キューバからの便り(020821)


恋ならぬ海にはまって1

 その1、アラマル仲間の休日

 或る日曜日、アラマルの住宅でバスを調達してきた人が、「海へ行こう!」と企画
し誘ってきました。時間にルーズ(?)、といわれているキューバ人ですが、この日の
朝は、出発時間前にはバスは満杯でした。
 乗りこむとすぐに、コップが回ってきました。ラム酒です。バスの中はすでに宴た
けなわ、いやもう大騒ぎ、なんて生易しい状態ではありません。
 お腹の突き出た男の人が何やら冗談を言ってみんなを笑わせています。笑い声は
段々エスカレートし、それに太った女の人が掛け合いで冗談を返して、ヤンヤの喝采
が起こっています。バスはその度に大きく揺れるようです。言葉が
ほとんど分らない私でも、その雰囲気と可笑しな顔に、つい笑ってしまいます。
誰かが「ムシカ音楽!」と叫びました。運転手が「さっきからかけてるよ!」またみ
んなは大笑い。
キューバ人が陽気とは知っていましたが、その度合いは想像を絶しました。
こんな楽天的な人たち相手に、「経済封鎖」なんてしても、何の効果もないんじゃな
いか、なんて私は思いました。窓外には、”われわれは誰も降参しない!”と壁に大
きく書かれた工場が見えます。
 バスは、まっすぐに伸びた広い高速道路を、そのほとんど車の通らないバカ広い
(スミマセン下品な表現でした)道路を、ガタピシ軋みながら、喚声を乗せてひたすら
走ります。左手にどこまでも青い水平線を見て、右手にはなだらかに続く地平線が。
その草原には馬や牛が草を食んでいます。
 突然バスが止まりました。みんなが我勝ちに降りていきますので、私も続きまし
た。バター付きパン(1,7ペソ)とラム酒(24ペソ〜3ドル以上のものが!)を、もうほと
んど酔ってる人たちが買いこんでいます。西部劇に出てくるような、木でできた柵な
どが家の前にあるその村は、寂れてひとけがありません。
旅情を誘うような風情です。道端に、「馬に注意!」と立て札が。

 着いたヒバコアの海は、キャンプ施設がたくさん並び、既に家族連れや若者達のグ
ループがキャンピングしています。キューバ音楽が、これまたボリュームいっぱい、
椰子の木の間を流れています。
 
 遊び疲れて、椰子の下で私は本を開きます。風が気持ち良く吹いています。
「カブール・ノート〜戦争しか知らない子どもたち」
 熱帯の海岸、穏やかで平安な、身も心も弛緩したまま、午睡に誘われそうな心地よ
さの中で、遠くから陽気なラテンのリズムさえ聞こえてきている、
東ハバナの海岸で、滂沱と流れる涙に暮れていました。
私の頭の中で、山本芳幸氏の聞いた、そして書いた終行の、
「行けっ!ジャパニーズ!」が、いつまでもリフレインしていました。
                        (2002,4,28)

恋ならぬ海にはまって2

  その2、バクラナオの海
 ベダドのアパート暮らしで、時々の土日はアラマルへ帰りましたが、楽しみは海で
す。家から自転車で30分くらい、またはバスで、土日は馬車が出ます。小さな森と
川を通り抜けると、広いなだらかな丘にでます。その向こうに蒼い海が広がっていま
す。その風景は何度見ても、絵です。
 ここの海は湾になっているので、波も無く安全です。子ども連れや、学校のクラブ
活動で来て砂浜を走ったりしているグループもいます。
 ある時、友人のヒセラが泳いでいたら、誰かが彼女の脚〜太腿を触ったので、手で
追い払ったら、今度は反対側からまた触ってきたそうです。「もう!」って叩こうと
したら、なんとエイだった!さすがのヒセラも、そうっとそこを離れたそうです。わ
れわれが密かに”カピタン!隊長”と呼んでる彼女ですが。

