地位だけが残されたことになる。」「現存人物が象徴として受け取られる場合は、長い歴史と伝統を背後に持つ君主が象徴とされることが常態であった。……『天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴』とは、このような意味内容のもとで理解されるべきである。」「天皇は象徴であると同時に、象徴としてふさわしい存在でなけれぱらないということになる。その例として、天皇自身には品位を保ち、政治的行動を差し控えるなど、象徴にふさわしい行動を取ることが要請される。これに対する国民の側からは、天皇を象徴としてふさわしい存在として取り扱わなければならないということになろう。その結果、象徴としての天皇の肖像の使用方法が一定の制限を受けることはやむを得ないことである。この様な見地からすると、天皇の肖像の使い方として、象徴としての尊厳を傷つけるような態様で使うことは、本来、許されるべきことではない。」
 このように、富山県は、天皇の象徴の機能は戦前のかれの継承であるということ、日本は立憲君主制であること、そして天皇が象徴としての品位を保つのにこたえて、国民もまた天皇の象徴としての尊厳を傷つけることは許されないということを主張した。
 富山県は、「遠近を抱えて」が議会で問題化したあとで、宮内庁に説明に出向いている。また、当時の小川正隆館長は、右翼との交渉の席で、作品の非公開については宮内庁の了承も得ていると発言している。こうした経緯や日常的に皇室行事をかかえる自治体が独自の判断で上記のような天皇観を主張したとは考えにくい。推測の域は出ないが、宮内庁との何らかの協議があったかもしれない。このように考えると上記のような主張は決して奇異なものとはいえないかもしれないが、しかし、ここまで戦前の天皇制の継承関係を容認し、その尊厳の絶対性を主張するとは予想外だった。
 戦後、不敬罪は刑法から削除されたが、そのかわりに、公的な権力は自己努力として、不敬罪的状況の徹底した排除を巧みに実行してきた。県は、この作品と掲載カタログを美術館で長年非公開にしただけではない。図書館でもカタログを非公開とし、教育委員会に保管されていたカタログも、当該ページを切り取り、後に廃棄された。カタログは、「遠近を抱えて」だけでなく展覧会に出品したその他二九名の作家の作品やデータも掲載されていたが、これらの作家の作品図版やデータを犠牲にしてでも天皇の尊厳を守ることを最優先にしたのだ。今回の事件は、美術館という文化施設で起きたことであり、図書館までまきこむ徹底した処置だった。この徹底性に私は戦後の象徴天皇制が隠し持っている「狂気」を見る思いがする。この半世紀、行政の天皇観は何も変わっていないといっても過言ではないのかもしれないとすら思えてくる。
 裁判では、県側の象徴天皇制についての主張は事実上退けられ、「遠近を抱えて」のプライバシー侵害の疑いは完全に否定されたが、作品の買い戻しもカタログの再版も認められず、作品・カタログ処分も行政の裁量としてその違法性は認められなかった。この点を含め不服な点について私たちは控訴し、県側も控訴した。
 今回の事件は、裁判だけで決着のつく問題ではない。美術館は、あいかわらず天皇をタブー視し続けるだろうし、図書館の選書に目に見えないバイアスがかかることも日常的にありうるだろう。学校教育や社会教育に関しては、言うに及ばない。こうした、行政の文化政策に込められた見えざる検閲との闘いが、裁判闘争以外に重要になっている。