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大相撲雑感 体ごとぶっかっていき、激しい突っ張りあいからイナされて、土俵際つんのめり ながらもよく残して振り向きざま体勢を立て直し逆襲、機を見てタイミングのよい叩きが決まり、相手を土俵上に大の字に這わせたり、スポッと二本差しが決まり腰を落としての寄りが決まったりと、気持ちの良いほどの戦い振りであった。 これまで花相撲や巡業の土俵は真剣味に乏しいからと思い込み、あまり観ていなかったが、本土俵の勝ち星を一つでもと争う緊張しきった取組みとは違い、次々と繰り広げられる大相撲の技の連続にすっかり魅了されてしまった。 競技として行われる一般の相撲と違い、興行としての大相撲は同じ勝敗を競う ものでありながらまったく異質のものであると思っている。大相撲には単に勝敗 だけではなく、その中に日本人の情感が込められているように思う。 日本人の体型が今よりずっと小さかった時代に、娯楽の少なかった江戸や大坂や京の都で行われた勧進相撲で六尺を越す大男が土俵に上がっただけで観衆は驚異の目を見張り、大喜びをしたに違いない。俵を何俵も持ち上げて見せたり、次から次へと何人も投げ飛ばしたりと観客は湧いたに違いない。時には舞の海のような小兵力士がその大型力士を破ったりでもすれば、髪結いとか銭湯とかの町民が集まる場所で大いに話の花が咲いたことであろう。 そんな相撲興行にはきっと悪役の力士も登場し、貧しい親を助けて苦労している孝行力士を委細構わず土俵に投げつけて、見物客からのブーイングをどこ吹く風と肩を怒らして引き上げ、負けた力士に同情が集まる中で、颯爽と登場した今売り出しの人気力士がその悪役を完膚なきまでに破りでもしたら、溜飲を下げた観客たちが、今座布団が舞うように羽織や祝儀の紙包みが土俵めがけて舞い上がったであろう、などと講談にでも出てきそうなストーリーを想像して見たりしている。 最近立会いの乱れが指摘されているが、少しでも自分が優位になるために勝負の駆け引きに腐心しているだけでは大相撲の本当の面白さが損なわれてしまう。「礼に始まり、礼に終わる」や「潔さ」、勝負がすめば相手を思いやる「情け」などなど日本人が先祖から受け継いできた立派な精神を集大成したものが土俵の周囲から感じられることを大相撲ファンとして期待している。 99.8.28 畠山 記 |