「時事放談」   牧師 吉澤 永

時事放談1 時事放談2 時事放談3 時事放談4 時事放談5
時事放談6 時事放談7 時事放談8 時事放談9 時事放談10
時事放談11 時事放談12 時事放談13 時事放談14 時事放談15
時事放談16 時事放談17 時事放談18 時事放談19 時事放談20
時事放談21
時事放談22
時事放談23 時事放談24 時事放談25
時事放談26
時事放談27 時事放談28 時事放談29 時事放談30
時事放談31 時事放談32 時事放談33 時事放談34
時事放談35
時事放談36 時事放談37 時事放談38 時事放談39 時事放談40
時事放談41 時事放談42 時事放談43 時事放談44 時事放談45
時事放談1
 あしあとを180回で区切りをつけ、今週からは、「時事放談」というタイトルで、自由に思うところを書いてみることにする。
 教会というところは、基本的には政治と無縁の世界である。政教分離は現代国家では、建前としてであるが謳われている。教会が特定の政党を応援したり、特定の政治家を応援すると、様々なこの世のしがらみが教会に入り込んできて、問題になる。さりとて、教会というものが、この世に立てられている限り、世の政治と全く無縁でいることは出来ない。教会という場所は、自らが政治力を有して、世に対して関わっていくのではなく、聖書の御言葉に聞きながら、この世と対峙していくことが、教会としての政治との関わり方であると、個人的に考えている。
 安部首相が、実に不可解な辞任をした。私は、教師研修会の帰りに、高速道路のパーキングエリアのテレビで、その事実を知った。信じられない辞め方であった。その理由も、テロ特措法の延長を理解してもらうために、野党の党首と党首会談を申し出たが、断られたため、事態を打開するために辞めるというものであった。理由にもなっていないし、国民の生活について、全く視点に入っていないと言うことを痛感した。
 安部首相は、何のために、何を目指して、この国の最高責任者になったのか。しばらく考えてみることにする。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談2
 安部首相といえば、拉致問題において、官房長官の時代にリーダーシップを発揮して、人気を得た政治家であった。言うべき事をしっかりと発言する。総理大臣になる前はそのような印象があった。
 しかし、総理大臣になってから、官房長官の時のようなリーダーシップではなく、頑なに自分の政策を実現させる印象に変化した。幾度となく強行採決の映像がテレビに放映され、郵政解散で得た数の力を用いて、多くの政策を強引に成立させた。この傲慢な政治手法を可能にさせたのは、郵政解散における国民の投票であることには間違いがない。私たちは、投票することの責任の重さを、あの強行採決の姿から、学ばなければならない。
 安部首相は「美しい国づくり」をスローガンにあげていた。教育に力を入れ、特に、家庭教育の重要性を意識していた。私は、安部首相の多くの政策に賛成できなかったが、この「美しい国づくり」の理念は、今の日本に必要であると感じていた。家庭、学校、社会における秩序の回復、責任感のある人間を育てる教育は、今の日本に最も必要な事柄である。しかし、彼が任命し、組閣した安部政権は、近年まれに見る「美しくない政権」であった。多くの不祥事と、問題発言でまみれ、国民に対して「美しい国づくり」などと言えない醜さを露呈した。私は、この矛盾した姿勢が、参議院選挙の結果につながったと思っている。驕る者久しからずなのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談3
 参議院選挙では、自民党の歴史的な大敗北に終わった。当然ならば、選挙での敗北の責任を取って、首相が辞任するはずであった。しかし、選挙結果が出る前から、首相は続投の意向を漏らし、最終的な結果が出てからも、
「私の政策が否定されたわけではない」との理由から続投を宣言した。
 確かに、同情する余地があることにはある。
年金問題にしても、閣僚の問題発言にしても、安部首相本人の失策ではない。安部首相の中には、今までのどの内閣も実現できなかった法案を通してきた自負もあったと思う。しかし、どんな仕事であっても、現在トップに立っている人物が、最終的な責任を求められる。
たとえ、その事柄が、自分の前任者が造り上げた問題であっても、今最高責任者の立場にいるものが、前任者の負の遺産の責任をも問われるのである。安部首相は、負の遺産の部分についての、自分の責任を認めず、その責任を取らなかった。そこに、この国の最高責任者である、首相としての資質に、重大な問題があったといわざるを得ない。
 責任を取らずに、その立場に居座り続けることは、終わることのない批判に晒され続けることになる。自分以外にその責任を取れれる人物がいないため、その責任は宙ぶらりんに放置され、消えることのない批判の種となるからである。安部首相は、その事を理解していなかった。故にあのような結果を招いたのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談4
 責任と権限は一対のものである。これは、組織の頂点に立つ者にとって、常に意識する言葉である。組織の頂点に立つとは、その組織の中で最も権限を持つ存在である。現代の組織は、基本的には民主主義の手法が採用されているので、最終的な決定は会議において実施されるが、だからといって、責任者の意向が無視されることはない。基本的には、組織の責任者が方針を打ち出し、その方針を検討、修正するのが、会議の役割である。
 政治家とは、社会全体を動かす立場にある人々なので、最もその権限が大きい、内閣総理大臣を夢見ることは、自然なことであると言える。
 しかし、大きな権限には、それに比例する責任が求められる。権限が大きければ大きいほど、責任の大きさが増すのである。通常ならば責任を問われないようなことでも、責任の大きさに比例して、その責任を追及されることになる。小泉前首相が、「どうしてみんな総理大臣になりたがるのか、私には分からない。そんなに良いものじゃない。」と発言したのはその事である。この日本で最も大きな権限を持つ立場は、同時に、最も大きな責任を問われる立場でもある。それは、この国の中で、一番批判を受けなければならない勤めであることを意味している。
 故に、総理大臣の立場は、並大抵の精神力では勤まらない。安部首相は、その重圧に耐えきれずに、あのような形になったのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談5
 今政治について、最も感心のあることは、年金問題だと思う。国を信じて年金を納めていたのに、社会保険庁のミスによって、納付記録が消失してしまい、年金が受け取れないトラブルが表面化した。とんでもない話である。年金に対する信頼を取り戻すことは、今の政権の至上課題であるから、必死になって取り組んでもらいたいと思う。そうしないと、今の若者が高齢者になった時に、無年金の人が社会にあふれ、極端な治安の悪化を招くことになるからである。
 私は、老齢年金に関しては、そんなに期待はしていない。若い世代の年金で、高齢者の年金を支給する現在の年金制度では、少子化の時代を迎えれば制度そのものが成立しないのは、極めて簡単な理屈である。高齢者の年金を支えるだけの人数が、若い世代にいなければ、若い世代の年金額を上げ、税金を投入する以外、制度を維持する方法はない。実際問題として、厚生年金の負担率は、毎年上がり続けている。年金の負担率が上がれば、それを払うことの出来ない会社や個人が増えるのも避けることの出来ないことである。
 年金は、老齢年金だけではなく、障害年金、遺族年金がある。私の母と姉は、障害年金を受給している。本当に助かっている。
 国は、老齢年金だけではなく、障害年金と、遺族年金の大切さを示す努力をすれば、納付率も少しは上がるのではないかと思う。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談6
