「君が代」首相の新見解と憲法――転換の意味を「よくよく考えて」みよう
天野恵一●反天皇制運動連絡会

 七月一日、衆議院内閣委員会で、「国旗・国歌法案」の審議が始められた。そこでは、政府側は六月二十九日の衆議院本会議での小渕首相の答弁の内容に依拠しつつの説明をくりかえし続けた。この日私は傍聴に入った。
 小渕首相は「君が代」の解釈については以下のように二十九日に主張していた。
 「君が代の歌詞は、平安時代の古今和歌集や和漢朗詠集に起源を持ち、祝い歌として民衆の幅広い支持を受けてきたもので、『君』は相手を指すのが一般的で、必ずしも天皇を指しているとは限らなかった。明治時代国歌として歌われるようになってからは、大日本帝国憲法の精神を踏まえて、『君』は天皇の意味で用いられた。終戦後、日本国憲法が制定され、天皇の地位も変ったことから、『君』は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく天皇を指しており、『君が代』とは日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とするわが国のことであり、歌詞もわが国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当だ。」「『代』は本来時間的概念を表すものだが、転じて『国』を表す意味もある。」
 政府の「新解釈」には、国民主権下の象徴天皇制を「君が代」の解釈の中におりこんで、憲法違反という批判をかわそうという意図が読める。
 一日の内閣委員会では、共産党議員が、国民主権の憲法にはやはり「天皇の御代」を意味する「君が代」はふさわしくないとくいさがっていた。この日、議員面会所内の「『日の丸・君が代』法制化に反対する共同声明」の抗議集会に参加するため、早めに内閣委員会の傍聴席から出てしまった私は、直接に聞くことができなかったが、おもしろいやりとりがこの直後にあったようだ。野中官房長官がこうやりかえしたらしい。
 「『共産党は天皇制を否定しているのに(象徴天皇制を定めた)現憲法を認めるのか』と論争を打ち切った」(『朝日新聞』七月二日)。
 野中の対応は、もちろん逃げである。しかし、憲法の一章に象徴天皇の規定があり、政府のような解釈が成立する根拠自体が憲法にあることを私たちは忘れてはならない。あたかも「一章」の存在しない「国民主権」主義理念を前提に論じて、違憲をいいたてるだけでいいわけがないのだ。野中のこのひらきなおった逃げの言葉は、反対の立場から、この問題を照らし出しているといえないか。「日の丸・君が代」が戦後に残って生き続けてきたことと、天皇制が象徴天皇制へとモデルチェンジしつつ残り、生き続けてきたことは対応する。だから、象徴天皇制(憲法一章)と「日の丸・君が代」を重ねて批判する視座にこそ、私たちは立ち続けなければならないはずである。
 法制化推進キャンペーンを展開中の『読売新聞』の「社説」(六月三十日)は、こう論じている。
 「このうち、社民党は、村山政権発足直後、九四年九月の大会で、日の丸・君が代を国旗・国歌と認めるとの決定をしていた。それが先週末、国旗、国歌とは認めないとの立場に再転換した。/村山首相、土井衆議院議長当時に内外の公式行事で掲げられていた日の丸、演奏されていた君が代はいったいなんだったのか、ということになる」。
 私は社民党が「再転換」してよかったと思っている。しかし、権力にむらがって、社会党の転換と解体をもたらした人々の政治責任という問題も忘れてはならないと考えているのだ。保守権力の思うがままという現在のような国会状況は、野党社会党の自壊を通してつくりだされたのであるのだから。
 六月二十九日、衆議院議員会館のキリスト者中心の法制化反対集会では社民党党首の土井が発言していた。
 土井は小渕首相が、法制化は考えていない、と語った直後に法制化を主張し転換したことを取りあげ、首相が「よくよく考えてみると」必要とくりかえすばかりで、何故、今、法制化なのかという点が、まったく明らかでないと、激しく非難した。その「鋭い」口調の演説に、多くの人々の拍手がまきおこっていた。
 私は、とても拍手する気にはならなかった。土井は、自分たちの転換について「よくよく考えてみると」という、無内容な弁解すらしてみせなかったのである。彼女は、過去一貫して、「日の丸・君が代」の国旗・国歌化に反対してきたかのごとくふるまっているのだ。
 『読売新聞』とは反対の立場で、いったいなんなんだと、いわざるをえまい。
(『反天皇制運動じゃ〜なる』24号、1999.7.6号)