  その3、わが家の?海
 アパルタメントのバルコニーから見える海は、歩いて6〜7分。尖った岩石の海岸
です。釣り人たちがいつも海を見ています。車のタイアチューブに乗って、沖へ釣り
に行く人もいます。朝早く、釣った魚を下げて歩いて行く男達。収穫のときは、1,5
メートルもの獲物が。彼らは海岸で魚の腸などを処理して、調理するばかりにして
持って帰ります。その捨てた腸を、他の生き物たちがまた食用にしているのです。獲
れた魚はドルを稼ぐ貴重品です。我が家へ売りに来たのは、7ポンドの針の魚と、5
ポンドの鯛でした。大きいのは胴を輪切りにして、バター焼きやムニエル風にして何
回も食べました。鯛はレモンを振りかけてオーブン焼きに。とても大きく食べきれな
いので、オーブンを貸してくれたマリアと、調理してくれたロシータにお裾分け。と
ても美味でした。

 この海で、海覗きの醍醐味を知りました。
 2年前日本で、博多の志賀島や八丈島で体験ダイブをして、海の魅力に捕り付か
れ、伊豆、赤沢でダイビングのライセンスを取得した私ですが、ここで、シュノーケ
リングしてみたら、その自由さにハマッテしまいました。時間を気にしないでいつま
でも海に入っていられる、魚たちを追いかけても大丈夫、好きなように楽しめるので
す。指が皺しわになるほどに。
 鰹に良く似た、切れのよい尾鰭を振りながらカッコ良く泳ぐ魚、頭が長く尖った、
針の魚と呼ばれる魚たちが、実に姿美しく泳いでいます。海の中で出会うようになっ
たら、食べるのが可哀想になってしまいました。
 それでも、3時間も海に入っていると、さすがにお腹が空いてきます。
お魚たちが美味しそ〜に見えたら、要注意ですが。
 そして或る日、烏賊の集団遊泳に出会いました。可憐な姿をヒラヒラさせて、十数
匹の烏賊が、私の目の前で止まりました。感激で息が止まりそうでした。じっと見て
いると、踊っているような呼吸を整えているような、可愛らしいイカたちでした。
 この時から、私は海に奪われてしまったのかもしれません。

恋ならぬ海にはまって3

  その4、ロシア人の海岸
 60年代、多くのロシア人がキューバに援助に来たそうですが、その人達が住んで
いたのがアラマルの一戸建てです。庭が200坪くらいある緑の多い住宅地ですが、
この近くに「ロシア人の海岸」と呼ばれている海があります。
 ここが私の「ふたたび恋に落ちた?」ちょっと「平常心を失わせた」海なのでし
た。
 静かに透き通った海の中。太陽が海の底まで差し込んでいます。私の姿が海底に
映って、その真下を魚たちが自在に泳ぎまわっているのです。
 海の中の岩場に群れ泳ぐ、トロピカルな魚たちは、黄色と黒の縞模様の、真っ赤な
ドレスの、黄色の洋服に紫の帽子の、ブルーの身体全体に輝くスパンコールの、黒と
白の初めて見る形の、尻尾に目玉を描いたの、見る角度によって色を変えるの、、、
様々な容姿と姿態を見せてくれて、もう〜たまらない!のです。ゆったりゆったりし
ていると突然現れる、大きな魚と私は目が合ってしまいます。その瞳の可愛らしさ。
スマートな銀色の魚は、ピッタリ向かい合ってキスをします。
 極めつけは、ヒラメ君でした。砂地に這うようにしていたのを、ちょっと嚇かした
ら慌てて泳ぎました、ドルフィンキックで。そして砂地にするするっと潜りこんだの
です、2個の目だけを出して。私が砂を足で退かすと、ヒラメ君はまたまたコミコな
泳ぎ方で逃げていくのです。私が追いかけ、逃げる、ついに彼は岩に頭を突っ込みま
した。とたんに体の色が青くなったのです!半分体が岩からはみ出して。
 「モレナの君」が一所懸命、魚の腸を食べています。80センチくらいあるでしょ
うか、黒地に黄色の縞がお洒落です。我が家の海で見たのは、茶色の頭のでっかいい
かにもウツボ、でしたが、この君は優雅です。
 ここでは時々「海坊主」みたいなのが私をビックリさせます。蛸を捕っている
キューバ人です。蛸たちは可哀想に、頭をひっくり返され中身を取り出され海に捨て
られ、その間中必死に「海坊主」の手に8本の足を吸い付かせて抵抗しているのです
が、ついには動かなくなってしまうのです。