 今週の話題は、政治ではなくスポーツにする。亀田大穀選手と内藤大助選手のボクシング世界タイトルマッチで、亀田選手の起こした反則で、このところ世間の話題は持ちきりであった。わたしも格闘技の経験があったので、興味を持って見みていた。
 どんなスポーツでもそうだが、攻撃と守備のバランスが特に求められるのが格闘技である。なぜなら攻撃をする瞬間にこそ、最も大きな隙が生まれるからである。まれに、天才的な攻撃力を持った選手が、トップクラスになることはあるが、格闘技に関しては、ほとんどの選手が、守備(防御)の技術を土台にした上で、攻撃の技術を組み立てている。亀田選手は、防御の技術は出来ていたが、攻撃の技術は全くの未完成であった。建物でたとえれば、土台だけの状態で、建物がまだ出来ていないようなものだ。当然パンチがあたることもなく、手数が出ることもない。パンチがあたらないから、頭突きやサミング(親指で目を突く)、ローブロー(股間や太ももを狙ってパンチをする)、ヒジ打ち、挙げ句の果てには投げ技までありとあらゆる反則技を行った。この戦い方に世間の批判が集中し、大騒ぎとなっったのである。
 なぜあのような卑怯な戦いをしたのか。その背景に、「結果がすべて」という今の世の中を象徴する思想がある。(続く)
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談7
 プロボクシングの世界では、「オールオアナッシング」と言われる。これは、勝者がすべてを受けて、敗者はすべてを失うという意味である。プロスポーツの世界は、結果がすべてであり、特にボクシングは勝者と敗者の差は他のスポーツよりも大きい。しかし、スポーツはそれ以上に、「フェアネス」公正さが求められる。ルールを守る。その中で勝敗を争う。勝つ事への意欲は、不屈の精神力に注がれるべきであり、勝つための意欲が、反則という手段に流れたのが、今回の亀田一家の騒動につながった。このことは、今の世相を如実に現していると思う。それは、聖書の中に出てくる、偶像礼拝と主なる神との争いと同じ構図なのである。
 結果がすべてで、そこに至る過程において、手段を選ばないことは、聖書における偶像礼拝と同じ精神であると言える。それに対して、主なる神は「正しさとは何か」を明確に示す。
物事の「結果」を求めるよりも、そこに至るまでの「過程」が、神の示す義に適ったものであるかが問われるのである。
 亀田一家は、今回の騒動において、「謝罪」の重要性を学んだのではないかと思う。父親は謝罪することを拒否し、ボクシング界から追放された。兄弟達は、謝罪することを通して、ボクシング界で生き残ることができた。「謝罪」とは、復活に至る道であることが、今回の事件で示されたのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談8
 今回は、プロ野球の日本シリーズでの出来事について、気になることがあったので、少し書いてみる。
 今年の日本シリーズは、中日ドラゴンズが53年ぶりの優勝を果たした。普通ならば、それだけ長い間優勝できなかったと言うことに話題が集中しそうなものだが、そうではなかった。阪神タイガースが21年ぶりの優勝を果たした時に、関西にいたので、その時のことを振りかえると、「21年前とはこんな時でありました」という映像が、繰り返し流れていた。しかし、今回の優勝で話題が集まったのは、落合監督の投手交代についてであった。
 先発投手が、完全試合(安打、四球、失策がない)を8回まで続けていた。普通ならば、完全試合達成をさせるために、最終回まで先発投手を投げさせるのだが、落合監督は、9回に投手交代をしたのである。結果としては、交代をした投手が相手チームを抑えて、優勝した。しかし、この投手交代にいろんな方面から批判が集中したのであった。ファンの立場から見れば、完全試合という、滅多に見られない場面を見たかったという意見で、「夢もロマンもないプロ野球に未来はない。」と激しく落合監督を批判し、プロ野球の監督経験者や、現役の監督からも、「普通ならばあの場面で投手は変えない」と異論が出たのだ。
 わたしはその批判や異論を聞きながら「何故そんなことを言うのだろうか」と考えたのである。(次週に続く)
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時事放談9
 (前週続き)どんなことでも、組織の長になることは大変なことである。それは、その組織で一番の権限を持つ反面、利害が対立する場面では、両方の立場から叩かれるからである。平穏無事な時はそうでもないが、組織の中で意見が二つに分かれる時、長に立つ人物は、どちらかの方針を選び、反対する人々からの批判を受ける。それが長に立つ人の仕事だと言っても過言ではない。落合監督は、日本シリーズの最終戦で、まさにそのような場面に立たされたのである。
 落合監督は、勝利という結果を残したにもかかわらず、多くの方面から批判を受けた。「勝利を求めるだけで、夢のない野球をするならば、プロ野球の未来はない」という批判を受けたのである。しかし、実際の内情は、8回まで完全試合を続けていた投手は、手に出来たまめがつぶれ、もう投げられない状態であった。しかも、肩の故障から復帰したばかりで、ここで無理をすると、ケガの再発の恐れもあった。落合監督は、多くの人々からの批判を受けることを承知で、選手を守りつつ、勝利を得るための最善の選択をしたのである。
 組織の長に立つ者は、周りの評判によって左右されるのではなく、自分の属している組織の人々を守り、その為に批判を受けることがあってもいとわない。そのよい例を見せて頂いたと、感じたのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談10
 政治のことばかりになってしまうが、どうも不可解なことばかりが起こっている。それは、民主党小沢代表の辞任騒ぎである。
 どんな事情があれ、一度トップに立つ者が、公の場で「辞任する」と言った限りには、それを撤回することなどあり得ない。それは、そのような発言をする者が、それだけの覚悟と責任を持って、行うべき行為である。辞任すると発言して、引き留められたから撤回するなど論外である。引き留められようと何だろうと、「辞任する」と発言したことは、取り返しの付かないことなのである。発言を撤回して、指導者の立場に戻ったとしても、もう二度と、以前のような指導力を発揮することは出来ない。民主党は、よっぽど他に人材がいないと思われるか、組織のイロハを知らない集団として見られ、信頼を失うかのどちらかしかない。それほど重みのある言葉を、不用意に発してしまったのである。
 重い責任を持つ人ほど、その発した言葉の責任を取られる。この国を治める立場に立つ人々が、この有様では、私たちは一体どうなってしまうのかと不安にならざるを得ない。 聖書には、御自分の発した言葉に従った神様の姿が記され、私たちの罪の責任を担い、十字架の死を遂げられた、イエス様の姿が記されている。責任を果たす神の姿から、救いを見出す者でありたい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談11
 今回は、マスメディア、特にテレビにおける犯罪の報道について考えてみたい。
 香川県の坂出市で、幼い姉妹二人と、その祖母が殺された事件があった。悲惨な事件であり、被害にあった家族がどれだけ心痛めているかと思うと、やりきれない気持ちになる。何の罪もない幼な子を、刃物で惨殺してまで、自分の罪を隠そうとする人間の恐ろしさを感じずにはいられない。
 この事件を報道したマスメディア、特に、テレビの報道は、犯人捜しに終始した。テレビは警察でも、探偵でもない。それなのに、勝手に取材を行い、被害者の家族につきまとい、挙げ句の果てには犯人扱いをする。そして、自分たちにとって都合の悪い事実が明らかになると、何事もなかったかのように、反省も謝罪もなく、新しいニュースを流し続ける。そこで甚だしく傷つけられるのは、被害者達の人権であり、名誉である。愛する家族の安否が分からないという、これ以上にない過酷な状況にある人々を、マスメディアは平気で飯の種にして、興味本位で取り上げ、事実を確認しない情報を流し、間違いを犯しても謝罪せず、人権侵害を繰り返す。これらの背景にあるのは、マスメディアの傲慢である。それは、世の中の感心や出来事は、自分たちの手によっていかようにも操作でき、そして、自分たちを裁く存在がないことを彼らは知っているのである。(次週に続く)
