私の阪神ファン歴 8/06

 まだ私が小学校に行っていた時代、親父も阪神ファンだった事も有って広島とのダブルヘッダー(もう無いなぁ〜)を甲子園へ見にいった記憶がある。そして阪神の小旗を買ってもらい(その頃の応援は小旗を振り選手の名前をコールするだけのシンプルなものだった)1塁側内野席で観戦した。その時の第2試合にサヨナラ3ランを打ち試合を決めたのが田淵選手だった。それから田淵選手の大ファンになり、銭湯に行くと絶対に下駄箱も脱衣ロッカーも番号は22を選んだものだった。その後ラインバック、田淵、ブリーデンの強力クリンアップの頃はテレビ中継が無い日は絶対ラジオで放送を聞いていたもので阪神こどもの会にも入ったりしていた(でももっぱら甲子園デラックスプールへ行くだけで甲子園球場へ観に連れていってもらえなかった。)。その後掛布の台頭によってちょっと田淵選手の肩身が狭くなって来た時もずっと田淵選手オンリーだった。田淵選手の特徴はホームランの弾道が高くレフトが打球を追いながらバックしていき入るのか入らないのかすぐに分からないというのが多かった。王選手のライナーですぐスタンドインというのとはまた違った魅力があったと思う。そして打率があまり高く無かったので期待していても凡退って事が多かったけれど(鈍足やなんやで結構批判が多かった)、勝負を決める一打というのが結構多く、その上それがホームランという事が多かった。そして田淵選手がトレードで西武へ行く事が決定した時はとってもショックで悲しかった思い出がある。でも替わりに入ってきた真弓、若菜、竹ノ内選手らが個性的で活躍もしたので阪神ファンを辞めず、その後は江川=小林の交換トレードで来た小林投手の巨人相手に孤軍奮闘する様にしびれたものだ。しかし、江本が「ベンチがアホやから野球でけへん!」という棄てセリフと共に退場、小林も余りにもあっさりとカッコ良く辞め(その年に13勝くらいしてたのに)、投手陣がめろめろになってしまった。その後、投手は低迷したが85年、打高投低の布陣では優勝は無理という概念を崩す様に阪神は爆発したように打って打って打ちまくり、21年ぶりの優勝を手にした。その時はほんと大阪中祭り騒ぎになり興奮したファンが暴徒化しタクシーを引っ繰り返す事件まで引き起こした(ほんと大阪人はラテン系の血だ)しケンタッキーのカーネルサンダースを「バースだ」といって胴上げし道頓堀に放り込むは道頓堀の飛び込む奴が続出するは(この2つは有名ですね)で大騒ぎだった。その時掛布、岡田、真弓の年齢を考えても当分阪神の黄金時代は続くと思ったのだが、その年を境に掛布が翌年デットボールの後遺症からか全く打てなくなり、引きずられるように岡田も調子を落していった。孤軍奮闘するバースも2年後に長男ザグリー君の病気が元で球団ともめ退団、掛布や岡田が30前半で峠を越してしまったのが残念で真弓くらい頑張ってくれたらその後のタイガースもあんな暗黒時代にならなかったと思うと残念でしかたがない。それから数年は打てない、投げれない、守れない、走れない、と目を覆いたくなる様な惨状で投手は先発キーオ、抑え中西だけしかアテにならず(マージャン用語をもじり、「キーオでんでん」やなと言っていた)打つ方は真弓、和田のみでどうにもならない状態だった。92年彗星のごとく現れたのが新庄、亀山の新亀コンビで整備されて来た投手陣と共に活躍し優勝を後一歩で逃した。この時は道頓堀周辺の食い倒れ人形(めがね)やすっぽん太郎(亀)が亀山を連想させるというので店が戦々恐々とし、カーネルサンダースも外人=オマリーってことで狙われているというのでボルトで固定したらしいが優勝が流れて大きな騒ぎにはならなかった。この年の九月くらいに阪神は首位で2位ヤクルトとの差が2ゲームくらい離れていてこのまま普通でいったらマジック直前という感じの時、「阪神優勝決定特番」そんなような(よくは覚えて無いが)番組を八方など関西の芸人や阪神OBなどを呼んでやったのだが、番組の途中にセットの阪神タイガースのマークがボトリと落ち、その時「うわ!縁起悪〜!」と思ったのだが、案の定そこから失速、ヤクルトに優勝を浚われてしまった。しかし優勝を逃したが今後は掛布岡田無き後の次代のスターが現れたし、投手陣も整備されて安定した戦いが出来るだろうと思っていたが、野田=松永のトレードで投手陣が弱体化し松永が不振の上翌年にはFAで逃げてしまうという「なんともはや」というしか無いうえ、マイク仲田が92年だけの一発屋で終わり、亀山は怪我で潰れてしまい、残った新庄は伸び悩み、その後も成績を残していたオマリーをクビにして替わりに獲ってきた外人が毎年の様に入れ代わり(外人枠増えたせいも有って覚えきれんぞ〜)このころはクリンアップの新庄や桧山が2割2〜3分程度と1番から9番まで下位打者で苦し紛れに和田が4番ってのがあったような・・・年間1本くらいしかホームランを打てない選手が4番になんてホンマどもならんなぁ〜野村監督になってチームを建て直してくれるかと期待したがぼろぼろの阪神を最下位から浮上させるのも無理だった(今星野監督の元、やっと花開こうとしてるが)でも就任1年目にはかく乱戦法などで6月までは首位戦線で頑張っていたがその後ぼろぼろでやっぱ最下位で2年目も同じ様な(まるでリプレイを観るように)展開で最下位に転げ落ちていった。今岡、坪井が野村監督とそりがあわなかったのか光りを失なったのが痛かった。しかし3年連続最下位という屈辱の後サッチー問題で野村監督が辞任し、そして星野監督が阪神監督へというのはスポーツ紙で書かれたりしていたが、野村監督の後任に星野監督になるのは正直いってびっくりした。だって星野仙一といえばミスタードラゴンズであり、掛布が巨人の監督をやったり、長島さんが阪神の監督をする様なものと感じたからだ。でも野村監督の理論をちょっとは受け継ぎ今度は星野監督という熱い監督によって乗せて貰えればという期待があったし、阪神フロントが凄く危機感を持っているという事がわかった(新庄が抜けた事が客寄せパンダを失い、しょっぱい試合をしてたら観客動員が減るのを真剣に恐れ考えた結果かも)。去年、今岡が復活しチームも前半飛ばしたが後半けが人続出でまともに戦えなかったせいも有り4位とBクラス脱出は無理だった。そして今年戦力が整い・・・18年ぶりの奇跡が起きようとしている。(でも6チームしか無いんだから18年や21年と言わず6年に一度くらいは優勝してくれたらなぁ〜と思う)

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