  その5、コヒマルの海
 友人のコスメ夫妻に誘われて、へミングウエイが住みついた、
「コヒマルの海」に行ったのが運の尽き。
 そこは、映画「グランブルー」の世界。
コスメは、海底の見えない深いブルーの中へ、真っ逆さまに潜っていきます、鼻をつ
まみながら、、、。

「海に発狂する日本人がいるなんて、知らなかったョ〜」
私を自転車の後ろに乗せて、毎日海へ付き合ってくれる、アルの嘆き?です。

宮本眞樹子 MAKIKO MIYAMOTO
 

暮らし事情

    キューバ・暮らし事情

  私が大学へ通ってアパート暮らしを始めた時、アラマルの友人たちは、
「マキコはアラマルの暮らしが厭になって、ベダドへ逃げていった」
と言ったそうですが、
確かにアラマルは不便なところです。
大体、キューバ全体が物不足なのですが、特にアラマル、
そして独り暮しの長かった彼の家は、
水は出たときに汲み置くだけ、水も所帯道具もシンプル、
私には信じられないほどの暮らしでした。
彼は「僕は1日バケツ2杯あれば暮らせる」人なので。
 
 私はキューバに住む必要最低条件として、
水がいつでも使えること(飲み水も確保)と、電話を引くことを望みました。
ロシータの家に備えてあるような水のタンクを取り付けてほしいと、
私はキューバに暮らそうと思った昨年1月に、彼に頼みました。
ところが12月キューバに来た時、なにも変わってなくて、
その後3ヶ月アラマルの家に暮らして、
「お水、お水、タンクを取り付けて」と頼み続けましたが、
「今は材料がない」という理由で、ついに3ヶ月そのまま過ぎました。
私は果たしてキューバに住めるのだろうか、という思いが拭えませんでした。

3月、一時日本へ帰国するとき、
タンクの材料を調達して取り付けることを再度頼み、費用を預けていきましたが、
1ヶ月半後にキューバヘ戻ってみたら、やはり何も出来てはいませんでした。

 私がベダドのアパート暮らしを始めてまもなく、タンクが取り付けられました。
私が望んだ電気の湯沸し装置も付けて。

 アパート独り暮しといっても、独りで暮らさなければいけない理由はありませんの
で、
「特に何もすることがないなら、ここで一緒に暮らせば?」
どこか寂しげなアルに私は提案しました。
「家を空けておくと泥棒が入る」と言って、彼は3日おきくらいの通い夫(?)に。
そして、せっせとアラマルの家から食器や食糧を持ってきてくれましたが、
私はフライパンやタッパーなど買い揃え、さてと思ったら、
キューバの食糧事情にぶつかったのです。

 ベダドでは美味しいパンが売っていたり、
(アラマルでは1種類のパンしか売ってなく、あとは配給のパン〜「不味くて犬も食
べないョ」とアルが言う。)
ジャムやいろいろな種類のパスタ、スモーク肉、ハムやチーズなどの加工食品も売っ
ています。
また、レストランもたくさんあります。
ドルを使ってなら、贅沢な食べ物がいろいろあります。
けれども、キューバ人としての自炊生活(ペソの買い物)をしようとすると、
とたんに不便に戻ります。
配給品は居住地の指定店でしか買えませんので、
多くがドルの買い物になってしまい、生活費がとても高くなりました。
(ドルで売っているものは日本などと同じ位の価格か、少し高めです)