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談12
 マスコミの本来の役割は何だろうか。それは、権力の横暴を監視し、私たち国民に正しい事実を知らせることを通して、民主主義国家の平和と秩序をもたらすことである。しかし、競争原理、市場主義が支配する世の中にあって、優先されるのは、収益を上げる番組作りになってしまう。この思想によって、問題のある番組が放送され、被害が生産されてしまうのである。
 今年初めに、納豆でダイエットが出来るという番組が、大反響を呼び、全国のスーパーで納豆が売り切れ、買うことが出来なくなったことがあった。しかし、放送された内容のほとんどは、ねつ造された虚偽の情報であり、しかも、大手スーパーに事前に放送内容が知らされていた疑惑もあった。この事件の構図はこうである。身近な食品「納豆」で痩せるということで注目を集め、視聴率を得ることが出来る→番組の反響によって大手スーパーに利益をもたらすことが出来る→これらの影響によって多くのスポンサーを得ることが出来る→テレビ局の利益になる→番組制作者の出世につながる。市場主義社会、即ち、利益追求の社会がもたらした、マスコミによる、虚偽情報の垂れ流しが行われた典型例である。私たちはマスコミの情報に踊らされ、被害を被る人が後を絶たないのである。
 収益を上げることは確かに大切である。しかし、その行為によって人を傷つけることがあると言うことを、マスコミは最大限の注意を払って行動して欲しいと強く願う。
                         <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談13
 どうも政治の話にばかりになってしまうが、福田総理の印象が官房長官時代と随分違うのである。福田総理は、官房長官としての在任期間で最長記録を持っている。記者からの質問に対しても鋭い答えを返し、派手ではないが、着実に物事を進めていく力があった。調停能力に長けていたので、多方面への影響力を持つ官房長官であったといえる。国民の印象もまた周りの政治家達の印象も、官房長官時代の印象が根強くあったと思う。 しかし、いざ総理になってみて、様々な答弁を聞くにつれて、まるで別人のようである。老獪といえば聞こえがよいが、長年隠居をしていた政治家を、無理矢理総理大臣に引っ張り出したような印象を受けるのである。
 総理大臣は、あらゆる国政について、一通りの知識を持つことを要求される。もちろん、すべての事柄に対して精通することは不可能であるから、それは担当大臣や、官僚などが代弁をするのであるが、基本的な国政のポイントを理解しておくことは、総理大臣としての基本的な責務である。
 今の政治的状況は、総理大臣にとって、近年になく厳しいものであるが、その状況をまるで他人事のように受け流している、それが、これまでの福田総理の政権運営である。頼りがいがあった官房長官時代の印象は消え、無関心にあらゆる事柄を先送りする今の首相を、不安を持って見ざるを得ないのである。 <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最近耳にする犯罪で、やりきれない思いにさせられるのが、親の虐待による犯罪である。
子どもを愛するとは、誰かに教えられるような徳目ではなく、それこそ、食事をしたり、睡眠を取ったりする、生得的に備わっている欲求であると思う。しかし、倫理性を根本的に欠如している個人主義と市場原理主義社会における、利益追求の思想によって、子どもを愛するという、この当たり前のことが分からない親が増えているように感じる。
 先日、ある母親が、新しく交際し始めた男性の所へ行くために、4歳の長男と、1歳の三男を置き去りにして、一月以上家に帰らずに、三男を餓死させた事件があった。長男は、生米やケチャップ、マヨネーズなどを食べることによって、何とか命をつないだようだが、三男の身体は腐敗し、口から虫が大量に発生していたようである。母親は当然長男も三男も餓死しているものと思って、一月後に部屋に帰ったが、長男が生きていて自分に抱きついて来たら、「何で生きてるの?」と思ったようである。
 子どもは親を選べない。一月も自分たちを殺す目的で放置して、他の男の所で遊びほうけているような母親でも、生き残った長男にとってはかけがえのない母親なのである。
 親であることの責任の重さと、子どもを愛することの喜びを、同時に伝えていかなければならない、そう思わせられた事件であった。 
                        <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談15
 今年も早いもので、あと二日を残すのみとなった。今年は、様々な偽装問題が明るみに出た年であり、今年を表す漢字が「偽」であることから、世の中全体のモラルが問われる年でもあった。
 宗教が担う大切な役割の一つに、人々への道徳教育があると思う。この日本においては、信教の自由が憲法によって保障され、宗教法人はその法人が目的とする活動については、すべて非課税という特典が与えられている。これは、宗教の存在が社会において有益であると認識されているからこそ、そのような権利が与えられているのである。
 キリスト教は、特に教育に力を注ぎ、教会は多くの教育施設を生み出してきた。それらの設立の目的は、第一義的には福音の伝道のためであったが、聖書に基づいた教育をすることによって、社会にとって有益な人材を送り出すことを通して、社会に奉仕する意図があった。
 今も変わることなく、多くの教育施設でその努力が続けられていると思う。しかし、自己反省の意味も込めて、神の国と神の義を求める教育が、しっかりとされているのかを考える必要があるのではないだろうか。
 私たちの教会にとっても深いつながりのある同志社大学は、建学の精神に新島襄の言葉を掲げている。そこに記された言葉は、私たち教会にとっても大切なことが記されている。次週その言葉から学んでみたい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談16
 新島襄の同志社大学設立の旨意(抜粋)を引用する。
「(同志社の)目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり…
 一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふ可き人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。吾人が目的とする所実に斯くの如し。」
 新島襄は、同志社大学を設立した理由に、
「良心を手腕に運用する人物を出すため」であり、そのためには神を信じ、真理を愛し、人情を厚くするキリスト教主義の教育が必要であると。そして、そのような人物こそが、国を維持するに不可欠であると述べている。
 私たちも、主の教会として、良心を手腕に運用する人物を生み育てていくものでありたい。
                         <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談17
 最近、教会とは何だろうと物思いにふけることがある。自分自身の生い立ちを考えて、教会を自分の住居としなかったのは、大学の4年間だけである。大学といっても、牧師を養成する神学校の寮だから、祈祷会があったり、寮の舎監は牧師且つ教授であり、寮生は将来牧師になろうとしている人がほとんどであったから、教会に住むことと大差ないものであった。教会という空間以外に身をおいたことがない私にとって、逆に教会というものが見えなくなっているのではないかと、ふと思うのである。
 高校2年生の時、母親の交通事故をきっかけに、牧師としての召命を受けるまで、私は教会という場所がいやだった。もし、自分が教会で生まれずに、教会で生活せずに、普通の一般家庭で生まれ育ったら、関心を持つ集まりではなかったと思う。親がクリスチャンで、信徒の子どもとして育っても、おそらく教会につながることはなかった。しかし、教会とは、平日は一般社会に身をおきながら、主日毎に、教会の集会がある度に、信徒が集まり活動をしている場所である。だからこそ、自分がもし信徒の立場に立って、信徒として教会での業に仕えることを想像した時、そこには、牧師以上の献身と覚悟が求められる時があることを思うのである。
 私は、神様に捕まってしまったという思いを持っているが、みなさんも神様に捕らえられて、奉仕に汗を流しているのだと、強く感じる今日この頃である。
                         <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談18
 今、ハンドボールのオリンピック予選を巡って、大きな問題が生じている。アジア予選が行われたのだが、アジアハンドボール連盟が、当初第三国の審判が予定されていたにもかかわらず、中東出身の審判に無理矢理入れ替え、中東の国(クウェート)に有利な判定を下し、勝利させたことが発端となっている。 ハンドボールの世界では「中東の笛」という名称が付いているほど、不公平な判定が下される。その背景にあるのは、金ですべてを動かそうとする中東諸国の思惑が見えている。
 現在は空前の原油高である。原油価格は、3年前の5倍にまで跳ね上がり、様々なところで生活を脅かしている。その中で、莫大な富を得ているのが、石油産出国である。ハンドボールで出た問題は、クウェートを中心とする中東諸国が、金に物を言わせて不正を行っていることが、根本の原因であるといえる。 マタイによる福音書6章24節及びルカによる福音書16章13節にこのような言葉がある。「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」富に仕えるものは、神を軽んじる、即ち、「正しさ、公平さ」を軽んじることになるということを、この出来事を通して見せられた。この御言葉を心して聞く者でありたい。
                         <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談19
 今、ガソリンの税率について、国会が議論を交わしている。私は以前から、ガソリンの暫定税率について疑問を持っていた。暫定税率とは、本来のガソリン税に、更に上乗せして課税をする税のことである。その理由は、道路整備を進展させるためであり、その為に、本来の税率の倍の課税をしているのである。
 確かに、地方に住む者にとって、道路整備は大切である。人々の生活を支える役割を果たし、地方を活性化させるために必要なものである。しかし、それならば「暫定税率」という名称を止め、「道路整備、維持管理税」という名称に改めるべきである。暫定はあくまでも一時的なものであり、それが長期間に及び、さらに、国政にとって必要不可欠な税金ならば、暫定という名称は本来の実態に合わなくなってきていると言える。
 しかし、巨大な金の集まるところには、人間の邪な欲望が集まるものである。全国には数千億円の巨額の税金を投じて、ほとんど利用されることのない道路がたくさんある。それに、建築費が高すぎる。絶対に私たちに明らかになっていない無駄な出費が存在していて、そこで暴利をむさぼる権力者がちが跋扈しているはずである。彼らは、自分たちの都合の良いように法律を整え、国民には情報を隠し、また見せても理解できないように難解な法律にして、「法に基づいた適切な処理」と言い続けるのであろう。一度、根本的に、権力のシステムを入れ替えればよいと思うのは、いささか過激だろうか。
                        <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談20
 先日、冷凍食品で中毒症状が出たとのニュースが全国に流れた。中国から輸入されたものであり私たちにも身近な食品であった。高濃度の殺虫剤が入っていて、嘔吐、下痢などの食中毒になったようである。
 確かに、食に対する文化的な違いはある。しかし、日本に輸出する際に、十分な安全対策がとられていたかどうかは、怪しいものである。中国は公教育で、日本の中国に対する罪の大きさを教える。それは大切なことであり、私たちも戦争中に犯した罪を認め、悔い改めて中国とお付き合いする必要があるかと思う。しかし、度を超えた日本非難の教育によって、日本に輸出する食品には、どんなことをしてもよいという気持ちがあるように思えてならない。自分たちは戦争中に、日本に占領されてひどい目にあった。だから、日本向けに輸出する食品に、少々の不備があっても構わない。そのような姿勢が見え隠れするのである。
 この問題は、単に私たちが中国産の食品を買わないだけで解決するものではない。利益を求める余り、安全性を確認できない食材を用いる企業にも問題がある。見栄えや形によって判断する私たち消費者にも問題がある。本当に大切であること、大事であること、なくてはならぬものが何かと言うことを、この問題は私たちに問いかけているように思う。
 この問いを前にして、本当に大切なことを見出す者でありたい。
                        <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談21
 前回、冷凍餃子の事について書いたが、的をはずしたことを結果として書いてしまった。あの段階では、杜撰な食品管理と、反日教育がその背景にあるのではないかと記したが、施設の食品管理については問題がなかったようであった。食品管理の問題と言うよりは、毒物混入の事件という様相を呈してきた。事実確認がまだ出来ていない段階で、勝手なことを書いてはいけないと反省させられた。私自身、マスコミの情報に踊らされてはならないと書きながら、踊らされてしまっていることを発見し、悔い改めをしなければならないと示された。
 毒物混入の事件となると、問題の本質が変わってくる。これは、中国の製品が悪いのでも、企業の問題でもなく、事件であり、犯人が特定されるまで、問題が解決しない。もちろん、毒物の混入を許した会社の責任が存在するが、会社や企業も被害者であるとも言えるのである。第一に言えることは毒物を持ち込むことの出来ないような警備体制を確立することである。次に、毒物混入に至った原因を捜査することである。愉快犯や、日中関係を悪化させたい目的の犯行になると、特定が難しいが、とにかく犯人捜しを全力で行ってもらいたい。
 私たちも対岸の火事として見るのではなく、日本政府として、食の安全に警備面からの見直しをしてもらいたいと願うものである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談22
 冷凍餃子のことが続くが、あの事件をきっかけに、餃子の皮がよく売れていると聞いた。私はそれを聞いた時、「そんなに無理して餃子を食べなくても、他にいくらでも食べる物があるだろう」と思っていた。毒物が検出されたのは、発表されている種類の冷凍食品のみであり、他のものについては従来と変わりないはずである。しかし、一度付いてしまった印象は、人々に強烈に焼き付いてしまい、他の冷凍食品も全部危険のように思えてしまうのであろう。私は今までこのような人々の行動を不思議に思っていたし、余り快く思っていなかった。いわゆる風評被害というものは、人々が感情に支配されて、冷静に物事が見られなくなっている状態のことであるので、自分はそうならないようにと思っていた。
 しかし、昨日我が家の食卓に、餃子の皮を買ってきて作った手作り餃子が上がった。妻も連日の報道で過敏になっていると思った。そう思ったが、妻の作った手作り餃子は、とても美味しかったのである。妻は「あの事件を通して、食の安全を真剣に考えるようになって良かった」と言っていたが、私にとっては、この事件のおかげで、今までにない美味しい餃子に出会えたのである。私はこの事件を通して手間ひまかけて作った料理のおいしさを知り、便利さを追求する今の時代にないものを、見せられたような思いがした。心もお腹も満たされた昨日の食卓であった。