 ドルのお店には、ペソでは買えないものがあります。
給料をペソで受け取っている(それはとても不充分だそうです)キューバ人にとって、
ドルで欲しいものを買いたいという欲求は、
ドルの店が充実すればするほど、矛盾となっている現実のようです。

 それはまた、観光客が落とすドルが、キューバという国を経済的に支えているので
すが、
他方、キューバ人から見れば、
外国人は経済が豊かで羨ましい、という風にも映ってしまうようです。

暮らし事情2

    まず水を!

 きょうで3日、給水車が来ません。
バルコニーから外を見ると、バケツを両手に下げた人たちが行き来しています。
隣のビルにお水もらいです。
キューバに来たはじめの頃は、
”この春は〜良き春なりとのらすれば〜妻も勇みて若水を汲む〜”
なんて口ずさみながら水汲みしていましたが、今はもう、
「きょうも、も!も! アグワ(水)、来ないの?!」と家人に当り散らし。
大和撫子がなんということを!ですが、現実は容赦ないのです。

 先日、日本大使館で会った一人の日本人女性、
挨拶を交し合ったときの笑顔がとても綺麗で、そのまま行過ぎるのが惜しまれ、
その方の用件が済むのを待って話し掛けました。
留学でキューバに来て9ヶ月というその方は、
ハバナ大学ではキューバ人と一緒に「キューバの歴史」を学び、
他に「キューバ文化」の講座を受けていると言いますから、ベテランです。

「言葉がご自由では楽しいですね、キューバはいかがですか?」
にこやかなその女性に合わせて、私も淑やかにお聞きしますと、
俄かに表情が変わり、
「もー、タイヘンです。お水が無いのが何と言っても、、、。
水が出ないなんて,考えられない!
この暑いのにシャワーも浴びられない、
うちはタンクが一つしかないので、一日おきの水が、一回来ないと4日間!もう!」
と、
頭を振って、
「水も電気もガスもない、一体どうやってやれって言うの、って言いたくなる。
食べ物も、ふつうあるものが無い。
日本からカレーのルウを送ってもらったのでカレーを作ろうと思ったのに、
玉ねぎとジャガイモをあっちとこっちでやっと買えたと思ったら、人参が無い。
野菜の種類も少ないし、調味料も無いです。
なんでこんな物が無いの?っていうものが無いんですよね。
日本から包丁や道具類、いっぱい送ってもらったけど、
母親は”なんでそんなものが無いの?買えば?”って言うけど、
売ってないんですものね。
きょうだって朝9時からタクシーを待っていて、バスも来ない、
大使館が閉まっちゃうってヤキモキして、着いたらお昼ですもの、
ホント大変です、ここは」

 キューバ人と結婚したというその方は、
キューバに住み続けるかどうかわからないと言い、
さりとて、「夫を日本に連れて行くことは絶対無理!ありえないです」とはっきり言
うのでした。

 私も、毎日のようにある停電、
きのうも洗濯機に洗濯物を入れたとたんに、停電4時間
(その洗濯だって、水を節約して、洗剤を入れずに1回水洗いするだけ)。
冷蔵庫の氷が溶けて(冷凍庫が氷でいっぱいになる昔のタイプ)床が洪水に。
パソコンも使えず、夜など本も読めない、
苛々しますよねホントに、と思わず同調してしまいました。

 ガスが無くなるとボンベを持って買いに行くのですが、
これが配給制なので日数が来ないと買えません。
私の永住ビサが下りる前は、アルベルト一人分のガスなので、
ふつうに食事の支度などしていっても足りなくなるところに、
ブランカの家のガスが無くなったといって我が家へ使いに来ていましたから、
とたんに、何日間かはガス無しになってしまいました。