                         <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時事放談23
 中国の重慶で東アジアサッカー選手権が開かれており、20日に日本対中国で試合が行われた。結果は1−0で日本の勝利であったが、中国選手の反則プレーがひどい試合であった。 
 2004年のサッカーアジアカップでは、重慶はトーナメントの競技場の場所のひとつとなったが、このとき中国人観衆がスタジアム内外で日本人サポーターに汚物を投げる、日章旗を燃やすなどの反日的な活動を公然と行った。重慶は、1938年から1943年にかけて、日本軍が大規模な爆撃を行った土地であり、反日感情の強いところである。しかし、だからといって、サッカーの国際試合でその事を持ち込んで観衆が日本人に向けて汚物をぶつけたり、試合で反則行為を平然と行うことはどう考えてもおかしい。政治の話をスポーツに持ち込むことは、いかなる国でも行われてはならない基本的なルールである。このようなことを守ることが出来ない、中国人サポーターとサッカー中国代表は、自国の誇りを汚す者たちであると言われても仕方のないことなのである。このニュースが流れた時、中国の側からもサッカー中国代表について、批判的な見解が出た。このような公正な意見、
視点こそが、国の誇りを保つのである。立場を越えて、義に立つ人が一人でも多く起こされることを、
祈り求めなければならないと思った。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談24
 先日の祈祷会で、申命記の最後まで読み終えることが出来た。創世記から申命記まで、モーセ五書と呼ばれる部分を読み終えることが出来て、感謝であった。
 聖書とは、本当に不思議な書物である。旧約聖書の一番古い部分から言えば、3000年以上に渡って読まれているのに、一切古びることも、読み尽くされてしまうこともない。書かれていることそのものは、古い時代のものであるが、その内容は一切古くならないのである。誰が、3000年先の人間を納得させ、信じさせることの出来る言葉を記すことが出来るか。3000年前の人間から言えば、想像すら出来ない生活をしている私たちに向かって、聖書は一切古びることなく、真理を突きつけ、力強く私たちに迫ってくる力を持っているのである。
 「幸」という漢字と「辛」という漢字は、非常に似ている。非常に似ているが、内容は正反対である。牧師という立場に立つ者は、聖書の言葉から「幸」と「辛」の、両方に預かることになる。聖書の言葉を語り続けることの苦労がある。聖書の言葉に立つが故に襲いかかってくる試練もある。信仰無き者が、信仰を語り続ける矛盾の中で、祈りが深められていくこともある。この世の中で、寄留者として生きなければならない苦しみもある。しかし、だからこそ、他の何物にも代え難い「幸」があるということを、証し出来る牧師でありたい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談25
 全国の自治体で、問題となっているのが財政のことである。今、大阪府知事に、テレビで有名になった橋下知事が就任してから、財政問題が注目されるようになった。私自身が驚くのは、あれだけの人口を抱える大阪府で、どうしてそれだけの累積債務が生じるかと言うことである。
 以前、知人の結婚式に参加して、その後に、車に乗せてもらって、神戸から大阪に向けて高速道路を走っていた。すると、運転をして下さっていた方から、「あの建物、何の建物か分かりますか?」と質問が飛んできた。質問をされた建物は、非常に奇抜なデザインで、遊園地の施設か、パチンコ店のようにしか見えなかった。私が「新しくできた遊戯施設ですか?」と答えると、「そう見えるでしょうけど、あれは大阪市のゴミ処分施設です。」との答えが返ってきて、非常に驚いた。何でも、世界的に有名な海外のデザイナーにデザインと設計をお願いして、609億円もの高額な建築費を支払ったとのことである。
 とてもじゃないが、4兆円もの累積赤字を抱える自治体のすることではない。否、こんなばかげたことを平気で出来るからこそ、4兆円ものぼる累積赤字を積み重ねてきたのではないか。  
 橋下知事が、これからどんな働きをするのかは時を待たねば評価できないが、一般人の感覚を忘れず、財政改革をしてもらいたいと願うものである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談26
 景気について。私の世代は、高校生の時にバブル景気を経験している。私は、高校卒業で就職する学生が多い、実業高校(機械科、
電気科、商業科があった)に通っていたため、友達の就職活動の話などを聞くのである。その時は、高卒であっても、企業から求められる資格を持っていれば、非常によい条件で就職できた。無理をして大学に行くよりも、社会で即使える資格を取って、就職する方が、はるかによいと思えた時代であった。 
 今この時、日本は緩やかな景気拡大をしているそうである。しかし、バブル景気を経験している者にとって、今の時代が景気拡大と言われても、「ウソだろ」と思ってしまう。最近ニュースを見ていて、その疑問が解けた。それは、バブル崩壊で痛い目を見た企業が、「リストラ」という言葉に示される首切りを断行し、それによって浮いた人件費を、給与に一切回さず、株主への配当に回したり、内部留保金として、ため込んでいたのである。多くの一流企業が、バブル期を越える利益を上げているのに給与が上がらない。結局は、組織のために人間を犠牲にする論理がまかり通るのである。
 この考え方は「お国のために死になさい」と教えた、戦前の考え方に通じるものである。人の犠牲よって成り立っている組織は永続しない。教会にも同じ事が言えるのではないかと思うのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談27
 公共性と言うことについて考えてみたい。政治というものは、公共のものであり、公共の利益に資するために、権限が与えられ、国民から集めた税金を割り振っている。しかし、これは建前であり、日本の政治は、どこまでも公共性を有するものではなく、私的な力関係で物事が決められているように感じてしまう。
 日銀総裁人事が成立せず、戦後初めて、総裁が空席のまま、金融の舵取りを行う非常事態を迎えている。これらのやりとりを見ながら、公の利益と言うことを意識して活動している政治家が、今の時代ほとんどいないことを見せつけられたような気がしている。総裁の任期切れの期日は、何年も前から分かっていたことである。それなのに、期限直前になってドタバタの状態になって、決めることが出来なかった。これでは日本という国が、諸外国から見放され、バカにされるのも無理はない。公共の利益に資するために、国民に選ばれたと言う意識のない集団が、信頼を得ることなど出来ないからである。
 公私混同という言葉があるが、「公」という言葉の意味が、今失われようとしている。この「公」という観念は、自分に与えられた責任と権限とに畏れを抱き、「私」を廃して仕える姿勢なしには成立しない。「公」に対する意識のある政治家が与えられるように、祈る必要を感じた。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談28
 少子化について考えてみたい。国が豊かになると、子どもが産まれなくなる。今の世界では、経済力のある国で、少子化の問題を抱えているところが多い。逆に、国が豊かになれば、子どもを育てやすくなると思うのだが、実態は逆になっている。国が貧しさによって苦しんでいるような所では、高い出生率を維持している。
 子どもが産まれず、若い世代の人口が失われていくことは、国として大変な問題である。そこで、世界中の少子化問題を抱える国では、様々な取り組みが行われている。
 フランスでは、効果的な少子化対策により、ヨーロッパでもトップの出生率を誇っている。子どもを産めば産むほど、国からの手当が付くようになり、子どもを3人産めば、月額4万円ほどの手当が付き、そのほかにも税金の優遇措置、公共の交通機関の割引、美術館などの公共施設の割引など、生活の隅々に至るまで優遇される仕組みになっている。
 日本が本気で少子化対策に取り組むならば、フランスのマネをすればよいと私は考えている。国が本気で少子化対策に取り組む姿勢を見せれば、国民もそれに答えるはずである。目先の利権のために汗を流すのではなく、
本気で国民のことを考える政治家が与えられるように祈る。そして祈りに基づく選挙権の行使をしていくことが、私たちキリスト者の責任であると考えている。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談29
 ガソリンの暫定税率が、期限切れ失効をした。この辺でも、早速4月1日にガソリンの値段が下がっていた。一般の利用者にとっては有難いことである。しかし、ガソリンスタンドの関係者は、大変な目に会っているのではないだろうか。
 ガソリン税は、ガソリンスタンドにたどり着く前に、既に課税されているそうである。故に、4月1日に値下げをしたスタンドは、在庫を抱えたガソリンについては、暫定税率分を丸ごと赤字として抱え込まなければならない。今回のドタバタ劇の一番の被害者であるといえる。どうしてもっと計画的に進めることが出来ないのだろうかと思わざるを得ない。暫定税率は、設定されてから30年以上経過している。必要な税金だと訴えるならば、どうして早い段階で、恒久的な税にしておかなかったのか、政治の怠慢と言われても仕方がない。逆に必要がなく、政治家や官僚、建築会社の利権になっているというならば、何故今で野党の人達はほったらかしにしてきたのか。降って湧いたように暫定税率を攻撃の的にして、結果として多くの人に被害を被らせている野党のやり方にも納得がいかない。今回生じた被害について、何らかの救済措置を執る責任が、野党にあると考える。
 この問題は、また一波乱あるようである。政治闘争をするのは勝手だが、国民の生活を巻き込むことは止めて欲しいと強く願う。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談30
 最近思うことだが、今の先進国と呼ばれている国における生活は、未だかつて人類が経験したことのない、飽食と長寿の時代を歩んでいる。生物学の専門家によれば、生物が環境に適応しながらその平均寿命を延ばすためには、とんでもない時間を必要とする。しかし、第二次大戦後、特に、私たちの日本における平均寿命の延び方は、生物学の視点から見れば、天変地異言う言葉でも片付けられないほどの異変だそうである。数万年の時を費やして、少しずつ延ばし来た平均寿命を、わずか数十年で、30歳以上伸ばしたのである。仮に1年寿命を延ばすのに、1万年かかるとするのならば、自然に伸びる寿命の早さから言えば、一万倍のスピードで、寿命が延びたことになるのである。もちろん、寿命が延びると言うことは喜ばしいことであり、だれもが望むことなのだが、その著しい変化に、私たちが対応できていないと考える必要があると思うのである。
 人は豊かになれば、感謝の心を忘れてしまう。与えられている、満たされていることを当たり前だと思い、自分の思い通りにならないと、呼吸できないのと同じように暴れ回ってしまうことがある。満たされていないからこそ、与えられる感謝を知ることが出来る。与えられることが当たり前の世界と、与えられて感謝できる世界、どちらが幸せなのかは、感謝のある世界だと私は思う。 
 主は、私たちに御子を与えて下さった。このことに感謝できる世界に生きたいと願う。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談31
  大阪府のニュースが、連日報道されている。先日は、各市町村長と知事との激しい論争が報道されていた。知事が涙ながらに、財政再建の緊急性を訴えたのに対して、各市町村長は、知事の政治方針を非難するに終始していた。
 各市町村の立場も分からなくはない。年度後半に知事の交代があり、方針が変わってしまった。年度予算を今までの方針で作ったのに、橋下知事が、それを全部白紙にしてしまった。予算を執行できないと、各市町村の首長としての立場を失うために、それこそ命がけで、予算獲得に向けてなりふり構わず、知事を攻撃することによって、その目的を達成しようとしているのである。
 しかし、それだけ困るほどの、財政再建案を出さざるを得ないほど、大阪府全体の財政を悪化させたのは誰か。各市町村の首長達にも、大きな責任があったはずである。問題を先送りにすることによって、抜き差しならない状況に追い込まれているにもかかわらず、改革をしようとする知事を責め立てるのは、無責任の極みであると言わざるを得ない。
 物事の流れを変えるには、泥をかぶる事を恐れない、自己犠牲の精神を持った指導者が必要である。主イエス・キリストも、祭司長や律法学者達によって作られた、形骸化した信仰による支配を打破するために、十字架の死を受けられたことを、私達は覚えておかなければならない。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談32
 企業倫理の危機が、今社会問題になっている。私達の身近なところでも、製紙会社の排出ガスの虚偽報告や、製鉄所の排出ガス虚偽報告が明るみに出た。環境基準を上回る有害ガスを出していたにもかかわらず、対策をとらずに、ウソの申請を県や国に提出していたのである。排煙を出す限り、その煙はそこに住む人々に影響を及ぼす。地域住民の健康を害してまで、自社の利益を求める組織に、未来はないと言うことを分からせるために、厳しい処分を下して欲しいと願っている。
 営利を目的とする組織、一般企業などは、利益を追求することのみが、組織の目的であると思われがちであるがそうではない。利益を追求することも、追求する項目の一つであるが、一番の目的は、いかに社会に貢献する組織を造り上げるかと言うことにある。社会に貢献する目的を達成した結果、利益が追随してくるのが、理想的な営利組織の姿なのである。
 教会はいうまでもなく、「非営利組織」である。営利を求める組織ではなく、神の使命に生きる組織である。故に、営利組織以上の倫理性を求められる。営利組織が、社会に貢献することを目的とするように、教会は、神の御心に適う働きをすることに、その目的をおかなければならない。この前提が崩れる時、教会は、自分たちの利を保証する神を求める組織に堕してしまうのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談33
  暫定税率が復活し、ガソリンの価格が元に戻った。否、元の価格以上に高くなっている。私達、日常の交通手段として使う人々にも大きな負担であるが、運送業者や観光バスなど、ガソリン(軽油)価格が変動しても、運転を控えることが出来ない人々にとって、大変な負担になっている。この負担は、多くの運送関係の企業経営を悪化させ、悲惨な交通事故の遠因になっている。車の整備不良、運転手の過酷な労働環境、最終的には経営者の責任になるが、これらの状況を誘発しているのは、必要不可欠なガソリン価格の高騰であると私は考える。   
 私は、単純に安くすればよいとは思わない。安くするにしても、この税金無くしては、生活が出来ない建築業者も現実にはいるのである。地方には、まだまだ造らなければならない道路も存在している。問題の根底にあるのは、道路建築の着工に至るまでの不透明さにある。利権に群がる政治家、官僚、建築業者、これらのどす黒い私心によって、どれだけの税金が無駄になったのか、怒りを禁じ得ないのである。
 税金の負担はやむを得ない部分もある。私が願うのは、運送業者など、仕事の性質上ガソリンの消費を減らすことの出来ない業種に対する救済措置と、道路建築に至る着工までの経緯の情報公開、この二つを実現させて欲しいと、一選挙民として願っている。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談34