ブランカの家は現在、娘のアリーナが離婚して孫二人と来ていますから、赤ちゃんも含めて4人。元々一人住まいなので、いつもいつもガスも水も不足。

暮らし事情3

 夕べもアリーナがバケツを持って我が家に、
「明日の朝、顔を洗う水も無いの、赤ちゃんもいるし、」我が家の方も、計算しながら大事に使ってる水が、給水車が3日も来ないのでもう心もとないのですが、断るわけにもいきませんから、無理に笑顔で。それにしてももう限界。明日必ず水が来るとは限りません。ついに私はアルに、「待ってるだけじゃだめよ、行動して。」
「僕はそれを言ったよ、もう3年も前から、ここの議員に何回も言ったけど、いつも
同じ。直す計画になってるけど、今は配水管の材料が足りない、部品が無いから直せない、って。」下を見ると、オダーリとマリアエレーナがその議員に詰め寄っています。そこへヒセラが。やはり声高に抗議していますが、なにやら言い訳している様子。私は、「議員に言ってだめなら、役所とか、もっと上の組織に出かけなくちゃ。
みんなで行ったら絶対無視できない筈よ」と、アルに穏やかに(?)提案しました。
「あしたみんなで市役所へ行くことになったよ。僕はあした、イスラへのチケットを買いに行かなければならないから行かれないけど、オダーリがマキコもと言ってるけど行きますか?」ということになって、さて翌日;

 集まったのは、女性7人と男性1人、女の子1人に犬1匹。8時集合に行ってみたら二人だけ。やっと揃ったのが先のメンバー、8時20分出発しました。
カメジョに乗って、歩いて、着いたのが8時50分。
途中で男性が1人加わりました。ところが訪ねた事務所は空っぽ。いろいろ聞いてみると、「きょうはフェスタがあってみんな踊ってる〜」と、オダーリがお尻を振って踊る真似、「はっはっはっはー」と。みんなぞろぞろ別の事務所へ。

「3年前から水が出ない、、」「配水管が壊れたまま、、、」「赤ちゃんもいるの
よ、、、」「ごらん、日本から来てる人がいるのよ、、」私も立派なダシに。マリアエレーナがいっとき捲くし立てて、次にオダーリがジュンジュンと説明し、それからみんなが次々と。
口髭の体格の良い男性がそれを、頷くでもなく、拒否するでもなく、聞いています。机が四角く囲って置かれた広い会議室には、涼しい風が吹いてきて、雀が囀りながら窓から入って来たり、出ていったりして遊んでいます。
みんなは髭の男性の座った机とTの字になって座って、なぜか私だけ髭の男性の隣に座っていました(私が最初に座ってた)が、結果、「しかるべき所と相談して明日、電話で返事する」ということに。私が、「あなたのお名前は?」と聞きました。
みんなが「ワアッ」「日本人はキビシイよ」(と言ったらしい)。いっせいに言って笑いました。

髭サンはちょっと甘い眼で私を見て、渡した紙に名前と電話番号を書いてくれました。外に出てくると、会議室に入らなかった男性と、犬を連れた女性がどこかから現れて一緒に帰途に。
「あの人は何故、来たのに参加しなかったの?」私はオダーリに訊きました。
袖の無いシャツ(ランニングシャツ)を着ていたので、事務所に入れなかった、という
ことでした。男性は袖無しや短パン姿では入室できないそうです。
 犬がダメなのは当然と思いましたが、この国では男性たちが裸同然の姿で歩いていたり、バスに乗ってきたりするので、この事務所の規則はなかなか善いなと思いました。さて翌日;”しかるべき人間が現場を見に行く、それまではとりあえず、月・水・金、週3回は必ず給水車を行かせる”という約束をしてくれた、ということでした。ん〜、成果ではあるけれど、土・日が無しということは、やっぱりみんなは大変です。シャワーも洗濯も、相変わらず控え目です。


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