  道路特定財源の一般財源化について、ひと言もの申したい。小泉内閣以降、改革の一貫として、道路財源の一般財源化が議論されている。私はこの議論そのものに納得がいかないでいる。
 暫定税率も含めて、道路関係の税金は、道路の利用者であるドライバーが、受益者負担の理由によって負担している税金である。車を持つ限り、道路を走る立場にあるので、これは筋の通った理由である。問題があるのは、道路建築そのものではなく、道路の建築のされ方、される場所、工事費用の無駄にある。税金が無駄になっても、だれも責任をとらない現行法においては、これからも無駄な道路は建築されるだろうし、税金の無駄遣いも行われるであろう。だからといって、道路の建築のために集められた税金を、他の用途に使うこと、即ち、一般財源化することは、話が違うのである。
 一般財源に回す余裕があるなら、直ちに暫定税率を廃止すべきである。それはそれだけ余分に集めているから、一般財源化などという議論になるからである。一般財源化するということは、事実上の増税である。あるいは、税金の目的外使用であるともいえる。そんなことよりも、建築途上で造られなくなった道路や、ほとんど利用されない道路を造った責任者に、無駄になった税金を支払わせる法案を、国会は成立させるべきなのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談35
  四川で大地震が起きた。阪神淡路大震災をはるかに上回る死者が既に確認されており、また、それ以上の生き埋めになっている人が現在もいると報道されている。私は、阪神淡路大震災で、高校2年生の時にお世話になった担任の教師を失った。震災が起こって、1年以上過ぎてから、母校を訪れた時に初めて知ったのである。
 人と人とのつながりは、私達が想像している以上に狭いものである。思いがけないところで知っている人に出会ったり、初めて出会った人に共通の知り合いがいるということも、ままあることである。愛する人を失う悲しみは、私達が生きていく上で最も辛いことである。人が一人死ぬということは、その人だけの問題ではなく、その人と出会い、同じ時間を共有したすべての人の問題であり、また、耐え難い悲しみである。
 震災で命を失った私の恩師は、絵に描いたような真面目な教師で、教師であることに誇りを持ち、なによりも生徒に情熱を注がれた先生であった。あんなに良い先生が失われることを思うと、災害で突然命を奪われることの理不尽さを思わざるを得ない。命があることは当たり前でないことを知り、
「生きる」という行為の責任を、死者のことを思うことによって示されるのである。 
 一人でも多くの人が救われ、悲しむ人が慰められるように、祈っていきたい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談36
 日本政府の矛盾について問いたい。私達が誇りを持って掲げている日本国憲法には、未だかつて類を見ないほどの、平和に対する強い意識が見られる。私達はこの憲法によって、戦後60年以上もの間、戦争をすることなく平和を与えられている。
 戦争は、最も巨大なお金の動く事業である。戦後の日本の高度成長を軌道に乗せたのも、朝鮮戦争とベトナム戦争だといわれている。お金が動くところには、人間の邪な私心がうごめき、聖書の語る罪が最も活性化する場でもある。
 先日ニュースを見ていると、クラスター爆弾の禁止運動に対して、日本が消極的且つ反対の立場をとっているのを見た。クラスター爆弾とは、通常サイズの空対地爆弾の中に、数百個の小型爆弾が入っているタイプのものである。この爆弾は、不発弾が大量に発生し、投下された地域の民間人を、長期間にわたって犠牲にすることから、非人道的兵器といわれている。
 戦争という手段を、未来永劫放棄する憲法を掲げる国が、非人道的兵器として問題になっているクラスター爆弾の禁止運動に反対の立場をとることは、矛盾しているといわざるを得ない。たとえ、自衛のために有効な兵器であったとしても、日本国憲法の精神に矛盾しない国防の姿勢を、世界に示してもらいたいと強く願うものである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談37
 地球温暖化について考えてみたい。確かに、昔に比べて暑くなってきているように感じる。台風の被害、海水面の上昇や、作物の変化など、身近なところで温暖化の影響を感じている。昨年のオーストラリアの大干ばつで、小麦粉の値段が跳ね上がり、いろんな物が値上がりしている。他人事ではなく、私達のお財布にも直結する問題になってきている。
 今の生活は、多大なエネルギーを消費することによって成立している。そのエネルギーを供給しているのは、石油である。産業革命を支えたのが、石炭であったように、現代の生活の仕組みを支えているのは、石油エネルギーを利用した生活様式である。
 石油を用いた生活様式は、まだ歴史が浅い。ようやく100年を迎えたくらいである。だから、この生活様式がもたらす問題について、真剣に動き始めたのは最近だと考えなければならない。石油エネルギーを発生させるためには、石油を燃焼させなければならない。この時に発生するのが、二酸化炭素に代表される炭酸ガスである。石油を燃やすことで、二酸化炭素が大量に排出され、それが、地球に温暖化をもたらし、様々な被害をもたらしているということなのである。
 人間は、一度快適さを覚えると、なかなか前の生活様式に帰ることは出来ない。さりとて、このままだと下手をすると、生活そのものが成り立たなくなっていく。知恵を絞って行動するしかないのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談38
 地球温暖化の議論で気になることがある。それは、二酸化炭素を排出しないという理由で、原子力発電が良い発電方法として喧伝されていることである。
 確かに、原子力発電は二酸化炭素をほとんど出さずに発電することが出来るが、その代わりに、放射性廃棄物という、二酸化炭素とは比べものにならない危険物を産出する。それに、チェルノブイリ原発事故や、東海村JCO臨界事故などは、まだ記憶に残る大事故である。エコロジーを追求することに異論はないが、地球温暖化防止という大義名分に隠れて、世界の政治家達が悪いことをしようとしているのではないかと思ってしまうのである。
 地球温暖化防止には、巨大なお金が動く。現在日本では、地球温暖化防止のために策定された京都議定書を実行するために、年間一兆円もの税金がつぎ込まれている。それでも、目標通り二酸化炭素排出量が減ったという話は聞かない。私は、それだけの予算をつぎ込み、さらに、二酸化炭素排出権を高額で購入するようなことをするなら、税金で全ての家庭や施設に、太陽光発電を取り付けたらよいと思う。そうすれば、火力発電所も必要なくなり、全ての建物が、二酸化炭素を排出することなく、電力を賄うことが出来る。電力会社を維持するお金と、京都議定書を守るために使われている税金を使えば、不可能だとは思わない。もっと、根本的な議論が必要に思えてならない。 

                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談39
 先週の日曜日に、恐ろしい事件が起こった。秋葉原の通り魔事件である。絶対に許されない行為であり、いかなる事情があろうとも、容認されてはならない事件である。このような形で愛する家族を失った遺族や、近しい友人、関係者達の心痛を察するに、あまりあるものがある。ご遺族や関係者達に、慰めがあるように祈らずにはいられない。
 報道を通して、様々な情報が流れてくる。どれが真実の情報であるのかを選び取ることは難しいが、それらの情報を通して思うことは、目に見えるもののみを信じ、それに属して生きることの恐ろしさを感じる。
 この事件の犯人は、教育熱心な両親によって育てられたらしい。教育熱心であることそのものに罪はない。そうではなく、親が子供に向けて、学校の成績という目に見える部分でしか評価し、向き合い、愛することの出来ない姿に、このような事件を生み出す原因があると考える。
 勉学に努力することは大切であり、子どもにとって大事なことである。しかし、それが子どもの全てではない。勉学にも、その子どもにとっての生きる目標とのつながりがなければ、ただの拷問に過ぎない。親の世間体を満足させるために、子どもが犠牲になり、そのような自己中心的な思想が、色濃く容疑者に受け継がれ、破壊的な衝動として表面化したのが、今回の事件であると私は受け止めている。 
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談40
  また大きな地震が起こった。つくづく日本という国は地震災害が多い国である。私達は学校の社会科の授業で、西日本は地震が少ない地域と教えられたが、このような知識は、阪神淡路大震災によって覆された。日本のどこに住んでいても、地震の被害から免れることが出来ないと言うことを、最近の地震を通して示されている。被災地の救援活動が支えられ、生活基盤を失い、途方に暮れている人々が、新しい歩みに進み出すことが出来るように、祈っていかなければならない。
 災害は一瞬にして、私達の生活基盤を奪い、また愛する人を失うこともある。後悔をしないためにも、災害に対する備えを日々心がけておきたい。
 私達に出来る簡単な防災知識を少し。家具の固定は、地震の時に大きな効果を発揮する。
ホームセンターなどに、天井と家具の間につっかえ棒のような家具を固定する器具が販売されているので、設置をオススメする。簡単であるし、安価でもある。小さなお子さまがおられない家庭なら、お風呂の水を捨てずに、次にお湯を沸かすまで湯船に入れておくのも効果的である。大きな地震では、一番困るのがトイレである。浴槽の水を水洗便器にバケツで入れれば、3日ほどトイレの使用が可能だと言うことである。あと3日間の水と食料。非常食を用意しておくことも重要である。災害への備えを十分にしておきたい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談41
  今回は、大学生の落書き騒動について。イタリアのフィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きをした大学生のことが話題になっている。やったことが悪いということについて、異論を挟むつもりはないが、何故今更になって騒ぎ出すのかということが不思議でならない。今回このような出来事が初めて起こったのであれば話は分かるが、以前から行われていたことである。
私自身も、サンピエトロ寺院の展望台に訪れた時に、数多くの落書きが記されていたことを思い出し、日本の大学生だけではなく、世界中のモラルのない観光客が、同様のことをしているのである。取り立ててこのことが騒がれること自身、マスコミが世間をあおっている姿に、不快な思いをしている。
 今回のことで素晴らしかったのは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の対応である。落書きを行った大学側が、「落書きの修繕費を支払います」と申し出たのに対して、
「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と返答したのである。教会側にしてみれば、大多数の 謝罪もすることなく落書きを残していく世界中の観光客に比べて、正直に名乗り出て、謝罪をした大学の対応を評価したのであろう。私は今回の出来事で、マスコミの的はずれな報道姿勢を不快に思い、当事者達の正直且つ誠実な対応に喜びを感じたのである。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談42
  最近、エコロジーの話題がマスコミを通じて繰り返し流されている。洞爺湖サミットの開催がこの原因であると考える。エコロジーそのものを否定するつもりはないが、報道姿勢、エコロジーの考え方に、いくつかの矛盾を感じている。
 一つは、報道姿勢についてである。本来報道とは、権力者の行動を監視し、正しい情報を国民に知らせることを通して、主権在民の民主主義国家のあるべき姿を追い求めるために存在するはずである。しかし、洞爺湖サミットで、日本が重点を置く環境問題に歩調を合わせて、付け焼き刃の環境番組を垂れ流しにすることに、疑問を感じざるを得ない。政府の意向に沿った報道姿勢では、戦時中とその姿勢に大きな違いはないからである。
 もう一つはエコロジーについてである。なるべく無駄を無くする事は大切である。レジ袋や、ペットボトルの再利用、様々なもののリサイクル、どれも環境によいこととして喧伝されている。しかし、無批判的にこのことを信じるのは、危険を感じる。本当に環境にとって大切なことは何か。二酸化炭素排出を減らすならば、リサイクルを行うために使用されるエネルギーや、二酸化炭素排出量をしっかりと計算した上で、行う必要がある。
 例えば、ペットボトルのリサイクル。リサイクルする過程で出る二酸化炭素には問題がないのか。考えてみて欲しい。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談43 
 ペットボトルのリサイクルについて。リサイクルは、資源の無駄をなくし、資源の再活用をすることによって、環境への負荷を軽減するために行われていることである。しかし、どんなものでも、リサイクルすれば、環境によいわけではない。
 ペットボトルの原料は石油である。リサイクルの目的は、石油を再利用することで、石油資源の有効利用を目的としている。しかし、ペットボトルを再利用するのには、技術的な問題があり、多くの手間と時間とそして何より、エネルギーを必要とする。石油からペットボトルを作るのと比べると、ペットボトルからリサイクル商品を作るのに、3倍の石油を必要とするのである。ここにペットボトルのリサイクルの矛盾点がある。石油資源の無駄をなくすために行われるはずのリサイクルが、リサイクルすることによって、3倍もの石油を費やす結果となるのである。
 ある環境に関する本を読んだ。すると、ペットボトルなどは、生ゴミと一緒に処分するのが、一番環境負荷の少ない方法だというのである。なぜなら、ゴミ処分場では、生ゴミを焼却処分するために石油が用いられている。焼却するために石油を用いるのなら、その石油を用いずに、ペットボトルで生ゴミを燃やせばよいのである。一番効率の良い再利用だと思うが如何だろうか。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談44
  原油価格の高騰で、漁業関係者の方々が窮地に追い込まれている。漁に出て、実入りが少ないという範囲を通り越し、赤字になる状態である。私達日本人にとって、魚介類は大切な食材である。そのために、命がけで漁に出られている方々に対して、今の政府は一体何をしているのだろうかと感じざるを得ない。
 以前にもこの場で書いたが、職務上、燃料を使わなければ仕事にならない職種については、政府が何らかの救済措置を執らなければ、見殺しにするだけである。漁業も、船の燃料がなければ、漁にならない。運送業者の方々も、ガソリンや軽油がなければ、物を運べないのである。運送業者などは、まだ自分で価格決定をすることが出来る。それでも自由競争が激しいので、軽々に値上げをすることは出来ないが。しかし、漁業関係者、特に、実際に漁に出る人々は、全くと言っていいほど、魚の値段を決める権限がない。魚介類に関しては、小売店が値段を決定し、その値段に即して、市場での値段が決定される。そこに、原油高による、コスト面での配慮が、入り込む余地はない。ならば、この値段決定のシステムを変えるか、政府が一時的にも救済措置を執らなければならないのである。
 漁師を見殺しにしても、道路が必要だろうか。私達は声を上げなければならない。
                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時事放談45


                          <Menueへ戻る>    <Topページへ戻る>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・